<三十>
結構、間が空きました。
いよいよシィン編です。
シィンの前に立ち上がったのは黒い仮面を付けた影だった。
その仮面には目も鼻もない無貌だった。
<-走査……失敗、再走査……失敗、特定不能->
影に感情があるとしたら困惑していた、というのが適切だろう。
目の前の対象の心傷を走査しても、最大のものが見つからないのである。
「オマエ ハ ニンゲン デハ ナイノカ?」
その問いに目の前の対象は素っ気ない応えを返した。
「人間だ。」
「デハ ナゼダ?」
そう言うと影の顔が次々と変化していく。
アルフォード。
ビロウズ。
父親。
母親。
かつて母と呼んだ人。
兄と呼んだ人。
妹と呼んだ人。
師匠や仲間。
さらに昔、親友と呼んだ人…。
無数の人の顔に次々と変わりながら、影は一人に決めることができない。
「ナゼ オマエノ トラウマハ トウシツナノダ?」
「全てが俺の罪だからだ。」
その応えは影の求めるものではなかったが、現状では目の前の対象の最大の心傷を見つけ出すことはできない。影は次の段階に移る事にした。
「デハ オマエノ キョウフカラ エラボウ。」
そう言うと影は、黒い「存在」に姿を変えようとした。
が、その途中で不自然な停止をするとまた逆戻しのように元の無貌の影に戻った。
<-警告、容量不足、変形の結果、自身の破損の可能性98.7%->
対象の「恐怖の存在」は影には再現不可能だった。
影は最終の段階に移行することを選択した。
「ダイニジ ノ プロセスモ ムコウ。ダイサンジ ニ イコウ。」
そう告げると、影は再び変形を始めた。
最終段階は最も古い心傷を選択すること。
今度はスムーズに変形は終了した。
そこにいたのは、ほっそりしたシルエットの一人の女性だった。
「久しぶりだね、シィン。」
その声。
こちらを見る時に少し首を傾げる仕草。
それは忘れることができない女性だった。
「アイシャ…。」
思わず名前が唇から漏れる。
かつて自分が愛した。
かつて自分を愛してくれた。
そして…。
「ねえ、憶えてる?あの日のこと。」
その意味はすぐにわかった。
もちろん忘れるはずはない。
目の前の女性を殺した日のことは。
例え何百年経とうと、決して忘れるはずはない。
それが自分の復讐の原点だから。
全てはあの日から始まったのだから…。
その日。
シィンはアイシャとの待ち合わせ場所に向かって、薄暗い町並みを急いでいた。
もう少し速く行くつもりだったのだが、丁度取りかかっていた魔法実験から手が離せなかったのだ。
シィンの肩書きは王立魔法研究院所属、1級魔導士。
今回の魔法実験を成功させることができれば、特級魔導士も夢ではなかった。
(アイシャは拗ねてるだろうな。ディンのパイで手を打ってくれればいいが…。)
そんなことを考えながら、シィンはアイシャの顔を思い浮かべていた。
そんな彼を追うかのように、蝙蝠が薄暗い町並みをヒラヒラと飛んでいた。
が、シィンはもちろん、街を行き交う人々の誰もがそんな物を気にも留めなかった。
ここはエルシューン最大の王国、グランディアの王都エル=グランディアなのだ。
幾何学的に張り巡らされた街路をグルッと取り囲むように巨大な城壁が取り囲む城壁都市である。
街の人口は30万人。常駐する近衛軍も2万を超える。
過去に一度も、魔族や魔獣の侵攻を許したことのないグランディアが誇る巨大都市であった。そんな王都の中に不安などあるはずがなかった。
待ち合わせの場所に来た時、シィンは訝しげに周囲を見回した。
(アイシャがいない?)
まさか遅すぎて、怒って帰ってしまったのか、という考えが一瞬頭をよぎったが、すぐにそれは無い、と思い返す。
(アイシャの性格なら、ここで待っていて俺に文句を言うはず…。)
周囲は間もなく街灯に魔法の灯りが灯り始める時刻になっていた。
道を行き交う人々も家路に向かう様子の人が増えてきていた。
その時、シィンの耳に自分を呼ぶ声が聞こえた。
「…シィン。」
その声のした方を見ると、アイシャが近くの路地から手招きしていた。
「どうしたんだ、そんなところで。」
そう声を掛けながら近づいていくシィン。
アイシャはシィンに手招きをしながら、
「こっち、こっち。」
と言って路地の中に入っていく。
何か見つけたのか、と思いシィンは追いかける。
アイシャはずんずんと進んでいく。
「待てよ、アイシャ。」
シィンは声を掛けるが、アイシャは止まらず、
「シィン、早く。」
とだけ言うと路地の曲がり角に消える。
慌てて追いかけたシィンが、そこで眼にしたものは。
袋小路になっている行き止まりの路地裏、そして。
路上に崩れ落ちるように倒れるアイシャの姿だった。
「アイシャ!」
慌てて駆け寄るシィン。
アイシャは気を失っている様だった。
とりあえず抱き上げようとしたシィンは、後ろから凄まじい衝撃を受けて意識を刈り取られた。
意識を失った2人の傍らにいつの間にか黒い影のような「存在」が現れていた。
その「存在」は赫い二つの光で2人を見つめると、2人ごとその場から消えた。
そして、袋小路はまた無人へと戻った。
※ディンはリンゴと洋ナシを合わせたような果物。リンゴの味のする洋ナシ、という感じの食感がする。そのままで食されることも多いが、パイなどの焼き菓子に使われることも多い。
※グランディアはカイト達の時代から300年ほど前に栄えていた王国。現在はすでに存在していない。シュメル王国とザナス王国のある場所を版図にしていた大国であった。強大な国であったが一夜にして滅んだ、と言う伝説が残っている。
続く…。
シィンの過去になるとやっぱり長くなりました。




