008.ソーニャ・フェルデンは一匹狼(ロンリーウルフ)
アクチェ・ヴァルカがボウガンを向けられたのと同時刻。
ティル・ナ・ノーグ沿岸区域にて。
ある黒塗りの船は、完全に主導権を失っていた。
謎の海賊に襲われ、乗組員が〝コト〟に気づく前に排除されてしまったせいである。今頃彼らは魚たちのディナーになっていることだろう。
300丁のボウガンを載せた船は、今や海賊の手に落ちていた。
その海賊船に近づく船が、二隻あった。
天馬騎士団第九師団。
主な任務は海難救助。防災のための海底火山・海底断層の調査及びそれに伴う海図の作成。そして海賊とモンスターの排除だ。
暗い海を割って突き進み、騎士を載せた船は黒い海賊船へと隣接した。それは救助や防災のためでは決してない。
任務はシンプル。――敵の排除だ。
船の上で、第九師団の小隊長が低い声で命令する。
「照明弾発射」
高性能爆薬がたっぷりつまった大砲が火を吹き、照明弾が天高く空の夜に打ち上げられる。
そして同時に。
「これより第九師団は敵陣地に突入する! 敵をすべて鎮圧し、積荷を確保せよ!」
「第三小隊は第一小隊の援護に回れ。分かったか?」
「了解。動発準備完了。状況は良好!」
「各小隊とも所定に不足なし。状況は良好!」
上司と部下との連絡が交差し、装備と気合を満載した騎士たちが次々に海賊船に乗り込むべく待ちかまえる。まるで、獲物に飛びかかるのを心待ちにしている肉食獣のように。
そして、
「第八師団が龍挺降下作戦を展開。飛翔します!」
船の甲板でドラゴンが高らかに吠える。
人を恐怖に陥れる暴虐な動物などではない。ヒトが飼い、ともに戦うことを誓い合った相棒だ。
勇敢な騎士たちを背に乗せ、雄々しき翼をはためかせた。大地を蹴り、冷たい空を引き裂いて、今まさに竜は夜を舞う!
黒い海賊船の甲板上空で、ドラゴンは器用に翼を振って空中制止し、騎士たちは次々とロープをたらしていく。まるで地獄と天国とつなぐ蜘蛛の糸。
「着陸地点に到着。これより龍挺降下作戦を開始する!」
「ロープ投下完了!」
騎士たちはベルトに付けた金具とロープを手際よく結んで、真下――海賊がいるであろう地獄を見つめる。
暗い海に浮かぶ黒船。照明弾があるとはいえ、その光はあまりにも頼りなく、闇に溶けた影が騎士たちを待ち構えていた。
しかし彼らは意気軒昂!
「ハーネス良し! ロープ固定良し! 降ります!」
「行け行け行け!」
ロープを使っての降下――軍隊式で言うところのリペリングと呼ばれる垂直式降下テクニック――で、騎士たちは次々と海賊船に突入していく。空から奇襲を仕掛け、安全を確保してから陸からも突入させる二段構えの攻撃。
やがて安全であることが分かると、船からも次々と騎士たちが我に続けとばかりに黒船へと押し寄せていく。
ドアを蹴破り、刃をふるい、騎士たちは着々と甲板や倉庫を順調に制圧していっていた。
今の状況を海賊側から見たならば、この一言がピッタリだろう。
〝状況は最悪〟
今の状況はまさに最悪と言えた。
アクチェの算段は既にバレており、取引も詐欺であったことが発覚している。
当然、取引相手であった魔導兵団の残党連中は殺気立ってアクチェたちを取り囲んでいる。当然逃げ場はない。
いわゆる絶体絶命という状況だ。あるいは、ちょっとしたピンチ。
「俺たちの船を襲ったのもお前らか?」
「300丁ほどレンタルさせて頂きました」
――だと言うのに、返すヨハンの言葉は非常に落ち着いていた。リラックスしているといってもいい。
「成功してるといいけどな」
「もちろん、成功しますとも」
「お前ら、自分の立場が分かっているのか!?」
これに答えたのはアクチェだった。
