1. 少女と喧騒
ベッドの上で、少女がひとり眠っている。
粗末な部屋だった。壁はところどころ塗装が剥げており、床のタイルは黒ずみが目立つ。行きかう人の声やまれに飛ぶ怒号は、閉め切った部屋の中まで届いた。
どこにでもある安アパートの一室。しかし、ベッドの上で眠る少女は、その場に似つかわしくない美しさだった。
斜陽に照らされた長い髪は透き通るように白く、その肌も白磁のごとく滑らかだ。長い睫毛に縁取られた瞼がゆっくり持ち上がると、澄んだ緑の瞳がひときわ映える。
少女の瞳が簡素なアルミ製の扉に向けられると同時に、ノックの音が響いた。
「セーキナちゃん、ディーが仕事とってきたって。依頼の仲介役と待ち合わせてるのが屋台通りだから、夕飯がてら行く話になったよ」
セキナと呼ばれた少女は起き上がり、枕元にあった端末で時間を確認する。
「わかった、今行く」
返事をしながら、ベッドの下に置かれたハイカットスニーカーを手繰り寄せる。無造作に丸められた靴下を取り出して履き、セキナは手際よく身支度を始めた。
靴を履いて立ち上がると、ベッドの隅に置かれたホルスターを手に取る。それを慣れた手つきで腰に巻くと、サイドチェスト二段目の引き出しを開け、一段上の底に手を伸ばした。そこにはガムテープで固定された自動拳銃があり、手探りでそれを剥がすと、腰のホルスターへ収める。
ベッドの柵に掛かっていた厚いジャンパーを羽織れば、小柄なセキナの股関節まですっぽりと包まれ、拳銃は一見して分からなくなる。
夜の街へ繰り出すなら、最低限必要な支度であった。
◇◇◇
人あるところに屋台あり。
中層ビルが立ち並ぶ大通りには、移動屋台が並んでる。屋台から付かず離れずの距離で、残飯のおこぼれにあずからんと浮浪者たちが点在していた。
「ごめん、遅れた。急患が来てさ……もう、依頼の仲介役とは話終わった?」
人の波を縫って、十代半ばといった見た目の青年――ニグモイが、セキナたちの元へやって来た。暗い赤の髪が印象的な青年だ。
「ううん、今から」
セキナが無機質な声で答え、その隣にいた女――エンも笑顔で返した。
「待ち合わせがラーンゴシュの屋台だから、もう少し北のゾーンだよ。闇医者見習いも大変だねぇ」
エンは向かっていた方向を指差して歩を進める。セキナとニグモイも、それに連れ立って歩き出した。
「遅れて悪かったって、茶化すなよ。別に話をすんのはエンとディーだし、俺やセキナは立ち会わなくても大丈夫だろ?」
「まあね。でもこの時間帯に女ふたり連れは危ないでしょう?」
ねえ、とエンが首を傾げれば、太く結われた三つ編みが揺れた。上背のあるエンはニグモイより身長が高く、遠目から見れば細身の男に見える。 ニグモイはそれを指摘するか、一瞬悩んで止めた。
「そうだな、ディーが居てくれりゃ安心なんだけど」
『無茶を言うな、俺は外に出られないって言っただろう。そもそも、危ない目に遭うとしたら、この二人に手を出す奴の方だ』
セキナの持つ端末から声が上がる。三十代半ばといった男の声だ。その声に、エンは笑顔のまま肩をすくめた。
「ディーより、ニグモイ君の方がよっぽど紳士だね。ハッカーって奴は、みんなこう偏屈な性格なのかな」
「それは流石に偏見じゃね……?」
会話する二人を静かに横目で眺めていたセキナが、眉をひそめて足を止める。大通りから外れた路地を見つめ、訝しげに呟いた。
「悲鳴?」
「え、俺はなんも聞こえなかったけど……」
ニグモイも足を止めて路地を見つめたが、諍う様子は見受けられない。すると、ディーがため息を零し、セキナが持つ端末のディスプレイに明かりが灯った。
『……なるほど、運が悪いな。仲介役がチンピラに絡まれてる』
セキナが端末を差し出すと、そこには誰かが撮ったであろう写真が映し出されていた。粗末な屋台の前、祭服のようなボロ布を纏う数人が仲介役の男を囲んでいる。
「わあ、絵に描いたようなカルト・ギャング。隠れて様子見る?多少殴られてから助けた方が、ありがたみ増すよねぇ」
「んな事、言ってる場合か!」
のんびり眺めている間に、仲介役が生け贄にされても不思議ではない。路地へ走り出したニグモイに、セキナが追従する。
路地の先は4メートル程の高さがある崖地になっており、先ほどの画像から現場は崖下の屋台街だと推測がついていた。高低差の激しい土地で、治安も高さに準じている。路地を抜けたところで、ディーが呟くように警告した。
『あまり派手に暴れると、サツに目を付けられるぞ』
「それをなんとかすんのが、ディーの仕事だろ!――あれか」
