第21講義
久々にルカが出てきます。
「エルザ殿」
最後に会議室を出たエルザは、待ち構えていたトリコリ教授に呼び止められた。エルザは「お疲れ様です」と少し膝を折る。
「ああ、お疲れ様。急に話をふってしまって、すまなかったね」
「いえ」
エルザは緩くかぶりを振った。トリコリ教授はエルザと並んで歩きだす。
「賢者会議に女性が参加するのは初めてだ」
「……でしょうね」
「しかも、まだ二十代の若いお嬢さんだ」
「……」
それにはうなずきかねるエルザだ。そんな彼女に、トリコリ教授は苦笑を浮かべた。
「二十代の女性が賢者会議に呼ばれる。前例のないことだ。古い考えに固執するものは、よく思わない者もいるだろう。ああいう場に来るようなものは、おおむね男が女より優れていると考えるものだ」
「……トリコリ教授もそうなのですか?」
意地悪なことを言ってしまった。年上の男性に向かって、失礼ともいえる発言だ。トリコリ教授は眉尻を下げて笑う。
「私も、かつてはそうだった。しかし、君のように優秀な女性もいる。君の頭脳は本物だ。その強さも」
分かれ道に差し掛かり、二人は立ち止った。トリコリ教授と向き合ったエルザは、ほぼ同じ高さにある教授の目を見た。
「クローチェ殿たちが君に暴言を吐いた時、すぐに仲裁に入らず申し訳なかった」
「いえ……。座長である教授は、できるだけ中立の立場を貫くべきでした」
あそこでエルザの肩をもってはいけなかったのだと、思う。トリコリ教授はエルザの肩をたたいた。
「いいや。あれは本来なら止めねばならなかった。しかし、あれくらいで折れるようならこの先、会議は続けられないと思ったのだ」
「……」
基本的に自分の知識に絶対の自信を持つ者たちは、その心が硬く自分が折れると言うことをしない。自分の考えこそが絶対だと思っていることが多いのだ。
「途中で賢者会議を降りることは、前例がないわけではない。明日からも続けるか、降りるか。決めるのは君だ。今日の会議で、何を思い、どうしようと思った?」
「……教授」
トリコリ教授はもう一度エルザの肩をたたくと、身をひるがえして言った。
「それでは、私は先に帰らせていただくよ。できれば、明日も会議室で会いたいものだな」
エルザはトリコリ教授の背中に向かって一礼すると、息を吐いた。それから自分も帰ろうかと鞄を持ち直した。
「あー、いたいた。エルザ」
どこか暢気な聞き覚えのある声が聞こえ、エルザは振り返った。アイスブルーの瞳と目が合う。
「会議が終わったと聞いてな……エルザ?」
首をかしげたルカを見てエルザは一瞬目を見開くとそのまま脱兎のごとく逃げ出した。ルカの「エルザ!?」と言う声が背中を追ってくるが、エルザはそのまま玄関……には行かず、回り込んで庭の茂みに隠れた。壁を背にして膝を抱える。
ルカの顔を見た瞬間、泣きそうになった。だから逃げてしまった。顔を伏せたままエルザは息を吐き出す。そんな自分にビックリだ。
「こんなところにいた。突然走り出すなよ……」
頭の上に大きな手が置かれた。そのまま少し乱暴に撫でられる。顔を上げなくてもわかった。ルカだ。
「……お前、仕事は?」
エルザが絞り出すような声で尋ねた。声が震えていた。ルカはそこには触れずに代わりのように隣に座りこんだ。
「私は宰相補佐なんだが……知ってたか?」
「知ってる……」
宰相が戻ってきたから会議が終わったとわかったのだろう。正直あまり仕事をしているイメージがないのだが、ルカならエルザが招集を受けたことも初めから知っていただろう。地震の影響で忙しいのではとも思ったが、とりあえずつっこまないことにした。
「会議はどうだった?」
「……」
エルザは無言で顔を上げなかった。しかし、ルカはめげることなく言った。
「賢者会議、強烈だろ。私も五年前の会議に書記官として参加したが、全員が自分の知識に絶対の自信を持つ知識人たちだからな。意見は正面からぶつかるし、新しいものを生み出そうと言う割には変化を嫌う。特にエルザは初めての女性参加者だし、まだ三十前だ。たたかれただろう」
「……なんでそんなところだけ鋭いの」
エルザは顔をあげて乱れた髪を手櫛で直した。ルカの方を見ると、彼は微笑んでいて、エルザは何となく仏頂面になる。
