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端っこに住むチビ魔女さん。  作者: 夜凪
森の民の村

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157/159

「ユースティ先生、おはようございます……って、今度は何があったんですか?!」

 挨拶と共に扉を開けたミーシャは、目に飛び込んできた惨状に悲鳴をあげた。

 昨日帰った時には綺麗に整えられていたはずの実験室の床が、何か分からない紫色の液体で水玉模様に染められている。


「あ~。おはよう、ミーシャ。なんか薬液が弾けちゃってさ。びっくりだよね」

 身につけていた白衣にも同様の水玉模様をつけたユースティがケラケラと笑う。


「笑い事じゃありません! 髪や顔にもついてますよ? さっさとお風呂に入ってきてください!」

「え? いや、もう少しでいい結果がでそうなんだよ。メラノーダの粉末を単独で足したら弾けたから、それを抑えるためにトナウをいれたら良いんじゃないかと思いついてさ」


 風呂場を指さすミーシャに、ユースティは言い訳をしながら手にしていたスポイトの液体を、アルコールランプで熱していたビーカーへ投入した。


 ビーカーの中でポコポコと小さな泡を立てていた紫色の液体に、スポイトから透明の液体が注がれる。

 ミーシャはユースティの突然の行動に、為す術なくその様子を見守った。

 透明の液体が落ちたところから、じわじわと色が変わっていく。


 紫から、鮮やかなバラ色へ。


「ああぁ!!」

 鮮やかな変化に思わず見とれていたミーシャは、次の瞬間、悲鳴をあげた。

 突然ビーカーの中の液体が、もこもこと泡状に変化したのだ。

 バラ色の泡はどんどんとその体積を増し、ビーカーからあふれ出す。


「あらら。飛び散らないようにするはずが半固形化しちゃったか。飛び散らないって点では成功って言っていいのかな?」

「そんなのん気なことを言っている場合ですか? あぁ! どんどん溢れてますよ?! 机の上の素材だけでも避けないと、そんなのついたら使えなくなっちゃいますよ?!」


 のんびりと首を傾げながら観察しているユースティが戦力にはならないと気づいたミーシャは、慌てて駆け寄ると、バラ色の泡が流れ着く前に机の上の素材を移動させていく。

 その際、洗えばどうにかなる実験器具は潔く諦めた。謎の泡とはいえ、ガラスや鉄を侵食することはないはずだ。


「そんなに焦らなくても、溢れた泡でランプの火が消えたから、すぐに止まるよ。大丈夫大丈夫」

「大丈夫じゃないです!昨日、素材の無駄遣いが多すぎるって所長さんに怒られたばかりじゃないですか~!」

 朝の研究所に、ミーシャの悲痛な悲鳴が響き渡った。






 朝の九時から夕方四時まで。

 ユースティの食事の提供と身の回りの世話。そして、専用研究所である離れの掃除が最初にミーシャに任された仕事だった。


 時間が短いのは、ミーシャがまだ成人前の見習い期間であることへの配慮であり、時間や仕事内容は今後様子を見て変えていこうという事になっている。

 ラインと共にユースティを訪ねた翌日からは、ミーシャ一人で研究所へと通うようになったのだが、初日から予想できた通り、それは楽な仕事ではなかった。


「メインは新薬開発だね。ここ数年は頭痛薬の開発にかかりきりだよ。頭痛の場所で効く薬が違うからなかなか奥が深くて面白いんだよね」

 そう言って笑ったユースティだったが、実際は自分の研究以外にも複数の開発に関わっているため、多忙を極めていた。

 というか、他の研究員が助言を求めてきて、それに興味を持ったユースティが積極的にかかわり、自ら仕事を増やしているのが現状のようだ。


「まあ、何でも屋になってる感は否めないけど、気になるんだからしょうがないよね」

 どうしても途中で液体が分離してしまうと相談に来た研究員と共に、ああでもないこうでもないと半日を過ごした後、ユースティは悪びれる事なく笑った。

