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「……足の踏み場がないわ」
漂う異臭に微かに眉をひそめながら扉をくぐったミーシャは、飛び込んできた光景に目を見開いた。
床には所狭しと本や紙の束、乾燥した薬草の束や木の根っぽい物や謎の素材らしきものが入った箱などが混然と積み重なっている。
大きな書き物机があるが、その上には書き散らされた紙が散らばり、その合間に明らかに使用済みのカップや皿が見えた。ちなみに足元には書き損じらしき丸めた紙が大量に落ちている。
隅に押しやられたソファーの上には脱ぎ散らかされた服が山と積まれていた。
かろうじて実験スペースらしい場所の床は綺麗に保たれているものの、大きな机の上には実験道具や素材が雑然と広げられていた。
緑や紫の液体が入ったガラス瓶や何かがすり潰されている途中の擦り鉢を恐る恐る覗き込んだ後、ミーシャはバッと後ろにいるラインを振り返った。
「本当にこんな所で研究しているの?」
「まあ、人から見たら散らかって見えるが、本人的にはそれなりに分別してあるらしいぞ?」
「そういう問題じゃないでしょう?!」
大きな秤や擦り鉢、ビーカーやアルコールランプなどがなければ、ミーシャはここが到底研究室だとは信じられなかっただろう。
母親に、調薬を行う場は整理整頓と清潔を保つことを徹底的に仕込まれていたミーシャにとっては、まるで悪夢のような光景だった。
「ここを綺麗にしないといけないの?」
呆然として呟くミーシャに、ラインは肩を竦めて見せた。
「まあ、あいつの許可がでればゆくゆくは、ってところだな。とりあえずの職場は隣だ」
「隣?」
指さされた先に扉を見つけて、ミーシャは首を傾げた。
小さな建物だと思っていたが、他にも部屋があったらしい。
促されるままに散らばった本や荷物の間を縫って扉へとたどり着く。
「ユース、いるんだろう? サッサと起きろ」
声をかけながら、ラインがその扉を躊躇なく開くと中へ入りこんで行った。
なにげなく後に続こうとして、ミーシャは足を止めた。
「ウソでしょう?さっきの部屋はまだましだったなんて」
朝の光を通さない厚いカーテンの隙間から差し込む薄暗い部屋は、どこに足を置いていいのかすら分からないほど物で溢れかえっていた。
ラインは慣れた様子で、その中をずかずかと進んでいくと、カーテンをサッと開け放った。
「……道があるわね」
突然明るくなってまぶしさに目をすがめたミーシャは、明確になった部屋の様子に呆れや驚きを通り越して笑いがこみ上げてきた。
人一人がどうにか通れるくらいの通路が、積み上がった雑多な物の中にできていた。
扉から伸びたその終着点は、ラインがいる窓辺と壁際に置かれた大きなベッドだった。
ちなみにベッドの上も半分以上が本の山に占拠されているのだが、かろうじて残ったスペースにはこんもりと布団の山ができている。
「ユース、起きろ。昨日言っていた手伝いを連れてきてやったぞ!」
ラインの声に反応して、布団の山がモゾリと動いた。
なにか呻き声のようなものが聞こえる。
「あ?もう、朝日はとっくに昇ってるぞ。どうせ昨夜もろくに食べてないんだろう?朝食もってきてやったから、起きろよ」
ミーシャには聞き取れなかったが、どうやらそれは布団の山の主が何か訴えていた声だったらしい。
ラインが呆れたような顔で返事をしていた。
「いいから、出てこい」
再びの呻き声の後、大きくため息をついたラインが容赦なく布団をはぎ取った。
とたんに情けない悲鳴が響き渡る。
「ひどいよ、ライン……。寒い……。まぶしい……」
かろうじて残された毛布を体に巻き付けながら、弱々しい声で抗議の声をあげる男性をミーシャはまじまじと観察した。
もしゃもしゃと絡まった髪はまるで鳥の巣のようだった。
目は長く伸びた髪に隠れて見えていないけれど、白金の髪から察するに間違いなく翠色をしていることが推測出来た。
何故だか分からないけれど、今までミーシャが会った一族の人たちは皆、白金の髪は必ず翠の瞳がセットになっていたからだ。
(ヒューゴも髪で目が隠れていたけど、ずいぶん雰囲気が違うなぁ)
頬はコケ気味で、あごも薄くとがっている。
毛布を手繰り寄せる指も細く、明らかに痩せすぎの体格だった。
そのまま毛布に潜り込みそうになるのを、ラインが毛布を取り上げる事で防いでいる。
もちろん、ぼそぼそと文句を言っているようだったけれど、ライン自身はどこ吹く風だ。
「錠剤や保存食ばかりじゃなく、たまにはまともな食事もとれよ。栄養素が足りてたとしても、味覚が死にそうだ」
ついには力技で体を起こされたユースティは、そこでようやくその場にいるのがラインだけではない事に気がついた。
「あれ? 女の子? 君は誰だい?」
厚い前髪越しに、ミーシャへと視線が固定された。
不思議そうな声は、先ほどまでの唸り声とは違い、今度はミーシャにもしっかりと聞き取れた。
「やっぱり聞き流してたな。昨日、手伝いによこすと言っただろう? 姪のミーシャだ。レイアースの娘だよ」
あきれ顔のラインの説明を聞きながら、ミーシャもようやく部屋に足を踏みいれた。
