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「あ、すごい。結構広いんだ」
引き戸を開けた瞬間襲ってきた湯気に思わず細めた目で眺めた浴室に、ミーシャはポツリとつぶやいた。
集会場の裏手にあったのは少し古びた平屋の木造建築だった。
入口を入ってすぐに番台があり、そこから男女左右に分かれるようになっている。
「昔はあそこで当番が料金を徴収していたそうだけど、今は無料……というか維持するための資金は村民税で賄っているわね」
「村民税……」
ミランダについて赤い暖簾のかかった入り口をくぐりながら、ミーシャは聞きなれない言葉を繰り返した。
「この村で暮らす成人の収入に応じて支払うお金よ。そこから、村の設備……集会場とか道路とかを維持管理しているの」
「みんな同じ値段じゃないんだ」
「それはもちろん。人によって収入は違うもの。病気とかで働けない人は、逆にそこから補助金がでたりするわね」
「お金がもらえるの?」
「お小遣い程度だけどね。村で暮らす以上そんなに現金が必要になることはないけど、やっぱり村で賄えないものはあるもの」
「なんか……不思議な感じ」
働けなくなって、お金がなければ生きていく事は難しい。
運が良ければ、教会が開いている救護院や孤児院に入ることもあるけれど、数に限りがあるため、最後は道端で朽ち果てる人の方が多いのが現実だ。
ミーシャはこの村に向かう旅の中で、そういう場面をいくつも見てきた。
いくら助けの手を差し伸べたいと思っても、通りすがりの困っている人たち全てを助けられるわけもない。できたとしても、一食の食べ物を分け与えるのがせいぜいだし、それすらもすべての人にできるわけではないのだ。
「そうね。こんな支援ができるのは、この村がお互いの顔を知っているくらいに少ない人数しか住んでいない事と、村が創立当初からの決まり事なので文句を言う人がいないからだわ。みんな誰だって年を取って動けなくなるし、その時は、自分が支えてもらう側になるんですもの」
ミーシャの戸惑いに気づいたミランダが同意を示してから、小さく肩を竦めてから笑いだした。
「その代わり、働けるうちはしっかり働いてもらうし、一線を退いた後も、出来ることには協力してもらっているわ。そこら辺はきっちりしているし、結構厳しいかもね。あのラインだって、いやいやでも書類仕事してたでしょう?」
「……確かに」
飄々と自分のしたい事だけしているように見えるラインの意外な様子を思い出して、ミーシャも思わずくすくすと笑いだした。
「さぁ、おしゃべりはここまでにして、お風呂に入りましょう。今ならだれも入っていないみたいだから、貸し切りよ」
笑いながら促されて、ミーシャもミランダの後を追うように素早く服を抜いだ。
そうして、そっと浴室へと続く引き戸を開いた。
ふわりと温かい湯気が押し寄せてきて、ミーシャは思わず瞳を閉じる。
「あまり硫黄の香りはしないのね」
思わずつぶやきながら、瞳を開く。
そこには様々な青に塗られたタイルが張られた大きな湯船があった。
花のような星のような不思議な幾何学模様が規則的に敷き詰められたタイルはとても美しく、ミーシャは思わず見とれてしまう。
「……けど、なんでお風呂に山の絵?」
そして、壁にはなぜか山の絵が描かれている。
壁の絵も細かい部分まで書き込まれて迫力があったけれど、これまでにない光景にミーシャは違和感を感じた。
「ミーシャ、風邪をひいてしまうわ。早くかけ湯をして入っていらっしゃい」
「はーい」
促されて我に返ったミーシャは、急いで湯船の横に置いてあった手桶でお湯をすくい、体を流すと湯船に足を入れた。
冷たい雪道を歩いてきた体は、ミーシャが思うよりも冷え切っていたようで、熱いお湯がピリピリとしみるように感じる。
ぎゅっと体を縮めるようにして耐えていると、徐々に温度に慣れてきた。
「はぁ~~~、きもちいい~~」
ミーシャの口から蕩けるような声が漏れた。
「当時、敵に追われて山の中に逃げ込んだご先祖様達が、森の精霊に導かれて辿り着いた温泉だそうよ。たくさんの人たちが傷を負っていたけれど、この温泉に入ることで悪化することなく治ったって言われているわ。そうして森の精霊に感謝したご先祖様は、ここに村をつくり精霊を祀ったの。それがこの村の始まり」
幸せそうに脱力しているミーシャに笑いながら、ミランダが村に伝わる伝説を教えてくれた。
「そうなんですね~」