 そうして、その分遅れた自分の研究は睡眠時間や食事時間を削って行うことになるのだ。


「本当に、一日が三十時間くらいあればいいのに」

「そんなこと言って、絶対に増えた時間の分だけ研究に費やすんですよ、きっと」

 あくびをかみ殺しつつつぶやくユースティに食事をとらせてからベッドに押し込むのが、ミーシャの朝一番の仕事である。

 そして、ユースティが仮眠をとっている間に、一晩で見る影もなく荒らされた研究室を片付けるまでがセットであった。


「ミーシャ、君、調薬できるんだよね? ちょっと、こっちの薬草すり潰してくれない? 粗目と細目二種類よろしく」

 そして、ミーシャが一通りの調薬はできると知ったユースティは、これ幸いとばかりに次々と身の回りの世話以外の用事を言いつけるようになった。

 正に、猫の手も借りたいという状況だったのだろうが、ミーシャはその仕事の雑多さに目を回すことになる。


 掃除をしていたはずが薬草を煎じ、食事の準備をしていたはずが初めて見る植物の処理を任されている。

 薬師としての訓練と思えば願ったりの状況ではあるのだが、それに加えて、実験に集中したがるユースティに食事をとらせて休息するように促し、謎の爆発で汚れた実験室を掃除し、使った器具の手入れをする仕事も並行して行わなければならないのだ。


 しかも、自分の下準備している薬草が何に使われるかの説明はなく、昔母親にしていたようにユースティの行動から察しようにも、やることが山積みすぎて見学している余裕もない。

 ただがむしゃらに走り回る日々は、ミーシャから気力と体力を奪っていった。


 最初のうちは、それでも目上の人なのだからと遠慮をして気を遣っていたミーシャも、遅々として進まない部屋の片づけに、全てを受け入れていたら物事が進まない事に気がつきだした。


「このままじゃ駄目だわ。部屋の片づけが終わるまでは、他の用事は断ろう」

 その頃には、多少反抗したところでユースティは気にも留めない事に気がついていたミーシャは、完全に開き直った。


 そして、ユースティの世話を最低限にすると、まずは手始めに、仮眠室として使われているはずの小部屋から手を付けた。

 研究室では、基本的に日中はユースティが作業していた。そのため、片づけをする端から散らかされるという(いたち)ごっこをくり返すはめになるのだ。

 なにより、広さがあるため時間がかかる。

 まずは、小さなスペースから綺麗にしていく事で成功体験を積みあげ、自分の心の余裕を作り出す作戦だった。


 むやみに積み上げられていた本を分類し、壁を埋め尽くしている本棚に並べていく。

 その際、村の図書室から持ち出されていた本や資料は、どんどん返却していった。

 もちろん、ユースティから非難の声は上がったけれど、ミーシャは貸出期限を盾に押し通した。


「本当に必要なら、おっしゃってくださればまた借りてきます」

「……いや、一度読んだから内容は覚えてるんだけどさ~」

 キッパリと言い切ったミーシャに、唇を尖らせたユースティは言葉を濁す。

 どういうことかと追及したミーシャは、ユースティの一度目にしたものは忘れないという、驚くべき能力を知ることになる。


「という事は、ここにある本も覚えていらっしゃるんですか?」

「そうだね。疑うなら、適当な本を開いてページを言ってくれたら読み上げるけど?」

 ミーシャの疑問に、ユースティは彼らしくない少し陰のある笑みを浮かべる。


 過去、この能力を知った人の大半の反応は、感嘆するか疑いの目を向けるかだった。

 前者なら、まだいい。

 疑惑の目を向ける者は、実際にそれが証明された場合、次は嫉妬の目を向けるようになるのだ。

 自分で望んだわけでもない生まれ持った能力を理由に敵視され、ユースティは困惑した。

 便利だと思う事もあるが忘れないという事は良い事ばかりでもない。


(忘却って、神の恩恵だと思うんだけどね)

