第19講義
attention!
後半には地震の話が出てきます。苦手な方は回避してください。
社交シーズンの終盤にあった学会も何とか終え、エルザは大学に戻ってきていた。夏季休暇中に学生たちが作り上げたレポートに添削を入れ、さらに講義の準備もする。社交シーズン中楽をしていたので、やることがいっぱいだ。
ルカとは相変わらずつかず離れず。ここひと月はエルザの方が忙しいので、扱いがぞんざいであったのは認める。それでもルカはやってくるので、こいつメンタル強いな、とちょっと思っている。
その事件はエルザの講義中に起こった。二十人程度のさほど大きくない講義だったのだが、席に座っている学生たちがざわざわとしだした。多少のおしゃべりなら無視するエルザであるが、さすがに無視できないレベルまで来て、「どうした?」と尋ねた。
「いや、なんか、揺れてるかなーって」
一番前に座っている男子学生が言った。エルザは立っているので感じにくかったが、立ち止ってみると確かに揺れている気がした。
「地震かな」
さほど大きな揺れではなかったのでそのまま講義を再開しようとしたが、その途端、ぐらりと地面が揺れた。
「っとと」
バランスを崩して教壇につかまる。女子学生が悲鳴をあげた。エルザはこれ以上は無理だと感じた。
「授業はここまで! 各自、帰寮しなさい。判断は寮監督の教授に任せるけど、自分の安全確保が最優先。いいね?」
はい、お疲れ様! とエルザは手をたたき学生たちに帰寮を促す。正直、校舎が崩れるのなら寮も崩れると思うのだが、そのあたりまではエルザも責任が持てない。しかし、安全確保のために実家に戻るなどは自由だ。休学届なら大学側も受け付けてくれるはず。
エルザも教材をまとめて研究室に戻った。助手のサビーナがエルザを見て声を上げる。
「あ、先生! よかった。無事でしたか」
「ああ、地震、感じた?」
サビーナがもちろん! とうなずく。
「先生が物の下敷きになっていないか心配で。でも出て行って入れ違いになるもの嫌でしたし」
「いや、さすがに私もそこまで間が抜けてないからね。外の様子も見てきたけど、建物が倒壊しているようなことはないみたいだね」
エルザはここまで見てきた様子をサビーナに伝えてそう結論づけた。おそらく、震源は遠かったのだろう。だとしたら、かなり大きな地震だったのかもしれない。
「サビーナ。被害地を調べてきてくれる? 史学的価値があるものはこちらで引き取りたいし」
「わかりました。調べてきますね。先生はここを動かないでくださいね!!」
「はいはい」
サビーナが強くエルザに言うので、彼女が苦笑してうなずいた。まあ、再び地震でも起こらない限り、動かないつもりである。
先ほどの揺れで崩れた本の山をちゃんと本棚に戻しつつ、サビーナの帰りを待つ。ほどなくして彼女は戻ってきた。
「戻りました」
「お帰り。震源地はどこだった?」
「南部マルティネス郊外です。王家の直轄地ですね」
「……なるほどねぇ」
エルザは本棚から地図を発掘し、びらっと広げた。大まかな地図であるが、だいたいの位置はわかる。
王都ゾラは中部の北寄り。なので、震源地マルティネスとは離れていると言えば離れている。
「王家の別荘地があるところだけど……歴史保護区だったはずだね」
つまり、歴史的建造物が多いところだ。王家の直轄地であることからもわかるように、かつての主要都市だ。現在は単なる保養地であるが、昔は海に面した商業都市でもあった。
「被害状況は、わかってないだろうね……」
「そうですね。早くても今日の夜ごろにならないとわからないかと」
王都郊外のこの場所でも揺れたことがわかったくらいの地震だ。エルザも行ったことがあるが、マルティネスはこの時代にしては中世の雰囲気を残した良い場所だった。まあ、彼女が用のあったのはその地の遺跡であるが。
キャプラ王国は地震が頻繁に起こるわけではない。しかし、時々こうして思い出したように地震が起こる。歴史学を研究するエルザは、文献でその記録を見たことがあった。
現場が歴史学上重要地である以上、エルザもそれなりの支援をする準備をしなければならない。支援と言っても、彼女の支援は少々変わっているが。
本日の講義は急遽、全て休校とした。学生たちも勉学に身が入らないだろう。震源地が家に近いものもいるかもしれない。そんなわけで、翌日から講義を再開しようと思ったエルザであるが、彼女の思ったようには行かなかった。
「先生!」
寮で朝食をとっていたところに飛び込んできたのはサビーナだった。この寮には何人かの女性教員も生活しているが、サビーナが示す『先生』とは、もちろんエルザのことだ。
「どうした?」