「まあ、本当に精霊に導かれたかはともかく、このお湯に傷をいやす効果があるのは実証されているわ。この温泉があるから、ここに村を築こうと決めたのも本当でしょうね」
素直に感心するミーシャに、ミランダは小さく肩を竦めながらさらに伝説の考察に移る。
「それはやっぱり、みんなお風呂が好きだったから?」
「……薬師として清潔を保つ大切さは身に染みていただろうから、それもあるかもしれないけど、それ以上に熱源として貴重だったんでしょうね。この温泉は飲水も可能だったから、この寒い土地で暮らしていくのにお湯は重宝するでしょう?一番温度が高い源泉は60度以上あるし」
「60度以上!そんなに?!」
初めて聞く湯温の高さに、ミーシャの目が驚きに見開かれた。
「そう。お風呂に使う以外にも、蒸気でお料理したりとかいろいろ利用しているの。高温の源泉を管で引いて床の下を通すことで、ここ近辺の家は暖を取ったりするのよ」
「暖房にまで利用できるの!?」
思わぬ利用方法に、ミーシャの目がますます丸くなる。
その可愛らしい表情にほっこりしていたミランダは、少し申し訳なさそうな顔をした。
「実はラインが家を維持できているのは、建っている場所が遠すぎて温泉の恩恵を受けていないからなのよ。中央に近いほど熱いお湯が届くから、薪を集める必要もあまりないくらいだし、雪かきも楽だしね。温泉の恩恵を受けれない外れの家は、かかる労力が多いから人気がないの」
肩を竦めるミランダに、一年の大半誰も住んでいない家をいまだにラインが所持できる思わぬ理由を聞いて、ミーシャは目を瞬いた。
「え?でも母さんが子供の頃から住んでいたんだよね?」
「そうね。私もどうしてあんな不便な所に住んでいるのか、聞いた事があるの。お墓に一番近いからだって言っていたわ」
「お墓に近いから?」
不思議な理由に、ミーシャはさらに首を傾げる事になった。
「ミーシャのお爺様が体が弱かったことは聞いた?」
「うん。子供の頃から虚弱で、大人になれたのは奇跡だって」
世間からは奇跡の薬を持っていると噂されるほど卓越した医療集団である森の民の中にあっても、大人になるのを危ぶまれるほどだったと聞いて、いったいどんな病を抱えていたのか興味を持ったからよく覚えていた。
「そう。だから、もしも命を落としても、少しでも側にいたいというご両親の意向だったそうよ。皮肉なことに、一番長生きしたのはお爺様だったのだけどね」
「……それは」
幼い息子が死後寂しくないように、少しでも近くにという両親の思いは良い意味で報われることはなかった。
親より先に死ぬという最大の親不孝をしなくて済んだのは幸いだっただろうけれど……。
「残されたおじいさんは寂しくなかったのかしら?」
温かいお湯をかき混ぜながら、ミーシャはポツリとつぶやく。
「おば様が亡くなった時は、ショックで体調を崩されて一時期は危なかったけれど、幼い子供たちを残して逝けないと思ったのでしょうね。どうにか持ち直して、自分の足でお墓参りできるまで元気になったみたいよ」
ミランダは当時を思い出す。
ミーシャの祖母にあたる人が亡くなった時は、まだミランダも幼かったため、あまり記憶に残ってはいなかった。
うっすらと残る記憶の中では、女性にしては背が高く活発で良く笑う人だった。
高い高いと豪快に宙に放り投げられてびっくりして泣き出したことを思い出して、ミランダはくすくすと笑いだした。
慌てて抱きとって謝ってくれたのは祖父で、細い腕は意外に力強かった。
幼少期から病弱というだけあってほっそりとした、柔和な笑顔が似合う穏やかな人だったけれど、不在がちな妻の分も子供たちをしっかりと愛情込めて育てていた。
妻を亡くしてからは、寝込みがちになっていたけれど、それでも自分たちが暮らしていける目処が立つまでは頑張ってくれたから感謝していると、葬儀の場でラインもレイアも呟いていたのが印象的だった。
「そうなんだね~。昨日、さっそくお墓参り行ったけど、まぁ、おじさんなら多少不便でも気にしなさそう。むしろ他の家と離れてるから、人付き合い少なくて楽とか思ってそうよね」
「それはそうね」
温かいお湯の中で手足を伸ばしてくつろいで、ミーシャは久しぶりの温泉を満喫したのであった。
「ふぅ~~。少し治まってきた……かな?」
湯船の中でライン達の思い出話を聞いていたミーシャは、思わず長湯をしたせいで久しぶりにのぼせてしまった。
慌ててミランダが飲み物をもらってくると飛び出していったので、ミーシャは少しでもほてりを覚ますために外のベンチで涼んでいたのだ。
