プロローグ 黒鷲護国卿と前世の恋人(1)
本作品はカクヨムでも同時連載中です。
歳の差、体格差、誠実な有能男性、一途で強い女の子が好きなのでこのような話になりました。
読んでいただけたら大変光栄です。
男は月も見えない闇の夜に、ひとり空を飛ぶ。
帝国の黒鷲と呼ばれるこの男、アイティウスには造作も無いことだった。人よりも大きな体格を操って自由に空を駆け巡るだけの豊かな魔力があり、異常なまでの移動速度に耐えるだけの恐ろしい体力も持ち合わせている。
アイトは黒髪に闇色の瞳を持つ暗い男だが、この夜は手も顔も黒い布で覆い隠し人目につかないように細心の注意を払っていた。誰にも気付かれたくないから、配下の誰に命じるでもなく彼自身がやってきたのだ。
(どこにいるのでしょうか)
眼下に広がる山河は暗闇に沈んでいるが、魔力で探索をかければ目で見るよりもはっきりと《《わかる》》もの。
彼は敵に奪い去られた皇女を探しているのだ。
千年帝国皇帝は少し前に急死し、帝位は長男が継いでいる。皇帝の死の真相はアイトの考えでは暗殺でしかない、だが検証は後でいい。
差し当たってアイトが気にしているのは、皇女アスラウグ。齢、まだ5つかそこらのはずだ。母親はヴォルクス公国の公女。数年前に帝国と戦争になり、和平の証として皇帝とヴォルクス公女の結婚が成立した。その間の娘がアスラウグだ。
(銀狐のはず、なんですよねェ…)
ヴォルクスは獣の氏族と呼ばれる人々の連合公国で、皇后として帝国に迎えられたのはヴォルクスの盟主狐族の姫君だ。ヴルペスはその名の通り狐のような耳と尻尾があるのが特徴で、皇帝によれば「それ以外は帝国人と《《造り》》は変わらぬ」と言うことだった。
それはそうだろう、とアイトは思う。帝国人は兎角彼らのことを「獣の血統」だの「獣裔」だのと呼んで蔑むが、実際には耳や尻尾が特徴的なだけで、人として何が異なるわけでもないのだ。種族によって多少魔力や体力に強い弱いがあるというだけで、身体機能は基本的に同じ。交配にも問題がない。
だからこそアイトは、皇帝とヴォルクス公女の結婚を進言したのだ。当時はそれが和平のための最善の道だった。
ヴォルクスとの30年の不可侵条約を成立させてから、アイトは帝都を離れ、東域の国境地帯に居を構えた。それは中央政界の第一線を退くことを意味したが、野心はもとより無かったから、迷いも無かった。
しばらくしてから、皇帝より「姫が生まれたが、姫も銀狐であった。口の悪い者は陰で蛮族皇女などと呼ぶらしいが、親としては美しく聡明な姫であるように思う」という書簡を受け取り、アイトはそこで初めてヴォルクスから皇后を迎えたことの当然の帰結に思い至った。
子が生まれれば、狐族の容姿になるではないか。
帝国人が獣の氏族と子供を作ればだいたい、そういうことになるのだ。知らなかったわけではないのに、深く考えなかった。皇帝は子を儲けるには些か歳を取り過ぎているように思えたし、どう考えても完全な政略結婚なのだから、夫婦の関係は形式的なものに留まるのではないかと思っていたのだ。
存外夫婦仲が良かったことは喜ばしいが、皇女が帝都の宮廷で好奇の目にさらされていることは想像に難くない。アイトとしては、会ったこともないその小さな姫に多少の申し訳なさがあった。とは言え、皇帝の庇護下にいる限りは大きな心配は無かった。
(でもまさかあの皇帝が暗殺されるとはァ…)
頭脳明晰で軍事に詳しい、アイトが思うにまあまあ悪くない皇帝ではあった。状況によっては先頭に立って戦うだけの胆力もあった。
(能力があるから暗殺の的にされる…よくあることではありますが…)
父皇帝を亡くした皇女は帝国での後ろ盾を失い、放っておけば殺されるか幽閉されるか、それとも闇で売られるか。
十中八九、売られるだろうと思った。
母方のヴォルクスも今は国内が荒れている。政治的に利用価値の無い、身分だけは高い姫君で、それも銀狐なのだ。帝国人は獣の氏族を蔑むくせに、一方で人知れず狐耳や尻尾を愛好する性癖を持つ者も少なからずいるのだ。
(帝国の歪みそのものです)
幼い皇女が金持ちに買われれば、人知れず囲われモフモフと嬲られる。
(私には理解できない趣味です)
アイトの優秀な副官によると、身の危険を感じた皇后と共に宮殿を抜け出した後、皇后は殺害され、姫だけが行方不明であるとのことだ。
姫は攫われたに違いない。
そっと助け出して、帝都には敢えて知らせず、狐族でも生き易い異国にでも逃してやろう。
その時はそう思った。
「おやぁ?」
