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 唯一の生き残り、末の王子エイスリード・シャルレインの結婚は、盛大に祝われた。

 復興したアーガスト家の養子となった、元平民の女性との婚姻は、貴族からの反対は勿論あったが、王子は押し通した。

 そもそも直系が途絶えたアーガスト家を復興させるのも、大分無理を通していたため、王子の妻への入れ込みようは、結婚前から周囲に知られていた。今更である。

 国民には評判の良いエイスリードの恋物語は、下町を大いに沸かせた。

 彼らをモデルにしたロマンスが流行する所まで、型通りだ。


 下宿の主人とその妻は、下町から姿を消した。町の住民は、その行き先に薄々気が付いている。何故なら、彼らが自宅に住まわせていた元令嬢こそが、エイスリード王子の妻なのだから。

 彼女には、噂になった相手がいた。自称旅人のイストだ。

 二人の仲は良かった。何処からか、「元令嬢が“王子”の婚約者に選ばれた」と聞こえてくるまでは、下町の皆が応援していたのだ。

 だが彼らは、元令嬢が、幸せな結婚をした事を知っている。

 イストが居る時に、ダリマーが店主をしている食堂で、誰かさんの間抜けな護衛が、口を滑らせたからだ。


「あれ、殿下、メリル嬢と一緒じゃないんですか?」


 一見平民風の服を着たその男は、イストの蹴りで地に伏した。


「いだだだだ……ちょ、婚約したからって浮かれないで下さいよ……!」

「お前、わざとやっているのか? 何でクビにならないんだ」

「殿下がクビにしないからでしょお!」

「分かった、お前は左遷だ」

「ほら、隠してないならいいじゃないですか……!」


 平民風の男とイストのやり取りに、周りは目を白黒させた。

 てっきり、失恋して落ち込んでいると思っていたイストが、普段聞いたこともない荒い口調で話す内容に、誰もが呆気に取られる。

 ――殿下。婚約。浮かれている。隠していない。

 ぽかんとしているダリマーの方へ振り向くと、イストはにっこりと微笑んでこう言った。


「聞かなかった事にしておいて下さい」


 噂は一瞬で広まった。





 下町に住んでいた使用人の彼女は、イストの地毛が金髪である事を知っていた。

 一目見た時から、彼の正体には気付いていたから。

 ゾランの事は、もののついで、だ。真の目的は、イストを探る事である。

 唯一の王子が何故、こんな下町にいるのだろう――彼に自分の存在を知られる前から、彼女はイストを観察していた。

 だが、諜報のプロだった彼女にも、彼の狙いは見えてこない。

 下町にいる彼は、身分を脱ぎ捨て、息抜きをしている、歳若い王子、そのままだ。

 だから、つい。

 ゾランに殴られそうになっている年下の少年を、助けに入ってしまった。

 その時から、彼の事を、王族として憎む事など出来なくなっていたのだ。

 情報としての王子を知っていても、下町に居る彼は、ただの少年だったから。


 エイスリード王子は、彼女の気持ちを、彼に惹かれる心を、知らないと言ってくれる。

 彼は惜しみない愛情を与えてくるのに、貴女は憎んでいいですよと言う。

 彼は隠し事をしない。自分の思いを全て教えてくれる。だけど、貴女は隠していいですよ、と言う。


 現国王は高齢だ。エイスリードが王位を継ぐ日も遠くない。

 その話が出ると、彼は自分の過去を語って、僕は王冠なんて欲しく無かった、と言う。

 全て、いいですよ、と言ってきた彼が、その時だけ、願いを溢した。

 僕と貴女が、同じ身分で、互いの過去に確執も無く、普通の夫婦になれれば良かったのに。

 それが本音だった。

 王位争いで生き残った彼が、王位に執着が無いと言う。

 でも、彼女はそんな彼に、王になって欲しいと思う。