「あ~~!ミーシャお姉ちゃんだ!」
「本当だ!お風呂入りに来てたの~?」
そこに、元気な声が響き、驚いたミーシャが顔をあげると、そこには数人の子供の姿があった。
「あ、ハッシュ君!ランド君にメイアちゃん」
そこにいたのは、昨日会場で仲良くなった子供達だった。
「みんなもお風呂に来たの?」
笑顔を浮かべたミーシャに子供達が首を横に振る。
「ちがうよ~。お姉ちゃん見つけたから来ただけ~。お家で遊んでたけど暇だから、図書室に本を借りに行く所なんだよ」
「おれ達、家がすぐそこなんだ」
子供たちが「そこ」と指さしたのは、温泉の向かいにある大きな家だった。
屋根の上には雪がないのを見て、ミーシャはさっきミランダに教えてもらった『温泉の恩恵』を思い出していた。
「え?!この村には、本を借りれる場所があるの?」
子供たちの口から飛び出した思いがけない情報に、ミーシャの目が丸くなる。
「あるよ。一回に2冊迄借りれるの。わたし、お祖母ちゃんにお料理の本も借りてきて、て頼まれてるの」
後ろに隠れるようにしてこちらを見ていたメイアが、小さな声で答えた後、また恥ずかしそうにサッと兄であるランドの後ろに隠れた。
ハッシュと同じ年の少女だが、ちゃっかりして明るいハッシュと比べて恥ずかしがり屋で人見知りするようで、昨夜も他の子の後ろに隠れていた。
「そうなんだ。メイアちゃんもお料理好きなの?」
ミーシャはそんなメイアの態度に気を悪くした様子もなく、にこにこと話しかける。
「……うん。一緒にお菓子つくるの」
自分の得意なものを聞かれたのがうれしかったメイアが、ほんの少し表情をほころばす。
「婆ちゃんと作るようになって、楽しいらしくて。おかげでいろんなお菓子食べれてうれしいけど、甘い香りが家中に充満するからちょっと大変なんだ」
背中に隠れる妹を少し振り返りながら、ランドがポリポリと頭をかいた。
「パイとか端っこがちょっと焦げたりしてるけど、美味いんだぜ」
「……火加減難しいんだもん。すぐに上手になって焦がさなくなるもん」
ハッシュの悪気ない言葉に、メイアがちょっと不満そうに唇を尖らせる。
「え?あそこがカリカリして美味いのに!そのままでいいじゃん」
キョトンとした顔で訴えるハッシュに、メイアも同じくキョトンとする。
「焦げてるのが、いいの?」
「えぇ?美味しくない?」
首を傾げあっている幼い二人が可愛らしく、ミーシャとランドは顔を見合わせて笑ってしまった。
「えっと。良かったらミーシャ姉ちゃんも一緒に来る? 外の世界の図書館とかに比べたら冊数は少ないだろうけど、変わった本も多いし暇つぶしにはいいかも」
ナッツ入りのクッキーが美味しかったとか、次はアップルパイがいいとか話し始めた二人組を見ながら、ランドが誘ってくる。
「外から帰ってきた大人たちが、いろいろ持ち帰って寄付する本が中心だからマニアックな本が多いんだよ」
「それは、すごく気になるかも……」
「あら、それなら行ってみたらいいじゃない」
そわそわとミーシャが視線を揺らした時、背後から声がする。
いつの間にか手にカップを持ったミランダが戻ってきていたのだ。
「お昼食べてすぐこっちに来たから、まだ時間も早いし寄り道しても大丈夫よ」
手渡されたカップの中身は微かにしょっぱさも感じる爽やかな甘さの冷たい飲み物で、乾いたミーシャの喉をスルスルと通っていく。
「あ、ポッカだ。いいな~。僕も飲みたい」
ミーシャの手の中を見て、ランドがつぶやいた。
「ポッカ?これのこと?」
「そう。運動した後とかお風呂入った後とか、たくさん汗をかいた時に飲むと美味しいんだよ」
まるで体が求めていたかのようで思わず一息に飲み干してしまったミーシャが、初めて聞く名前に首を傾げると、ランドがコクコクと頷きながら答えた。
「え~。ポッカもおいしいけど、僕はカルピュシュの方が好き。あっちの方が甘いもん」
「カルピュシュ?それも飲み物なの?」
またも出てきた知らない名前に、ミーシャは興味津々である。
「そうだよ。知らないの?白くてね、ちょっと酸っぱいけど甘いの。冷たくして飲むとおいしいんだよ」
「……わたし、あったかいのも好き」
自分より年上の少女が知らない事を教えるのがうれしいのか、どこか自慢げに語るハッシュの横で、メイアも小さな声で主張した。
「どちらもこの村の伝統的な飲み物なのよ。ポッカは体内の水分補給に適している飲み物で、カルピュシュは乳を発酵させて作っているの」
