第10話 猫又娘
「んだどゴラッ! テメェ、ぶっ殺すぞ!」
喧騒の食堂の中でも、際立つ怒声が聞こえた。
全員の視線が聞こえた方へと向けられる。
僕たちから少し離れた席で、2メートルは超える大男の2人が睨み合っていた。
「テメェ、もう一度言いやがれ! 誰が足手纏いだ!?」
「何度でも言ってやるよ。テメェみたいなノロマがいるせいで、隊の足が引っ張られてるんだよ!」
喧嘩の原因は分からないけど、一触即発な男達に危険を感じた。
「このままだとマジの喧嘩になるかも……止めなくていいんですか?」
僕は不安になってホロウさんへ尋ねる。
けれど、ホロウさんは我関せずといった様子で、淡々とパフェを食べ続けていた。
「喧嘩など魔界では日常茶飯事です。それに、彼らなら彼女達と比べて可愛いものです。放っておきましょう」
「……彼女たち?」
あの喧嘩が可愛いものって、それって誰のことだろうか。
それよりも、もしかしてホロウさん、単に食べるのを中断したくないだけなんじゃ……。
そんなことを考えていた直後だった。
「もう我慢ならねぇ……死ねや!」
痺れを切らした大男の片方が、相手の頬を殴りつけた。
重い音が響く。
殴り飛ばされた男は、後ろのテーブルへ背中から突っ込み、そこに置かれていた食器や食べ物を派手に散らばらせた。
「テメェ……やりやがったな!」
殴られた男が、反撃とばかりに近くのお盆を掴む。
その上には、まだ料理が残っていた。
男はお構いなくそれを全力で放り投げる。
しかし、コントロールが悪く、目標の遥か上を通過する。
「……って、これって!?」
僕に当たらないのはすぐに分かった。
だけど、その落下地点を予想した瞬間、血の気が引いた。
全員の視線が宙を舞うお盆を追い……そして。
ガシャン! と食器が割れた音が食堂に響き渡る。
放物線を描いて落ちたお盆が衝突した場所。
そこにいたのは――――ホロウさんだった。
「……………」
先ほどまで夢中にパフェを食べていたホロウさんだけど、その手は空だった。
衝撃で手元から滑り落ちたらしい。
床には、砕けたガラスの容器。散らばった果物。無残に潰れたクリームとアイス。
周囲の野次馬の人たちは青ざめていた。
先ほどまで騒がしかった食堂が、一瞬で静まり返った。
しばらく空になった手を見つめていたホロウさんだけど、やおらと立ち上がる。
「………貴方たち」
声は静かだった。だからか喧嘩を続ける男たちに届きはしなかった。
けど、分かる。ホロウさん、滅茶苦茶怒っている!
彼女の手が置かれた石のテーブルから、ミシミシと音が聞こえる。
直後、鎧の指が石に食い込み亀裂が走り、テーブルは音を鳴らして砕け散った。
「喧嘩だけなら目を瞑りましょう……。ですが、私のパフェ――――いえ、食べ物を粗末にするなど、見過ごせませんね」
怖い! 話し方は丁寧で荒げてないのに、思わず後ずさってしまう。
気のせいか、ホロウさんの後ろに般若が見える。
先日のホロウさんの圧が本当に手加減してくれてたんだと思わせる程に、今のホロウさんから温情が感じられない。
「そんなに食べ物が必要ないなら、貴方たちの臓物を締め上げて空っぽにして差しあげましょう」
完全に仲裁ではない。
明らかに折檻しに行こうとしている。
「ある意味、もっとヤバいことになりました! ベルさん、ホロウさんを止めないでいいんですか!?」
「止める? 何故私がそんなめんどう……いえ、では、立花様でお止めになってはいかがですか?」
なんか面倒って言いかけてたけど、この際どうでもいい。
てか、それが出来れば苦労はない。
「昨日の僕とホロウさんの力量は知ってますよね? 情けないですが、僕では止める術がありません!」
「本当に情けないですね。そもそも、私はか弱い侍女ですので、そんな野蛮な事はできません」
しくしくと泣き真似をするベルさん。
物凄く嘘くさい。
ベルさんが本気で止める気がないことだけは分かった。
僕が肝を冷やしてる間にも、ホロウさんは喧嘩の現場へ歩いてる。
