英雄
英雄
ラーテの母はよく寝物語を聞かせてくれた。
英雄譚。
はるか昔、人を襲い、家畜を食い、草原に毒を撒く魔物達が我が一族の土地に入ってきた。
魔物達は強く、人の力ではどうにもできなかった。
しかし、ある日、草原にふらりとあらわれた男が、魔物達を退け、一族を危機から救ってくれた。
男は英雄と呼ばれる。
英雄はその後も様々な難題を解決し、様々な試練を乗り越え、様々な冒険をして、一族の娘と結婚し、子を成した。
我が一族にはそんな英雄の血が流れている。
思えば、存在しない英雄をつくりあげ、その英雄の血が入っている我が一族は凄い、と、遠回しに自尊心を育てる話だったのかもしれない。
しかし、ラーテは何度も繰り返し聞いたその話に、いつしか憧れを抱くようになっていた。
曰く、どんなに遠くても目に見える限り英雄の矢は獲物に当たる。
曰く、英雄の振るう剣は大地をも両断した。
曰く、狼の牙も、大牛の角も、魔物の爪でさえ、英雄の体を傷付ける事はできなかった。
曰く、英雄は火、水、風、土の属性以外にも様々な魔法を使う事ができた。
一族の長との友情、谷に住まう巨大な化物との決闘、不死の秘宝を探す旅、etc
ラーテは英雄に憧れていた。
寝物語を聞いていた子供の頃から、ずっとずっと、英雄の様な男と結婚したいと思っていた。
結婚から縁遠い女は、しかし、誰よりも結婚を望んでいる少女だった。子供の頃からずっと。
だから少女は旅に出た。
草原の男達の中には、ラーテが物語の英雄を感じる様な男が居なかった。
もしかして、別の場所なら英雄がいるのではないか。
そう思って旅に付いて来た。
旅の途中で出会った人々の中に英雄らしい人はいなかった。
定住して、近くの街への買い出しに付いて行ったが、そこにもやはりラーテが英雄だと思える者はいなかった。
理想の夫を探して旅に出たはずが、いつの間にか結婚適齢期を過ぎようとしていた。
英雄の事はもう信じていない。それは夢物語だ。
だけど、なかなか結婚する気になれなかった。
やっぱりまだ、胸の中でくすぶっているものがあるのかもしれない。
・
どうしてよそ者の僕に結婚相手まで世話してくれたんですかと村長に聞くと、
「余っとったし。それに血の問題もあるしな」
と、結構ドライな返事が返ってきた。
ラーテに殴られてもうだいぶ経つ。
なんとか腫れも引いてきた。
あの夜、家に帰るとラーテは普通に寝てた。
夫婦円満とは言い難いが、ちゃんと家にいてくれるというのは嬉しい。
それからいつもの通り、小言を言われ続ける日々が続いている。
僕の腫れた顔を見て少しは勢いが弱まるかと思ったけれど、女に殴られたぐらいでそんなに顔を腫らして…… と、逆にイラついていた様だ。何で?
女とはいえ、僕より体大きいからね。座っている僕に上から殴りつけたから、位置エネルギーも体重荷重も十分ですよ。
流石に嫁があんなに怒って、かつ悲しそうな雰囲気もあったもんだから、甲斐性なしの僕でも思うところあった。
彼女は僕に強くなって欲しいのだろう。
罠は卑怯だ、とか思ったんじゃないだろうか。
そんなわけで、僕は殴られた翌日弓を作って絶賛練習中なわけだけど。
「ミチザネ見てー! すげぇ飛んだ! すげぇ飛んだよ!」
「うおおお! めっちゃとぶ! この弓すげぇ!」
「ミチザネすげぇ! こんな弓作るなんてまじすげぇ!」
「兄弟、こいつぁいいぜ。遠くの獲物も狩れる」
午後暇になった子供達と、大人も1人混じっていた。この大人、当たり前の様に子供達に混じってたんだけど。暇つぶしか?
