第2話 とりあえず生きてるし、腹も減る
歩き始めて、すぐに分かったことがある。
森は、広い。
どこまで行っても木ばかりで景色がほとんど変わらない。さっき通った場所と今いる場所の区別がつかなくなってきた。同じところをぐるぐる回っている気もするが、確かめようがない。
「これ、遭難ってやつじゃね……?」
口に出すと急に不安になってきた。さっきまで「なるようになるか」と思っていたのに現金なものだった。
とりあえず上を見上げる。
木々の隙間から空が見えた。ちゃんと青い。太陽もある。日本で見ていたのと同じかは分からないが見た目は同じだった。位置からして、まだ昼を過ぎたあたりだろうか。
日が暮れる前にどこかへ辿り着きたい。歩く速度を上げた。腹も減ってきていた。考えてみれば転移してから何も食べていない。最後に食べたのは昨日の夜——いや、これが本当に昨日なのかも分からないが、とにかく結構な時間、何も口にしていない。
「腹減ったー……」
誰もいないのをいいことに声に出してぼやいた。返事はない。当たり前だった。
しばらく歩いていると水の音が聞こえてきた。音のする方へ進むと、木々の間から小川が見えた。澄んだ水がゆるやかに流れている。
「お、水!」
駆け寄ってしゃがみ込む。手ですくって、おそるおそる匂いを嗅いだ。変な匂いはしない。ためしに少しだけ口に含んでみる。
冷たくて、うまかった。
「うっま……」
ごくごく飲んだ。生き返る心地がした。腹は膨れないが、水を飲んだだけで少し元気が出てきた。
顔を洗って立ち上がる。川沿いに歩けばどこかに出るかもしれない。川は低い方へ流れるし、人が住んでいる場所は大体水の近くにある——というのを何かで見た気がした。漫画だったかゲームだったか。まあ何でもいい。
川沿いを歩き始めた。
◇
しばらく進んだ頃、それは現れた。
茂みが、がさりと揺れた。
足を止める。風じゃない。何かがいる。茂みから、ぬるりと出てきたのは——青い、半透明の塊だった。
ぷるぷると震えながら地面をゆっくり移動している。大きさはバスケットボールくらい。中に小さな核のようなものが透けて見えた。
「……スライム?」
ゲームでよく見るやつだ。一番弱い、最初に出てくる雑魚モンスター。実物を見るのは当然初めてだが、見た目はまさにそれだった。
じわじわと、口角が上がる。
「マジか。スライムじゃん。ほんとに出るんだ異世界!」
怖さより先に、テンションが上がった。だってスライムだ。一番弱いやつ。漫画でもゲームでも、主人公が最初に倒すのは大体これと相場が決まっている。
「よし、記念すべき一匹目! とりあえずお前倒したら俺、異世界デビューな!」
近くに落ちていた手頃な枝を拾い上げる。スライムがこちらに気づいて、ぷるんと向きを変えた。じりじりと近づいてくる。
「おー、来い来い。雑魚のくせに強気じゃ——」
枝を振り下ろした。
ぼよん、と弾かれた。
「は?」
枝がスライムの体にめり込んで、そのまま跳ね返された。手に妙な振動が走る。スライムはぷるぷる震えているだけで、潰れる気配がない。
「いやなんで!? スライムだろお前! 一番弱いやつだろ!?」
もう一度叩く。ぼよん。また弾かれる。柔らかい体がクッションみたいに衝撃を吸収して、まるで効いていない。
それどころか、スライムの体の一部がにゅるりと伸びて、枝に絡みついてきた。
「うわっ、ちょ、離せ!」
引っ張る。スライムごと持ち上がる。意外と重い。そして枝を伝って、じわじわとこっちに近づいてくる。
「えっ、登ってくんなって! こわっ、地味にこわっ!」
慌てて枝を放り投げた。スライムが枝ごと地面に落ちる。べちゃっと音がして、それでもまだ平然と震えている。
空はじりじりと後ずさった。
「……聞いてないんだけど。スライムって雑魚じゃないの。詐欺だろこんなの」
スライムが、またじりじり近づいてくる。ゆっくりだが止まらない。さっきの手応えからして、生半可な攻撃は全部弾かれる。武器もない。あるのは投げ捨てた枝一本。
どうする。考える。考えて——
「……いや、無理だわこれ」
結論が出た。
「思ったより厄介じゃあねえか——!!」
空は回れ右して、全力で走り出した。
背後でスライムがぷるぷる震えているのが、なんとなく気配で分かった。追ってきている様子はない。あんなに遅いんだから当然だ。でも、何かもう、関わりたくなかった。
しばらく走って、息を切らして足を止める。
「はあっ、はあっ……マジかよ……スライムにビビって逃げる主人公とか……聞いたことねえぞ……」
膝に手をついて、肩で息をする。情けないにもほどがあった。でも仕方ない。あれは無理だ。武器も何もない状態で勝てる相手じゃなかった。
少し落ち着いてから、ふと気づく。
「……あれ、ここどこ」
夢中で走ったせいで、川を見失っていた。
「……いや、ほんとどうすんのこれ」
空は途方に暮れて、その場にしゃがみ込んだ。腹は減っている。武器はない。スライムにすら勝てない。川も見失った。
異世界、思っていたのと違う。




