13
いくら森の中で暮らしていたからといって、土地勘のない森を歩くのは苦労する。
まして、足元は雪が積もり、非常に歩きにくい。一歩踏み出すごとにミーシャの体力を奪っていった。
『こっちだよ』
『こっちこっち』
だけど、人ならざる精霊達はそんな人間側の機微など読み取ってはくれない。
くすくすと笑っているような気配と共に、声が響いた。
(どこまでいくのかしら?)
村についてからすぐに研究所での手伝いをはじめ、たまの休日は図書室やナディアの家などで時間を過ごしていたミーシャは、村の敷地の外に出た事はなかった。
葉がすべて枯れ落ちて、その代わりのようにたっぷりと白い雪を積もらせた木々の間を、黙々と山頂へ向かって登っているのは分かる。だけど、それだけだ。
(それに、ナディアの後を追いかけているはずなのに、人の気配も無いし……)
まさかナディアが木の枝を飛び移って移動しているなんて思いもしていないミーシャは、足跡一つ見当たらない事に不安を感じていた。
「ねぇ、まだ追いつかないの?」
荒い息の下、ミーシャは声を絞り出した。
『すぐだよ』
『おじじのところもうつくよ』
『なでぃあはついてるよ』
疲れと焦りで苦しそうなミーシャの様子に、楽しそうな声にも困惑が滲む。
『みーしゃ、おこってる?』
『いそいでる?』
『はやいみち、つかっちゃう?』
コソコソと相談する声が耳に入ってきて、ミーシャは首を傾げた。
『じょうおうさま、おこらない?』
『はやいみち、おこられない?』
なんだか、会話が不穏な方向に向かっている気がして、ミーシャは思わず足を止めた。
『とまったよ?つかれた?』
『おじじのところなら、だいじょうぶだよ』
『いつもいってるしね』
『そうだね、きっとせいこうするよ』
『『『はやいみちにしよう』』』
『え~~、だいじょうぶかなぁ?』
「ちょっと、まって! 何の話をしているの?!」
慌ててミーシャが制止の声をあげた時、スゥッと目の前を緑の光が横切った。
「え?」
それは、ミーシャの手のひらに乗るくらいの、淡い緑の光を放つ丸い球だった。
気のせいかと目を瞬いているうちに、その光は次々と数を増していき、ミーシャの周りをくるくると回り始める。
「え?? なに? 本当にちょっと待って!?」
ミーシャの焦りをよそにどんどんと周りを飛ぶ速さは増していて、今では光の帯のように見える。
下手に動いてぶつかることも怖く、為す術なく立ち尽くしていたミーシャは、ふいにぐにゃりと視界がゆがんだのを感じた。
そして次に襲ったのは浮遊感。
「え? 落ちてる?! キャア~~~~!?!」
足元にあったはずの地面が突然消え失せ、ミーシャはどこかへと落ちていた。
周辺はほのかに明るく、七色のマーブル模様に光っている。
目を開けているとその不安定な光の渦に気持ちが悪くなりそうで、ミーシャはとっさに瞳を閉じた。
「もう!なんで頼ろうと思っちゃったの?私のバカ~~~」
今さらな後悔になげいていると、ふいに落下が止まった。
「え?とまった?」
ピュウッと冷たい空気が吹き付けて、空気が変わったことに気がついたミーシャは目を開けて、そして絶句する。
眼下には大きな木。
シッカリと枝を張り出した木には緑の葉が残り、一部には雪が積もっている。
樹齢数百年は経っているだろうと想像できるほど立派なもみの木を、ミーシャは上空から見下ろしていた。
どういう力が働いているのか。
ミーシャは、何もない空中に浮かんでいたのだ。
「なんで?!」
『あ、だめだ。おちる』
悲鳴のような声をあげたミーシャと、誰かの気の抜けた声が重なった瞬間。