僕が作ったのは長弓だった。
この村の弓は短弓だった。騎馬民族だったのかと思い村長に尋ねたら、元の場所ではよく馬に乗っていたらしい。それでも、村長の前の代ぐらいからどんどん減っていったみたいだが。
村長達が旅に出た時は、ヤギに荷物を乗せて運んで来た。
馬は餌を大量に必要とする。元々数も少なかったし、乳も使わないただの乗り物に割く余裕は無い。そんなわけで馬は連れて来なかったそうだ。
「こんな草原に来るとわかっていたら2~3頭連れてきたんじゃがの。まぁ儂らもまさか森を抜けたら草原があるとは思わんかったわ」
とは村長の談。
なので、僕は長弓を作ってみた。
単純な話、構造が同じなら弦が長い方が飛ぶ。
くくり罠を仕掛けた木の枝がやたらとしなっていたので村長に聞いてみたらそういう種類の木らしい。村の人達が使っている弓もこの木で作られていた。異世界の便利な木だ。
その木を切ってきてもらって、村長に教えてもらいながら弓をつくった。
思ったより手順が多く、貼りあわせたり曲げたり固定したりで手間が掛かったが、憶えて、その後何本も作った。
まず自分の分を1つ作って午後に練習していたら子供達が群がってきて交代で使っていた。交代で使っていたら自分の練習時間がとれない。それで皆の分作った。子供の扱いだから壊れるかもしれないと思って幾つか予備も作ったら大人も紛れ込んできた。
いつの間にか皆一列に並んで誰が一番遠くまで飛ばせるかと遊んでいる。
地味に練習するよりずっと楽しいからこれでいいけど。
なお、矢は夕方前に僕が回収しに行きます。
途中で取りに行くのが危険だったので、矢を大量に作って、撃ちっぱなしにして、最後に回収という形をとった。
矢のストックが腐るほどある。木製なので、本当に腐ってしまう。保存には気をつけないと。
途中参加の大人を除けば、僕が一番遠くまで飛ばせる。ギリギリでだ。
ここの子供達の体力は異常に見える。最年長で数え5歳なんだが、結構重い長弓を構えて、びょんと矢を放つ。それでもかなり飛ぶ。弓をぐいんと引っ張る5歳児を見て、さすがにびびった。
弓は全部同じサイズで作った。子供用は無い。だが、地面に付かない様、斜めに倒して上手く扱っている。しかもそれで真っ直ぐ飛ばしている。センスあるな。
ワイワイ矢を飛ばして遊んで…… もとい、練習していると、ラーテが現れた。
さっそく女の子達がラーテに群がる。人気あるな。
子供達に笑顔で対応し、そして僕を睨む。
「どうだ? 弓の練習は」
などと言ってきた。
「まぁ、結構思い通りに飛ぶ様になったよ」
「そうか」
そういえば、僕達が弓の練習をしてるところにラーテが直接来るのは初めてだ。いつも遠くから見ているだけだったのに。
と、子供が持っていた弓を受け取って、引いている。
子供に弓を返し、予備の弓が突っ込んであるカゴに向かい、中から自分用に弓を取り出して来た。
あ、コレあれだ。
遠くから見ていたけど楽しそうで我慢できなくなって寄ってきたんだな。
こういう可愛いところがあるんだよ、うちの嫁は。
と、僕が顔をほころばせてラーテを見ると、ラーテはうげっという顔で返してくる。気持ち悪いものを見た時の様な反応だ。
酷いな。でもゾクゾクしちゃう。
ぶひゅっ、と音を立てて、矢が消えた。
僕の記録はあっさり塗り替えられた。しかも大差で。
「ラーテすげええええ!」
「ラーテの矢消えた! どこ? どこいったの?」
「あそこ! ほら、ミチザネの矢のずっとずっとずっとずっと向こう! あれ!」
子供達が騒いでいる。
ラーテは、ふふんと得意げな顔をしている。
可愛いじゃねぇか。
ラーテは30射ほどして気が済んだのか帰っていった。
飛距離はどんどん伸びて、ラーテの射た矢だけが離れ小島を形成している。
あれ取りに行くの僕なんだけどな。
自転車…… いや、スケボぐらいならなんとかなるか? でも土と草の上だから難しいかな?
