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「ミーシャ、お待たせ。準備ができたから、行きましょう」
墓参りから帰って部屋で一休みしていたミーシャは、呼びに来たミランダに誘われて村の中心にある集会場に向かった。
「集会場は普段は子供たちの学校と預かり所を兼ね備えてるの。村の子供たちは一歳になるくらいから十歳まで、基本的に日中は学校で集まって過ごすわ」
「そんな小さな子供もいるの?」
まさか一歳足らずの子供まで集められるとは思わずに、ミーシャは目を丸くした。
「小さな村だから、働ける大人の数も限られているわ。村を健全に保つにはしょうがないのよ。自給自足の生活と薬師としての研究の両立には時間はいくらあっても足りないから、お互い交代に子供を見る事で融通を利かしていたのが始まりみたいね」
子供の育成は自宅で親が見るのが一般的な風潮の中で、集団保育と学校のシステムを作り上げてしまった理由が研究のためだという。
いかにも『森の民』らしい理由に、ミーシャは先ほどとは別の意味で目を丸くした。
「一応言っておくけれど、村人全員が薬師というわけでもないのよ?一般の人よりは詳しい知識を持っていても、私みたいにサポートをしている人間もいるし、それこそ学校の教師を生業にしている人間もいるの。薬師としてのイメージが強いけれど、それだけでは生きていけないわ」
言葉にされれば当然のことだけど、なんとなく村人全員薬師なイメージを持っていたミーシャは意外なことを聞いた気分になってしまう。
先ほどから、村のイメージが一転二転して目まぐるしい。
「子供達も一通りの教育は為されるけど、やはり向いていない子はいるから、自分のできる事したい事をこだわらずに探すように導いているわ。まぁ、それでも三人に二人は医療関係に進むからよそから比べたら充分多いのでしょうけど」
「一応、それほど数は多くはないが、よそから入ってくる人間もいるしな。そうじゃないと研究馬鹿の比率が高くなって日常生活が破綻する」
後からやる気なくついてきていたラインが、口をはさんでくるのに、ミランダが眉間にしわを寄せた。
「そうね。誰かさんみたいに外に飛び出して戻ってこない人間ばかりだったら、村は無人になってるでしょうけどね」
軽く横目で睨まれてラインは目をそらす。
「外で所帯持ってる人間もいるんだし、一~二年に一回は帰ってくるだけましな方だろ」
「はいはい。村にミーシャちゃんがいるんだし、しばらくは大人しくしててくださいね」
ラインの力ない反論を右から左に流して、二人のやり取りについていけずぽかんとしているミーシャに、ミランダはニコリと笑顔を向けた。
「まぁ、何が言いたいかって言うと、ミーシャと同じくらいの子供もいるから、お友達になれるかもね、ってことよ。後で個別に紹介するわね」
「……お友達」
思いがけない言葉に、ミーシャは思わず足を止めてしまう。
生まれ故郷を飛び出して半年以上経つ中、たくさんの出会いと別れを経験してきた。
その中で友と呼べるそんざいもできたけれど、共に過ごせた時間は残念ながらそう長くはなかった。
(もしかして、一緒に薬草の話をしたり出来るお友達もできるのではないかしら?)
海辺の村で薬師見習の少女エラと共に過ごした時間が思い浮かんで、ミーシャの胸はどきどきと高鳴った。
母親やライン、その後に出会った薬師との会話では得られない、同年代だからこそ起こりうる無謀ともいえる挑戦や未来への希望を語り合う時間はとても楽しかった。
「それって「ラ~イ~ン~さ~ま~~!!」」
ワクワクした気持ちでミランダを見上げたミーシャの言葉をぶった切るように、その瞬間、大音量の叫び声が響いた。
自分のすぐ隣をすり抜けていった人影にミーシャが息をのむ暇もなく、その影は勢いのままラインに飛びつく。
「おかえりなさいませ!ライン様!あなたの一番弟子のナディアは、再会できるこの時を一日千秋の思いで待ちわびておりました!!」
「うるさい」
しかし、飛び込んできた影をラインはあっさりと躱してしまう。
飛びつく先を失った影は、勢いのまま空を飛びゴロゴロと地面を転がっていった。
その場に、何とも言えない空気が立ち込める。
「おじさん……」
「……ライン、さすがによけるのはどうなの?」
「は? 俺のせいか? これ」
一瞬の間に起こった出来事に対応できずあっけにとられるミーシャに、何が起こったかを理解したうえで苦言を呈するミランダと悪気なく首を傾げるライン。
一行の視線の先にはうつぶせに倒れる少女の姿があった。