「今日から、お手伝いに来ることになったミーシャです。至らないところもあると思いますが、精一杯務めるので、よろしくお願いします」
最初が肝心と気合を入れたあいさつをするミーシャを見ているユースティは、不思議なほど身じろぎ一つしなかった。
「……思い出した。今日からくるんだったっけ。僕はユースティ。よろしくね。……まあ、適当にそこら辺にいたらいいよ。じゃ、おやすみ~」
まだ眠気の残るとろんとした声だったけれど、一応挨拶が返ってくる。
しかし、次の瞬間には素早く毛布へと潜り込んでしまった。
これまでののんびりとした動きとは一線を画した素早さに、ラインも意表を突かれたようで反応が遅れてしまう。
「まったく、こいつときたら」
再び出来あがってしまった山に、ラインがため息をついた。
「まあ、いいか。どうせ食事を取れそうなスペースはないし、とりあえず軽く場所をつくろう」
「でも……これって勝手に動かしていいの?」
ラインの先ほどの言葉を信じるなら、散らかっているだけに見えるこの部屋も持ち主なりの秩序があるはずだ。
「こっちの部屋なら多少動かしても大丈夫。とはいえ、端に寄せるくらいだけどな。ミーシャは向こうに
簡単な台所があるから、スープを温めてお茶を淹れてくれ」
「はーい」
部屋の外を指さされ、素直に頷いたミーシャは素直にそちらに向かった。
そして、元の広い部屋へと戻ったミーシャは、玄関とは反対側にパーテンションで仕切られた台所を見つける。
幸いにも他と違い、台所はほとんど散らかっていなかった。
というか、うっすらと埃が積もっている。
「これは、ほとんど使われてないみたいね。机の上に皿やカップは置かれていたから、本邸の方から持ってきてるのかな?」
片付けから始めなくてすんだことを喜ぶべきか悩みながら、ミーシャは竈に火を入れると、棚にしまい込まれていた鍋や薬缶を引っ張り出した。
水は問題なく使えたので、軽くすすいでから水とスープを火にかける。
「そういえば、この家はペチカじゃなくて竈なんだ。なんだかほんのり床が温かい気がするけど、もしかしてこれが温泉の熱源を使った暖房ってやつかな?」
スープが温まるのを待つ間に軽く周囲を拭きながらミーシャはなんとなくトントンと足踏みした。
布製のスリッパ越しに、ほんのりとした温もりが伝わってくる。
「正解。床下に管が通されていて、お湯を巡らせて温めてるんだ」
「キャッ! 気配消して背後に立つのやめてよ、おじさん! ビックリした~」
突然背後から響いた声に、ミーシャが小さく飛び上がる。
「あぁ。悪い。そんなつもりはなかったんだがな。布製のスリッパは軽くて音を消すのを忘れてた」
軽い調子で謝罪の言葉を口にしながら、ラインは手を伸ばすと洗い場の隅にある蛇口を指した。
「水が冷たいだろう? そっちは温泉が出るから、食器を洗う時は使うといい」
「え?蛇口から温泉が出るの?」
思いがけない言葉に、ミーシャは目を丸くした。
「ここは建物の裏に高温の源泉もちなんだ。というか、それがあるから、こんな村はずれに研究所が建てられたんだ。おかげで暖炉に火を入れなくていいし、ものぐさな研究者たちが凍え死ななくてすんでる」
「便利だね~。でも私、お料理とかにも利用できるし、ペチカ好きだよ?」
自分たちの家は温泉の恩恵を受けていない事を思い出し、ミーシャはにこりと笑った。
「そうだな。俺も気にいってるよ。茶葉もバスケットに幾つかいれてるから、ミーシャの好きなのを入れたらいい。ちなみにここの温泉は一応飲めるが香りがあるから料理や茶には向かない。水から沸かして正解だ。運ぶときは声をかけてくれ」
「はーい」
布巾を手に去っていくラインに、食事のスペースが確保できたであろうことを察したミーシャは湯気をあげ始めたスープの鍋を急いでかき回した。
「……いいにおいがする」
本の山から発掘されたテーブルにスープを運んでお茶をカップに注いでいると、モゾリと布団の山が動いた。
「南瓜のミルクスープの匂いだ……」
モソモソと布団の中から姿を現したユースティは、ベッドから降りて裸足のままテーブルへと向かってきた。しかし、それを遮るように目の前に立ったラインが無情にも追い払う。
「せめて顔を洗って口を漱いでこい」
「……おなか、すいた」
ピッと部屋の外を指さされ、しょんぼりと肩を落としたユースティは、それでも逆らう事なく素直に去っていった。
「ご飯、下さい」
そして、すぐに戻ってきたユースティの頭にはタオルが巻かれていた。
グルグルにまかれたタオルの下に長かった前髪が押し込められているため、顔があらわになっている。
瞳はミーシャの予想通りの翠色をしていた。ぱっちりとした二重で、長いまつ毛がびっしりと周囲をかこっている。スッと鼻筋の通った小さめの鼻と赤い唇が印象的で、どこか少女めいた容貌をしていた。
「ユース、お前面倒で頭から水を被っただろう」
「ちがうよ~。顔洗おうとしたら濡れたんだ」
襟元まで濡れているのを見つけて顔をしかめたラインに、ユースティはニコニコと答える。
無邪気な様子は、まるで幼い子供のようにも見えた。
(ちょっとアクアウィズに感じが似てる? もしかして、おじさんが最初から対応に手慣れてたのはそのせいかしら?)