 忘れないというか、忘れられないユースティは、辛い経験も捨てる事ができない。

 その為、自分の心を守るために、辛い記憶は記憶を整理して奥底へと押し込める術を身につけていた。

 そうしなければ、ふとその記憶が蘇った時、経験した瞬間と同じくらいの鮮烈な感情が蘇りユースティを苦しめるのだ。


 しかし、そもそも嫉妬して敵対するような人間にそんな事を訴えたところで、自慢だと曲解されてしまうだけだ。

 何度も空しいやり取りを繰り返したユースティは、成人する頃にはすっかりあきらめてしまった。


 そして、周りは敵だらけだと思い込んだ十代のユースティは、嫉妬して足を引っ張ろうとする気も起きないくらいに突出してしまえばいい、と自分を制限することを止めた。

 停滞していたいくつもの研究を進展させ、画期的な新薬を作り出す。

 華々しい功績をあげる事で、ユースティは離れの研究室という自分の城と好き放題研究する権利を手に入れた。


(まあ、僕にも尖った時代があったってことだよね)

 もっとも、そんな生活を続けているうちに、見えてくるものもある。


『化け物じみた知能を持った変わり者の研究者』

 それはユースティの一般的な評価だ。

 だけど、実際のユースティは研究に集中しては食事をとるのを忘れて栄養失調で倒れたり、着替えも風呂に入るのも面倒で浮浪者じみた姿になったりするうっかり者だった。


 そういう、ユースティという個を見て、それでも友誼の手を伸ばしてくれる存在がいるという事や、自分以外にも人より突出した能力を持って苦労している人間がいるという事に気がついた。

 そういう人たちに触れたことで、自分は一人ではないのだと思えて、笑う事を忘れていたユースティはようやく笑顔を浮かべる事ができたのだ。


(さて、ミーシャはどういう顔をするかな?)

 そんな経験を経てユースティは、自分に向けられる感情を観察するという、少し歪んだ遊びを覚えてしまった。

 驚愕、嫉妬、恐れ、羨望に崇拝。

 どれも色は違えども、強い感情だ。

 それは、ユースティにとって情報に飲みこまれそうな疲れた脳を刺激してスッキリさせてくれる、一種の清涼剤のような物だった。


 観察されているとは知らないミーシャはしばらく考え込んだ後、にっこりと特大の笑顔を浮かべた。


「という事は、この本をここに置いている必要はないですよね! よほど思い入れのある物だけ残して、図書室に寄付してしまいましょう!」

「いや、なんで?!」

 予想外の結論を導き出したミーシャに、ユースティが悲鳴をあげる。

「え?だって、全部覚えてるんですよね?必要なくないですか?」

 悲鳴をあげて本をとられまいと背中にかばうユースティに、ミーシャは容赦なく詰め寄った。


「図書室の借り入れ分を返却して半分までは減らせたんですが、それでも本棚に入りきれないんです。この際、一度しっかりとリセットして綺麗な部屋を手に入れましょう?本だって、無闇に床に積み上げられて埃をかぶっているより、誰かの新しい知識になれたほうが幸せだと思うんです」

「わあ~、正論! だけどちょっと待って!?」

 手早く本をまとめようとするミーシャを止めようと、ユースティは手をぶんぶんと振って妨害を試みた。

 もっとも、そんな事で勢いづいたミーシャが止まるはずがない。


「あ、ユースティ先生が注文していたアカザの実が届いていたので、研究用の机に置いてますよ。これで、止まっていた染料の開発が進むんじゃないですか?」

 むしろ付き合いが深まる中で、ユースティの気を反らす方法を覚え始めていた。


「え?本当に?」

 待ち望んでいた素材の到着に、本を守ろうとしていたユースティの視線が研究室の方へそれた。

「ええ。さっき共同研究しているネンザル先生に渡して欲しいと頼まれました。報告書を上にあげたらこっちに来るともおっしゃていたので、実験の準備を始めていた方がいいのでは?」