「熟知してるよ。まあそこそこに」
ヒトヲクッタヨウナ、トボケタモノイイ。おそらくはこれこそが少年の〝本性〟なのだろう。
目の前にボウガンの矢を突きつけられているというのに、まるで公園で茶飲み話をしているかのように落ち着き払った態度。よほどの大物か、あるいは頭が盛大にイカれまくっているのか。
「えーと、ルーナ・ノワは知ってる?」
男は怪訝な顔になる。知っているも何も、ルーナ・ノワは悪の元締めだ。悪と富が栄える都。黒い脳みそを持つ人間なら誰もが惹かれる罪の楽園。犯罪結社〝朔月〟を孕んだ悪の帝国だ。
「僕は東レムリア貿易会社の株を全部持っていてね。それを全部ルーナ・ノワに謙譲したんだ。おかげで僕は後ろ盾を手に入れた。幹部とまではいかなかったけど、特別顧問の肩書きをもらえたよ。大昔のルーナ・ノワで幹部になるには、何より血のつながりが求められたけど……この時代、血のつながりよりも金になる人間の方が重宝するんだ」
男は驚かずにはいられなかった。アクチェの言葉が正しければ、ティル・ナ・ノーグ屈指の大企業はルーナ・ノワが管理していたことになるのだから。
聞きたいこともあったが、それはできなかった。
相手の意見を聞くことなく、アクチェは話を続けていたからだ。
「だけどちょっとした問題があってね。この会社が最近ちょっと妙な動きをしてるんだ。エッカルトに肥料を持ち込むとかね」
まるで、返事など期待していないかのように。
「ルーナ・ノワの傘下にありながら、ルーナ・ノワの命令を無視して何かをたくらんでいる。それでちょっと調査しようって動きになったわけだ」
まるで、相手のことなどどうでもいいかのように。
「分かるかな? 僕の言葉はルーナ・ノワの言葉でもあるんだよ」
それでいて、自分が高みにいるかのような傲慢な口調で。
その挑発に触発されてか、部下の何人かが動こうとする。それをアクチェは手で制した。
「気をつけたほうがいい。ここにいるソーニャ・フェルデンは朔月の幹部だ」
アクチェの言葉に、周囲がどよめき始める。
男たちの視線がソーニャに集中する。怪異を見るような視線を一手に引き受けながら、彼女は微動だにしなかった。感情をどこかで落としてしまったような人形めいた顔立ち。酷薄な薄青の瞳。
明かりに照らされて鮮やかに輝く金糸の髪はエルフの特徴であり象徴だ。何より美しい。
故に、怖い。
陶器人形のような彼女は無表情で、近寄りがたい雰囲気を匂わせている。そして今の彼女は――無頼者だ。
「そうだよ。天馬騎士団をリストラされた彼女の再就職先は朔月だったというわけだ。〝殺戮の死神〟ルカの名前は聞いたことがあるかな? 彼より強いとまでは言わないけど、彼女は彼の次くらいには強いから気をつけたほうがいい」
「…………」
アクチェの警告を聞きながら、男はそれを鼻で嗤った。
彼にはまだ余裕がある。なぜなら――
「気をつけろ!? 気をつけるのはお前の方だ竜人野郎! こっちは8人、しかも武器を持ってる。そっちの武器は何だ? 安っぽい剣か? 剣は手が届く範囲でしか役に立たないが、こっちは声が届く距離からでもお前を狙えるんだ!」
数においても力においても魔導兵団の方が上。魂が錆びていてもなお、彼らは武力を蓄えていた。
それに、仮に倉庫にいる8人全員をどうにか出来たとしても、外にはまだ見張りをさせている部下が数多くいるのだ。
この状況を覆せる鬼札など、アクチェたちにあるはずももない。その確信が、男に高らかな交渉をもたらしていた。
だけど、
「あまりお高くとまらないほうがいい。安く見えるよ?」
アクチェの嘲笑が、男の高揚を踏みにじる。
「……何だと?」
「3つ、訂正することがある」