 だから彼女も、願いを言った。


「私は、お前が嫌がる事を、やって欲しい。だから、お前が王になるんだ」


 意味が無い事かもしれない。だが彼女にとってメリルというお嬢様は、永遠だった。

 エイスリードは、また優しい仮面を被って、貴女が望むなら、と返した。


 あくまで今のは、前置きだ。彼女は本当に言いたかったことを続ける。


「お前、私に愛称を呼ばれるの、嫌だろう」


 夫を見つめて、さあ頷け、と念を込めた。彼は目を瞬いて、口を開きかける。

 そこで気付く。――そうだ、彼はもう、嘘を吐かない。彼女は慌てた。彼が真実を口にする前に、有無を言わせず、「そうだろう」と断定する。


「お前は、嫌なはずだ。だから私は、お前の事を愛称で呼ぶ。ざまをみろ、イスト」


 やっと言えたと思うと、頬が緩んだ。彼女の言葉が、表情が意外だったのか、イストは暫し無言だった。

 あの日計らずも、彼女を言葉で縛ったイストが、その事にようやく気付いたような顔で、瞳を覗き込んでくる。


「……もしかして、僕のせいですか」


 大義名分を与えたつもりだろうが、彼女は、本当はずっと、彼を許したかった。そもそも、彼自身を恨んだ事など無いのだから。

 ただ時折、メリルの亡霊が、恨みを忘れるなと囁いてくるが、敵とイストは別物だ。彼女は、普通に彼を愛したかった。


「ああ、イストのせいだ。私がこんな、捻くれた言い方しか出来なくなったのは、全部イストのせいだ」

「……怒られている気がしません」

「それは、そうだ。私は怒っていない。だって、もうすぐ望みが叶うんだ。メリルお嬢様への面目も立つ。王族への復讐は、イストが王になる事だ。異論は聞かない。王位を望んで殺し合っていた王族が、誰も王冠を手に出来なかったんだから、それで最後に、イストが望まぬ王冠を手にした時、私達の恨みは晴らされるんだ。その時、私は君を許すよ、イスト。だから、そうなったら、自分を恨めなんて、もう言わないでくれ」


 ただの少年は、もう青年になって、随分高くから、彼女を見下ろしている。

 彼はいつも笑顔でいてくれた。彼がそんな顔をするのは、彼女に対してだけだと知っている。こっそり、へまをしてばかりの護衛の男との会話を聞くこともあるが、あんな乱暴な話し方をされた事など無い。多分聞き耳を立てている事も気付いているのだろうけれど。


 イストの瞳が潤んだ。涙は程なく溢れる。色んな彼を見せてもらった。けれど、泣きながら、こんなに嬉しそうにしている彼は、初めて見る。


「そんな事を言われたら、欲しくなりますよ、王冠」


 そんな事を言う。水の泡だ、絶対駄目だ。


「駄目だ。イストは、私だけを欲しがって居ればいい」


 隠し事はしないけれど、この王子様は、もう少し強請る事を覚えてもいいと、彼女は思うのだ。





 言葉に縛られているのは、彼女だけではない。イストは自分で言った言葉で、自分の首を絞めていた。

 “大好きなお嬢様の名前を、憎い男に呼ばれたくは無いでしょうから”。

 イストは彼女の名前を呼べなくなってしまった。彼女が大切そうに口にした名は、お嬢様と同じだったのだ。


「私も貴女も、同じメリルね。そう言って、平民の私に、笑いかけて下さったんだ……」


 まさか同じ名前だとは思わなかった。

 彼女の声音からは、“メリルお嬢様”への深い愛情が感じられた。一番大事な思い出を、声に変えたような、愛しい響きだった。


 彼女に早く許されたい。

 そうしたら、メリルさん、と呼んで、彼女からの愛を乞いたい。

 彼女はきっと、彼の名前を呼んで、願いを叶えてくれるだろう。


 私も好きだよ、イスト、と。








<終わり>


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