鷹 1
プロ意識の強い『鷹』の登場です。「クライアントに素晴らしい人生を」。やっていること自体は認められませんが、こんな言葉を言ってみたいなあ、と思っています。そのためには、『力』を身につける必要がありますが・・・。
先が思いやられるなあ。
鷹
「なあ、あんたぶつかってきておいてその態度はないんじゃないの?」
人通りのない田舎の裏路地。換気扇の音が夏の夜に重く静かに響く。俺は顔のいたるところにピアスをつけている若者の顔を観察している。別段、そのスタイルに文句をつけるつもりはない。ただ、無知でやっているのならかわいそうだから助言をする。
「知っているか。顔は内臓と結びつきがある。手とか足のマッサージと同じだ。顔に穴をあけると、それに呼応したかのように内臓の調子が悪くなる。どうだ?最近体調が良くないんじゃないか?」
目の前の赤い髪を逆立たせた男とその他色とりどりの髪をした男たちと一人の女は、互いに顔を見合わせる。俺の言ったことが飲み込めなかったのか、自分達の顔にピアスがあるのか確かめているのか。どちらであっても俺には関係ない。
「やっと口をきいたかと思ったら、何だそれ?」
男たちと一人の女は嘲笑を漏らす。笑ったかと思うと、すぐに目の前の男は表情を変え、俺の胸倉をつかむ。予想通りの反応だ。人間の行動は意外に単純だ。
「俺はな、おっさん。誠意を示せって言ってんだよ。カツアゲなんてちっぽけなことは考えてないんだよ。」
「なるほど、それは立派だな。ちなみに俺は二十九だ。おっさんと言われるのは抵抗がある。」
頬に拳が当たる。俺は相手に気付かれないように拳の動きに合わせて首をひねる。相手に手ごたえを与えつつ、こちらのダメージを減らす。その加減が大事だ。
「俺は二十三だ。あんたは十分おっさんだろ。っていうか、二十九にもなって謝罪の仕方も知らねえのかよ。」
男の腕に力が入る。どうやら、この男は自分が馬鹿にされたことに腹を立てているらしい。よく分かる。もし、俺が「馬」という名前で、知り合いに「鹿」という名前をした奴がいたら、肩をすくめ苦笑いをするだろう。
「悪かった。俺は「馬」じゃないし、おまえは「鹿」じゃない。そのことに感謝しよう。」
男の眉間にしわが寄る。何言ってんだこいつ、という言葉に周りの男たちと一人の女は笑う。男の手が緩むので、俺は男の手を振り切る。
「さて、俺は何をすればいい?」
男たちと一人の女は顔を見合わせる。またピアスの確認か?
「何すればいいって、おっさん、謝罪したことねえの?」
「あるのかもしれない。ただ、覚えていない。」
赤髪の男が一歩後ずさりする。まるで幽霊でも見たかのような顔をする。もちろん、俺は幽霊ではない。仲間と何やら話し始めた。「マジかよ」とか、「ヤベ―よ」とか、「もうほっとこうよ」とか聞こえる。
しばらくして、男たちと一人の女は俺の横を通り過ぎた。通り過ぎるとき、軽い舌うちの音が何度もした。わざとぶつかってくる奴もいた。なんだ、諦めるのか?
「なんだ。もういいのか。なんだってしてやるのに。」
その一言で俺の横を通り過ぎようとしていた緑の髪をした男が振りむき、殴りかかってきた。俺は先程のようにそれを受け流す。次から次へと拳や足が繰り出される。俺は一つ一つ丁寧に受け流す。男は一人でがむしゃらに拳を打ちつけてくる。その拳の一つ一つはあまりにも軽く、弱々しく感じた。
俺への暴力がやんだかと思うと、緑の髪をした男は肩で息をしていた。
「ふ・・・ふざけん・・・なよ。てめえ・・・みたいな奴が・・・一人前に生きられると思うなよ!」
最後の方は、叫び声になっていた。まるで、不甲斐ない自分に対する怒りを俺にぶつけているように感じた。実際、そうなのだろう。
俺はゆっくり立ち上がる。緑の髪をした男は膝に両手を置いている。俺は深く息を吸い、吐き出す。
「俺はおまえらを尊敬する。自らの個性を周りに埋没させるのではなく、懸命に声にならない声で叫び続けるおまえらを。俺はおまえらの人生のほんの一部も知らない。しかし、おまえらは懸命に生きている。それは揺るぎない真実だ。そしてそれは全ての、今を生きる人間にあてはまる。誰がその『生きる』という行為を否定できるだろうか。俺は断言する。生きていることは素晴らしい。」
緑の髪をした男が顔を上げる。その他の色とりどりの髪をした人々も俺を見る。俺の次の言葉を待ち、沈黙を保つ。緑の髪をした男に左手を伸ばす。そして、気付かれないように右手を腰から下げているものに伸ばす。
「俺はそう思う。」
緑の髪をした男はゆっくりと、震える手で俺の手を握る。俺もその手を握り返す。これ以上ないくらい力強く握りしめ、右手を男の首めがけて振る。
その場の空気が凍りつき、時間が止まった。鋭利な刃物が男の首に突き刺さり、切り裂く。手にはその重さが伝わる。首から赤黒い液体が吹き出す。ナイフを首から引き抜くと、その勢いが増した。男の目はどこか遠くを見ていた。安らかに、天国とやらを見つめているのだろうか。
突然の出来事にその場にいた男たちと女は静止している。俺はその膠着状態が解消される前に近づき、立て続けにナイフを振る。男たちは声も出さず倒れていく。出るのは赤黒い鉄の味がする液体だ。俺はその場にいた唯一の女の後ろに回り、首筋にナイフを当てる。女はヒッと小さく息を吸う。
「静かにしろ。」
俺はいつも、このセリフに意味はあるのかと思わざるを得ない。すでに目の前では理由も分からず人が殺されている。それなのに、静かにするだろうか?静かにすれば助かると思ってしまうのだろうか?