「あの、だいじょ「さすがですわ!! ライン様!!」
ピクリとも動かない少女にさすがに不安になったミーシャが声をかけるが、その声が聴こえなかったように、少女は突然ガバリと起き上がった。
「突然の特攻にも、あわてず騒がずクールな対応。少しは隙をつけるのではないかと思っておりましたが、とんだ勘違いでした。修行不足を痛感いたしますわ!」
そして、一気にラインへと距離を詰める。
「……相変わらずだな」
一歩後ろに下がって縋り付こうとした手をよけたラインが、うんざりしたような顔でつぶやく。
「はい!私は元気です。ライン様の教えを守って日々精進しておりますわ!」
しかし、少女はラインの表情など気にした様子もなく、相も変わらずキラキラした目を向けて明後日の方向の返事をした。
勢いだけなら百点満点だ。
「……ミランダさん、あの子って……?」
その後も続く少しずれた二人のやり取りを見ながら、ミーシャは隣に立つミランダを見上げた。
「ラインに憧れる薬師志望の女の子よ。私の姪でもあるんだけどね」
少し困ったように微笑むミランダに、ミーシャは改めてラインに詰め寄っている少女を見た。
翠の瞳に白金の髪はいかにも一族の少女らしい色あいだが、特にフワフワと柔らかそうに波打つ髪はミランダそっくりだった。
「七つの頃に、登っていた木から落ちて手足を骨折したんだけど、たまたま村にいたラインに治療してもらってね。それ以来、自分がラインの技術を受け継ぐんだって勝手に弟子を名乗って追いかけ回してるのよ。正直、ラインの足が村から遠のいてるのはあの子の相手が面倒だからなんじゃないかってくらい……」
「でも……おじさんの技術がすごいのは確かだし、憧れるのも分かるな」
身内ゆえに恥かしさも募るらしく困り顔で肩を竦めるミランダに、ミーシャは思わずつぶやいた。
手のつけようもないと思えるほどの重症患者にひるむことなく相対し、命を救って見せたラインの手腕を目前で見たことのあるミーシャからすれば、少女のあこがれは共感できるものだった。
「あなた!良く分かっているじゃない!」
途端に、ミーシャのつぶやきが耳に届いたらしき少女が、ぐるりとこちらを振り返る。
「ライン様の技術は唯一無二の卓越した神のごとき手法なのよ! 不可能と思われた切断四肢を繋ぎ合わせ、潰れた内臓すら修復してみせる。もう、むしろライン様は神といっても過言ではないと思うの!」
ヅカヅカと詰め寄ってくる少女の勢いに押されて後ろに下がるミーシャを、庇うように前に出たミランダが、無言で少女に拳骨を落とした。
ゴツッと辺りに鈍い音が響き、少女が無言で頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「いい加減落ち着きなさい。恥ずかしい」
そんな少女を見下ろして、ミランダが冷たい声を響かせた。
「これ以上醜態をさらすようなら、再教育するわよ」
「ごめんなさい!久しぶりのライン様に理性のタガが外れました!」
途端に、少女がピョンと跳ねるように立ち上がり直立不動の態勢をとる。先ほどまでテンション高くバラ色に染まっていた頬が青白くなっている。
「……二度目はないわよ?」
「はい!私はいい子です!!」
直立不動のまま反射で答える少女の様子は異常だったが、ミランダは満足そうだしラインはようやく少女から解放され我関せずの構えだ。
ミーシャは、触らぬ神に祟りなしとそっと目をそらすことにした。
「それで?呼びに来たんじゃないの?」
「ううん?叔母さんの姿が消えてしばらくたったからそろそろ来る頃だと思って外で張ってただけよ?」
ミランダの空気が緩んだことを敏感に察知して許されたと判断したのか、少女の口調も緩む。
「読み通り、タイミングばっちりだったでしょう?」
どこか自慢げに胸を張る少女の頭に再びミランダの拳が落ちた。
「ごめんなさいね。お馬鹿さんは放っておいて、行きましょう」
先ほどに比べて加減はされている様子だがそれでもダメージはかなりのものだったらしく、しゃがみこんで悶絶している少女を横目にミランダがミーシャを促した。
「え?……でも……」
ミーシャは、すでにこちらのやり取りを気にすることなく歩き出してしまったラインと、いまだ蹲ったままの少女を交互に見てから、困ったようにミランダに目を移した。
「大丈夫よ。いつもの事だから、ミーシャが気にする必要はないわ。この子、打たれ強さは人一倍だから」
しかし、もともとミランダも少女に対しては塩対応だったのだから、救いの手など差し伸べるわけもない。
むしろ谷底に突き落としそうな言葉にミーシャが固まる前に反応したのは、当の置いていかれそうになっている少女だった。
