32#子供?
御者台から振り返ると、荷台の向こうに遠ざかっていたはずの、キャシュが守っていた門はすでに影も形も見えなくなっていた。
キャシュたちに共に魔王討伐へ向かわないかと誘った時、キャシュ本人は乗り気な様子を見せていたが、タシが頑として首を縦に振らなかった。
数ヶ月間もあの門に縛り付けられていたのだから、まずは一度態勢を整えるべきだと切実に訴えるタシの意見を尊重し、彼らは聖騎士団の本拠地へと戻る道を選んだ。
本拠地がどこにあるのか尋ねると、驚いたことにイトューヒ大陸にあるという。
俺がリア……いや、ミリアーナ王女の庇護のもとで魔王討伐のために遠征してきた経緯を話すと、次に会う時は魔王のいない平和なイトューヒ大陸で再会しようと、キャシュは凛とした爽やかな笑顔で答えていた。
一足先にあの懐かしいイトューヒ大陸へ戻れるキャシュたちを少し羨ましく思いながら、馬車は転移門を目指して猛スピードで風を切って突き進んでいた。
「二人いるわね」
激しく揺れる荷台の方から、サキの落ち着いた声が届いた。
馬車の速度が上がるにつれて、顔に叩きつける風の勢いも増していく。
「陽動は失敗ってことか?」
「いえ。リュウたちはうまく敵の注意を引き付けて暴れ回ってくれているわ。ただ、転移門のすぐ近くに、そこから動こうとしない奴らが二人だけいる」
「その人たちは……強そうなんですか……?」
荷台から、怯えたようなミズキの不安気な声が漏れ聞こえてくる。
「遠隔の魔力探知だけで相手の正確な実力までは判定できないわ。ただ、重要拠点である転移門の守備に配している以上、手ぬるい雑魚を置いておくはずがないでしょうね」
サキの言う通りだ。
壁を豪快にぶち破って侵入してきた大勢力を放置してまで、その場から動かずに転移門を死守している連中が弱いとは到底考えにくい。
「だが、これで転移門が本当に存在する確率は跳ね上がったな」
一番恐れていた最悪の展開は、転移門がすでに破壊されていて存在しないパターンだった。
その場合は、ロゼの賭けはハズレとなり、サキの当初の案通りにこのまま力任せで北へ突っ切る作戦へ切り替えるしかなかったのだから。
「そうね。トールもミズキも、いつ交戦になっても動けるよう戦闘準備だけは整えておいて」
サキの言葉に、ミズキは抱えていた金の弓を指関節が白くなるほどギュッと握りしめていた。
流れていく荒涼とした景色を横目で見やりながら、まだ見ぬ敵の姿を想像すると、ぬるりと嫌な不安が胸の奥に押し寄せてくる。
まあ、今さら不安になったところでどうしようもないか。
目の前の敵を斬り抜けるだけだ。
「見えてきました! たぶんあれが転移門ですぜ!」
御者台のルーベの叫び声が響き渡った。
視線の先、遠くに小さな神殿を思わせる古びた石造りの建物が佇んでいた。
何かの祠のような厳かなたたずまいは、確かに古代の遺物が眠っているにふさわしい異様な気配を漂わせていた。
「じゃあ、先手必勝でいくわね」
そう言うと、サキの魔力が膨れ上がっていく。
猛スピードで走る馬車に追従しながら、上空に数多の氷の槍が展開されていく。
「出力には気をつけろよ!転移門までぶっ壊すんじゃないぞ!」
「わかってるわよ! あの筋肉馬鹿じゃあるまいし!」
サキの鋭い一言と共に、氷の槍群が凄まじい速度で飛翔し、まだ姿も判然としない建物前の人影へと襲いかかった。
相手が雑魚なら、この一撃で決着がつくはずだ。
だが、そんな甘い期待は一瞬で打ち砕かれた。
人影へ殺到したはずの氷槍は、まるで意志を持っているかのようにふわりと軌道を歪め、対象を避けるように逸れていく。
何本かは建物の周囲に展開された目に見えない壁に衝突し、砕けた氷がキラキラと空に光の粒を撒き散らした。
「結界があるわね。トールとミズキは、まずあの敵の二人組を……」
