第28話 再び湖へ
朝早く部屋を訪れたルゼオンから話を聞いたリーシェは、何も答えられず唇を噛み締めた。
「辛いことを頼んでいるのは分かっている。だが、調べる必要があるんだ」
ルゼオンは申し訳ない表情をしながらも話し続ける。その目から逃げるように視線を逸らしたリーシェは、記憶にあるあの情景を思い出した。
湖に沈んだ男女の死体。あまりの怖さに長くは見ていられなかった。それでも恐怖は収まらず、ルゼオンの元に走っていったのだ。
「あの人たちを……、私が……、引き上げる……」
この国に泳げる者がいないということが、こんなところでまた障壁になるなんて思ってもみなかった。
本当に誰も泳げないなんていまだに信じられない。
「恐ろしいとは思うが、お前しかいない」
正面に座るルゼオンにまた目を合わせる。これほど真剣な目は初めてかもしれない。
それでもすぐに頷くことはできなかった。
「私ができないって言ったら……、どうする?」
「無理強いはできない。お前ができないと言うなら、この件は諦める」
「調べないということ?」
「そうなるな」
ルゼオンの表情は変わらない。本当にこちらの答え次第なのだろう。
リーシェは両手を握り締めて俯く。
「でも……、調べればもしかしたらなにかが分かるかもしれないのよね……」
「そうだな。確かにこれが糸口になるやもしれん。だが、これが無理でも俺は必ず違う道を探し出す」
確信の籠った目を向けるルゼオンに頼もしさを感じる。きっとルゼオンならできるかもしれない。
自分がこの頼みを拒否しても、ルゼオンは決して怒ったりしないだろう。
「やる……、やるわ」
「リーシェ」
リーシェは顔をしっかりと上げ、ルゼオンに向けて言った。
「怖いけど、やる。これでルゼや私が無実だと分かるかもしれないなら、やるわ」
はっきりとそう言ったリーシェに、ルゼオンは少しだけ躊躇うように間を置いた。けれど、すぐに表情を戻すとまっすぐにリーシェを見つめ頷く。
「分かった。ならば急ごう。馬車を用意してある」
「ええ」
ルゼオンと共にリーシェが立ち上がると、クロエが慌ただしく出掛ける準備を始めた。
城の外に出ると、用意された馬車の周りには数人の兵士とベルナールが待っていた。
「ベルナールも行くのね」
「ああ。お目付け役だ」
「なにをするのか知らないが、怪しい行動があれば、私は容赦なく剣を振るう」
冷酷な視線を二人に向けるベルナールを、ルゼオンはまったく無視してリーシェの手を取り馬車に乗せる。
「いいの? ベルナールが一緒で」
「ウィルには筒抜けになるが、仕方ないだろう」
「そう……」
共に馬車に乗り込むルゼオンに訊ねると、ルゼオンは肩を竦めて答える。
扉が閉められると、すぐに馬車は進み始めた。
◇◇◇
「帰ってきたわね」
湖の岸辺に立ち見つめる先には、連れてきた大福が楽しそうに水に入っている。
「大福ー、あんまり遠くに行っちゃだめよー」
大福の様子を見て少し緊張が和らぐのを感じ、連れてきて良かったとリーシェは思った。それにやはり城にいる時はどこか気が張っていたのだろう、見慣れた森や湖を見ていると、肩から力が抜けていくのが分かる。
「ルゼ様!!」
兵士たちが船の準備をしているのを眺めていると、遠くから高い声が掛かった。
振り返った先には、手を振って走ってくるエイミーがいてリーシェは笑みを作った。
「エイミー!!」
「うわっ! リーシェ!! すごい綺麗な格好してるじゃない!!」
そばまで来たエイミーは驚いた声を上げる。リーシェはなんだか酷く懐かしくてエイミーに抱きつくと、エイミーは笑ってそれを受け止めてくれた。それからやんわりと身体を離すとルゼオンに身体を向けた。
「お久しぶりです。ルゼ様」
「ああ、すまないな、呼び出してしまって」
「いいえ。セドリックが言っていましたけど、私になにかご用があるとか?」
嬉しそうなエイミーにルゼオンは頷く。
「リーシェの手伝いをしてほしくてな。あとは確かめてもらいたいことがある」
「確かめる?」
「ああ。まずはリーシェの着替えを手伝ってくれ」
「分かりました」
エイミーは素直に頷くと、リーシェと共に塔に向かった。
久しぶりに足を踏み入れた塔の中は、ひんやりとしていた。
「リーシェ、あなた貴族だったのね」
「うん。ごめんね、黙ってて」
「いいわよ。全然貴族らしくないから驚いちゃったけど、そっちの格好の方がやっぱり似合ってるわ」