「……ルカが私を推薦したの?」
「いや。賢者会議の招集メンバーを決めるのは陛下だ。私は関与していない」
「……そう」
こういうところでルカは嘘をつかないので信用できる。少なくとも、エルザはジャン・カルロ王に選ばれたと言うことだ。
「正直、私はエルザに会議に参加してほしくなかった。たたかれるのがわかっていたからな」
エルザは小首を傾げてルカの横顔を見上げた。ルカは隣に胡坐をかいて座っていた。
「……だけど、宰相に『エルザ教授はそれくらいで折れるのか』って言われて、腹が立って反対できなかった」
「……いや、それはいいんだけど」
賢者会議に選ばれるのは名誉なことだ。ルカが心配してくれたのもありがたいが、エルザもこれくらいで折れるつもりはない。
ルカが手を伸ばしてエルザの頬に触れた。驚いたエルザが目を閉じると、両目から涙がこぼれた。
「……へ」
真正面から抱き寄せられて、変な声が出た。そのまま強い力で抱きしめられる。
「結婚してくれないか、エルザ」
どこかで聞いたようなセリフを耳元でささやかれた。エルザはいつか言ったことを同じことを言った。
「もう少しまともなプロポーズを考えてから来いって言わなかった?」
セリフが全く変わっていない気がする。ただ、前より心がこもっている気がした。そして、反論したエルザは涙声だった。ルカの手にさらに力がこもる。
「……一応、考えた。晩餐会の時、お前に言われたことも」
「……」
「私にはよくわからなかった」
「……ああ、うん。ルカにわかるとは思ってないよ……」
エルザ自身にも理解できない、この複雑な感情。ルカに理解されるとはつゆほども思っていない。
思っていないのだが、やはりショックだった。ここは、考えてくれたのかと前向きに思うところなのかもしれないけど。
「だが、私は今のままのエルザが好きだ」
「……うん。ありが」
「不器用でつっけんどんで、でも優しくて自分の信念を曲げないエルザのことが好きだ」
「……」
エルザのセリフを食い気味に話すルカに飲まれるエルザである。
もしかしてこれは口説かれているのか、とエルザが考えた時、ルカがトドメの一撃を放った。
「私は、エルザのことをたまらなく愛している。だから」
結婚してくれないか、とルカは続けたのかもしれないが、エルザが感情のままに泣きついたので彼女にその言葉は届かなかった。
何なのだろう。何なのだろうか、この男は。女性恐怖症はどこへ行った。突っ込みたいことは山ほどあるが、エルザはルカにしがみついて泣くことしかできない。感情が理性を上回った。
若いからとか、小賢しいとか、時が解決してくれるものや自分の性格ではなく、女である、という誰にもどうしようもないことで責められたのがショックだった。
アレシアは言っていた。ルカは、エルザのことを理解しているのだろうと。確かに、そうだったのかもしれない。自分のことでもないのに、宰相の言葉に腹を立てたと言うことは、エルザならできると信じてくれていたと言うことだ。
彼はエルザを優しいと言ったが、本当に優しいのはルカ自身だ。思い返せば、エルザがどんな態度をとってもルカは怒らなかったし、いつも一緒にいてくれた。
大学を卒業して別の道を歩んでも、彼は必ずエルザに会いに来た。予告なくやってくる彼の来訪を、エルザは待っていたのだと今ではわかる。
ルカは、エルザが女だからと馬鹿にしない。若すぎる、もしくは年増だからと下に見たりしない。エルザは自分が普通でない自覚はあるが、誰かに否定されるのはこんなにもつらい。
エルザが研究者としてやってこられたのは、一番近くにいたルカがエルザを理解してくれていたからだ。そうでなければ、エルザはとっくに研究など投げ出していただろう。ルカと人生が絡み合わない自分など、もはや想像できない。
……こんなにも、自分はルカのことが好きなのか。
一度にすべての答えが出た気がした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
甘い……自分で書いたのに胸焼けしそう。
そういえば眼鏡どこ行った。たぶん、手に持っていると思いますけど。
あと三話くらいで完結予定です。




