第1話 伝説の英雄、弟子を取る
魔王が討たれてから、25年が経った。
当時、魔王城へ乗り込み、その首を取ったのは4人の少年少女だった。
勇者バルク。
剣聖レイ。
聖女セリア。
そして、大賢者アルド。
4人は同じ村に生まれ、16歳で故郷を旅立ち、18歳で魔王を倒した。
その名は今も各地に残っている。
勇者が振るった剣。
剣聖が放った一閃。
聖女が起こした奇跡。
大賢者が操った数々の大魔法。
吟遊詩人は歌い、子どもたちは英雄譚を聞いて育つ。
だが、魔王討伐の後。
4人は表舞台から姿を消した。
死んだ。
異国へ渡った。
王家と対立して追放された。
今も人知れず魔族と戦っている。
長い年月の中で様々な噂が生まれたが、本人たちの行方を知る者はいない。
少なくとも、世間ではそういうことになっていた。
「アルドー! そっち行ったぞ!」
「分かってる!」
田舎の小さな村。
村外れの畑を、巨大な猪が突っ走っていた。
岩牙猪。
大人の男より大きく、額から伸びた2本の牙は岩壁すら砕く。
森で遭遇すれば、冒険者でも正面から戦うのを避ける魔物だ。
そんな魔物が今、一直線に畑へ向かっていた。
「待て待て待て! そこは駄目だ!」
アルドが慌てて走る。
その目は岩牙猪ではなく、その先の畝を見ていた。
「昨日植えたばっかりなんだぞ!」
岩牙猪が地面を蹴った。
土が跳ねる。
そのまま畑へ飛び込もうとした瞬間――。
ゴンッ!
「ブギッ!?」
岩牙猪の巨体が、何もない空中で止まった。
透明な壁に激突した猪が、鼻先を押さえるように後ずさる。
アルドは片手を向けたまま、畝を確認した。
「……よし。無事」
「そっちかよ」
後ろから呆れた声が飛んできた。
振り返ると、丸太を肩に担いだ大柄な男が立っている。
バルクだった。
43歳になった今も、その体つきは若い頃とほとんど変わらない。
「畑は大事だろ」
「岩牙猪も一応、危ない魔物なんだけどな」
「分かってるって」
岩牙猪が怒り狂ったように地面を蹴った。
今度はアルドへ突進する。
アルドは小さく息を吐いた。
「畑の外で暴れてくれ」
指先を軽く動かす。
透明な壁が斜めに現れた。
岩牙猪がそこへ突っ込む。
勢いを殺されることなく、進行方向だけが変わった。
「ブギィィィッ!?」
岩牙猪は畑の横を滑るように通過し、土手を越えて草むらへ転がった。
数秒後。
起き上がった岩牙猪は一度だけこちらを見ると、そのまま全速力で森へ逃げていった。
バルクが肩の丸太を担ぎ直す。
「倒さなくてよかったのか?」
「畑に来なくなればいいだろ」
「肉、うまいぞ」
「昨日、レイが鹿獲ってきただろ」
「あれはもう半分しかない」
「お前が食ったんだろ」
「育ち盛りだからな」
「43歳だぞ」
そんな話をしながら、2人は村へ戻った。
村の中央では、別の騒ぎが起きていた。
「セリアさん!」
見ると、10歳ほどの少女が木の下に座っていた。
膝から血が出ている。
隣では、同じくらいの年の少年が泣きそうな顔をしていた。
「ミナが木から落ちた!」
「大丈夫よ」
セリアが少女の前にしゃがむ。
柔らかな金髪を肩の後ろへ払い、傷口を見る。
「足、動かせる?」
「うん……」
「じゃあ、ゆっくり曲げてみて」
少女――ミナが膝を動かす。
セリアは傷だけではなく、足首や指の動きまで確認した。
「痛いところは?」
「膝だけ」
「分かったわ」
セリアが手をかざす。
淡い光が広がり、擦りむいた皮膚が閉じていく。
ほんの数秒。
傷は跡形もなく消えた。
「はい、終わり」
「ありがとう!」
「でも今日はもう木登り禁止」
「えー」
「えー、じゃありません」
セリアがミナの額を軽く小突く。
ミナは笑いながら立ち上がった。
「相変わらず細かいな」
バルクが言う。
「傷だけ治せば終わりじゃないもの。高いところから落ちたなら、骨や腱も確認するでしょ?」
「まあ、そうだな」
アルドも頷く。
その会話を聞いていた村人は、特に気にする様子もない。
この村では、昔からこうだった。
怪我をすればセリアが診る。
獣が出ればレイが追い払う。
重い物があればバルクが運ぶ。
畑や水路で困ったことがあればアルドがどうにかする。
村人たちにとっては、少し頼りになる4人の村人。
それ以上でも、それ以下でもなかった。
「アルド」
背後から声がした。
振り返ると、黒髪の女性が歩いてくる。
腰には剣。
片手には薪の束。
レイだ。
「森の北側に岩牙猪の足跡があったわ」
「ああ、それならさっき来た」
「倒した?」
「追い返した」
「そう。なら、しばらく来ないわね」
「なんで分かる?」
「森へ戻る足跡を見たから。かなり必死だった」
バルクが笑った。
