鳩 15
もうすぐ、この物語も終わります。私はよくゲームや小説が終わったとき、一人取り残されたような感覚に陥ることがあります。いままで共有してきたのに、ここでお別れ。卒業式なども似ていますが、会おうと思えば会えるし、また経験を共有しようと思えば共有することができます。
でも、ゲームや小説は、そこで世界が完結してしまっています。だったら、つくればいいじゃないか、と思ってみても、やはりそれは自分が作り出した幻にすぎないと思い知らされます。経験の共有なんか、生まれるはずもありません。
みなさんはどうでしょうか?この物語と経験を共有することはできたでしょうか?もし、この物語が終わって、頭の片隅に何か残っていたなら、私としてはこれ以上喜ばしいことはありません。
鳩
「何しに来たんだよ。」
エレベーター前に立つ、およそサラリーマンとも思えない二人を、皆あからさまに訝しがりながら通り過ぎる。ここのテナントには商社もあったのか、と思いつつも、まともな会社ではないのでは、という思いもあった。
「忘れ物したんだ。俺も一応、あいつの部下だったからな。ここのビルにはよく来ていたんだ。」
鸚鵡は、おそらく彼自身のものだと思われる声で、肩をすくめながら言った。忘れ物という表現が、何となく懐かしい響きを持っていた。
「エレベーターを使うのか?」
「悪いか。」
「待ち伏せされているとは考えないのか。」
鸚鵡が視線をやや上に向ける。そこに監視カメラか何かがあるのかと思い、俺も視線を向けるが、そこには何もなかった。何もなかったように見えただけかもしれないし、本当に何もなかったのかもしれない。
「非常階段を使えよ。忘れ物のついでに、俺が囮になってやるよ。」
鸚鵡が、非常階段の入り口を指す。例の人が扉に駆けこむ、緑色の看板が見えた。
「十階だ。」
そう言われると同時に、俺は非常階段に向かって歩き出す。非常階段への入り口の扉を開けるとき、ちょうど鸚鵡がエレベーターに入って行くのが見えた。
そう言えば、こういうやり取りがある、有名な童話があったような気がする。先におばあちゃんのところに辿り着いたのは、たしか遠回りの道を教えたオオカミの方だったな。そんな下らないことを考えながら、俺は十階を目指して歩き出す。
八代の部屋はすぐに見つかった。非常階段を登り終え、廊下に出ると、丁寧に案内まで書いてあった。「社長室」と書かれた部屋の前に立つ。
八代はいるだろうか。いや、あいつがいたとして、大量の部下が待ち構えているかもしれない。ちょうど、オオカミが何も知らない赤頭巾を待ち伏せしていたように。手に痛みが走った。握られた拳を静かに開くと、そこには十字架のネックレスがあった。
「見守っていてくれよ、おっさん。」
そのネックレスを首から下げると、拳銃を握りしめ、社長室の中に静かに入る。
そこに八代はいた。部下もおらず、八代は必要以上に大きな回転椅子に座り、必要以上に大きな窓から外を眺めていた。傍には仕事関係のものなのだろうか、大きな木の箱があった。
「まさか、君がここまで来るとはな。私も、そこまでは予想できなかったよ。」
「そっちを向いていて、俺が誰だか分かるのか。」
そう言った俺の声は、情けなく震えていて、自分の臆病さを実感してしまった。八代が空気を震わせる低い声で、暗い笑いを漏らす。
「人を殺せない、平和を望む鳩だろう。黒田を始末できなかった、心優しい無能な鳩だ。」
「そうだ。そして、申し訳ねえけど、俺、死ぬの嫌だからさ。あんたも死にたくねえなら、見逃してくんねえかな。」
虚勢を張ってみたものの、やはり声の震えは止まらない。椅子がゆっくり回り、こちらを向く。切れ長の目の奥に、獲物を震え上がらせる鋭さが滲みでている瞳が光っている。深い皺がいくつも刻まれた色黒の肌に、まっすぐに伸びた白い髭は、全てを見通す博識さと相手に劣等感を植え付ける威厳が滲みでていた。
「君は烏を知っているかね?」
八代が両肘を机に乗せ、口元を手で隠す。鋭い視線が俺を捉え、唾を飲み込むことすら許さない。
「そこら辺にいる、黒い鳥だろ。」
「そうだ。そこらを飛び回っている黒い鳥だ。烏はどこにでもいる。山の奥だろうと、都会の真ん中だろうと、彼らはいる。ところで、君は気が付いたかね。」
八代はそこで言葉を切ると、口元が歪んだ。相手を見下したような、それと同時に相手に圧力を感じさせるような笑みだった。
「都会にいるのは、烏の攻撃を逃れられた鳥だけだ。」
「それが、どうしたんだよ。」
そう言いながらも、自分が八代の誘導に載っている気がしてならなかった。知らないうちに糸をつけられ、相手の都合のように動く操り人形だ。
「都会に鳶や鷹はいない。いるのは、烏に雀、そして鳩だ。」
「だから何だ!」
「分からないのかね。烏は、雀と鳩は始末することが出来ないのだよ。だから、君たちは誘導して、他の者に始末してもらう必要があった。」
八代が再び言葉を切る。何を言っているんだ。冷静になれ。考えろ。烏がもし、あの烏のことだとしたら、やつが言っていることはこうだ。