「待って、あなたミーシャって言った?」
「はい?私はミーシャです」
ガバリと顔をあげた少女の勢いに、ミーシャは反射的に答える。
途端に、少女の顔から表情が抜け落ちた。
「……そう、あなたがミーシャなのね」
それまでの勢いが嘘のように無表情のまま静かに立ち上がりこちらを見つめる少女に、ミーシャは戸惑いながらも見つめ返した。
しばらく無言で見つめあった後、少女はきっと視線を険しくした。
「あなたなんて、たまたまライン様の妹の子供に生まれただけの存在のくせに! 私はあなたなんて認めないんだから!!」
そして次の瞬間、大音量で叫ぶとそのまま踵を返す。
あれほど執着していたラインすら置いてけぼりに走り去っていく後姿を、ミーシャは呆然と見送った。
「えぇ~~、なんで?」
思わずこぼれたミーシャの小さなつぶやきに、ラインとミランダは顔を見合わせると無言のまま肩を竦める。
「まぁ、ちょっとあこがれが強すぎるだけで、害はないと思うから気にしないでいいわよ。行きましょう」
無責任ともとれる言葉と共に背中を押され、ミーシャもとりあえず歩き出す。
「今日は新しい仲間が増えた祝いじゃ。皆、存分に飲んで食べて楽しんでくれ!」
「「「カンパーイ‼」」」
ネルの音頭の元に、宴会が始まる。
たどり着いた集会場にはたくさんの人が集まっていた。
ミーシャは、次から次へとあいさつに訪れる村人たちに目を丸くしながらも、面倒くさそうな顔を隠そうともしないラインの隣で、愛想よく笑顔を振りまいた。
「そうして笑っていると本当にレイアちゃんにそっくりね。当時からラインは愛想がなかったから、いつもレイアちゃんが間に入ってくれていたんだよ」
「本当だねぇ。レイアちゃんはお裁縫が上手でね。うちの子が小さいときには繕い物を買って出てくれたり、小物を作ってくれたんだよ。そのうち、洋服なんかも上手に作るようになってね」
母親のレイアースの事を覚えている人も多く、ミーシャを見ては少し涙ぐみながら、思い出話を語ってくれた。
大人達はおおむね友好的で、長旅を労い、ミーシャの話にも興味深く耳を傾けてくれた。
「村に慣れるまでは、学校で子供たちの世話を手伝いながら、この村の事を知っていけばいいよ」
「本当?お姉ちゃん、先生になってくれるの?」
誰かの言った言葉に、母親の足に縋り付くようにしながらこちらを伺っていた四歳くらいの少年が目を輝かせた。
「今ね、トト爺が体調悪くて、僕たちの字の練習を見てくれる人が少ないの。僕、くるんって小さく曲がる所が苦手なんだ~」
ニコニコと笑顔を浮かべると、少年は無邪気にミーシャの手を引いた。
「あっちにね。子供だけで集まってるんだよ。お姉ちゃんもおいでよ」
「え?えぇ~?」
予想以上に強い力でグイグイと引っ張られてたたらを踏んだミーシャは、どうにか体勢を整えながらもぐるりと視線を周囲に走らせた。
「いいじゃないか。行ってこいよ。同年代の友人が欲しかったんだろう?」
しかし、ラインは止めることなく、むしろ背中を押してくるし周囲の他の大人たちもほほえましそうな顔で頷くばかりだ。
「ミーシャと同年代くらいの子もいるはずよ。行ってらっしゃいな」
最後に、ミランダにまで促されて、ミーシャは素直に自分を引っ張る小さな手に行く先をゆだねる事にした。
そうして連れていかれた先には、本当に子供たち
が複数集まっていた。
近くの机に置かれた食事も子供の好きそうな刺激の少ないものやお菓子などが中心で、もともとそのために作られた場所のようだった。
「連れてきたよ~~」
「でかした、ハッシュ」
「やっぱりああいう場から連れ出すには、チビ使った方がスムーズだよな」
ニンマリと笑いあいミーシャを連れてきた小さな男の子の頭をぐりぐりと撫でて褒めている少し年上の少年達にミーシャが目を丸くしていると、そっとその肩が叩かれた。
「大人の思い出話に付き合わされて、さっきからほとんど何も食べて無かったでしょう?これ美味しいから食べてみて」
振り返れば女の子たちがにこにこと笑いながら、料理が乗った皿を手渡してきた。
「ありがとう」
皿の上には、いろんな料理が少しずつ綺麗に盛られていた。
女の子らしい気づかいに、ミーシャの顔にも自然に笑顔が浮かぶ。
「大人って、すぐに昔の事を話したがるんだから」
「そうそう。それか新しい薬草の調合の事とかね」
「もう少し早く助けてあげたかったんだけど、なんかいろいろとテンション高くて壁が厚かったの。ごめんね?」
口々に話しかけてくる少女たちの年齢は様々だが、皆一様に好意的だった。