ナプキンで口元をぬぐいつつエルザは立ちあがった。サビーナが「これを」とエルザに白い封筒を差し出す。
「今朝、早朝便で届いたものです」
「ほほう……これは私でも慄くな」
エルザは押された紋章を見て言った。たまたま一緒に食堂で朝食をとっていたロザリアとイラリアが「どこからですか」と邪気なく聞いてきた。エルザはまるっと無視し、封書を開いた。
「あ~……これ、断れないと思う?」
エルザがサビーナに書面を見せると、彼女は書面を覗き込んだ。
「断れないですよ!」
「……やっぱりかぁ」
さしものエルザも慄く相手。それは王家だ。封筒の紋章は間違いなく王家のものだし、書面のサインは間違いなく国王のものだ。
「わぁ! 先生、賢者会議の招集状じゃないですか!」
「すごぉい!」
ロザリアとイラリアが後ろで騒いでいるが、エルザは頭を抱えた。
「これ、昨日の地震の件だよね。招集は明日か……なら、今日中には王都に入らないと」
国王からの召集令状だ。そむくわけにはいかない。エルザは腹をくくってこの先の予定を書きかえる。少なくともこの先一週間ほどは休講だ。学長にも報告に行かなければ。
賢者会議とは、若干ふざけたような名称であるが、とてもまじめな会議である。何か大きな事案が発生したとき、国内の学者や賢人を集めて会議を行うのだ。その数十二人。その事案の傾向にもよるが、この賢者会議の招集を受けたと言うことは、優秀であると認められたと言うことだ。名誉なことである。
賢者会議は開かれるのは、約五年ぶりだ。前回開かれた時は、エルザはまだ大学を卒業したばかりの研究助手だった。そのため、当たり前だが初めての経験である。というか、女性で選ばれるのはエルザが初めてなのではないだろうか。
変人だ行き遅れだと言われながらも学者を続けていると、奇異なこともあるものだ。しかし、選ばれたからにはろくな理由もなしに断ることはできない。エルザが選ばれたと言うことは、彼女が賢者会議に参加する能力があると認められたと言うことだ。
今回、被害を受けたのが歴史都市であることもエルザの招集に関係しているだろう。だとすれば、歴史都市学的な知識を求められていると考えればいいだろう。だが、必要な文献なら、だいたい王宮書庫でそろうはずだ。というわけで、本当にマイナーな専門書だけ持って行くことにした。
「それじゃあサビーナ。私はちょっと行ってくるから、学生の休暇中のレポート返しておいて。それと、何かあったら連絡して。私は王都のロンバルディーニ公爵邸にいるから」
「了解です。お気をつけて」
サビーナが深くうなずいたのを見て、エルザは行きかけたがすぐに戻った。
「それと、うちの弟に私は王都にいるって伝えておいて」
「ダニエレ様ですね。わかりました」
今学期からフィユール大学に入学したダニエレが無事であることは昨日のうちに確認済みだ。エルザがいるカレッジとは違うところにいるので、少し離れているが、一応同じ学内だ。まあ、フィユール大学は大学構内だけで一つの街を形成しているのだが。
そんなわけで、エルザはひと月ほど前に後にした王都のロンバルディーニ公爵邸に戻ってきた。今回は止められずに入れた。
とはいえ、社交シーズンが終わっているので、両親も領地に戻ってしまっている。ダニエレは大学であるし、屋敷を維持している使用人がいるだけだ。
「エルザ様? どうなさったんですか」
屋敷を任されている執事が、エルザを見て驚きの声をあげた。エルザは肩をすくめた。
「賢者会議の招集を受けたんだ。明日には登城しないと」
「賢……!」
執事が驚いた様子で目を見開いた。それから屋敷の奥に向かって声を張り上げる。
「誰か! 領地の旦那様に連絡を! エルザ様が『十二人の賢者』に選ばれましたよ!」
「はい! ただいま!」
奥で聞いていたらしい使用人がバタバタと奥に入っていく。今から領地にいる両親に連絡を取るのだろう。まあ、報告が行って戻ってくるころには、賢者会議が終わっている可能性も高い。
「私がお仕えしている間に、ロンバルディーニ公爵家の方から賢者会議に出席される方が現れるとは……!」
執事が感極まったように目元を押さえた。何を大げさな、という気もしなくはないが、賢者会議は有事にしか開催されず、しかも十二人しか選ばれない。なので、執事の反応も理解できなくはない。
「……まあ、そんなわけだからしばらくこっちにいるわ」
「わかりました。お任せください」
「……」
微妙に不安を感じたが、エルザは「よろしく」と返すにとどめた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
後半と言っても五話くらいで終わると思います。