「そうなんだ。精製水ってまだあったかな?」

「はい。準備してあります」

 すかさず追撃したミーシャの言葉に、ここ数日かかりきりになっていた研究の情報がユースティの脳に次々と浮かんできて、意識が完全に実験へと持っていかれる。


「よし、勝った!」

 いそいそと去っていくユースティの背中を見送りながら、ミーシャは小さくこぶしを握り締めた後、床に積まれていた本をいそいそと纏め始めた。




 そんな攻防を繰り広げ、ようやく奥の小部屋が仮眠室としての正しい機能を取り戻したのは、出会ってから実に七日目の事だった。

「なんだか、きれいすぎて落ち着かない」とぼやいていたユースティだったが、足元を気にせずに移動できる便利さに気がついて、次の日から文句を言う事はなくなった。


 また、綺麗な空間というのは不思議なもので、何気なくそこらにものを放り投げる事ができない空気を持っている。

 基本、身の回りの事に無頓着なユースティにもそれは有効だったようで、床に投げ出していた衣類はせいぜい椅子の背に、読み終えた本は机の上に置かれるようになった。


 そして、いくら散らかし魔のユースティでも、一晩では出来る事はたかが知れている。

 そもそも、ミーシャに追いやられるまでは研究に没頭していて、仮眠室に足を踏み入れることもほとんどない生活だったのだ。

 結果、一度決定的に片づけてしまえば、ミーシャの思惑通り仮眠室の状態を保つことは容易くなった。


 そうなれば、研究室の整理に意識を集中する事ができる。

 もともと研究机の方はユースティ自身も最低限は清潔を保つように努力していたかいもあり、それほどミーシャが介入する必要もなかったので、掃除するべきはその周辺だけである。

 ユースティが仮眠している間にミーシャがせっせと働いた結果、物に埋もれていたソファーセットと書き物机も発掘され、研究室の方も数日で本来のあるべき姿を取り戻したのだった。






 そうして、掃除に割いていた時間を研究の補助へとあてる事ができるようになったころには、初めての出会いから二週間が過ぎようとしていた。


 その頃には、お互いに馴染み、気安いやり取りもできるようになっていた。

 おかげでミーシャの扱いは、身の回りの世話要員というよりも研究職員に近くなり、ゴリゴリと薬草を擦る日々だ。

 最初の話との違いに内心首を傾げつつも、調薬に関われるのは嬉しいため、ミーシャは口をつぐむことにした。


 見たことのない薬草に素材。

 考えたこともない斬新な組み合わせ。

 不思議な形状の道具。


 落ち着いて見渡してみれば、ユースティの研究所はミーシャの知らない知識の宝庫だった。

 ユースティや、他の研究員の話している内容は、難しい以前に意味が分からない事の方が多い。

 それでも注意深く耳を澄ましていれば、理解できる知識もあり、うっすらとだが目指している形が分かってくることもある。

 そんな時、ミーシャは霧の中から宝物を見つけた気持ちになるのだった。


 他に研究者がいない時間であれば、ユースティが疑問に答えてくれることもあった。

 見たことのない薬草の効能や使用方法、果てはその薬草が採取される場所は生育環境まで。

 薬草一つとってもユースティの持つ知識は広く深く、ミーシャは夢中で耳を傾けた。


 与えられた知識をミーシャは渇いた大地が水を吸い込むようにグングンと吸収していく。

 それは、まさにミーシャが求めていた環境だった。


お読みくださり、ありがとうございました。


ミーシャは、着々と自分の望む環境を作り上げていっています。

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― 新着の感想 ―
良い提案だwユースティは本が近くにあると安心するタイプなのかな?
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