サキの言葉が途中で不自然に途切れた。
建物の方角から、肌を刺すような凄まじい魔力が溢れ出してくる。
禍々しく重苦しい、純粋な『魔』の魔力。
それはあの二人組から放たれているものではなかった。
なんだこの魔力量は、尋常じゃない。
サキやリュウと同等か、下手をすればそれを凌駕していないか……
「な、なんか凄いスピードでこっちに誰か来てます!!」
ルーベの悲鳴のような叫びが響き渡る。
前方から、一筋の小柄な人影が一直線にこちらへと突っ込んできた。
地面を蹴って走っているようだが、速度があまりにも異常だ。
すでに目と鼻の先まで迫っている。
「ルーベ!このまま突っ切れ!俺が止める!」
俺はシルラの柄を強く握り締め、脚へ一気に魔力を奔流させて御者台から飛び出した。
敵の突撃を指を咥えて待ってやる義理はない。
こちらから迎撃する。
「天魔無碍流一刀居合『線』」
超高速で肉薄してくる影に対し、極限まで研ぎ澄ませた視界の中で世界がスローモーションのように引き伸ばされていく。
次第に交錯する影の輪郭がはっきりと結ばれていく。
刀を一本、横に抱えるように構えているのは、明らかに幼い子供だった。
小柄だとは思っていたが、まさか幼子だとは想像すらしていなかった。
ほんの一瞬、脳裏をよぎった戸惑いが指先へと伝わる。
その僅かな迷いが、居合の速度を極小の微差で鈍らせた。
子供は抜き放たれたシルラの閃光を刃一筋の差でするりと交わすと、勢いを殺すことなく、俺の後ろにある馬車目掛けて通り抜けていった。
受け止められたことなら何度もある。
だが、この『線』を見切られて完全に回避されたのは生まれて初めてだ。
動揺を隠せない。
一体なんなんだ、こいつは。
「ルーベ!馬車を捨てろ!!」
この速度には到底追いつけない。
俺の叫びとほぼ同時に、何事かを荷台へ叫んだルーベが御者台から飛び降りた。
子供は狂ったようなスピードを維持したまま馬をすれ違いざまに避け、抱えていた刀を鋭く抜き放った。
瞬間、馬車の荷台が斜めに一閃される。
少し進んだところで、荷台は綺麗な断面を描いて真っ二つに叩き割れた。
御者を失った馬は、破壊された残骸を引きずりながらあらぬ方向へと暴走していく。
荷台を両断した子供は、遥か後方で地面を削りながら急ブレーキをかけて静止している。
「トール!!あいつは頼んだわよ!」
いつの間にか着地していたサキが、転移門の方角へ走りながら叫んだ。
ミズキもサキの後ろを必死に追いかけるように走っていく。
「こっちは任せろ。サキはあの結界を頼むぞ!」
返事は聞こえなかったが、サキは路面に倒れ込んでいたルーベの肩を叩いて立たせると、ミズキと合わせた三人で転移門の神殿へ向かって走り去っていった。
「さて……俺はあいつの相手か……」
俺はシルラを一旦鞘へと収め、ゆっくりと子供の方を振り向いた。
見た目から推測すると十歳前後だろうか。
大きな刀を無理やり使っているのかと錯覚するほど小柄な体躯だった。
しかし、この身を削るような魔力量はとても子供が出せるものじゃない。
それに、あの分厚い馬車の荷台を綺麗に寸断してみせた腕前だ。
どう考えても只者ではない。
「しかし、子供か……」
いくら敵とはいえ、子供をこの手で斬るということにはどうしても強い抵抗が生まれる。
なんとか命を奪うことなく戦闘不能に……いや、そんな甘い考えで挑めば一瞬で足元をすくわれる。
「天魔無碍流一刀居合『線』」
まだその場に立ちすくんでいた子供に対し、俺は神速の踏み込みで間合いを一気に詰めた。
悪いが、子供だろうとなんだろうと腕の一本は貰っていく。
先ほどとは違う確固たる殺気を乗せた居合は、今度は空を切ることはなかった。
甲高い金属音が打ち鳴らされ、互いの刀が激しく衝突する。
その瞬間、相手の刃からドス黒く禍々しい魔力が津波のように溢れ出してきた。
