第27話 点と点
リーシェを部屋に送り届けたルゼオンは自室に戻ると、さきほどリーシェが話した内容を反芻させて顔を顰めた。
湖に沈んだ男女の死体はリーシェが見つけた当時、どこからか逃げ出した駆け落ち者かと思っていた。ゼシリーアに来世を託し手に手を取って入水するということはよくある話で、悲恋の物語でもよく登場するシーンだ。
リーシェにはあの時、調べるとは言ったものの、水中を調べるには国の力が必要で放置していた。
(まさかここにきて、あの死体が絡んでくるとはな……)
ルゼオンは机に積まれたセドリックからの報告書を広げ、もう一度読み始める。
これまでまったく隙のなかったウィルやバレット公爵が尻尾を出し始めた。綻びの原因はひとえに王太子妃選定だ。
「どこかで繋がっているはずだ……」
小さな点が見つかり出している。それが線になればウィルまで辿り着けるような気がする。
「ウィル……」
事件が起こった時、もちろんウィルを真っ先に疑った。ウィルは表向きは大人しい弟だったが、自分を支持する貴族たちの前では王太子に相応しいのは自分だとずっと嘯いていた。
こんな簡単な事件、すぐに解決するものだと思っていた。自分は毒など入れていないし、袖に付いた毒など物証にするには弱すぎる。だから高を括っていた。
けれど調べれば調べるほど自分が不利になる証言ばかり出てきた。貴族たちはこぞってウィルに味方した。メイドや侍従たちも調べたが、誰もが自分の指示で動いていたと口を揃えた。
たった一つの物証と数多の証言が、自分を犯人だと示していた。この時やっと思い知った。ウィルは思った以上に貴族たちを掌握していたのだ。事実を捻じ曲げられるほどの力をすでに持っていた。
そして最も貴族の中で発言権のあるバレット公爵がウィル側に付いたことで、自分は完全に敗北した。
(やはりお前なのか?)
国王は晩餐会の席で他に犯人がいるのではないかと言っていた。自分もそうだったらいいとどこかで思っている。兄弟で争うなど本来あってはならないことだ。
甘い考えだが、いまだにその気持ちはずっと心にある。
「セドリックに怒られるな……」
自嘲しながらそう呟いた時、部屋にノックの音が響いた。
「ルゼ様、セドリックです」
「ああ、入れ」
タイミング良く現れたセドリックの顔を見て苦笑するルゼオンに、セドリックは真面目な顔で近付くと机の前で立ち止まる。
「なにか分かったか」
「はい。急いで戻りましたので、書面にはまだしていないのですが」
「いい。話せ」
「はい。以前ご報告したバレット公爵邸で働いていた庭師ハロルド・ベッカーの実家を探し当てました」
いつもは冷静なセドリックが多少興奮気味に報告するのを珍しく思いながら、ルゼオンは続きを促す。
「北にある小さな村の出身だったのですが、老いた父と母がおりました」
「ハロルドはいなかったのか?」
「はい。私が訪問した際、両親はバレット公爵からの使者だと勘違いして、ハロルドの居所を聞いてきました」
「どういうことだ?」
「やはりハロルドは失踪しているようなのです。実家には失踪する少し前に手紙が届いており、『もしかしたらバレット邸を辞めるかもしれない』という内容が書かれていたようです」
ルゼオンは眉間に皺を寄せ、顎に手を添える。
「両親はそれきり連絡が途絶えたことで心配になり、バレット邸にその後の様子を聞く手紙を送っています」
「それが新入りのキッチンメイドが郵便屋から受け取ったやつか」
「そうです。その後、ハロルドからはなんの音沙汰もないということで、父親は親を捨てて逃げたと憤慨していました」
「親を捨てて?」
「実家は相当ハロルドの送る仕送りに頼っていたようです」
「なるほど……」
田舎から奉公に出た者たちの大半は実家に仕送りをしている。困窮する実家に給金の大半を送ってしまっている者たちも少なくない。
「母親は怒っているというよりも心配しているようでした」
「母という者はそういうものだろう?」
「いえ、どうもただ行方の分からない息子を心配しているだけではないように感じました」