にしても、やっぱ数日で上手くなるもんでもないか。
弓矢というのは、とりあえず引いて離せば飛ぶので、なんかできてる気になるのだ。でも上手い人と並んで比べてみればこの通り。
「竹を使えばもう少ししなりがあっていい弓が作れるかな」
と、道具のせいにして呟いてみる。
「竹があると便利だよなぁ。編み物もできるし。あれ地下茎でDG細胞の如くしつこく増えるから生産性も高いし。茹でた筍も美味しいし。どこかに一本でも無いかな」
ぶつぶつと独り言をつぶやきながら射ていると、隣の子供達の視線が僕に注がれているのに気付いた。
「どうした?」
という僕の問いに、
「ミチザネ今何言ってたの?」
「呪文? 誰か呪ってたの?」
「すげー! ミチザネ、呪い殺したい人いるの?」
最後のやつは過激だな。
「いや、僕の国の言葉だよ。考え事してたら口からでちゃった」
相手に伝える気が無いとそのまま日本語になるらしい。
日本語の単語を説明しようとすると上手くできてしまうので、どうも自動翻訳というより、意訳が声になっているらしかった。
そんなわけで、皆で弓を射ながら日本語の諺などの話をして過ごした。
・
弓の練習も10日を越えて、飛距離はともかく、6割程は的に当たる様になった。
そう、的を設置したのだ。画期的だった。
遠くまでバラけた矢を取りに行かずとも、的や的の周りに矢が集中してくれるのだ。
子供達の矢も届く距離に置いたのだが、僕が子供達に勝っていたのは飛距離だけで、正確性は子供達の方が遥かに上だった。肉体感覚が凄い。
子供達の矢は9割的に当たっている。
ゆるゆると日常は過ぎていった。
最近は午後、こうやって弓矢の練習をしているとラーテが無言で隣に立っている事がある。
勢いと正確性が段違いの矢が隣から的に吸い込まれていくのを見てから、隣のラーテに気付く。気配消して近付いているんだろうか。
とくに交わす言葉も無いが、2人で弓を引いて矢を射ていると、なんだか温かい気持ちになれる。
何が夫婦なのか分からないし、突然の事ではあったけど、僕には不満なんてない。
金遣いが荒い様なところもないし、真面目に仕事をしている。パンを焼くのも実は村で上手い方だ。子供達にも優しいし、ヤギの世話も一生懸命やっている。
無愛想だし暴力的だけど、心根はしっかりしている。
顔もタイプだし、体付きも好みだ。
村長に感謝している。
けれど、ラーテはどう思っているんだろうか。
・
村長が紹介した男は、以前村に迷い込んで来た男だった。しばらく街に行っていたが、戻ってきたらしい。
外国人だった。私達の言葉を普通に喋っていたが、公用語も話せるらしい。
村長との会話は成り立っている様に見えなかったが、お互い理解していた様だ。
東方の、遥彼方から来たという。我が一族の土地よりも遥か東となると、一体どこから来たのだろうか。
母上の話してくれた英雄は、遥か東の果てから来たという。
もしかして、あの男がそうなのだろうか。
いや、そんなはずはない。英雄はもうずっと昔のお伽話だ。実在していたかもわからない。
だいたい、こんな背の低い男が地を割る一撃など放てないだろう。
私は確かに村の女達の中で一番背が高いが、この男は一番背が低い男よりも低い。
体も細い。あまり食べられなかったのだろうか。遥か彼方から旅をしてきたなら、そういう事もあるかもしれない。体が大きくなる時期にも旅の中にあったはずだ。体を傷めつけて食事もとれなかったとなれば、この背の低さも納得できる。
なかなかかわいそうな男なのかもしれない。
どうして承諾したのか分からないが、村長に言われるまま結婚してしまった。
私だけ子供ももたずに生活している事に負い目を感じてはいたが、それが理由ではなかった。
本当にどうしてだか、あの男となら別にかまわないと思ってしまった。
私は、遥か東方から来た英雄、そんな者をまだ夢見ているのかもしれない。
一緒に暮らしてみると、この男の腑抜けっぷりにイライラする。
やたらと手先が器用で、道具作りの仕事を任された。それはいい。男でこんなに細かい作業ができるなんて私だって感心した。
しかし、狩りに行けない事を何も気にする様子がない。村の男達は全員狩りに出ている。この男は見るからに弱そうでウサギにも殺されてしまいそうだから、むしろ狩りに出ない方が良いと私も思うが、それにしたって気にしなさすぎだ。命の危険を顧みずに狩りに出ようという気概は無いのだろうか。そうなったらもちろん私が止めるが、そういう素振りぐらいはあってもいいんじゃないのか。なんというか、覇気が無い。
そんな事では舐められる。
狩りに行けない事を悔いないのは、なんとか許そう。身の程を知っているというのは良い事でもあるし。
だが、どうして自分の作った物を自慢しないのだろうか。この男が作る物は良くできている。ロープもカゴも、丈夫で目が詰まっていて、揃った出来だ。こんなにキッチリ物を作れるなんて、他の奴には無理だ。
そのくせいつもヘラヘラしていて腰が低い。こんなに腕があるのにだ。なぜ胸を張らない。
お陰で毎日イライラする。
そこまで気にする事でもないはずだが、なぜかイライラするのだ。
それでついつい憎まれ口を叩いてしまうのだが、あの男はどれだけ罵倒されても怒らない。妻にこれだけけなされて怒らない男がいるのだろうか?