ニグモイが見下ろした先に、目当ての集団がいた。仲介役の胸倉をつかむ男が一人、その周りを囲む四人、計五人のギャングだ。そのうちの数名は、鉄パイプに有刺鉄線を巻いたメイスもどきで武装している。
「セキナ、あっちの階段から挟み撃ちで――」
「大丈夫、任せて」
セキナが言葉を遮って、ニグモイに端末を預ける。意図が掴めず訝しむニグモイをよそに、セキナは崖際の鉄柵を乗り越えると、そのまま崖を飛び降りた。
「あんの馬鹿……!」
ニグモイが慌てて崖下を見下ろすと、回転で着地の衝撃を吸収したセキナが立ち上がったところだった。
『……絶対に、真似するなよ』
「誰がするかっ!」
ニグモイは当初の予定通り、階段に向かって走り出す。セキナはその様子を横目で眺めてから、屋台街へ向かった。
(ニグモイは急患で忙しかったから、私が全部やるのに)
まったく伝わっていない気遣いをしながら、セキナは屋台街を進んでいく。そして、さりげなく腰のホルスターに触れ、拳銃が収まっていることを確認した。
ギャングを目視で確認できる位置につくと、セキナは目だけで周囲を見渡す。セキナの視線は仲介役、次にそれを捕まえている男、その後ろに控える二人組の順に向けられた。仲介役を捕まえる男の背後を取るには、まず後ろの二人組を排除する必要がある。
セキナは短く息を吸うと、上半身を前に傾けて勢いよく走り出した。
「なっ――!?」
自らの真横に躍り出たセキナを見て、ギャングの男が驚きの声を上げる。
虚を突かれた男の腰に飛び上がったセキナの片足が突き立てられ、何と思う間もなく踏みしめるような蹴りを入れられていた。
蹴りの衝撃で男の腰が押し出されるような形で曲がり、傍らの仲間を巻き込みながら地面に転倒する。セキナは蹴った反動を使って宙返りをすると、軽やかに地面へ着地した。
「テメェッ!」
胸倉を掴んでいた男が、その手を放して振り返る。しかし、セキナは次の行動を許す隙を与えず、男の股間を蹴り上げた。
数十メートル先、その瞬間を見てしまったニグモイとディーが、揃って同情の声を上げる。
「うっわ……」
『惨いことを……』
残り二人。まだ距離のあるニグモイが、自動拳銃を構える。メイスもどきを振り上げた女の義足が打ち抜かれ、嫌な音を立ててひしゃげた。バランスを失い、地面に叩きつけられた女を見たセキナは、撃とうとしていた自動拳銃に安全装置を掛けてホルダーに戻す。
倒れた仲間たちを前に、一人残った男はとうに戦意を失い、狼狽えていた。
「君、ひとりになっちゃったね。どうする?まだ頑張る?」
男の肩に、するりと背後から手が置かれる。いつの間にか現れたエンの囁きに、男は恐怖の叫びをあげて逃げ出していった。エンは笑顔でそれを見送りながら、手を振る。
「た、助かった……あんたらは……」
尻もちをついた状態で辺りを見渡した仲介役の男と、ニグモイの目が合う。
「C.サイトで依頼を受けた、何でも屋だ。あんたは、カレル……だったよな?」
「あ、ああ。俺が仲介のカレルだ」
「うんうん。じゃあ、ひとまず場所を変えようか。ここじゃ、落ち着いて話もできやしないからね」
そう笑ったエンが先導して一行は歩き出す。
誰も何故カレルが襲われていたかは尋ねなかった。この屋台街は貧民窟に近い。慣れない余所者が迷い込み、こんな目に遭うのは日常茶飯事だからだ。
しばらく歩いたところで、ニグモイが気まずそうに切り出す。
「……余計な口出しかもだけどさ。あんた、長く生きたいなら仲介屋は止めとけよ。中央が出してる情報を鵜呑みにしたんだろうけど、ちゃんと調べりゃこの辺の治安が悪いのは分かるし……向いてねぇよ」
年下相手の言葉だったが、カレルは反発することなく素直に頷いた。
「これを最初で最後にするさ。金欲しさと同情で仲介を引き受けちまったが、もう懲り懲りだ」
「同情?」
不思議そうに尋ねるエンに、カレルは頷く。
「行方不明になってるのが、子供でな……。聞きに来た奴と同じ髪と目の色ってことだったから、身内か何かなんだろう」
「なるほどね。子供の特徴は?」
エンに問われ、カレルが耳の後ろを二回叩いた。脊髄接続器が起動し、本人の網膜上に半透明のメニューが並ぶ。視線の動きで聴覚履歴のメモが開いた。
「白い長髪に緑の瞳、身長が140センチくらいの……女の子だ。歳は10代前半くらいで……」
カレルの言葉を聞いていたニグモイが、セキナの方を見る。まったく同じ特徴を持つセキナは無表情で、カレルを見上げていた。
「名前は、セキナって言ってたな」
網膜上のメニューから目を離したカレルと、セキナの目が合う。そして、セキナは表情を変えることなく答えた。
「この街じゃ、珍しくもない見た目だね」