ミーシャの体が、再びガクンと落ちた。
「~~~~~~~~~~~!!!」
為す術もなく落ちていくミーシャは、もはや悲鳴も上げる事もできず、墜落の衝撃に耐えるべくギュッと目を閉じて体を固くするしかなかった。
「ミーシャ~~~!?」
その時、誰かがミーシャの名前を呼んだ。
耳が自分を呼ぶ声を拾った次の瞬間、体に誰かの腕が絡みついたのを感じる。
「んぐっ!?」
「顔庇って!」
助けが来たのだとホッとする間もなく、落下の方向が強い力で斜め上空へと強引に変わる。
振り上げられた体はぐるりと回った挙句、もみの木の上へと落ちた。
本能的に頭を庇って体を丸めたミーシャを誰かの腕が抱きしめる。そのまま、バサバサと枝に当たりながら下へと落ちていき、最後は厚く積もった雪へと受け止められた。
「……生きてる」
バサバサと枝に積もっていた雪が追撃のように降り注いできて、ミーシャはノロノロと目を開けた。
そして、自分がしっかりと抱きかかえられていることを知る。
目に入ったのは見覚えのある柔らかな黄色の生地に胸元を飾る色とりどりの花の刺繍で、ミーシャは自分を助けてくれた人の正体を知った。
「ナディア……」
「……ナディア、じゃないわよ!? いったい何があったら空から降ってくる羽目になったのよ?!」
呆然としたまま名前を呼んだミーシャに、ナディアが叫びながらもガバリと体を起こした。
「……なんでかしら?」
「なんで、当の本人が分かってないのよ? あなた、まさか精霊に頼ったんじゃないでしょうね??」
ナディアに詰め寄られて、ミーシャは森に入る前に出会った人ならざる者達の事を思い出す。
名乗られたわけではないけれど、おそらくあれは精霊だったのだろう。
「頼った……?そう、かも。ナディアに会いたくて……」
「ばっかじゃないの?! 精霊の声を聞いたらダメって、幼子でも知ってるわよ? 精霊は悪気なく厄介事を引き起こす天才なんだから!!」
相変わらず呆然としたまま首を傾げたミーシャに、ナディアがギャンギャンと噛みつく。
そんないつもと変わらないナディアの様子に、ミーシャは気がつくとくすくす笑いだしていた。
とたんに、ナディアの眉間のしわが深くなる。
ミーシャは怒らせてしまうと分かったけれど、思わぬ命の危機から助かって、少しハイテンションになっているのか笑いが止められなかった。。
「もう!何笑ってるのよ!?下手したら死ぬところだったのよ?」
「うん。ごめんね。助けてくれてありがとう。でも……」
怒るナディアに、ミーシャは笑いながらぎゅっと抱き着いた。
「ナディアが泣きそうに見えたから心配してたけど、もう大丈夫だなって思ったら安心しちゃって」
「……はぁ?」
ナディアは、ミーシャの思いもよらない言葉に目を丸くした。
ナディアが木々を渡りたどり着いたのは、森の奥にある一本の大きなもみの木の前だった。
樹齢数百年を超えるであろう大木で、ナディアは初めてここにたどり着いた時から、不思議な安らぎを感じていた。
それ以来、ナディアは苦しいときや悲しいときはこの樹へ会いに来るようになっていた。
ただその木に触れているだけで、不思議と心が落ち付いたからだ。
「また失敗しちゃったの」
ションボリと呟きながら、ギュッともみの木に抱きつく。
ナディアの腕では回り切れないほど太い幹は、しっかりとその体を受け止めてくれた。
雪をまとって冷たいはずなのに、その奥の方からジワリと不思議なぬくもりが伝わってくるようで、ナディアは目を閉じる。
どれほどそうしていただろうか。
ふいに空気の質が変わったのを感じた。
(また、精霊たちかしら?)
