4 貴族の暮らし
この世界、魔法はなさそうだったがドラゴンはいた。
ドラゴンは伯爵以上の身分に許された希少家畜で、もちろんお話の中と同じように翼があって空を飛ぶ。
伯爵家には3匹、公爵家には5匹の所有が許されていて、王家には制限はない。
制限はないといっても、もともと力は強いが繁殖力の弱い魔獣なので王家といえども11匹しか持っていない。
ドラゴンの繁殖は王家の専権で、公爵家、伯爵家には王家への忠誠の証として所有制限数の範囲内で孵化後1ヶ月くらいの仔が下賜される。
下賜された家ではそれを大切に育て、調教して戦闘竜に仕上げるのだ。
このドラゴンの存在だけが杏奈を少しだけ安心させたファンタジー要素だったが、貴族の令嬢といえど物語みたいに女が乗せてもらえることはまずない。
貴族の当主でも普段の移動は馬か馬車で、緊急を要して空を飛ぶ必要のある時だけドラゴンを使うのが慣例だ。
もちろん、力が強く空も飛べるので戦争にも使われるが——もともとそれが本来の用途である——まあその訓練と調教のために平時は当主と世継ぎの長男が乗るだけ、というのが普通だった。
‥‥‥‥しかし‥‥だ。
ファンタジーの物語の中では決して描かれてこなかった現実がある。
ドラゴンだって生き物なのだ。
餌も食えば糞もする。
それがまた臭いのなんの‥‥。体臭だってすごいし、臭いを知ったらとても乗りたいとは思えなかった。
ドラゴンに乗って空を飛ぶ姫君‥‥というファンタジーな美しいイメージはどこへ?
何も知らなかった頃の杏奈の夢を返してくれぇ———!
馬糞だってすごいんだからね、臭い‥‥。
総じて中世貴族社会は、クサイ。
香水が発達した理由がよくわかる。
極めつけはトイレだよ。
アナスタシアは慣れちゃってるみたいだけど、21世紀の日本から来た杏奈はまだ全然慣れることができない。
水洗じゃないんだからね。
汲み取りのボットンでもないんだよ?
なんかすごい装飾のしてある器の底にいい香りのする葉っぱが敷いてあって‥‥
信じられる?
そこに、するの。‥‥わたしのだけを‥‥。
用が済んだら、侍従さんたちがそれを片付けるの。‥‥一回ずつ。そしてまた、敷いていくの。新しい葉っぱを。
いろいろ混ざってるんじゃないんだよ?
わたしのだ——ってはっきりわかるやつを、他人が一回ずつ片付けるんだよ?
むっちゃ恥ずかしい‥‥っていうか、これ、ハラスメントじゃん?
お風呂?
お風呂はね。花が浮いてるの。
なんかそう言うとすごくいいみたいだけど、お湯は少し濁ってる。
飲料用には湧き水を使うんだけど、それはそれほど量は多くなくて、いくら伯爵令嬢といっても貴重な湧き水をお風呂にまで使うわけにいかないからお風呂の水は川から汲んで来たものなのだ。
普段からこの国の人たちは川で水浴するから、少しくらい濁ってても気にならないみたいだけど。
浴槽にお花を浮かせてるのは、貴族令嬢のための特別仕様みたいなんだけど。
川の水、お湯にするとちょっと臭うんだよね。
花の香りは香水と同じ。その臭いを誤魔化すためなんだろう。と日本育ちの杏奈は想像する。
日本って、水の豊富な国だったんだなぁ‥‥。
失って初めてわかる恵まれた環境‥‥。
そして、貴族の令嬢は1人ではお風呂入っちゃだめなんだ。
必ず2人くらいの侍女が、お背中流したり体を洗ったり‥‥。
そこ、触んないで‥‥。プライベートゾーンだよ?
個室のトイレが懐かしい‥‥。シャワートイレが懐かしい‥‥。
ひとりで心ゆくまで臭わないお湯に浸かって、エコーのかかった鼻歌歌ってリラックスできた生活が懐かしい‥‥。