「ルゼが王子だって、エイミーは知っていたのね」
自分の部屋に着いたリーシェは、エイミーに手伝ってもらいながらドレスを脱ぎだす。
「村の大人は大体知ってたわよ。追放された第一王子だってね」
「そう……」
「なんだか色々大変そうだけど、ルゼ様に迷惑かけちゃダメよ」
以前と変わらず話してくれるエイミーをリーシェは嬉しく思いながら、手作りの水着を着る。
「またこれを着る時がくるとはね」
苦笑しながら自分の姿を見下ろす。エイミーもドレスを片付けながら同じように苦笑していた。
「そんな格好してる女の子なんて、村娘にだっていないわよ」
「そうかな?」
「そうよ。さ、ルゼ様をお待たせしちゃだめよ」
エイミーに促されて塔の外へ出て船の方へ近付くと、こちらに気付いた兵士たちがギョッとして手を止めた。
「な、なんて破廉恥な格好をしているんだ!!」
「久しぶりね、その反応」
振り向いたベルナールがこちらを見た瞬間顔を真っ赤にして叫んだ。その反応にリーシェは乾いた笑いを漏らしながら船を見上げる。
断罪の時、乗っていた船だ。
「リーシェ、船の準備ができた。乗ってくれ」
すでに船に乗っていたルゼオンが顔を出すと呼び掛けてくる。リーシェは頷くとエイミーと共に船に乗り込んだ。
リーシェの指示で二人の死体が沈む辺りへ向け船は進んでいく。リーシェはその間に手首を揺らしたりしてウォーミングアップをし始めた。
「大丈夫か?」
緊張感がまた増してきて、強張ったままの表情で身体を動かしていると、ルゼオンが声を掛けてきた。
リーシェは声を出さず小さく頷く。
船はあっという間に到着し、錨が下ろされた。
「これからなにをするのですか?」
「見ていれば分かる」
怪訝な表情をしたベルナールの質問にルゼオンは短く答える。そのままリーシェの前に来ると、確かめるようにじっと見つめてきた。
「準備はできたか?」
「ええ……、いつでも行けるわ」
「本当に、大丈夫か?」
念押ししてくるルゼオンにリーシェは笑うと、肩に掛けていた布をルゼオンに渡した。
「ありがとう、ルゼ」
心から心配してくれているのが分かるから、その気持ちに応えたいと思う。
裸足になりペタペタと甲板を歩くと、手すりに足を乗せその上に立ち上がる。
「お、おい! なにを!?」
驚いた声を上げるベルナールにリーシェは笑顔を向ける。
「行ってきます!」
「ああ」
ルゼオンと目を合わせ決然と言うと、ルゼオンが力強く返事をくれる。
その声に勇気をもらい、リーシェは頭から水に飛び込んだ。
久しぶりに潜った湖の水は以前と同じように澄んでいて、とても美しかった。夏の暑さを寄せ付けない冷たい水が、リーシェの火照った身体を冷やしてくれる。
湖底へと泳ぎを進め周囲を見渡すと、遠くに輝くものを見つけた。
(いた……)
湖底にふわふわと揺れるものを見つけ、リーシェは一度泳ぐのを止めた。
心を落ち着けて怯む心を奮い立たせ、もう一度泳ぎ出すと近付いた。
腕を伸ばせば触れられるところまでくると、二人の様子はよく分かった。いまだ朽ちることもなく美しい姿を保ったままの二人は、まるで水の中で眠っているようだ。
けれどそこにまったく生気はなく、人形のような無機質な肌はぞっとするほど白く、リーシェは直視することができず思わず息を漏らしてしまう。
慌てて浮上すると水面に顔を出し激しく咳き込む。
「リーシェ!!」
こちらの様子に気付いたのだろう。ルゼが大きな声で呼び掛けてくる。甲板を見上げると、全員が心配そうにこちらを見下ろしている。
「大丈夫! 引き上げるからロープを用意しておいて!」
ルゼに向かってそう叫んだリーシェは、今度こそ覚悟を決めてまた水に潜った。
色々と考えず無心でやろうと決め、一直線に水底まで泳ぐと、二人の前で手を合わせた。
(ごめんなさい……)
何に対しての謝罪かはよく分からなかったけれど、リーシェはとにかく心の中で二人に謝った。
そうしてぐっと唇を噛み締め手を伸ばすと、女の子の腕を掴んだ。柔らかい腕の感触にぞっとしながらも引っ張り上げる。
(軽い……)
人一人持ち上げるのだ。水の中とはいえ相当重いと思っていたリーシェだったが、不思議なほど女の子に体重を感じない。
これならすぐに浮上できると、足を力強く蹴ると水面へ向かった。
「ロープを下ろして!」
水面に顔を出して叫ぶと、セドリックがロープを下ろしてくれる。そのロープを女の子の腰に巻き付けると、船の上に持ち上げられていく。
