075・牛頭半人の門番
(あ……)
僕は、目を覚ました。
あのまま眠って……いや、気絶してたのかな……。
重い疲労感は、いまだ身体の芯に残っている。
というか、
(僕、どれくらい寝てたんだろう?)
真っ暗闇の中、体内時計は完全に狂い、もう今が昼か夜かも判断できなかった。
ベリッ
床に張り付いた頬を剥がし、身体を起こす。
と、同じ床の上に、真っ二つになった黒い魔物虫の死骸が転がっているのが見えた。
「――――」
ゾクッとし、慌てて周囲を見る。
闇を睨み、聞き耳を立てる――でも、近くに他の虫の気配はなかった。
(ホッ)
運が良かった。
もしかしたら、僕が意識を失っている間に他の魔物虫が現れて、無抵抗のままに殺され、食べられていてもおかしくなかったのだから。
…………。
見張りって大事なんだな。
3人に教わったことの大切さを、今更、感じる。
そして、
(今は、僕1人……)
次、眠る時どうしよう?
何だか、寝るのが怖いや……。
いや、マイナスな事を考えている場合じゃない。
危険な状況だったけれど、幸いにも休息は取れたんだし、今はとにかく脱出のための出口を探さないと。
(よし)
重い身体を立ち上がらせる。
とりあえず、現在、2日目のつもりで行動しよう。
携帯食を1口だけ。
(ん……)
あとは、水溜まりの汚れ水を素足で食べる。
食事中は、魔力式ランタンの魔力を充填するため、消灯しておく。
本当、真っ暗。
視界内が黒一色だ。
一応、腹を3割ほど満たしたところで床の水がなくなり、食事を終了する。
再びランタンを灯し、
「ん、行くぞ」
僕は、遺跡の通路を歩き出した。
◇◇◇◇◇◇◇
ガシュッ ザキュッ ザシュン
木目のある青い刃が、硬い魔物虫たちの外殻を裂き、絶命させる。
「はぁ、はぁ」
戦闘終了だ。
探索を始め、約3時間――その間に、巨大ダンゴ虫みたいな魔物虫と2度遭遇し、戦闘になっていた。
最初は2匹、今回3匹。
うん、この遺跡には、結構な数の魔物虫が巣食っていそう……。
(参ったね)
『魔力纏い』を使えたから何とか勝てているけれど、今後、もっと数が増えたり、長期戦になったり、何かイレギュラーが起きたら、すぐに殺されてしまうかもしれない。
正直、全然、余裕はないよ……。
…………。
いや、諦めるな。
(絶対、帰るぞ、クレティーナさんの所に)
気持ちは強く持とう。
そうして、僕は探索を再開する。
けど、思いに反して収穫はなく、更に数時間後、何度かの戦闘を経て、僕は再び基点となる水溜まりに戻ることになったのだ。
…………。
…………。
…………。
発見があったのは、更に2日後だ。
その日、10匹目の魔物虫を倒し、進んだ通路の先――その行き止まりの壁を、僕は見つめた。
「……梯子だ」
思わず、声が漏れる。
目の前にある石の壁面に、切れ目を刻んだだけの梯子が上方へと彫られていた。
上への移動手段。
ようやくの発見だ。
(はは……)
安堵と期待、それらの混じった笑みがこぼれる。
もちろん『出口』かはわからない。
でも、地上は上の方角にあり、僅かでも近づくのは間違いなかった。
(よし、行こう)
1人頷き、ランタンを口に咥える。
小さな指を、石の溝にかける。
グッ
「……っ」
左肘が痛い。
でも、今は構っていられない。
我慢、我慢。
溝の深さは、約5センチほど。
指と爪先を滑らせ、落ちないよう気をつけながら、僕は石の梯子を登っていく。
天井まで、約10メートルの高さ。
見れば、梯子のある部分だけ、黒い円形に穴が開いている。
グッ グッ
1段ずつ、慎重に。
「ん……ん……」
痛みを堪え、懸命に登り続け……やがて、ようやく天井の穴に到達して、その短い円形のトンネルを抜ける。
グイッ
最後、もがくように上の床に身体を押し出す。
(ぷはっ……登ったぞ!)
慌てて、口に咥えていたランタンを手に持ち替え、周囲へと掲げる。
でも、そこも真っ暗な空間だった。
半球状の部屋……かな。
部屋の壁には、埋め込まれるように神々のような姿の彫刻が何体も彫られている。
全周囲、見回し、
(あ……)
1体分だけ空白があり、部屋の出入り口らしい黒い空間となっていた。
そこから、部屋を出る。
出た途端、左右に向かって、下層と同じ通路が長く伸びていた。
(…………)
唇を強く結ぶ。
大丈夫。
上の階に来たんだ。
確実に地上に近づいている。
まだ体力的にも余裕があるし、基点としていた水溜まりに戻らず、このまま探索を続けよう。
「よし、がんばれ、僕」
自分を励ます。
そして勘に従い、
タン
右方向の通路へと、小さな足を踏み出した。
◇◇◇◇◇◇◇
2時間ほど、歩いただろうか?
分岐、行き止まり、魔物虫との戦闘、色々ありながら、探索を進めていく。
(上への道や梯子は……?)
