第2話 できるまでが基礎
翌朝。
村の広場には、まだ薄い霧が残っていた。
アルドが着いた時には、ルークたち4人はすでに集まっていた。
「早いな」
「冒険者の修行だから!」
ルークが胸を張る。
エマは家から持ってきたらしい木剣を抱えていた。
「今日は剣?」
「いや。まず走る」
「走るだけ?」
「今日はな」
アルドは村の東を指さした。
畑の向こう。
森へ入る少し手前に、大きな岩が見える。
「あの大岩まで行って、ここまで戻ってくる」
「分かった!」
ルークはすぐに走り出した。
「あ、待ってよ!」
エマが追う。
ミナとノアも慌てて続いた。
4人の背中が遠ざかっていく。
少しして、バルクたちも広場へやってきた。
「始めたか」
「ああ」
アルドが答える。
「大岩まで往復」
「最初はそんなもんだな」
バルクが頷く。
「帰ってきたら剣をやる?」
レイが聞く。
「余裕がありそうならな」
「魔力の感じ方くらいなら、疲れててもできるんじゃない?」
「そうだな」
セリアは大岩の方を眺めた。
「無理して走り続けないように言った?」
「……言ってない」
「アルド」
「大丈夫だろ。無理なら歩くって」
4人は特に心配していなかった。
最初に歩き始めたのはミナだった。
「む、無理……」
まだ大岩まではかなりある。
両膝に手をつき、荒い息を繰り返す。
ノアも少し先で立ち止まった。
「僕も……ちょっと……」
ルークとエマは走っていた。
だが、その速度も最初とは比べものにならないほど落ちている。
「まだ……あんなにあるぞ」
ルークが大岩を見る。
「行くんでしょ……?」
「当たり前だ!」
2人は走る。
しばらくして歩く。
息が整ったら、また走る。
その繰り返しだった。
後ろからミナとノアもついてくる。
大岩に着いた頃には、4人とも汗だくだった。
そして。
「……これ、帰るんだよね?」
ミナが聞いた。
誰も答えなかった。
「遅いな」
バルクが呟いた。
「初日だもの」
セリアは気にしていない。
レイは木剣を地面に置いた。
「今日は剣まで無理そうね」
「だな」
アルドもようやく気づいた。
やがて、遠くから4つの人影が見えてきた。
歩いている。
完全に歩いている。
時々ルークだけが走り出すが、すぐに歩き始める。
広場へ戻ってきた頃には、全員が限界だった。
「つ……着いた……」
ルークが地面に倒れ込んだ。
エマもその場に座る。
「足……痛い……」
「もう走りたくない……」
ミナは仰向けになった。
ノアは喋る余裕すらない。
アルドが4人を見下ろす。
「結構かかったな」
「遠すぎるよ!」
ミナが寝転んだまま抗議した。
「そうか?」
「遠い!」
「でも往復できただろ」
「ほとんど歩いた!」
「最初なんだから、それでいい」
アルドは本気でそう思っていた。
「そのうち走れるようになる」
ルークが顔だけ上げる。
「全部?」
「ああ」
「途中で歩かないで?」
「そうだ」
「それができたら、次の修行?」
アルドは少し考えた。
「いや。他のことも並行してやる」
「え?」
「走れるようになるまで何も教えないんじゃ、時間がもったいないだろ」
4人の顔が少し明るくなる。
「じゃあ剣も?」
エマが聞く。
「ああ」
「魔法も?」
「やる」
ミナも起き上がった。
「治療も?」
ノアが聞く。
「もちろんよ」
セリアが答える。
ルークが勢いよく立ち上がろうとした。
「じゃあ今から――」
足に力が入らず、そのまま座り込む。
「今日は休め」
アルドが言った。
「明日からだ」
「……はい」
その日。
4人の最初の修行は、走って、歩いて、帰ってきただけで終わった。
翌日も、4人は来た。
その次の日も。
大岩まで走る。
途中で歩く。
また走る。
帰ってきたら、その日の疲れ具合を見ながら別のことを教わった。
レイからは剣。
「全員、持って」
渡された木剣を見て、ミナが首を傾げた。
「私も?」
「もちろん」
「私、魔法をやりたいんだけど」
「魔法を使えない時は?」
「え?」
「魔力がなくなった。杖を落とした。相手が近すぎて術を使う時間がない。どうするの?」
ミナは考え込む。
「……剣?」
「使えた方がいいでしょう?」
「そっか」
ミナは納得して木剣を握った。
ノアも同じだった。
「僕も治療がやりたい」
「治療する相手を守ってくれる人がいなかったら?」
「……自分で守る」
「そういうこと」
レイにとっては当たり前の話だった。
ルークは木剣を勢いよく振った。
「せいっ!」
レイが受ける。
「腕だけで振らない」
「じゃあ、どうするの?」
「足から」
「足?」
「地面を踏んだ力を、腰、肩、腕へ伝えるの。剣は最後」
ルークがもう一度振る。
「こう?」
「さっきよりいいわ」
「よし!」
ミナは木剣に振り回されていた。
「重い……」
「力を入れすぎ」
「落としそう」
「必要な時だけ握ればいいの」
「難しい……」
ノアは振る前に、自分の手足を何度も確認する。
「ノア」
「はい」
「考えすぎ」
「はい……」
「今、また考えたでしょう」
「……はい」
そして。
「エマ。もう一度」
「はい!」