大樹の周りが心地よいのは精霊も同じのようで、ナディアはたびたびこの場所ですれ違う事があった。
もっとも、ナディアは森の民の教えに従い、基本的に知らん顔をしていてなれ合う事はなかった。
だから今回も気にせずにいようとしたのだけど、どこからか聞こえた声にはっと目を開ける。
戸惑ったような小さな声はなぜか頭上から降ってきたから、顔をあげたナディアはそこにありえないものを見つけてしまった。
ミーシャが空中にフワンと浮かんでいたのだ。
よく見れば虹色のシャボン玉のような物がその体を包み込んでいるのが分かる。
ミーシャは、ポカンとした顔で辺りを見渡していた。
「なんで?!」
ようやく自分のあり得ない状況を把握したのか、ミーシャの顔がハッと焦りに染まった次の瞬間、パチンと弾ける様に虹色の膜が消えた。
「ミーシャ~~~!?」
考える前に体が動いていた。
ナディアは、とっさにもみの木を駆け登ると、枝の反動を使い落下してくるミーシャの体めがけて飛びついた。
そして、自分よりも小さな体を捕まえると同時に体をひねり、腰に括り付けた鞭を振って、張り出した枝に巻きつけることに成功する。
そのまま、落下の方向を変えるため腕に力を籠める。
二人分の体重を受けて、鞭を握った方の肩がぎしぎしときしんだ気がしたけれど、失敗すれば二人ともただでは済まない事は明白だったため必死だった。
ぐるりと木の枝を回るようにして、樹上へと放り出された時は、やり遂げた安心感にホッとする。
鞭を手放して両手でしっかりとミーシャを抱きしめるとそのまま力を抜いた。
もみの木が自分を傷つけるなんて、思いもしていない行動だった。
そして、二人はバサバサと枝にぶつかることで落下の衝撃を和らげ、厚く積もった雪に受け止められる。
「……生きてる」
ポツリと呟かれた声は、まさにナディアの思いをも代弁していた。
正に間一髪。
いくら身体能力に自信があるナディアでも、奇跡といっていい動きだった。
(火事場の馬鹿力って本当にあるんだ……。もう一回同じことやれって言われても絶対に無理だわ)
ジクジクと熱を持ち始めた肩の痛みに気づいて、ナディアは大きくため息をついた。
(絶対痛めてるし……。脱臼しなかっただけ良かったと思おう)
怪我したことで起こるであろう面倒を思うと頭まで痛くなりそうだったけれど、命には代えられないとナディアは自分に言い聞かせる。
だというのに、当のミーシャときたらぼんやりとしたまま気の抜けた反応を繰り返すのだから、ちょっとくらいナディアが怒鳴ってしまったとしてもしょうがないと思うのだ。
精霊が厄介事を運んでくるのは、森の民ならだれでも物心つく前から教え込まれている事だ。
人間にとってのいい事も悪い事も、精霊にとっては判断がつかないらしい。
その場の思いつきだけで行動する傾向があるため、人間には結果が読めないのだ。
村を離れていたとはいえ、森の民であったミーシャの母親が、その危険性を娘に教えていなかったとは考えにくい。
それなのに、ミーシャは少しでも早くナディアの元にたどり着くために、その危険をあえて冒したというのだ。
泣きそうだったナディアを心配して……。
「よかった。ナディアが元気になってて。あのね、私、どんなナディアも大好きだよって言いたかったの。大切な友達だから」
「……何よ、それ。そんな事のために危険を冒すなんて、本当にバカじゃない?」
一気に毒気を抜かれたナディアは、ため息を一つつくとミーシャの体をぎゅっと抱きしめ返した。
「そんな簡単な言葉で終わらせないでよ。いろいろゴチャゴチャ考え込んでた私も、バカみたいじゃない」
力を入れるとしびれたような痛みがはしったけれど、ナディアはそれでもミーシャを抱きしめる腕から力を抜くことはなかった。
ナディアの予想通り、二人分の体重を支えた肩と腕は負傷していた。
神経を損傷したようで動かすと激痛が走るため、今はしっかりと固定されている。
さらに、もみの木から村に戻るのに、片腕のうえミーシャがいるのでは木の上を飛んで渡るわけにもいかず、予想以上に時間がかかってしまい、危うく捜索隊を出されるところだった。
機転を利かせたミーシャが、鳥笛で伝鳥を呼び連絡したため大事にはならなかったものの、どうしてそうなったのかと、もちろんしっかりと叱られた。
そして、ナディアは一人で冬の森に入らない事。ミーシャは、小さな子供達に混ざって精霊とのかかわり方を一から学ぶ事を、それぞれ罰として与えられることとなった。
「ミーシャ姉ちゃん、精霊さんとお話ししちゃダメなのよ?」
「らめらよぅ」
「はい。ごめんなさい。もうしません」
子供どころか、ようやく話し始めたような幼子にまでたしなめられて、ミーシャは肩を落として小さくなる。
その姿を見て、ナディアは片腕を負傷して動かせなくなった溜飲を下げるのだった。
お読みくださり、ありがとうございました。
新刊が発売された影響で覗きにきてくださる方が増えて、恐縮です。
今回はファンタジー色強めの回でした。
精霊さん、定期的に出てきては問題起こしてますが、彼らに悪気はありません。
人とは違う理で生きているので、しょうがないのです。
振り回されてると感じるのは、人の勝手。
精霊さんはミーシャが大好きです。