十人以上の子供たちがわちゃわちゃと集まって一斉に話しているため、その場は非常ににぎやかだった。
基本的に母親と二人きりだったし、大人と過ごすことが多かったミーシャには、子供達に囲まれるのもその集まりに巻き込まれるのもほぼ初めての経験だった。 けれど、みんな楽しそうな顔をしているため、少しも嫌な気分ではなかった。
「ミーシャは、遠くから旅してきたんでしょう? 面白い事あった?」
「あ、おれも聞きたい! 外に出た大人たちに話聞いたって、たいてい珍しい病が~とか、薬草が~とか、そんなんばっかりなんだもん。子供心、分かってないよね」
未成年の子供たちが村の外に出る事はないため、外の世界からやって来たミーシャに子供達は興味津々だった。
自然と会話は村の外に対しての質問が増えてくる。
ミーシャもそれほどいろいろな場所を知っているわけではないけれど、尋ねられるままに、この数か月の間に経験したあれこれを語った。
それから、お返しのように村での生活を教えてもらう。
和気あいあいと会話が弾む中、ミーシャは子供たちの輪の中に先ほど出会ったナディアの姿は無かった。
たくさんの人たちに囲まれ談笑しながらも、その事がどこか心の隅に引っかかってミーシャは少しだけ胸がモヤモヤした。
世の中にはいろいろな考えの人がいて、全ての人と仲良くできるわけではない事は森を出てからの日々の中で感じていたミーシャだったけれど、あれほどまで真っ直ぐに自分を否定されたことはなかった。
(あ、でも似たようなことが一回だけあったな……)
父親の屋敷で出会った明るい茶色の髪と父親と同じ青い瞳を持った少年が脳裏をよぎる。
連鎖的にその後の出来事まで思い出しそうになり、ミーシャは意識して思考を切り替えた。
(まぁ、おじさんの事を慕ってたからそのうち嫌でもまた会う事になるだろうし、その時にどう付き合っていくのがいいか考えたらいいよね)
コップの中身と共に苦い気持ちも飲み込んで、ミーシャは目の前の子供たちと交流を深めるべく顔をあげた。
「うまくなじめたみたいね」
遠くから子供たちと笑いあっているミーシャを見ていたミランダがほっとしたように表情を弛めた。
「ミーシャなら、どこに行っても大丈夫だろう」
ワインの入ったグラスを傾けながら、ラインが肩を竦める。
「そう思うけど、やっぱり心配になるものじゃない。集会場につく前にナディアが失礼な態度をとっちゃったし」
突然現れて言いたい事だけ言って逃げてしまったナディアを思い出し、ミランダは肩を落とす。
身近な大人たちが、多少の障害は残るだろうと匙を投げた大けがを、跡形もなく綺麗に治してもらって以来、異常なほどにラインを崇拝してしまった姪は、ミランダの悩みの種だった。
「今までもラインに近づこうとする相手には見境なく突っかかって行く所があったのに、一緒に暮らしてるミーシャにどんな態度をとることか、頭が痛いわ」
「まぁ、しょうがない。なるようにしかならないさ」
何処までも軽い反応を返すラインを、ミランダは不満げに睨みつけた。
「そんな顔をしてもしょうがないだろう」
まるで子供のように不満そうな顔をしたミランダに、ラインが苦笑した。
「どんなに周りが心配したところで、運命を選ぶのは自分自身だ。分かっているだろう?」
選んだその先に何が待とうとも、選んだのは自分自身だ。
何を選ぶのも自由だが、選択の結果を受け取るのも自分自身だというのは、一族の教えの一つだった。だからこそ、後悔しないように自分で考えろと教育されるのだ。
「ミーシャがしっかりしてるのは知っているわ。でも……」
ミランダはちらりと集会場の一角に視線を投げた。
そこに集まる数人の目がミーシャへと向けられているのが分かる。
一族の掟に従い一族を離れたものの末裔が、再び一族へと戻ってくることを良しとしない一派もいないわけではないのだ。
「親の因果を子供にまで押し付ける事はないでしょう?」
隣に立つラインの耳にだけ届くような微かな声。
苦渋をたっぷりと含むその声に、ラインはまるで頑是ない幼子を見るかのような目をミランダに向ける。
それから、わざと乱暴にくしゃくしゃとミランダの頭を撫でた。
「それも全部含めて、ミーシャなのさ。大丈夫。あいつは強いよ」
真っ直ぐに投げられた視線はゆるぎなく、ただ一人だけを見つめていた。
「どんな未来があろうとも、おれはミーシャの側にいるよ。守ってみせるさ」
「……ライン」
こうして、小さな波乱を含んだまま、ミーシャの新しい生活は幕を開けるのだった。
読んでくださり、ありがとうございました。
ここでひと段落。
次からは、隠された一族の村での生活が始まります。