だが、実際人は不思議なくらいに大人しくなる。簡単だ。人は自分は特別だと思っている。大人しくしていれば、自分だけは助かるのではないかと思うのだ。
「質問は三つ。一つ10秒以内だ。」
「どうして―」
「質問の意味がよく分からない。あと二つだ。」
「どうしてこんなことするのよ。」
「こんなことって何だ?もっとはっきり聞け。あと一つ。」
「何で殺されなきゃいけないのよ!」
女は叫ぶ。やはりな。みんな同じことを言う。そして、皆この質問で終わる。
「依頼されたからだ。おまえら、人の人生踏みにじったらしいな。サイトウ ヒトミさんの彼氏さんからの依頼だ。覚えているか?覚えてないよな。」
人生の踏みにじり方というものにはいろいろ方法がある。それをいちいち列挙するのもうんざりするぐらい、数が多いうえに悪趣味だ。ただ、はっきり言えることは人生を踏みにじるということは人殺しに値する。そんなことすら知らない奴らが多くなってきた気がする。知らないから気にしないし、忘れる。現に、目の前の女は人生を踏みにじった相手の名前を聞いてもわずかな反応もなかった。
「殺してくれ、だそうだ。いい彼氏さんだ。涙ながらに頼んできてな。あいつらが生きていると思うと、俺が生きていけないって泣きながら頼んできた。泣いてたんだぞ、その彼氏さん。葛藤してたよ。苦しんでたよ。感動したよ。だから、俺はさっきみたいな話をその人にしてやってな、表向き説得して断った。そして、俺はこうして依頼を実行しに来た。何でか分かるか?」
女の息遣いが聞こえる。女の口から漏れ出る息は震え、慄く。答えられそうもない。
「善良な彼氏さんに罪の意識を背負って欲しくないんだよ。こんなくだらないことで。俺は依頼を断った。けど、おまえらは殺された。そういうことにしたいんだよ。それが俺のスタイルだ。『クライアントに素晴らしい人生を』。それが俺のモットーなんだ。」
女は金色の髪を震わせる。聞いてないか。今までこの話をまともに聞いたターゲットはただの一人もいない。
「天国で謝ってこい。」
俺は女の吐く息が叫び声になる前にナイフを刺す。
俺は若者たちの懐をまさぐる。魂を失った肉体というものは重い。この肉体があんなに滑らかな動きをするとは信じがたい。俺は財布から何枚か紙幣を抜き取る。
これが大体の俺の報酬だ。お偉いさんの依頼のときは本人から報酬をもらうこともあるが、こうした一般の依頼のときはクライアントに報酬を求めることはない。『クライアントに素晴らしい人生を』。それが俺のモットーだからだ。
不自然にならないくらいの枚数を残し、財布をまた懐に戻す。さらにズボンのポケットに手を入れ、携帯電話を抜き取り、代わりに俺の持っている携帯をポケットに入れる。正確には、前のターゲットの携帯電話だ。
俺は作業が終わると血のついた黒いコートを脱ぎ、その場に投げ捨てる。このコートや携帯電話から、警察は何か手がかりを得てもおかしくはないとは思うのだが、今までそんなことは一度もなかった。念のため、表に出回っていない情報まで確かめたが、全くの迷宮入りらしい。
ただ、情報を集めているうちに気になる情報を耳にした。俺はいつも血のついた黒コートを投げ捨てて行く。なにか理由があったように思うのだが、今ではもう覚えておらず、ただの習慣になってしまっている。情報によると、そのスタイルに限りなく近いことをする奴がいるらしい。
そいつは黒い羽を残す。現場には、死体も血も何もなく、ただ黒い羽が落ちているだけらしい。ただ黒い羽が落ちているだけだろう、と俺は初め相手にしていなかったが、どうもこの業界では有名らしい。何人もそいつに『神隠し』されたらしい。
そいつの名前は『烏』。俺の名前は『鷹』。誰にも見えない暗殺者。
俺は裏路地を出る。そのとき、爆発音が静かな夜に響く。爆発音が俺の体を震わせ、ビルを震わせ、地面を揺らす。見上げると、煙が立ち上っている。どうやら、花火ではないようだ。方角から判断すると『黒田』の屋敷の方だった。そういえば、今日は『黒田』の屋敷で誕生パーティーがあるんだったな。
どこの殺し屋か知らないが、また派手にやったな。俺は意識することなく煙の立ち上る方に足を向ける。