「烏は、雀と鳩は神隠しをすることが出来ない。」
「そうだ。だから、私は鷹を利用することにした。鷹は生態系で頂点に立つ生き物だからな。雀を始末するのにふさわしかった。そして、鷹は烏に敗れる。どうだ。なかなか面白いシステムだろう。」
ちょっと待て。鷹が雀を始末した?もし、俺が会ったのが本当に雀だとしたら、鷹が雀を始末したのは、その後ってことになる。俺は、雀を殺していないということだ。
でも、それ以上に気になることがあった。口を開こうとすると、唇が震え、そこから漏れる息も震えているのが分かった。
「郭公のおっさんが殺されたのも、あんたの言う誘導の一つだったのかよ。」
「その通りだ。ちなみに、私の誘導は、君が黒田の暗殺を雀に横取りされるところから始まっていたのだよ。」
銃口を八代の眉間に定める。相変わらず、拳銃を握る手は震えていた。八代は、それが分かっているのか、口元に笑みを浮かべる余裕さえあった。
「どうして、君が自分に、鳩という名を与えたのか、そして、私がそれをすんなり認めたのか、分かるかね。」
「あんたのつまらない話の間、窓の外眺めていたら鳩が横切ったからだよ。」
「違うな。」
「残念だけど、違わないんだよ。」
「君は何も実感していない。自分に不幸が起きても、解決しようともせず、見て見ぬふりをする。思考を停止する。思考を停止することで、どこにいたって同じだと思ってしまい、中途半端な気持ちでこの業界に飛び込んだ。君は無感情の殺し屋などではない。平和のなかにいて、危機察知能力を失った鳩なのだよ。」
言葉に詰まる。悔しいが、何も言い返せなかった。その通りだったからだ。俺は何も知らない。人を殺すのがこんなに罪悪感にさいなまれることも、人は犠牲を払って生きていることも、烏除けのお守りがあることも、郭公のおっさんが何をしようとしていたかも、人が嘘をつくときに同じ言葉を二回言うことも、何も。
―考えろ―
郭公のおっさんはそう言った。きっと、郭公のおっさんは、俺が何も考えずに生きていることを見抜いていたのだろう。そうだ。だから、あんなことを言ったんだ。
静まりかえった部屋の中に、廊下からエレベーターが到着する音が微かに響いてきた。
「お別れの時間だ。」
八代が両肘を机から離し、椅子にふんぞり返る。俺は事態を把握し、廊下に飛び出す。
廊下に飛び出すと、エレベーターの前で何人かが転んでいて、中の人が突然の出来事に戸惑っていた。エレベーターの前には、人と一緒に荷台も倒れていた。転んでいる八代の部下が、俺に気が付く。慌てて、非常階段のある部屋に飛び込み、上に上る。階段の下からも、声が響いてきた。
一階分の階段を上ると、そこはもう屋上だった。空には満月が昇り、星がちらほら輝いていた。金網のフェンスもなく、メッキもはがれていない新品の手すりが囲っているだけだ。俺はとにかく真っすぐ走った。
屋上の端に辿り着くと、ドアが勢い良く開き、八代の部下が決壊したダムから水があふれ出すように、一斉に飛び出してきた。その人の群れをかき分け、八代が悠然と前に出てきた。
「君は烏を信じるかね。」
八代は、老人とは思えないくらいよく通る声を発した。咄嗟に、首から下がる十字架のネックレスに目をやる。
「烏なんて、いない。いないんだ。」
嘘だ。信じているから、信じたから、俺はこのネックレスをしているんじゃないか。
「そうだ。烏なんて存在しない。烏は罪悪感に囚われた弱者が作り出した空想上の人物だ。だが、もし、それに準ずる存在がいたら?神隠しは出来なくとも、自らの手を汚さず、人を破滅に導ける人物がいたら?その人物は烏として存在することが出来ると思わないか。」
そうか。そういうことか。そんなつまらない、子供みたいな理由で、こんな大掛かりなことをしたんだな。もう、怒りも感じなかった。次に八代が発するだろう言葉を、静かに待った。
「私が、烏だ。」
八代の部下が一斉に拳銃を構えた。そこにいる誰もが、お面のように無表情だった。八代だけが勝ち誇ったような笑みを浮かべている。縁日で売っていても、とても売れそうにないお面。そう思うと滑稽で、笑いが込み上げてきた。最期の悪足掻きだと言えば、そうかもしれない。
俺は声をあげて笑った。笑いを抑えることが出来なかった。屋上に笑い声が響く。ただ、それだけだった。俺は自分のこめかみに銃口を向ける。不思議と、手の震えはなかった。
「おまえらは、俺のために泣いてくれるのかよ!」
声は屋上に響いたはずだった。それでも、やはり反応がない。突然の訴えを馬鹿にする者すらいない。これが本来あるべき姿なんだろうな。犠牲を払って、それでも平然と生きていていく。いちいち、その犠牲が必要か否かを考えていたら、きっと息苦しくて、生きていけない。
ここまでだな。引き金にかけた人差し指に力を込める。
どこからか声が聞こえた。俺は人差し指の力を緩め、声のする方を向く。すると、ちょうど手すり上に一羽の鳥が舞い降りた。鳩でも、雀でも、烏でもない。その小柄な鳥は、全身を震わせた後、透き通った声で、流暢に鳴いた。
「東京特許許可局。」