その時だった。
ホロウさんが通り過ぎたテーブルで、うつ伏せになっていた猫耳の女性がむくりと起き上がる。
「ふわぁ〜。うるさいぞ、せっかくキョウが寝てるんだからヨ……」
騒がしい食堂に間延びした声が混ざる。
猫耳の女性は欠伸で目尻に涙を溜めながら、ぼんやりと周囲を見渡す。
「ん〜……お、ホロウカ。どうしたんダ? ケンカか?」
猫耳の女性はホロウさんを見つけると気安く手を振る。
ホロウさんはピタリと足を止め、猫耳の女性へと振り返る。
「その声は……キョウ。貴方、そんなところにいたのですか?」
ホロウさんが纏っていた空気が少しだけ柔らかくなった。
どうやら、この猫耳の女性はホロウさんとは知り合いのようだ。
「マーちゃんから呼び出しくらって急いで帰って来たけド、眠くてここで寝てたんだヨ。てか、オマエどうしたんダ?」
猫耳の女性に尋ねられてホロウさんは喧嘩の方へと指をさす。
「彼らにお灸を据えるだけです……パフェの恨みを込めて」
恨めしげに拳を握るホロウさん。余程楽しみを奪われたのが許せないようだ。
猫耳の女性は、床に散らばったパフェの残骸を見ると、肩を竦めた。
「相変わらず甘い物が好きだな、ホロウハ。パフェぐらい別にいいだロ」
「ぐらいとはなんですか、ぐらいとは!? パフェがどれ程私を癒す糧になってると……!」
「分かった分かっタ。パフェぐらい今度キョウが食わせてやるかラ、大人なんだからカッカするなよナ」
「……それ、魔界で一番貴方に言われたくないセリフですね」
納得がいっていないホロウさんの肩をポンポンと叩く猫耳の女性。
そして猫耳の女性はホロウさんを横に退かし。
「アイツらはキョウに任せロ。大人な対応をしてきてやるヨ」
「いや、貴方が行けば余計ややこしく――――」
聞き耳を持たない猫耳の女性は喧嘩の現場に向かう。
二人が会話している間にも、喧嘩の被害は広がっていた。
正直、小柄な猫耳の女性が近づけば巻き込まれるんじゃないかと危惧した。
けれど、周囲の反応は少し違った。
「おいおい、やばいんじゃないか……」
「あぁ……無事で済まねえよな、あの二人」
二人?って喧嘩している人のことだよね。
もしかして、あの猫耳の女性って相当ヤバいのかもしれない。
そうこうしている内に、猫耳の女性は男たちの傍まで近づいていた。
「オイオイお前ラ。喧嘩するのは元気があっていいガ、他の奴らの迷惑になるかラ、喧嘩はよそで――――」
「あぁ!? なんだチビが! でしゃばってくるんじゃねえ!」
「そうだ! ガキは引っ込んでろ! 怪我したくなければな!」
猫耳の女性を一瞥することもなく怒鳴りつける。
けど、男たちとは対照的に、周囲の空気が一段下がったような?
なんか、ひぃいいいい!って悲鳴が聞こえる程に野次馬たちの血の気が引いていく。ホロウさんに至っては額に手を当てて天井を仰いでる。
「……チビ? ガキ? フーン」
猫耳の女性は俯く。
けど、それは落ち込んでるってよりも、溜め込んでる様に見えた。
慌てた野次馬の一人が、男たちへ声を飛ばす。
「お、おい、お前たち! 誰に言ってるのか気づいてないのか!? 今すぐ謝れ!」
「「は?…………あ」」
野次馬の一声で男たちは初めて猫耳の女性を認識した。
そして、さっきまでの怒気が嘘のように萎んでいく。
「ち、ちがっ! あ、あれは場のノリと言うか!」
「そ、そう! 決して貴方様を愚弄したわけじゃ……すみません!」
自分たちよりも二回りも小さい猫耳の女性に、男たちは揃って頭を下げる。
この女性は何者なんだ。
猫耳の女性は後ろ髪を搔きながら、軽く手を振った。
「そんな怯えるなっテ。悪口を言われたぐらいで怒る程キョウは子供じゃないからヨ」
許されたと男たちは胸を撫で下ろすのも束の間だった。
「けどヨ――――」
トン、と猫耳の女性は軽く跳ぶ。
目線が男たちと合った時、猫耳の女性はニヒルと笑った。
「ケンカを売るなら相手を選ぶんだナ」
「「へ?」」
直後、猫耳の女性の両腕が振り上げられる。
