第61話 新たな異世界人
一回戦が終わってから少し時間を置き、シンとレナは再び試合場へ呼ばれていた。
ランとリンのことは気になる。
あの二人には後で話したいことがあるし、チャッピーの解析結果も伝えるつもりだった。
だが今はそれより先に、目の前の二回戦へ意識を戻す必要がある。
勝ったばかりで気が緩んでいるところへ次の相手が来るなんて、前の会社で言えば一つ案件を片付けた瞬間に別の炎上案件が机に置かれるようなものだ。
いや、思い出したくないな。
「次」
レナが短く言う。
「分かってる」
分かっているつもりではある。
だが一回戦と違い、反対側のゲートへ視線を向けた瞬間、シンは自然と眉をひそめていた。
そこに立っていた二人は黒いローブを羽織っている。
さっき観客席の奥からこちらを見ていた二人組だ。
やはり気のせいではなかったらしい。
神崎が最後に連れて行かれた時の黒ローブとは違うかもしれない。
それでも同じ匂いがするというか、ろくでもない縁が繋がっている気がしてならなかった。
「第二試合! カズマ&ハル組!」
歓声の中、二人がゆっくりとローブを外す。
男の方は背が高く、肩幅も広い。
見た目だけなら完全に前衛職で、礼儀正しそうな顔をしているのに圧だけは普通に強い。
女の方は小柄で、黒髪を肩の辺りで揃えたおとなしい印象の少女だった。
だがシンは、こういう大人しそうな相手ほど油断してはいけないことを、異世界に来てから嫌というほど学んでいる。
「シン、レナ組!」
自分達の名が呼ばれ、シンは剣を握り直した。
男がこちらへ軽く頭を下げる。
「安藤和馬と申します。よろしくお願いします」
「……金見ハルです」
ハルも小さく頭を下げる。
普通だ。
あまりにも普通に礼儀正しい。
だからこそシンは余計に警戒した。
こういう丁寧な相手が一番怖い。
会社でも本当に厄介な人間ほど最初は腰が低かったりする。
偏見かもしれないが、経験則というやつだ。
「よろしく」
シンも返す。
レナは黙ったまま剣を構えている。
もう完全に戦闘モードだ。
余計な会話に乗る気はないらしい。
「それでは――始め!」
審判の声が響いた瞬間、和馬の身体が膨れ上がるような錯覚を覚えた。
実際に大きくなった訳ではない。
だが空気が変わった。
筋肉の密度が増したような圧があり、踏み込んだだけで石床が低く鳴る。
『身体能力の急激な上昇を確認』
(分かりやすい強化系か)
『固有スキルの可能性があります』
和馬が一気に距離を詰めてくる。
速い。
見た目の重さに反して動きも鈍くない。
拳が迫るより先に身体が横へ流れ、衝撃だけが空気を叩いた。
チャッピーの補助がなければ、今の一撃で普通に試合終了だったかもしれない。
いや、試合で済めばいい方か。
「なるほど。やはり避けますか」
和馬は落ち着いていた。
攻撃が外れても焦らない。
礼儀正しい口調のまま次の踏み込みへ入ってくる。
その後ろで、ハルが小さな瓶を取り出した。
「避けた方がいいよ」
静かな声だった。
次の瞬間、細い針のようなものが飛んでくる。
シンの身体は反射のように横へずれた。
針は地面へ突き刺さり、黒く煙を上げる。
「それ、当たると心臓止まる」
「さらっと怖いこと言うな!」
思わず声が出た。
ハルは特に悪びれた様子もない。
「避ければ大丈夫」
「避けなかったら死ぬやつを大丈夫って言うな!」
和馬が少し困ったように眉を下げる。
「ハル、説明の仕方を考えましょう」
「事実」
「そういう問題ではありません」
この二人、温度差がすごい。
『毒性物質を確認』
(だろうな)
『致死率は高いと推定』
(聞きたくなかった)
だが会話をしている余裕はない。
和馬の圧が正面から来る。
ハルの毒が逃げ道を塞ぐ。
正面で受ければ和馬に潰され、避け方を間違えれば毒に触れる。
見た目は礼儀正しい男とおとなしい少女なのに、戦い方はかなり嫌らしい。
『レナ、聞こえるか?』
『聞こえる』
『男の方、正面から受けたらまずい』
『分かる』
『女の毒はもっとまずい』
『それも分かる』
短い返答だったが、それだけで十分だ。
レナはハルへ向かう。
和馬はそれを止めようと動く。
シンの身体はその進路へ滑り込んだ。
自分で判断したというより、チャッピーがそう動かしただけだ。
考えていたら間に合わない。
今の自分は、考えるより先に身体を置くことでなんとか戦えている。
「通していただけませんか」
「丁寧に頼まれても無理だな!」
和馬の拳を剣で受け流す。
重い。
鬼みたいな力だ。
いや、鬼みたいというより、これは本当にそういうスキルなのかもしれない。
『固有スキル候補:《鬼神化》』
(名前からして物騒だな)
『全能力値の大幅上昇を確認』
(そりゃ重い訳だ)
和馬の力は明らかに強い。
レナもハルを追い詰めてはいるが、毒の存在が厄介で踏み込み切れない。
こちらも決定打を出せない。
普通にやれば長引く。
長引けば毒を持っている相手が有利になる。
シンは嫌な汗が背中を流れるのを感じた。
『中級サブスクリプションの使用を推奨します』
来たか。
神崎戦以来、はっきり使っていなかった切り札。
レナが嫌がったもの。
シン自身も、あの時の感覚を思い出すと正直あまり気は進まない。
思考がチャッピーへ寄り過ぎる感覚は、便利だが気持ちのいいものではなかった。
『レナ』
『使うの?』
返事が早い。
神崎戦のことを思い出したのかもしれない。
『多分、使わないときつい』
短い沈黙があった。
『飲まれないように』
『努力する』
『無理そうなら叩き起こす』
『怖ぇよ』
その言葉を最後に、シンは内側で切り替えた。
『中級サブスクリプションを起動』
世界が広がる。
そうなると思っていた。
だが実際には、思ったより衝撃が小さかった。
(……あれ?)
