8 生活改善活動
幸い大きな甕を作ることのできる職人が見つかり、シンシアを通して2つ注文することができた。
1つはわたし。1つはマイアの館へ届けさせるものだ。
納品は1ヶ月先だという。
それまでは濁ったお風呂に入らなければならないのか‥‥とも思ったが、その先にきれいなお湯のお風呂に入れると思えば少しわくわくする。
そのことを手紙で知らせてやると、マイアから「お姉さまのお心づかいに感謝いたします」という手紙が来た。
スマホで瞬時にやり取りできていた過去を思うと、ひどく時間がゆっくり流れる。
しかしそれは生活がゆっくりであるということとは少し違っていた。
物事の動きが遅いということは、先を読んで準備をしておかないとやり直しが効かない、ということでもあった。
吸着能力の高いブナやナラの炭を集めておくこと。
甕の内径を覆えるだけの大きさの綿の布も準備しなければならない。
きれいな砂や砂利を手に入れる必要もあった。
それらは取り替え用も含めて確保しておく必要がある。洗って再利用する、というわけにはいかないのだ。きれいな水は飲料用として貴重なのだから。
炭と綿の布はこちらで用意してマイアに贈ることにした。
イヴァーシナ男爵家は領地も小さい。マイアのお風呂だけのために、あまり予算はさけないはずだ。
それでなくても、イヴァーシナ男爵は領民たちの暮らしのために税を安くして質素な暮らしを心がけていると評判の良き領主なのだ。
娘の贅沢のために領民の血税を使うことは、お父様が許すまい。
その点、アノスタコビッチ家の贅沢は知れ渡っており、その中でも変人と言われている娘のこの程度の戯れは問題にならないだろう。
なんか、めっちゃ情けないが‥‥。
案の定、この浄水甕は「またアナスタシアが変なことをやっている」と姉2人から笑われただけになった。
「お風呂にお花も浮かべないんですって。くすくす‥‥」
ところが、思いがけないところから評価の手紙がきた。
イヴァーシナ男爵その人からである。
「このからくりを大規模に作ることをお許し願いたい」というものだった。
貧しい領民たちにもきれいな水を使えるようにしてやりたい、といういかにもイヴァーシナ男爵らしい理由だった。
わたしはすぐに返事を書く。
『男爵の優しいお心に打たれましてございます。わたくしでお役に立てることがございましたら、どうぞご遠慮なくお申し出くださいませ。なお、川の水は見た目はきれいになっても毒は消えておりませんので、飲用にお使いになる時は必ず煮沸してくださいますよう』
「毒」とは細菌のことだ。この程度の浄化装置では細菌までは取り除けない。
まかり間違って「男爵家の水を飲んだら疫病にかかった」などということになっては、男爵の評判も地に落ちてしまうだろう。
下手をすれば「実は悪魔と契約したのだ」などという噂さえ立てられかねない。
この世界ではまだ病気の原因が細菌だという知識はないのだ。悪魔や邪気のせいだと考えられている。
『近々マイア様のもとにお伺いいたします』とも書き添えた。
水の扱い方について周知しておく必要があると思ったのだ。「魔女」と言われない程度に科学的知識を伝授しておいた方がいい。
姉たちに何を言われようと、わたしはご機嫌で透明なお湯のお風呂に浸かっている。
体を洗う侍従の女性も、一緒に入るのは1人にしてもらった。
お暇を出されるのでは‥‥と恐れた彼女たちに「交代で休んでほしいのだ」と言って安心してもらった。
もう一つわがままを言ったことがある。
一緒にお風呂についてくる侍従には同じように裸になってほしい、と要望したことだ。わたしだけ裸なのはなんとなく恥ずかしい。2人とも裸なら、銭湯にいるような気分でいられる。
「一緒に湯船に入らないか」と誘ったら、「畏れおおくございます!」と平伏されてしまった。(^◇^;)
ただ、背中以外は自分で洗う——というのは認めさせた。
アナスタシアお嬢様はお風呂でご機嫌でいらっしゃる。小声で歌など歌っていらっしゃる——。
侍女たちはそんなふうに噂している、とシンシアが教えてくれた。
お嬢様はお優しいが、変わり者の度合いもひどくなっていらっしゃる——とも。
うっせーよ。
時代の価値観が違うだけなんだよ。
シンシアは特別なわたし付き侍従として、いつでもわたしの部屋に入れる特権を与えておいた。
秘密を共有する仲間として、他には言えない相談もしたいからだ。
少しずつ、生活条件を改善していこう。
次の問題は、トイレだな。