と、必死に探す。
でも、見当たらない。
やがて、
チチ……チ……
魔力式ランタンの光が明滅を始めた。
(あ……魔力切れか)
1度、消灯し、周囲の魔素を充填しないと、完全に暗闇の中で活動する羽目になる。
仕方ない。
(今日は、ここまでにしよう)
水溜まりまで戻る時間はないので、今夜はこの階層で安全そうな場所を探し、眠ることにする。
周囲を見回し、
(あ、あそこがいいかな)
と、通路に倒れた柱の元へ。
壁と柱の間に空間ができ、小部屋みたいになっている。
荷物から毛布を出し、羽織りながら、その狭い空間へ自分の身体をねじ込み、入り口部分を大きな瓦礫で塞いでおく。
ギシ……
身動きできない。
でも、我慢。
ランタンも消し、古樹の霊剣の柄だけ握り、目を閉じる。
ふぅ……。
息を吐き、
(明日も無事、目を覚ませられますように……)
と願い、眠りに就く。
…………。
…………。
…………。
やがて、暗闇の中、目が覚める。
(ん……)
僕、生きてる。
よかった……安堵しつつ、ランタンを灯し、瓦礫をどかして隙間の外へ。
周囲に変化はない。
幸い、魔物虫も来なかったみたいだ。
固まった身体をほぐしつつ、携帯食をかじる。
本日は水溜まりがないので多めに食べ、これで1本丸々なくなったことになる。
(残り1本)
あと、水筒の水が2~3日分だ。
…………。
なくなる前に出れるかな?
いや、出なきゃ!
パン
右手で頬を叩き、前を向く。
と、その時だ。
ゴ……ゴォン
(!?)
遠く、重い何かの響くような音が聞こえた。
え、何?
この迷宮のような遺跡に閉じ込められ、初めて聞く音である。
ゴ……ガガッ ゴォン
重低音が連続して響く。
僕から見て通路の前方、まだ未踏の領域からだった。
(――うん)
剣の柄を強く握る。
1度深く息を吐き、覚悟を決めると、僕は慎重にそちらに歩を進めたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
通路の先に、扉があった。
石の表面には精緻な装飾が施され、けれど、長年の風化で残念ながら彫刻も削れて丸まり、今は色も掠れてしまっている。
両開きの扉で、足元の一部が崩れており、
(中、入れそう)
僕は身を屈め、芋虫のようにその隙間に入る。
モゾモゾ
扉を抜け、
(!)
瞬間、動きを止めた。
目の前に、巨大な生き物がいた。
牛頭人身の怪物――前世の知識でいうなら『ミノタウロス』と呼ばれる半獣半人の魔物だった。
体長は、約3メートル。
筋骨隆々の男性の肉体に、異常に凶暴に見える牛の頭部がある。
手には、巨大な斧があり、
『ブモォ!』
ゴガァン
牛頭の魔物は、それを揮い、足元に集まる魔物虫の群れを潰していた。
石床が砕け、魔物虫が弾け飛ぶ。
グチャ ドチャン
体液が散り、ミノタウロスは人間と同じ形の巨大な手で虫の死骸を掴むと、牛の口へと運び、大きな歯でガリゴリと砕き飲む。
牛頭の巨人の狩りと食事。
その音だったのだ。
その迫力に、僕は息を飲む。
幸い、あの怪物は、まだ僕の存在には気づいていない。
でも、狭い室内だ。
これ以上の滞在は、気づかれる可能性が高い。
このまま後ろに下がり、来た隙間から元の通路に戻れば、気づかれずに逃げられるだろう。
だけど、
(…………)
僕は、動けなかった。
牛頭半人の怪物の奥、この部屋の最奥に、上方に通じる階段があった。
階段……地上への道。
(はは……)
僕は、乾いた笑いをこぼす。
ああ、そうか。
迷宮の門番、あのミノタウロスを倒さない限り、僕は地上には出られないらしい。
(何だよ、それ……?)
ゲームじゃないんだぞ?
やり直しは利かない、1度、死んだら終わりの現実なんだぞ?
(くそったれ……!)
目に涙が滲む。
『光合成』の使えない子供。
3分間の『魔力纏い』だけを武器に、新人の『赤印冒険者』が挑むにはあまりに強敵過ぎる相手じゃないか……っ!
見ればわかる。
――アレは、強い。
通常人喰鬼と同格か、それ以上と感じる。
勝てる気が……。
…………。
弱気になる僕の脳裏に、あの人の笑顔が浮かぶ。
(ああ……うん)
大好きなあの人が待っている。
水も食料も心許なく、例えあの怪物と戦わなくても、あと数日で脱水や餓死するのは目に見えていた。
やるしかないのだ。
(必ず、帰る……っ)
あの人の所へ。
そう決めたろう、シーナ?
1度、強く目を閉じる。
意を決し、青い瞳を開くと、僕は立ち上がった。
ギュッ
古樹の霊剣を強く握る。
呼吸を整え、全神経を集中し、全身に魔力を流していく。
『ブモ……?』
気配を感じたのか、怪物の捕食の動きが止まった。
ズシ……ズシン
重い足音を響かせ、振り返る。
闇の中、赤い眼球が光っている。
目が合った。
ドクン
僕の心臓が、1度、強く鼓動する。
怪物の瞳孔が開き、強烈な殺意が灯ると、その牛頭は大きく咆哮した。
『ブモォオオオッ!』
鼓膜が痺れる。
下っ腹に力を込め、耐えた。
奴を睨み、
ガシャッ
古樹の霊剣の青い刃を構える。
自分を鼓舞するため、
「あぁあああっ!」
僕は大声で吠えると、牛頭人身の怪物目がけ、全力で走り出した。