エマが木剣を振った。
まだ速くはない。
力もない。
それでもレイは少し目を細めた。
「今の、誰かに教わった?」
「ううん」
「そう」
「変だった?」
「逆。いいわ」
エマの顔が明るくなった。
「もう1回!」
「いいわよ」
別の日。
アルドは4人の前に小石を並べた。
「今日は魔力を感じるところからだ」
「魔法撃たないの?」
ミナが聞く。
「まだ撃たない」
「火とか出さない?」
「出さない」
「風は?」
「出さない」
「地味……」
「最初はこんなもんだ」
アルドは小石を1つ持ち上げた。
「自分の中にある魔力を感じて、それを手から石へ流す。できるようになるまで繰り返す」
4人が石を握る。
何も起きない。
しばらくして、ルークが言った。
「分かんない」
「普通だ。焦るな」
「アルドはどれくらいかかったの?」
「俺か?」
アルドは少し考えた。
「最初からできた」
「普通じゃないじゃん」
「俺の話はいい」
その横で、ミナが石をじっと見ていた。
「アルド」
「ん?」
「なんか、ちょっとあったかい」
アルドがミナの手を見る。
ほんのわずかだが、石へ魔力が流れていた。
「もう掴んだのか」
「これ?」
「ああ。その感覚を忘れるな」
「うん!」
ミナが嬉しそうに笑った。
さらに別の日。
セリアが用意したのは、少し萎れた葉だった。
「悪くなっているところを探してみて」
「治すんじゃないの?」
ノアが聞く。
「治すのは、その後よ」
セリアは葉を指先で持ち上げた。
「どこが悪いか分からないのに、適当に治癒術を使うの?」
「……駄目なの?」
「駄目に決まってるでしょう?」
セリアはきょとんとしていた。
「傷の場所と深さを確かめる。動かしていいのか判断する。必要なら固定する。それから治すの」
「いっぱいあるんだね」
「これくらいは覚えておいた方がいいわ。自分たちで冒険するなら、全員ね」
「全員?」
「治療できる人が怪我することだってあるでしょう?」
「そっか」
4人とも納得した。
「じゃあ、見てみて」
ルークは葉を裏返した。
エマは破れたところを見る。
ミナは首を傾げる。
ノアだけが、葉の茎から葉脈へゆっくり指を滑らせた。
「……ここ?」
セリアが見る。
「どうして?」
「分からないけど……ここから先だけ、何か違う感じがする」
葉脈の一部が潰れていた。
「そう。そこよ」
「当たった?」
「ええ」
ノアが嬉しそうに笑う。
セリアはそんなノアを、少し興味深そうに見ていた。
そうして、何週間かが過ぎた。
毎朝の大岩までの往復も続いている。
最初に最後まで走り切ったのはルークだった。
「よっしゃあ!」
広場へ戻るなり、両手を上げた。
その数日後にはエマ。
さらに少し遅れてミナ。
最後まで苦戦していたノアも、少しずつ歩く距離を減らしていった。
そして、その朝。
「はぁ……はぁ……!」
ノアが広場へ駆け込んだ。
歩いていない。
大岩まで行き、一度も歩かずに帰ってきた。
「できた……!」
その場に座り込む。
「やったじゃん!」
ルークが背中を叩く。
「痛いよ……」
「これで全員!」
エマも笑う。
ミナはまだ息を切らしていたが、嬉しそうだった。
アルドたちは4人を見る。
数週間前とは明らかに違う。
走り方も変わった。
呼吸の仕方も覚えた。
まだ余裕があるとは言えない。
それでも、4人とも最後まで走り切れるようになった。
バルクが満足そうに頷く。
「よし」
「これで次に進める?」
ルークが期待した顔をする。
「何言ってるんだ?」
「え?」
バルクが不思議そうに答えた。
「明日からも走るぞ」
「ええっ!?」
「せっかく走れるようになったのに、やめたら戻るだろ」
「じゃあ、ずっと!?」
「当然だろ」
4人の顔が引きつる。
アルドも頷いた。
「まあ、これで大岩までの往復は朝の準備運動にできそうだな」
「準備運動!?」
ミナが叫んだ。
「そうだろ?」
アルドが3人を見る。
「そうね」
レイが頷く。
「ちょうどいいと思うわ」
「体も温まるしな」
「帰ってきたら少し休ませましょうね」
セリアも異論はない。
子どもたちは4人の顔を順番に見た。
誰も冗談を言っている様子はなかった。
ルークが小さく呟く。
「冒険者って……大変なんだな」
エマが頷いた。
「うん……」
ミナも。
「もっと頑張らないと……」
ノアも真剣な顔で頷く。
4人は知らない。
他の冒険者がどんな訓練をしているのか。
比べる相手は、目の前の4人しかいなかった。
「よし」
バルクが立ち上がる。
「体も温まったところで、今日は俺が教える」
「何するの?」
ルークが聞いた。
「体の使い方だ」
バルクは村の端へ歩いていく。
そこには、朝のうちに用意しておいた4本の丸太があった。
子どもの胴ほどの太さがある。
バルクが、そのうち1本を軽々と持ち上げた。
「まずは軽いやつからだな」
4人が丸太を見る。
バルクを見る。
もう一度、丸太を見る。
エマが恐る恐る聞いた。
「……それ、何するの?」
「持って歩く」
「これが軽いやつ?」
「ああ」
4人の声が重なった。
「重いよ!」