ドガァア! と、凄まじい音が響く。
同時に一瞬にして男たちの姿が消えた。
遅れて、突風が食堂を吹き抜ける。
「な、なんだこれ!?」
僕は思わず顔を庇った。
風が止み、目を開けてから、周囲を見渡しても、男たちの姿はない。
代わりに、食器と料理だけが嵐に巻き込まれたみたいに散乱していた。
男たちはどこへ行ったのか。
そう思った時、頭上から、ドガァン、と鈍い音が聞こえた。
「上に何が…………って、えぇえ!?」
食堂の天井は体育館よりも高く霞んで見える。
けど、そんな頭上から落下する影を二つ捉えられた。
それが、僕の真上に落ちて来ていた。
「うわぁああ!」
僕は必死に飛びのいた。
直後、二つの影は石のテーブルへと落下する。
テーブルは粉々に砕け、その残骸の上に、さっきの男たちが伸びていた。
二人とも顎を赤く腫れさせ、白目を剥いていた。
息はあるからどうやら死んではないようだ。
「って、おい! 他にも降ってくるぞ!」
男たちに続いて、天井の破片が幾つもの落ちて来る。
食堂中に悲鳴が上がった。
先ほどまでの男たちの喧嘩が、まだ静かだったと思える程の叫び声。
そんな阿鼻叫喚の中で、猫耳の女性は舌なめずりをする。
「悪口は許す。けど、ケンカは買ってやるヨ。なんせ、キョウは大人だからナ」
その笑顔は、地獄絵図の中に咲く一輪の花。
って何を考えてるんだ僕は。
ホロウさんが何故この人を呼び止めたのかようやく分かった。
この人、めちゃくちゃなんだ。
言ってることも、やってることも、僕の常識に嵌らない。
僕は唖然と猫耳の女性を眺めてたら、彼女と目が合った。
数秒、見つめ合い、猫耳の女性が瞼を瞬かせると。
「ぶふぅうううううっ!」
何故か猫耳の女性は漫画のように盛大に吹き出した。
なんで僕の顔を見て驚いてるのか、猫耳の女性はわなわなと僕を指差す。
「な――なんでソータがこんな所にいるんダ!?」
「えっ?」
颯太って僕のことだよね?
なんで女性が僕のことを知ってるのか。
そんな疑問を抱いていると、一瞬にして僕との距離を詰めて来た。
改めてみると彼女は小柄だった。正直150センチも無いかもしれない。
髪色は茶髪のショートヘアに少し癖があり、Tシャツの上にサイズの合ってないパーカーとダメージショートパンツのせいで子供っぽく見える。
けれど頭には猫耳。
お尻からは二本の猫のしっぽが生えている。
恐らく獣人。
いや、猫の尻尾が2本あるなら猫又に近いのかもしれない。
相手は僕のことを知ってるみたいだけど、こんな人を忘れるだろうか。
「見間違いじゃねえ……マジでソータダ。なんでダ? オマエはニンゲンだから人間界にいるはずだロ!?」
猫耳の女性は、ズイ、と僕に顔を近づけて叫ぶ。
僕は事情を説明したかったけど、両肩を掴まれて体をぐわんぐわんと揺らされているせいで、上手く喋ることができない。
いや、説明よりも先に違う何かを吐きそうになる!
「キョウ、少し落ち着いてください。貴方にも既に説明がされてるはずですよ。彼が何故魔界にいるのかは」
ホロウさんが助け船を出してくれた。
危うくさっき食べた朝食を吐きそうだったから助かった。
「説明、って。たしかマーちゃんからのやつだよナ?……ちょっと待テ。キョウ、それがソータ、ニンゲンだって聞いてないゾ!?」
「おや? 言い忘れてましたか? ならすみません」
軽く謝罪するホロウさんだが素で言ってそうだから、本当に失念していたようだ。
睨む猫耳の女性だが、何かを思い出したのかホロウさんに詰め寄る。
「オイ、ってことハ、ソータがあれってことカ!?」
「あれ?……そっちですか。えぇ、彼がそうです」
あれとは何なのか分からないけど、猫耳の女性は体を震わせガッツポーズを取る。
「そうだったのカ、ソータが……。こんなことがあるんだナ!」
猫耳の女性は明るい笑顔を浮かばせ、僕の背中をバシンバシンと叩き始める。
「なんのめぐり合わせか分からないガ、”また”よろしくナ、ソータ!」
痛い痛い! なんで喜んでるのか分からないけど背中が痛い!