「そうではない理由が?」
「母親は私がバレット公爵の使いではないと知ると、ハロルドを探してくれと懇願してきました。とにかく早く探してほしいと」
そこでセドリックは言葉を途切らせた。言うかどうか迷っている風だったが、一拍置いた後、話を続けた。
「私には、母親はハロルドの生死を心配しているように感じられました」
「生死? ハロルドに死の危険が迫っていると考えていると?」
「はい。あの切羽詰まった様子は、そう考えるのが妥当だと思います」
「母親はなにか知っているのか?」
「問い質してみましたが、口は割りませんでした」
ルゼオンはさらに眉間の皺を深くする。ハロルド・ベッカーの失踪はまったく事件とは関係ないのかもしれない。だがどうにも引っ掛かる。
「こちらも一つ、調べることが増えた」
「なんですか?」
「断罪の湖にある二つの死体を調べる」
「死体?」
ルゼオンは一度頭を切り替え、こちらで仕入れた内容をセドリックに話した。
セドリックは困惑げな表情で話を聞き終わると、口を開いた。
「その死体がなにを意味しているとルゼ様はお思いですか?」
「今はなにも……。だがどうにもその死んだ娘がピンクブロンドだというのが引っ掛かるんだ」
「ですが、ピンクブロンドの髪を持つ女性なら、国中探せば何人かいるのでは? 貴族ではローズ様だけでしょうが、決していない訳ではないでしょう?」
セドリックの言葉にルゼオンは頷く。確かにその通りだ。珍しい髪色だが、国中探せば数人はいるだろう。
だが今このタイミングでその髪を持つ女性が現れたことが、酷く引っ掛かるのだ。
「それに湖の底など、どうやって探索するのです? 国王陛下に頼むのですか?」
国には確かに少数だが泳げる者が存在する。ゼシリーアの教徒で、教会の祭事などで水に入る者たちだ。だがその者たちを使うには、国王からの命令が必要になる。
「問題はそこだ」
「国王陛下ならばお願いを聞いてくれるかもしれませんが……」
「教会が許さないだろうな。断罪の湖は教会にとっては聖地だからな。そこに潜り湖底に沈む死体を引き上げるなど言語道断だ」
「では……」
ルゼオンは腕を組みしばらく考える。
死体を調べる必要はある。これは本当に単なる勘だが、見逃してはいけないと心が訴えている。
「あいつに辛い思いをさせるな……」
「まさか……、リーシェ様に?」
ルゼオンは大きな溜め息を吐いてから、静かにセドリックと目を合わせた。
◇◇◇
「断罪の湖にもう一度行く?」
「はい。許可を頂きたいのです」
夜、国王に許可を貰いに来たルゼオンに、国王は驚きを隠せない様子だった。
「なにをしに行くというのだ」
「断罪の湖にもしかしたらすべての謎が解けるかもしれないものが、沈んでいるかもしれないのです」
「すべての?」
「はい」
ルゼオンが静かに頷くと、国王は難しい顔をして持っていたワイングラスを置いた。
「だが、城から出るというのは……」
「難しいでしょうか」
「ウィルが黙ってはいないだろう。ましてやリーシェを連れて行くなど、貴族たちからも非難の声が上がるに決まっている」
「ですがどうしてもリーシェの力が必要なのです」
こればかりは自分だけの判断ではできないと国王に話したが、国王は険しい表情のまま考え込んだ。
「無理を承知でお願いしております。一日でいいのです」
「一日か……」
どう答えが出るか固唾を飲んで待っていると、国王は何度か小さく頷いた後、ルゼオンに顔を向けた。
「分かった。許可を出そう」
「父上」
「だが、兵士は付ける。それからベルナールも同行させる」
「ベルナールを、ですか?」
ベルナールが共に来れば、情報がウィルに筒抜けになるだろう。だが断ることはできない。国王が相当の譲歩をしてくれているのは分かっている。
「……分かりました。ベルナールを同伴させて下さい」
「お前を信じているよ、ルゼオン」
仕方なく頷いたルゼオンに、国王は優しい眼差しを向ける。その眼差しを受け止めて、ルゼオンはもう一度しっかりと頷いて見せた。