さりげなくミーシャの手からカップを受け取ると、ミランダがそっとその背中を押した。
「三人とも、ミーシャも一緒に図書室に連れて行ってくれる?私も、カップを片付けたら行くから」
「うん。いいよ」
「図書室は、集会場と同じ建物にあるんだよ」
「わーい。お姉ちゃんも一緒!面白い絵本があるんだよ。教えてあげるね!」
ミランダの声かけに、子供達が歓声をあげてミーシャを取り囲んだ。
人見知りのメイアも、ミーシャの存在に慣れてきたのか、控え目にそっと手を握ってきた。
「わわっ!そんな急に引っ張られたら転んじゃうよ!」
子供たちの勢いに押されながらも楽しそうに笑うミーシャに、ミランダはこの場は任せて大丈夫そうだと借りてきたコップを返して礼を言うために、近所の家に向かってそっと踵を返した。
「こっちから入るんだよ」
子供たちは、すぐ隣にある集会場の裏口の方へとミーシャを導いた。
「こっちに図書室があるの」
正面の大扉とは違い、普通の民家と変わらないサイズの扉を開いて、子供達は中に入っていった。
後を追ってミーシャが中に入ると予想以上に広い土間があり、壁に沿うように大きな靴箱が向かい合って置かれている。
「あのね。お客様はこっちのスリッパを使っていいんだよ」
玄関の靴箱から出した室内履きをミーシャに渡した後、子供達は反対側の靴箱から、それぞれに小さな室内履きを取り出して履き替える。
「自分のものを置いているの?」
ミーシャは子供たちが履く小さな足にぴったりの室内履きを見た。
「あのね。今日はお休みだからみんなお家にいるけど、普段はここに集まってお勉強したり遊んだりしてるんだよ。だから、僕たちの部屋履きは置いてあるの」
「図書室の隣が、お勉強を教わる部屋なの」
「その隣は赤ちゃんたちが遊ぶ部屋なんだよ」
次々と競うように案内を始める子供たちに、ミーシャは、この集会場には昨夜みんなで集まった大広間以外にも、いくつかの部屋があることを知る。
「ここは、みんなの学校でもあるのね」
「雨の日は、大広間で運動したり遊んだりもするよ」
「おねえちゃんは、先生のお手伝いに来るんだよね。楽しみ。休み時間は一緒に遊ぼうね」
その時の事を思い浮かべているのかニコニコと楽しそうに笑いながら、ハッシュが玄関を真っ直ぐに進んで付き当たりにある扉を開けた。
「それでね。ここが図書室!いろんな本がたくさんあるんだ!!」
「え?すごい!?」
そこには、ミーシャが図書室と聞いて想像していた規模の数倍の本棚がぎっしりと並んでいて、ミーシャは思わず歓声をあげる。
古い本の独特の香りが漂う室内は、本を傷めないためか窓にカーテンがかけられていて少し薄暗い。
けれどさりげなく飾られたハーブの束やキルトの壁掛けなどが、居心地よさそうな空間を作り出していた。
「あらあら。図書室では静かにね」
ミーシャ達の声を聞きつけたのか、本棚の奥の方から長い白髪を上品にまとめて手編みのショールを肩に駆けた小柄な老婆が姿を現した。
「は~い。ごめんなさい、ドリーさん」
素直に謝る子供たちに、老婆は優しく微笑んだ。
「ランド君、読みたいって言っていた冒険譚が戻ってきているわよ。ハッシュ君とメイアちゃんは、新しい絵本が入ってきたから好きなものがあるかみてみたらどうかしら?」
「ありがとうございます」
柔らかな声でうながされて、子供達は小さな声で返事をするといそいそと目当ての本棚へと向かっていった。
「さて、あなたが噂の新しく村に来た子ね」
その後姿を見送った後、老婆はミーシャへと視線を向けた。
「はい。伯父のラインに連れられてきました。ミーシャと言います。よろしくお願いします」
「ご丁寧にありがとう。私はドリー。ここで本の管理をしているのよ。よろしくね」
礼儀正しく挨拶して頭を下げるミーシャに、ドリーが笑みを深めた。
「今は子供たちの体力についていけなくて引退したけど、昔は教師をしていたの。ラインやあなたのお母さんを教えていたこともあるのよ?」
「え?お母さんの先生だったんですか?」
いたずらっぽい笑顔で告げられたドリーの言葉に、ミーシャは目を丸くする。
「そう。レイアースは真面目でとても勉強熱心な生徒だったわ。ラインは頭は良かったけど、昔から自由人で教室を抜け出してばかりだったわね」
笑いながら更なる暴露話をしながら、ドリーはしわの多い手で優しくミーシャの背中を押した。
「さぁ、ミーシャちゃんはどんなお話に興味があるかしら?あなたの読みたい本が、ここにあるといいのだけど」