なんて馬鹿力なんだ……と後の背中の様子が不安な僕だけど、さっきから気になることがあった。
「えっと、失礼だとは思うんですけど、僕たち、何処かで会ったことがありましたか? あなたは、僕のことを知ってるみたいですが……」
猫耳の女性とは今日が初対面のはずだ。
なのに、女性は前から僕を知ってるかのように接している。
僕が尋ねると、猫耳の女性は叩く手をピタリと止め、表情に陰りを見せた。
「……そう、だったナ。オマエは、覚えてないんだよナ……」
猫耳の女性はポツリと呟いた。
俯く猫耳の女性だが、一瞬見えた顔は悲しそうな顔をしていた。
けれど、顔を上げた時には、さっきまでの調子に戻っていた。
「ワルイワルイ。キョウの勘違いだったワ。オマエとキョウは今会ったばかりで知り合いじゃねえヨ」
「いや、でも僕の名前を――――」
「細かいことは気にするなっテ」
そう言って、猫耳の女性は僕の腹を肘で小突く。
追及してもはぐらかされる気がしてそれ以上は何も言えなかった。
「改めて紹介するゾ。キョウダ。よろしくナ、ソータ」
猫耳の女性改め、キョウさんは僕に自己紹介をする。
どうも腑に落ちないけど、踏み込める空気でもないから諦めよう。
「では僕も、立花颯太です。よろしくお願いします、キョウさん」
自分なりに丁寧に自己紹介したはずだけど、なぜかキョウさんは顰め面になる。
「”さん”はいらねえヨ。あと、敬語もナ。オマエにかしこまれるとなんか気持ち悪いんだヨ」
「い、いや、でも初対面ですし……」
小心者の僕は初対面の相手には基本的に敬語で行く。
そのことが気に入らないとばかりにキョウさんは息を吐く。
「…………ハァ。まだそのしたっぱ根性は治ってないんだナ」
キョウさんは言いながら近くの石柱へ歩み寄る。
そして、キョウさんはそっと石柱に手を触れる。
「ソータ。仕方ないかラ、キョウがオマエに選ばしてやル。今すぐ敬語をやめるカ――――」
石柱からミシミシと嫌な音が聞こえた。
直後、石柱の下から天井まで連なる側面にヒビが割れる。
ま、まさか……。
「こうなるの、どっちがイイ?」
「ンー! 分かった! 止める! 敬語もさん付けも止めるよ! よろしくな、キョウ!」
「それでヨシ!」
満面の笑みで親指を立てるキョウに、僕の心臓がバクバクする。
あの据わった目から冗談ではなく本気だとそう思った。
僕が敬語などを止めたことに上機嫌と鼻歌を鳴らすキョウだが、その背後に彼女が立つ。
「なにを、むやみやたらと物を壊しているのですか、この問題児が!?」
「痛っ!」
ホロウさんが金属の籠手でキョウの頭を殴り、ガゴン、と鈍い音が響く。
蹲るキョウだが、ギッ!とホロウさんを睨み。
「なにしやがるんだホロウ! ケンカか!? ケンカなら買うゾ!」
「喧嘩ではなく説教です! 天井然り、柱然り、テーブル然り! どれだけ壊せば気が済むのですか!? 修繕費もタダではないのですよ!」
ホロウさんもテーブルを一つ壊してたような……いや、黙っておこう、怖いし。
「ケンカを止めてやったんだから別にいいだろうガ!」
「あれが止めたうちに入りますか! 止めるならもっとスマートに止めてください! 止めた側の被害が大きいでは本末転倒です!」
気苦労が絶えないとばかりにホロウさんは兜に手を当て。
「この事は魔王様にご報告します。今月も減給を覚悟しておいてください」
「うがっ! それは横暴だゾ、ホロウ! キョウの飯がまた減る!」
「……自業自得、ですよね?」
「……ハイ。分かりましタ」
傍若無人なキョウもホロウさんの圧に負ける。
ホロウさんはため息を吐き。
「私は事後処理をしてから魔王様の所に向かいます。ですのでキョウ。貴方が颯太さんを魔王様の所へ案内してください」
「もともとキョウも呼ばれてるからお安い御用ダ」
キョウは胸を叩き了承する。
ホロウさんはこの瓦礫塗れの惨状をどうにかしてから向かうらしいが、ホロウさんって苦労人なんだろうな、とシミジミ思った。
キョウの案内で真奈ちゃんの所に行くことになったけど、僕はふと思い出す。
「そういえば僕、まだ食べてる途中だった……って、無事なわけないよな」
キョウが殴った余波で周りの食器や食べ物は吹き飛んでる。
だから僕の料理も無事では済んでない、そう思ったけど。
「ご安心ください、立花様」
ベルさんの声だった。
そういえば、ベルさんのことを忘れていた。どうやらベルさんは無事らしい。
それにご安心くださいって。もしかして僕の料理を守ってくれて――――
「吹き飛ぶ前に私が全て食べておいたので、無駄にはなっておりません」
ベルさんが見せたのは、汚れ一つない綺麗な皿とお椀の2組。
片方はベルさんので、もう片方は恐らく僕の分。
「……さいですか」
それしか言えなかった。
ケフ、と可愛らしいゲップをするベルさん。
半分は食べられたから良いんだけど……もういいよ。
「ヨーシ。それじゃあ、マーちゃんの所に行くとするカ。ついてこい、ソータ」
こうして僕は、猫耳の危険人物――キョウの案内により、ベルさんを含めた3人で真奈ちゃんの所へ向かうことになった。