それで私もさらに言葉を浴びせてしまう。
余計にイライラする。
だが、子供の面倒は良く見ている様だ。
ヤギの世話もできないくせに。
子供達に優しい所は、私の夫の素晴らしい所だ。
褒めてやりたいが、普段から憎まれ口を叩いているせいか、どうやって褒めたらいいのかわからない。イライラする。
・
あの男、ミチザネが森に入ったと聞いて焦った。
あのバカ、自殺したいのかと。
若い衆と一緒に朝入っていたらしが、それでも安心は出来ない。ミチザネは躓いて倒れただけで骨を折ってしまうかもしれない。
昼、ミチザネは家に帰ってきていた。
怪我をしていない様で安心した。
獲物はとれなかったらしい。当然だろう。ともかく、怪我が無くて良かった。
ミチザネは午後も森に入っていた。
バカが。死ぬ気なのか?
だが、今回は何と獲物をとって来たのだ。
それも、ヤマネコだ。
何年か振りのヤマネコの肉を、村長達と囲んだ。
信じられなかった。
こんな細っこい体で無茶をしたんじゃあるまいか。
もしかして、英雄なのか?
母上が話してくれた話は本当だったのか?
そういえば、魔力量が凄まじいと村長も言っていた。その点は英雄の様だ。
もしや、英雄の親族だろうか。
子供の頃、英雄と結婚したいと思っていた。恥ずかしい思い出だが、ミチザネが英雄かもしれないと思うと、こんなに胸が熱くなる。私もまだまだ子供のままという事だろうか。
凄い。凄いぞミチザネ。
だが、男たちの会話で一気に頭に血が登ってしまった。
ミチザネはこの獲物を罠で獲ってきたらしい。
罠は聞いた事あるが見たことはない。
それを作れるなんてと感心はしたけど、それよりも恥ずかしさが勝った。
私はさっきまで何を考えていたんだ。
子供じゃあるまいし、英雄だと?
ミチザネを殴ってしまった。
反省はしている。
だが、それでもミチザネは怒らなかった。
家に帰ってきて、私に謝って、眠った。
こいつが先に謝るから私が謝れないんだ。イライラする。
・
ミチザネが弓矢の練習をしていた。
弓も矢もミチザネが作った。本当に器用な奴だ。村長に習ったというが、村の物よりも良くできている。
子供達に弓を与えて遊びながら練習しているようだ。ミチザネは男のくせに子供達を教育するのが上手い。皆ミチザネに懐いている。
ミチザネは怒らないし、人当たりも柔らかい。子供に好かれるのも分かる。
私もミチザネの隣で練習してみた。
あいつの矢はへろへろで全く的に当たらない。
まさかこんな腕で狩りに行こうなどとは思わないはずだが、体を鍛える気になったのは良い事だ。いくら体が小さいからと言っても細すぎる。このままでは何かの怪我でうっかり死んでしまいそうだ。心配になる。
高さはもう無理かもしれないが、鍛えれば太くはなる。頑張って欲しい。
・
まずい! ミチザネが森に入ってしまった!
あいつ、何の武器も持たずに森の中に入って行ってしまった。
お前は、いつでもヘラヘラして、ゆっくりのんびり生きていたじゃないか。
そのくせ、こんな時に突然駆け出しやがって。
イライラする。