「お前……」
鍔迫り合いの最中、刃を交える子供自身からも魔力は出ているが、それ以上にこの子供の手にある刀そのものが異常な魔力を撒き散らしている。
「おじさん!二本の刀!トールだろ!」
俺のシルラを軽妙な手首のスナップで捌き、ひらりと距離を取りながら子供は無邪気な笑顔で話しかけてきた。
その無防備な笑顔にわずかにこちらの力が緩んだ瞬間、相手は跳躍し、アクロバティックな体捌きから鋭い一撃を上空から振り下ろしてきた。
ギリギリのところでシルラを滑り込ませて受け止め、即座に左手でカルラを逆手に抜刀して追撃を見舞う。
だが、それすらも紙一重でかわされた。
型にハマらないめちゃくちゃな動きだが、明らかに場数を踏んで戦い慣れている。
一瞬たりとも油断できない。
しかし次の瞬間、子供の身を包んでいた禍々しい魔力が急速に萎み、弱々しくなっていった。
「あー……いいところなのに……」
子供は俺からバックステップでさらに距離を取ると、子供らしくあからさまに悔しそうな顔を浮かべた。
「……なんなんだお前は。魔王軍の幹部か何かなのか?」
俺は小さく溜め息をつき、刀を構えたまま問いかけた。
「違うよ。俺はグレイブのキョーヤだよ!そんなことより、おじさんがトールでしょ?ねぇ、斬ってもいい?」
グレイブ? 聞き覚えのない単語が耳に引っかかる。
「いいわけないだろ。グレイブってなんだ。魔王軍の部隊か何かか?」
「違うよ!あんな奴らと一緒にしないでよね!」
「魔王軍じゃないのか?じゃあなんで俺たちと戦ってるんだよ」
「仕事だよ!そんなことより早く斬らせてくれよ!」
上から下からと目まぐるしく繰り出される斬撃を、俺はシルラとカルラで丁寧にすべていなしていく。
一撃交わす毎に、キョーヤと名乗った子供の魔力はどんどん弱まっていった。
意図的に魔力を抑え込んでいる様子ではない。
なんなんだ、この極端にムラのある魔力は……
「あーあ、ダメだ。これじゃあ無理だ」
キョーヤはがっくりと肩を落とすと、不意に回れ右をして走り出した。
サキたちの後を追いかけたのかと思い、俺もすぐさまキョーヤの後を追うが、進んでいる方向がどうもおかしい。
「謎だらけだな、おい……」
追いかけながら頭の中で考えをまとめようとするが、何一つまともな答えが出てこない。
キョーヤが向かった先に見えてきたのは、先ほど真っ二つに破壊された馬車の荷台の残骸だった。
もう誰も乗っていないあの荷台へ向かう意味が、俺にはまったく理解できなかった。
キョーヤはボロボロになった荷台の残骸へ向けて、容赦なく横薙ぎの一閃を叩き込んだ。
その瞬間、キョーヤの幼い身体から、そして手に握られた刀から、先ほどと同じくらいのドス黒く禍々しい魔力が一気に噴き出してきた。
「……物を斬ることが何かのトリガーなのか?」
「今はね!おじさん、ちゃんついてきてよ。向こうでちゃんと許可貰うからさ!」
叫ぶなり、キョーヤは凄まじいスピードで転移門の神殿の方角へ向けて疾走を始めた。
俺も即座に脚へ魔力を巡らせて全速力で追いかけるが、どうしても距離が縮まらない。
何か特定の条件を満たすことで魔力が跳ね上がるタイプの能力らしい、ということは分かった。
転移門の前に陣取っていたあの二人組のところへ戻り、何か許可とやらを得るつもりなのだろうか。
魔力量の凄まじさは間違いなく脅威だ。
だが、俺にあの子供が斬れるだろうか。
相手の魔力の凄まじさよりも、目の前の敵が幼い子供であるという事実に、俺の心の中では依然として激しい葛藤が渦巻いていた。
明確な敵だと理解しているのに、どうしても刃を振り下ろす決意が固まらない。
決めあぐねる迷いを抱えたまま走り続ける視界の先、サキたちが向かった転移門の建物が刻一刻と大きく迫ってきた。