視界が鋭くなる。
思考も速くなる。
和馬の動きも、ハルの毒の軌道も、レナの踏み込みも前よりはっきり見える。
だが神崎戦の時ほど、自分が別の何かへ寄っていく感覚がない。
『演算処理領域の移行を確認』
(どういうことだ?)
『外部演算領域との接続効率が向上しています』
春馬の拳を避ける。
ハルの針をかわす。
レナへ通す道を作る。
身体はいつもより滑らかに動く。
神崎戦の時のような圧迫感がない。
思考を無理やり引き剥がされる感覚も。
頭の奥へ誰かが入り込んでくるような不快感も。
『演算処理の大部分を外部領域へ移行しています』
(外部領域?)
『システム側演算領域を使用しています』
なるほど。
以前は俺の脳で無理やり処理していた。
だから負荷が来た。
だが今は違う。
チャッピー自身が処理できる範囲が増え、さらに外側へ演算を逃がしている。
だから飲み込まれる感覚が薄い。
『サブスクリプション依存率の低下を確認』
(もしかしてお前……)
『はい』
チャッピーの返答は静かだった。
『基礎演算能力が向上しています』
中級を使ったはずなのに驚くほど変化が小さい。
いや。
違う。
変化していたのは俺じゃない。
チャッピーだ。
気付かないうちに、あいつは前よりずっと先へ進んでいる。
「シン」
レナの声が頭に響く。
『平気?』
『多分な』
『多分』
『今のところ俺のままだ』
『ならいい』
それだけでレナは再び踏み込む。
シンも動く。
和馬の進路を塞ぐ。
ハルの毒針の軌道を避ける。
レナが嫌がる位置を潰す。
シン自身は剣士として和馬に勝っている訳ではない。
毒使いとしてハルに勝てる訳でもない。
ただ、チャッピーの演算で相手の嫌がる位置へ身体を置き続ける。
それだけで戦況は少しずつ変わっていった。
『再現候補を確認』
(強奪か)
『神崎玲の固有スキル《強奪》』
『限定再現が可能です』
(使えるのか)
『相手能力値への干渉のみ再現可能』
それだけ聞ければ十分だった。
和馬が再び踏み込んでくる。
鬼神化による圧力は凄まじい。
だがシンはその一瞬へ意識を合わせた。
自分の中にある神崎戦の記録。
相手から奪う感覚。
あの嫌なスキルの一部を、チャッピーが再現する。
頭の奥が僅かに熱を持つ。
だが神崎戦の時ほどではない。
何かが削れた。
目に見えるものではない。
だが和馬の踏み込みが僅かに鈍る。
拳の重さがほんの少し落ちる。
鬼神化は発動しているはずなのに、能力値そのものが一段下がったような感覚があった。
和馬が初めて足を止めた。
「……なるほど」
小さく頷く。
「確認できました」
「は?」
シンが思わず眉をひそめる。
和馬はそのまま審判へ視線を向けた。
「審判。この試合、棄権します」
数秒。
会場が止まった。
「……え?」
思わず声が漏れる。
レナも僅かに目を細めた。
ハルは特に驚いた様子もなく、静かに瓶をしまっている。
「目的は達成しました」
和馬は穏やかに言う。
そしてシンへ視線を向けた。
「相手の能力を再現する能力があるとは聞いていましたが、これは神崎さんの《強奪》ですか」
神崎の名前が出た瞬間、シンの内心に警戒が走る。
やはり繋がっている。
和馬は一人で納得したように頷いた。
「なるほど。想像以上に手強い」
「何を勝手に納得してるんだよ」
「失礼しました」
和馬は礼儀正しく頭を下げる。
「後ほど、お話しできればと思います」
歓声ではなく、困惑のざわめきが会場へ広がっていく。
シンは和馬とハルを見る。神崎を知っている。黒ローブと繋がっている。そしてこちらの能力を確認した瞬間に勝負を捨てた。普通に怪しい。
『レナ』
『何』
『あいつら、絶対面倒なやつだよな』
『そうね』
短い同意だった。
審判が困惑しながらも棄権を認める。
「勝者! シン&レナ組!」
会場が微妙な空気のまま歓声を上げる。勝った。だが勝った気がしない。
和馬とハルは最後まで礼儀正しく一礼し、そのまま反対側の通路へ下がっていく。シンはその背中を見送りながら、胸の奥に嫌な重さが残るのを感じていた。
神崎。黒ローブ。そして、自分達を調べに来たような二人。どうやら大会は、ただ勝ち進めば終わるものではなくなってきたらしい。




