第二十一話 希望
ずるるっ――。
カイロスは無表情のまま、うどんをひと口、大きくすすった。
(……なんで俺、ここでうどん食べてるんだ?)
カイロスは周囲を見回した。
室内はまるで倉庫のようで、あちこちに様々な鍛冶用の素材が山積みにされていた。
部屋の隅には何本もの木の棒が立てかけられ、机の脇には、まだ打ちかけの剣が無造作に置かれていた。
デックは、まだ台所を慌ただしく行き来していた。
テーブルの上には、空になったどんぶりが五つ積まれていた。そのすべてを平らげたのは、カイロスである。
当のデックは、まだ一口も口にしていなかった。
「何よりも大事なのは飯だ! ほらほら! 俺の自慢のうどんだ!」
デックは手慣れた様子で茹で上がったうどんを湯切りし、器に盛った。
そこへ熱々の出汁をたっぷり注ぎ、軽く味を調え、最後に半熟の白羽鶏の卵を一つ落とした。
こうして、湯気の立ち上る一杯のうどんが出来上がった。
金族を代表する名物料理といえば炭火焼き肉だ。
しかし、デックがとりわけ愛してやまないのは、水族の名物であるうどんだった。
本人曰く――
「稼いだ魔晶の半分は、各地のうまいもんを食べるために使ってる!」とのことらしい。
「ほら! どんどん食え!」
デックは出来たてのうどんをカイロスの前に置くと、すぐさま振り返り、次の一杯を作ろうとした。
「ちょ、ちょっと待って! もう五杯も食べたよ!」
「えっ? まだ五杯しか食ってないのか?」
「これで最後! 本当に最後だから!」
カイロスは慌ててうどんをすすり始めた。
一刻も早く食べ終えなければ、また新しい一杯が目の前に置かれてしまいそうだった。
デックは納得したように頷くと、手に持っていたどんぶりを置き、戸棚から今まで使っていたどんぶりの十倍はありそうな特大のどんぶりを取り出した。
「それ……君のどんぶり?」
「おう! まさか、お前がそんなに少食だったとはな。」
(……五杯食べて、少食なの?)
二人はうどんをすすりながら、とりとめのない話を続けていた。
「へぇ~、炎族って本当に火山があるんだな!」
「僕も、金族に鉱山があるなんて思わなかったよ。」
目の前で腹を抱えて笑っているデックを見ながら、カイロスは心の中で思った。
(……この人、めちゃくちゃ話しやすいな。)
「そうだ! 最初に俺を探してたのって、何か用があったからだろ?」
「え? えっと……前からお名前は聞いてて……」
「いや。俺は頭は良くないけど、それが本当の理由じゃないことくらいは分かる。」
カイロスの笑顔がぴたりと止まる。
彼の視線は、傍らに置かれたリュックへと落ちた。
――あの日記は、今も静かにその中にしまわれていた。
脳裏に、鉄震の年老いた顔が再び浮かぶ。
――「あの子に届けてほしい。」
(……待てよ。最初にあのおじさんが頼んだことって、何だったっけ?)
――「息子の部屋へ元どおりに戻してほしい。そして、本人には決して気づかれないように。」
たった二言。
だが、その意味はまるで違っていた。
カイロスは静かに考え込む。
(あのおじさんが本当に望んでいたのは、誰かが代わりに日記を返すことじゃない。)
(誰かが代わりに――最初の一歩を踏み出してくれること、なんだ。)
そう思い至ると、カイロスは静かにリュックへ手を伸ばした。
「デック……。」
カン――カン――カン――。
規則正しい槌音が、絶え間なく耳に響く。
エイラとエイノは当てもなく歩き続けていた。
見渡す限り、同じような家ばかりが並んでいる。
(……ここ、どの道も同じに見えるんだけど。)
二人は顔を見合わせた。
(迷った。)
その時だった。
背後から、不意に聞き覚えのある声が響いた。
「あっ! やっと見つけた!」
次の瞬間、一つの人影が勢いよく飛びつき、そのままエイラの背中にぶら下がった。
「降りて。」
「二人だけなの?」
「……別行動。」
「もしかして、道に迷った?」
エイラは何も答えなかった。
「ふふっ、方向音痴の双子だ。」
コウシンはくすりと笑うと、おとなしくエイラの背中から降りた。
「大丈夫だよ! 何回か迷ってれば、そのうち慣れるから!」
コウシンは本気で励ますように言った。
エイノとエイラは同時に彼女へ視線を向けた。
――なぜだろう。
まったく慰められた気がしなかった。
「お姉ちゃん!」
「コウシンお姉ちゃん!!」
六、七歳くらいの子どもたちが、嬉しそうに駆け寄ってきた。