手の甲を向け、三本指を立ててアクチェは言った。
それから肘にテーブルをつけたまま指を絡めて、アクチェはかすかに顔を伏せる。
右にヨハン、左にソーニャ。この世のものとは思えぬ美男美女を従えている竜人の姿は、どこか不気味な大物めいた風格を漂わせていた。
あるいは、人じゃない何か――
「あなたたちの相手をするのは僕らじゃない。天馬騎士団だ。――部隊名は第四師団。特攻の要にして馬術戦に特化した重装歩兵部隊。師団長は無能とマヌケを極めた可哀想な男だけど、顔と腕だけは確かだ。突き出す剣は鋭く、銃より正確で、大砲のように力強い。君たちの持ってる〝水鉄砲〟なんかあっさり壊してしまえるだろうね。――持っている人間ごと」
「なぜ、第四師団がここに来る?」
人身売買のことはまだ天馬騎士団にはバレていないはずだ。この港エリアは騎士団の見回り区域からは外れているし、ましてや戦闘を目的としている第四師団が攻め込むわけがない。
「二つ目の訂正」
手の甲を向けたまま、今度は指を二本だけ突き出す。
「実は最近、長空の第一皇女がお忍びで、このティル・ナ・ノーグにやってきてるんだ。公式じゃない。だから誰も知らない。第一皇女はエルフだ。しかもティーンエイジャー。その利点を活かして彼女はエルフが多く住むエガリティアに身を隠し、護衛の目を欺いたんだ。今ドキの洋服に着替えて化粧でもすれば、そこらの若者と変わらない。そして消えた。二度と現れなかった。どこを探しても見つからなかったんだ」
ここでアクチェは口調を変える。
「そのコンテナの中以外はね」
まさか、と男は息を飲んだ。
確かに何人かのハーフエルフを捕まえた。歳の若い子供を狙って。よく売れるし、捕まえやすいから。
まさか、
身元なんて調べもしなかった。する必要もなかったから。
まさか、まさか――
そのうちの一人が、ひょっとして――
「あんたが盗んだのは、そんじょそこらにいるエルフじゃない。世界が誇る機械産業大国のVIPなんだよ。今頃天馬騎士団が血眼になって彼女を探している。この時間帯の南西エリアを調べてるのが――」
第四師団、とアクチェは続けた。
「ここに居ると知ったら、みんなここになだれこむ」
それは事実だった。もしも長空のVIPが誘拐――しかも人身売買の組織に捕まっていたとあっては国際問題だ。いくら平和ボケしたティル・ナ・ノーグといえど重罪は免れない。最悪、身柄を拘束されて長空で裁判を受ける危険だってある。長空では死刑制度が適用されているのだ。それも火炙り。
不意に、自分が汗をかいていると男は気づいた。それに若干――そう、若干だ――怯えている。
「ここがバレるわけがない。誰かが逃げない限りはな」
うん、知ってる、とアクチェが答えた。
そして続ける。
まるで自分の悪戯を暴露する子供のように。
「だから逃がした」
次の瞬間、天井に吊るしていた明かりが激しく揺らいだ。尋常じゃないほどに。
誰かが扉を強く叩いていた。
天馬騎士団によく似ていた。
Special Thanks
ルカ(Luka)
考案・デザイン――夜光虫さん
※ビジュアルや設定など、実はかなり好み♪ 黒好きなんです^^
うちのミナーヴァと戦わせてみたいなぁ……。
テオドール・シャルデニー (Theodor Chardiny)
考案――香栄きーあさん
ビジュアルデザイナー――ジョアンヌさん
※名前は出していませんが、アクチェが言っていたのはこの方のことです。
いきなりの紹介がこんなんでごめんなさい;; うちの子が口悪くてごめんなさい;;;
ちなみに次回セリフ付きで登場いたします。テオドールファンの奥様方は必見です!(たぶん)
皆様方のお子様を貸していただき、本当にありがとうございました。