それを見送るとリーシェはもう一度潜り、今度は男性の死体も引っ張り上げた。男性の身体もまったく体重を感じさせなかったが、今は深く考えないでおこうと黙々と仕事としてやり切った。
男性も甲板へ上げると、リーシェも縄梯子を使って船に戻った。
「よくやった、リーシェ」
「うん……」
甲板に座り込んで呼吸を整えるリーシェにルゼオンが労いの言葉を掛けてくれると、肩にそっと手を置く。その温もりにホッとする。
エイミーが慌てて隣に座ると肩に布を掛けてくれた。
「この遺体は一体誰なのですか?」
ベルナールの声に顔を上げると、その足元には二人の死体が並べられている。
水の中で見るよりもずっとリアルで、リーシェは思わずエイミーの腕を掴んだ。
「それを今から調べるんだ。エイミー」
「え!? 私ですか!?」
名前を呼ばれたエイミーは青褪めた顔で驚く。近寄りがたいのだろう。その場から動こうとしないエイミーにもう一度ルゼオンが呼び掛ける。
「こちらに来て顔をよく見てほしい」
「ええ……? でも……」
リーシェにぴったりとくっつくエイミーは立ち上がろうとしない。
「エイミー。怖いだろうけど、いきましょう?」
「リーシェ……」
「私も一緒に行くから」
リーシェがそう言ってゆっくりと立ち上がると、エイミーも仕方なく立ち上がり一緒に歩きだす。
腕を絡めてくるエイミーの手を握りしめ、ゆっくりと遺体に近付く。
陽の光の下で見る女の子は、とても美しい顔をしていた。まだ少女のようで丸い頬が幼さを残している。年齢は15歳程度のように感じた。水の中でも美しく見えたピンクブロンドの髪は、まったくくすみのない鮮やかな色で、輝いて見えるほどだ。
とても細い体つきで、たおやかなというよりは病的な印象だった。
男性の方は、くっきりとした眉と鼻筋の通った精悍な顔立ちで、年齢は20歳ほどだろうか。好青年という雰囲気で、少女とよく似合っている。そう思う反面、女の子は高価なドレスや宝石のアクセサリーを身に纏っているが、青年は質素な衣服を着ていて、どうにも不釣り合いに見えた。
「この少女はお前の知っている者ではないか?」
「え?」
「以前リーシェに話していただろう。友人が村からいなくなったと」
「ああ! マーガレットのことですか?」
ルゼオンの言葉にエイミーはやっと合点がいったのか、もう一度恐る恐る女の子の顔を見下ろすと首を横に振った。
「この子はマーガレットじゃありません。確かにあの子もピンクブロンドだったけど、こんなに綺麗な色じゃなかったし、顔も違います」
「そうか……」
はっきりと答えたエイミーにルゼオンは静かに返事をすると、そっと手を伸ばして女の子の頬に触れた。
「娘の方は貴族でしょうか」
「そうだろうな」
ルゼオンとセドリック、そしてベルナールも真剣な目で遺体を見分し始める。
「ルゼオン様、ここをご覧ください。深い切り傷が」
ベルナールが女の子の肩を持ち上げ背中を見て声を上げた。確かにその背中には肩から腰に向かってまっすぐに切られた痕がある。
「男性の方には腹に刺された痕がありますね」
男性の方を見分していたセドリックが続けて言う。それぞれの傷をルゼオンが確認する。
「他殺だな」
「無理心中では?」
「いや……、この男はたぶん平民だろう。娘の切り傷は明らかに剣で切られた傷だ。この男にはできないだろうな」
ベルナールの言葉をルゼオンは否定し、見分を続ける。
「貴族にしては安っぽい指輪だな」
「ん?」
ベルナールの呟きに女の子の顔を見つめていたルゼオンが目を向ける。ベルナールは女の子の左手の薬指に嵌っていた指輪を抜き取ると、ルゼオンに差し出す。
「他のアクセサリーはすべて本物の宝石ですが、この指輪だけガラスですね」
指輪を光に透かして見るルゼオンの表情は次第に険しくなっていく。
「古い指輪のようだが……」
「ルゼ様!」
突然、セドリックが固い声を上げた。全員が視線をそちらに向けるとセドリックは慌てて男性の首からネックレスを外した。
「どうした?」
「これをご覧ください!」
ネックレスはロケットペンダントになっていて、それを開いた中には肖像画が嵌め込まれている。片面には赤ん坊の姿、もう片面にはその両親だろう若い夫婦の顔が描かれている。
「これがどうした」
「これは……、ハロルド・ベッカーです」
「なんだと!?」
セドリックの言葉にルゼオンが驚きの声を上げた。