コウシンも彼らの姿を見つけると、満面の笑みで大きく手を振った。
「久しぶり!」
子どもたちは一斉にコウシンを囲み、手を引っ張りながら嬉しそうにはしゃぎ始めた。
「お姉ちゃん、見て! 僕の刀!」
「ぼくも! ぼくも見て!」
「見て見て! 昨日、葉っぱを切れるようになったんだよ!」
コウシンは優しく子どもたちの頭を撫でた。
「本当? すごいじゃん! 今度は新しいものの作り方も教えてあげるね。」
「やったー!」
子どもたちは声を揃えて歓声を上げると、小鳥の群れのように賑やかに走り去っていった。
「あの短刀じゃ、魔獣なんて倒せないでしょう?」
エイラは子どもたちの後ろ姿を見つめ、その手に握られた小さな短刀へ視線を落とした。
刃はあちこち欠け、形も少し歪んでいる。
一目で初心者が打ったと分かる出来だった。
魔獣を倒すどころか、枝を切ることさえ難しそうだった。
「そうだね。」
コウシンは否定しなかった。
楽しそうに走り去っていく子どもたちを見つめるその眼差しは、どこまでも優しかった。
「でも、あの子たちに魔獣を倒す必要なんてないよ。」
エイラはその言葉に、静かにコウシンへと顔を向けた。
「知ってる? 金族では、『お父さん』『お母さん』って呼ばれている人たちの、半分近くは本当の親じゃないんだ。」
「どういうこと?」
エイノは思わず問い返した。
コウシンは、遠くへとゆっくり立ち昇る黒煙へ視線を向けたまま、静かに話を続けた。
「地族と炎族は魔族の領域に最も近い場所にあるけど、地族は防御に優れ、炎族は攻撃力が高い。あの二つを突破するには、魔族にとっても犠牲が大きすぎるんだ。」
コウシンはその場にしゃがみ込むと、地面に指で五つの種族のおおよその位置を描き始めた。
中央には中央神殿がある。そこを中心に、東西南北へそれぞれ木族、金族、水族、炎族が配置されている。そして、金族と炎族の間に位置するのが地族。そのさらに北には、魔族の領域が広がっていた。
「だから魔族は、ほとんどの場合、金族を攻めてくるの。三年から五年に一度は襲撃を受けるから……成長する前に両親を失う子どもも少なくない。」
そう言ってコウシンは、先ほど子どもたちが駆け去っていった方角へ静かに目を向けた。
その言葉を聞き、エイノの脳裏には、地族で出会ったあの婦人の姿がふと浮かんだ。
――戦争が残した傷跡は、もうずっと前から、この世界の至るところに刻まれていたのだ。
「だからね、あの子たちにはああいう刀が必要なんだ。あれは武器じゃない。――希望なんだよ。」
エイラはわずかに目を見開いた。
遠くでは、一人の少年が打った鉄片がひどく歪んでいた。
それでも、中年の鍛將は叱ることなく、笑いながらその鉄片をそっと真っすぐに直してやっていた。
「金族の人たちは、小さい頃から教えられるの。もし家族と一緒に生きていられるなら――その幸せを大切にして、普通の人として生きればいいって。」
「……もし、その幸運がなかったら?」
エイラが静かに言葉を挟んだ。
「その時は――同じように幸せを失った人たちと一緒に。」
コウシンは振り返り、背後にそびえ立つ百鍊塔を見上げた。
「幸せな人たちを、守るんだよ。」
「あっ、そうだ! 二人とも、こっち!」
コウシンは何かを思い出したように声を上げると、くるりと身を翻し、百鍊塔へ向かって駆け出した。
エイノとエイラは顔を見合わせる。
何をするつもりなのかは分からなかったが、とりあえず二人も足早にその後を追いかけた。
「地族で見た、あの古代文字のこと、覚えてる?」
「ん?」
エイノは一瞬きょとんとした。
「あっ、うん。もちろん覚えてるよ。」
「戻ってきてから少し調べてみたの。二人にも見せたい本があるんだ。」
そう話しているうちに、三人は百鍊塔へとたどり着いた。
だが、エイラとエイノは入口の前で足を止めたままだった。
二人は百鍊塔の大扉を見つめ、ためらうように顔を見合わせた。
二人の認識では――
百鍊塔に入ることが許されるのは、鍛將だけのはずだった。
「入っておいで!」
数歩進んだコウシンは、後ろから足音が聞こえないことに気づき、ひょこっと顔を出した。
すると、入口で門番のように突っ立っていた二人が目に入った。
「えっ? 百鍊塔って、鍛將しか入れないんじゃないの?」
「一般に開放されてるのは一階から三階までだよ。バカ。」
「あはは……。」
エイノは照れくさそうに頭をかくと、エイラと一緒に慌てて百鍊塔の中へ入っていった。