ラインが拾ってきた、変わった経歴の持ち主を思い出して、ミーシャはクスリと笑った。
「冷めないうちに戻ってきてくださって良かったです。どうぞ召し上がれ」
洗顔に失敗したというにはびしょ濡れの髪を、巻き付けていたタオルでラインにごしごしと拭かれていたユースティは、ミーシャに招かれてうれしそうに笑った。
「あったかいご飯、久しぶりだ~。いただきます」
いそいそと、これまた本に占拠されていたのを発掘されたソファーに座り込むとパチンと手を合わせ、ユースティはスプーンを手にした。
そのまま黙々と食事を始めたユースティを眺めながら、なんとなくラインとミーシャも黙ったままお茶を飲んだ。
素晴らしいスピードで、サンドイッチもスープもユースティの口の中に消えていく。
「ごちそうさまでした。おいしかった~」
「……お粗末さまでした」
ミーシャの感覚では二食分のつもりで用意していた食事だったが、ユースティはスープ一滴も残さず綺麗に完食してしまった。
(この細い体のどこに消えてしまったのかしら?)
ミーシャはあっけにとられながらも、改めて食後のお茶を淹れると、ユースティの前に置いた。
「ありがとう。えっと、確かここら辺にちょっと前にもらったクッキーがあったはず」
ユースティはごそごそとソファーの背後に押し込められた箱の山に手を伸ばして探ると、小さな紙袋を引っ張り出した。
「あった、あった。長期保存用だからちょっと固いけど、味は悪くなかったよ。お茶うけにどうぞ~」
そのままびりびりと紙袋を破いて広げようとするユースティを慌てて止めたミーシャは、急いで持ってきたお皿へとクッキーを並べた。
「こっちがドライフルーツで、こっちはナッツ。レディアンの新作だから美味しいよ」
「レディアンって事は携帯食じゃないか。ミーシャ、食べるのは良いが一つか二つにしとけ。腹が膨れて昼食が入らなくなるぞ」
人差し指ほどの長さの棒状のクッキーを、一つ一つ指さして教えるユースティの言葉を聞いて、ラインが手を伸ばしていたミーシャに急いで警告する。
「レディアン?携帯食?」
手に取ったクッキーは想像よりもずっしりと重い。
首を傾げたミーシャに、ラインが苦笑する。
「前に意識不明の患者に鼻から栄養を流し込んだ時混ぜた錠剤があっただろう?あれの開発者だよ。腹持ちのいい携帯食って事で開発されたんだが、水分を吸うと膨らむ植物の種子が混ぜ込まれてるんだよ。ミーシャなら、二つ食べたら腹いっぱいになるだろうな」
「最初は栄養重視だったけど、最近では味にもこだわりだしたから美味しいよ? 手軽に食べれるから、最近の僕の主食だねえ」
ボリボリといい音をたてながらかじるユースティにミーシャは信じられないものを見る目を向けた。
「あれだけ食べた後に、そんなものを食べて大丈夫なんですか?」
「うん? 甘いからやっぱりお茶に合うね。普段は面倒で水ですませちゃんだけどさ~」
笑いながら二個目に手を伸ばすユースティは、ミーシャが何に驚いているのか分かっていない様子だった。
「お腹、はち切れちゃいませんか?」
「え~?これくらい大丈夫だよ~?」
ケロリとした顔で、ユースティは答える。
「え~~?? おじさん、本当に?」
「研究に熱中すると一日二日は食べるのを忘れるのが普通の生活してるから、食いだめする癖がついてるんだよ」
戸惑ったように視線をよこしたミーシャに、ラインも呆れた顔で返答をよこす。
「食べれる時に食べとかないと、困っちゃうからね!」
「あ、この人、駄目な大人だ……」
なぜか誇らしげに胸を張るユースティに、ミーシャはこれからの苦労を察してガックリと肩を落とした。
お読みくださり、ありがとうございました。
月日が流れるの、早すぎませんか?
ふと気がついたら、最後に投稿してから二週間以上が経過しててびっくりしたのですが……。
というわけで、急いで次話投稿です。
ミーシャがユースティに初対面。
駄目な大人認定されましたが、研究者としては本当に優秀です。
新しいものを発見・開発するし、古い物の改良もする。
興味が惹かれるままにあれこれと手を付けるので、研究所は一見何を開発しているのか分からないカオス状態になっています。