妙に強い魔力と閃光を冬山の中腹に見つけた。こんな季節に人がいるはずもない場所だ。
「あれでしょうか」
感情を含まない独り言を呟くと、真っ直ぐに降下を始める。
アイトは滑空する感覚が好きであった。
*
鳥が舞い降りたのかと、姫は本気で思った。
それは鳥と言うにはあまりにも大きく、重く、圧倒的な存在だった。
どうして鳥だと思ったのか、姫本人にも、他の誰にもわからないだろう。
姫はまだたったの5歳で、母親も従者もいなくなって、ひとりで暴漢に捕まっていたのだ。恐怖は過ぎてもう殆ど絶望に近い気持ちだったというのに、突然現れた黒い鳥はまるで姫を守るかのようにならず者と姫の間に立ちはだかった。
神々しかった。
(綺麗)
姫の目に映ったのは、確かに漆黒の翼だった。
*
アイトはいつものようにンッフッフと含み笑いをした。
面白いわけではない。
むしろ怒っている。
面白くなくても笑い、本当の感情は顔に出さないのが常だ。
「なんだお前」
兵士崩れの屈強な男たちの集団は、文字通り降ってきた黒衣の男…つまりアイトに動揺しているようだった。無理もない。アイトは彼らよりも頭ひとつ分背が高く、鍛え上げた体は服の上からでもわかる。こんな大きさで飛行魔法を操るとも思えない。帝国正規軍の飛空部隊さえ、比較的小柄な者で構成されている。
このような大きな男が飛ぶわけもない。
…だが、飛んで来たのでなければ、この男はどうやってここに現れたのか。
その場にいた男たちの頭に浮かんだことはおよそそんなことだった。
「なんだと言いたいのはこちらの方ですよォ?」
低いがよく通る声でアイトは言い、薄く笑った。その目は、この集団を率いているたった1人を正確に射抜いている。
「その子供を連れ去ってどうするつもりなのです?」
「どうするだと?子供ってこの狐か?いくらで売れるかしらねぇのか?売り飛ばすに決まっているだろうが」
ピシッと張り詰めた音が鳴った。
「なんだ?」
「ねェ、私は、子供を子供として保護できない大人が嫌いなんですよォ?」
「何言ってんだ?」
ピシピシという、何かに亀裂が走るような鋭い音は続く。
「どこまでご存知なのか、色々お伺いしようと思ったのですが、もう結構ですよ」
アイトが言い終わると、そこにいた男たちひとりひとりの体の周りに何かが走った。光を帯びて、物凄い勢いで何かがぐるぐると回る。ある者はそれを竜巻のようだと、自分が竜巻の中心にいるようだと微かに思ったが、それ以上に思考を続けることは出来なかった。
ピシピシとした音はぶーんという鈍い音に変わり、それを最後に男たちは1人残らず消えた。
「やれやれです」
呟くように言うとアイトはくるりと向きを変えて皇女を見た。
「アスラウグ皇女殿下。駆け付けるのが遅くなり申し訳ありませんでした。護国卿アイティウスでございます」
皇女と言ってもまだ幼児。何が起きているのか理解もしていないであろう子供に、アイトは生真面目に跪き頭を垂れて臣下の礼を尽くす。同時に彼女の周りに暖かな空気と回復の力を集める。
返事は無い。
(無理もないでしょう)
ここに至るまでにどれほどの恐ろしい思いをしたことか。その上、アイトの姿形は子供には恐怖の対象でしか無いだろう。体格が大き過ぎるし、顔立ちも、自分ではよくわからないが、人々の反応を見る限りどうやら恐ろしげであるらしい。
顔を上げると、眼前に立ち尽くす幼女は意外にも怯えることなくこちらを見ていた。
その瞳を見た瞬間、アイトは気がついた。
勿忘草の色をしたその瞳は、他の誰にも見つけたことのない特別な青。
「鳥かと思った」
子供の声は明瞭に響いた。
「ねえ、あなたの魔力はすごく強いのね。とっても温かい」
狐の耳、ふんわりと大きな尻尾、仄蒼いような冷たい銀髪は、帝国人とは違う。
まだ幼い。
それでもアイトは《《わかって》》しまった。
「アァ…」
思わず声を漏らすとアイトはもう一度下を向いた。涙がこぼれ落ちるのを堪えられなかったから。
(なんと言うこと。こんなところに居たとは…)
それはアイトの前世の恋人。
結ばれぬまま世を去った、アイトがこの世でただひとり心を捧げる相手。
「どうしたの?どこか痛いの?」
声は距離を詰め、跪くアイトの肩に小さな手が触れる。
俯くアイトの双眸からは涙の粒が数滴、そのまま地に落ちた。
お読みいただきありがとうございました。
カクヨムで先行して上げた分が数話分ありますので、最初だけ早め更新します。
その後は一定のペースで完結まで書く予定です。
よろしくお願いします。