「アルドに畑荒らすなって怒られたからな」
「怒ってない」
「魔物相手に『昨日植えたばっかりなんだぞ』って叫んでただろ」
「聞いてたのかよ」
その時だった。
「あの!」
4人が振り向く。
少し離れたところに、子どもたちが立っていた。
ルーク。
エマ。
ミナ。
ノア。
村でいつも一緒に遊んでいる4人だ。
先頭のルークが、1枚の紙を両手で握っている。
「どうした?」
アルドが尋ねると、ルークは紙を差し出した。
近くの町にある冒険者ギルドの募集告知だった。
「俺たち、冒険者になりたいんだ」
アルドの手が止まった。
「冒険者?」
「うん!」
エマが横から身を乗り出す。
「町の人に聞いたの。冒険者になったら、いろんな場所に行けるんでしょ?」
「魔物とも戦える!」
ルークが拳を握る。
「薬草を探したりもするって」
ミナも続く。
ノアは少し遠慮がちに言った。
「困ってる人を助ける仕事もあるって聞いた」
4人の目が輝いていた。
アルドはしばらく何も言わなかった。
16歳だった自分たちの姿が、一瞬だけ頭をよぎる。
故郷を出た日のこと。
知らない町。
初めての魔物。
仲間の怪我。
眠れない夜。
そして、帰る場所を失った日のこと。
「冒険者か……」
アルドが呟く。
子どもたちが不安そうに見上げてくる。
「駄目?」
アルドは答えず、3人を見た。
バルクが肩をすくめる。
「やりたいなら、やらせればいいんじゃないか?」
「簡単に言うなよ」
「俺たちも村を出ただろ」
「あれは16歳だ」
「こいつらだって今すぐ出るわけじゃないだろ」
それはそうだった。
レイが子どもたちを見る。
「冒険者になるのは止めないわ。でも、何も知らないまま外へ出るのは危ないわね」
「じゃあ!」
エマの顔が明るくなる。
「教えて!」
アルドが眉を上げた。
「俺たちが?」
「だって、みんな色々知ってるじゃん」
ルークが指を折る。
「バルクは力持ちだし」
「おう」
「レイは剣が上手いし」
「まあね」
「アルドは魔法使えるし」
「少しな」
「セリアは怪我を治せる!」
セリアが微笑んだ。
4人の子どもが揃って頭を下げる。
「お願いします!」
アルドたちは顔を見合わせた。
「どうする?」
セリアが聞く。
「教えてやればいいだろ」
バルクが即答した。
「外へ出るなら、知らないより知ってた方がいい」
「私も賛成」
レイも頷く。
「最低限、自分の身を守れるようにはしておいた方がいいわ」
「そうね」
セリアも異論はなかった。
アルドは4人の子どもを見る。
期待に満ちた顔。
ため息をついて、少し笑った。
「分かった」
「本当!?」
「ただし、遊びじゃない。危ないと思ったらやめさせる。それでもいいなら教える」
「はい!」
返事だけは立派だった。
「じゃあ、明日の朝からだ」
「やった!」
4人の歓声が上がった。
そのまま家族へ知らせに行くのか、村の中を駆けていく。
その背中が見えなくなってから、アルドは3人を見る。
「何からやる?」
「まず体力だろ」
バルクが答えた。
「走れないと話にならないからな」
「剣も早めに触らせたいわね」
レイが続ける。
「剣士になるかどうかは関係なく?」
「当然でしょう。魔力が切れたらどうするの? 武器を持った相手に素手で逃げ回るつもり?」
「それもそうか」
「だったら魔力の扱いも早いうちから覚えた方がいいな。剣を失うことだってある」
「治療もよ」
セリアが加わった。
「誰かが怪我をするたびに治癒術師がいるとは限らないもの。傷の見方と応急処置くらいは全員できた方がいいわ」
「森の歩き方もいるな」
バルクが言う。
「足跡の見方も」
「魔物の種類も覚えさせましょう」
「野営も必要だな」
「毒草と薬草の見分け方もね」
話しているうちに、教えることが増えていく。
だが、誰も疑問には思わなかった。
4人にとっては、どれも旅をするなら必要なことだった。
「まあ、一度に全部は無理だ」
アルドがまとめる。
「明日は走るところからにしよう」
「村の東に大岩があるだろ」
バルクが言った。
「あそこまで往復でいいんじゃないか?」
「そうだな」
「それでいいわ」
レイも普通に頷く。
「最初だし、無理なら途中で歩かせましょう」
セリアが言った。
「もちろん」
アルドが答える。
「最初からできるとは思ってないさ」
4人とも、そのつもりだった。
できなければ、できるようになるまで教える。
剣も。
魔法も。
治療も。
生きて帰るために必要なことを、1つずつ。
自分たちが知っている範囲で教えてやればいい。
ただ、それだけの話だった。
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