第3話 異世界、ファンタジーすぎる
しゃがみ込んだまま、しばらく動けなかった。
腹は減る。武器はない。スライムには負ける。川は見失った。状況を整理すればするほど、何ひとついいことがない。
「……いや、座ってても始まらんか」
立ち上がる。とりあえず歩くしかなかった。じっとしていても腹が膨れるわけでも家に帰れるわけでもない。
なんとなく、また「こっちな気がする」方向へ足を向けた。さっきからこの感覚だけはなぜか働く。当たっているのかは分からないが、他に頼るものもない。
歩いて、歩いて、どれくらい経っただろうか。
ふいに、木が途切れた。
「……お?」
視界が開けた。森を抜けた先に、道があった。土がならされて、轍の跡が残っている。明らかに人の手が入った道だった。
「道! 道だ! やった——!」
思わず駆け寄る。間違いない。誰かが通っている道だ。ということは、この先に人がいる。村か、街か、とにかく人がいる場所がある。
「助かった……マジで助かった……」
道に出て、左右を見渡す。どっちへ行けばいいかは分からないが、まあどっちかには何かあるだろう。とりあえず、なんとなく開けている方へ歩き出した。
その時だった。
道の向こうから、何かが近づいてくる。
カラカラと車輪の音。土を踏む音。やがて見えてきたのは——馬車だった。
いや、馬車、でいいのか。引いているのは馬に似ているが、少し違う。体が大きくて、毛が銀色がかっている。角みたいなものも生えていた。
「うわ、ファンタジー……」
思わず口から漏れた。本物だ。本物のファンタジー馬車だ。御者台には人が座っていて、こちらに気づいてゆっくり速度を落とした。
「おーい、そこの兄ちゃん」
御者が声をかけてきた。日に焼けた、人の良さそうなおじさんだった。
「……あ、どうも」
言葉が、通じた。
一瞬、頭が混乱した。ここは異世界のはずだ。なのにおじさんの言葉が、普通に日本語に聞こえる。いや、日本語なのかどうかも分からない。ただ、意味が分かる。すんなり頭に入ってくる。
(言葉通じるのか……まあ、通じないと詰むしな。ありがたいけど)
深く考えるのは後回しにした。今はそれより——
「こんなところで何してんだ。しかも、えらく薄着だな」
おじさんが空の格好を見て、不思議そうな顔をした。
空は自分の姿を見下ろした。寝巻きだった。そういえば、まだ寝巻きのままだった。森の中をさんざん歩き回って、ところどころ汚れている。
「えーっと……これは、その、色々あって」
「色々?」
「うん、もう、ほんとに色々と……」
説明しようにも、どう説明すればいいのか分からない。異世界から来ました、なんて言って信じてもらえるわけがない。下手したら頭のおかしい奴だと思われる。
おじさんはしばらく空を見ていたが、やがて何かを察したような顔をした。
「……訳ありか」
「あ、はい。まさにそれ!訳ありってやつ」
便利な言葉だった。空は全力で乗っかった。
「行くあてはあるのか」
「……全然」
「腹は」
「…しっかりと」
正直に答えると、おじさんは少し笑った。
「乗りな。ちょうど街に戻るところだ。フェルドまで送ってやる」
「えっ、いいんですか!?」
「こんなところに薄着の兄ちゃん一人置いてったら、寝覚めが悪いからな」
空は、ぐっと胸が熱くなった。異世界に来て、初めて触れる人の優しさだった。スライムには負けるし腹は減るし散々だったが、こういう人もいるんだと思うと、少し救われた気がした。
「ありがとうございます! めっちゃ助かります!」
「いいから乗れ。日が暮れる前に着きたい」
空は荷台によじ登った。藁が敷いてあって、座ると意外と居心地が良かった。馬車がゆっくり動き出す。
「フェルドって、街の名前?」
「ああ。辺境のちっぽけな街だがな。冒険者が多くて、まあそれなりに賑やかだ」
「冒険者」
その響きに、つい反応してしまった。冒険者。いる。本当にいるのか、この世界に。
「兄ちゃん、その様子だと相当遠くから来たみたいだな」
「……まあ、はい。めちゃくちゃ遠くから」
「言葉に訛りもないが、見ない顔だ。どこの生まれだ?」
「えーっと……それも、色々ありまして」
「また色々か」
おじさんが苦笑した。空は曖昧に笑ってごまかした。
馬車に揺られながら、流れていく景色を眺める。森が途切れて、草原が広がっていた。遠くには山が見える。空は青くて、雲がゆっくり流れている。
ファンタジーだ。どこを見ても、ファンタジーだった。
しばらく揺られていると、道の先に何かが見えてきた。
石造りの壁。その向こうに、屋根が並んでいる。煙が何本か、空に昇っていた。
「あれがフェルドだ」
おじさんが前を指さした。
空は荷台から身を乗り出して、それを見た。
城壁に囲まれた街。三角屋根の家々。行き交う人々。掲げられた旗。全部が、絵本やゲームでしか見たことのない景色だった。
「……うわ、ほんとに街だ」
声が、自然と漏れた。
異世界に来て、半日。スライムに負けて、川を見失って、散々だった。でも今、目の前に広がっている景色を見て、ようやく実感が湧いてきた。
本当に、異世界に来たんだ。
これから、何かが始まる。そんな予感がした。




