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妖精の丘の魔女ファムナッハは悪妻をやめる  作者: 麦色 ろっこ


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常若の国の恋人たち 1

 ダナーン神族の王、ミデールは私の夫だったはずだ。

 だがその夫は、この国で最も美しいと言われる娘——エーディーンの姿を垣間見て以来、頭の中に彼女の姿が焼きついて離れないようだ。

 昨夜もうわ言で彼女の名を呟いていた。


 この常若の国にいる限り歳を取ることのない彼は、若々しくしなやかな肢体を誇っている。

 そして、陽の光を集めたような髪は艶々しく、かのエーディーンと揃いの色をしていた。

 私達が養育したオェングスもまた、彼らと同じ金の髪を持っていた。


 金の色を纏う彼らの若さ、美しさ。そこからくる驕り——。

 それらへの羨望、妬み——望まない感情が私に付き纏う。


 私の纏う色は彼らとは異なる闇色だ。

 この黒髪も、かつては幾多の男性達を魅了してやまない光沢を誇っていた。


 けれど神官ドルイドの使う魔術に惹かれた私は、常若の国を出て、養父の大魔術師——ブレサル・エタルラームの館へ籠るうちに、年齢を重ねた。

 今では、私より年嵩だったはずの夫が遥かに若く見えるし、彼の瞳にあった熱は知らず知らず失われていた——。


 それでも、それは結局のところ自分のせいだという自覚はあった。長年の間、美容に目を向けることもなかったし、その日々の殆どの時間を、夫より魔術の習得に費やした。魔術に対する情熱が、夫への関心を上回っていたからだ。

 私にとっては、魔術を学んだ歳月の痕跡でもある年齢を刻んだ肌は、誇りでもあった。


 しかし……ある時、エーディーンは私に言った。

「——その皺、ひび割れた唇。可哀想に……。

愛と若さの神であるオェングスに乞えば、若さを取り戻せるでしょうに……プライドが許さないのかしら?

若さも取り戻せない魔術なんて、極めても意味なんてないでしょうに。

よかったら、私がオェングスに頼んであげましょうか?」


 彼女に悪気はなかったのかもしれないけれど、そのひと言に私の全てが否定された気がした。

 確かに若さはオェングスに乞えば造作もなく取り戻せるだろう。

 だけど神々は誇り高く、他者に頼みごとをすることに屈辱を感じる。夫のミデールも然り。

 妻である私が、オェングスに頼みごとをすることを夫は良しとしないだろう。

 そう思って、老いたことを受け入れていたのに……。


 私が人生の全てを捧げてきた魔術や、その痕跡でもある老いに憐れむような目を向けられた——腹立ち、やるせなさ……。

 しかし、杖を振り回して怒りを表した私の前に立ち塞がったのは——夫だった。


 彼は背にエーディーンを庇いながら、私を睨みつけた。逆上していた私には、その構図は——夫が妻よりエーディーンに重きを置いているという事実を突きつけているようにしか見えなかった。

 頭は怒りで沸騰寸前になり、カッとなった私は闇雲に杖を振り回した。


 まさかその杖が彼の片目を潰してしまうなんて——。

 その代償として、夫に二番目の妻を受け入れさせられるなんて——思いもしなかった。


 夫はエーディーンを得るために、彼女の父が要求する莫大な婚資を支払った。

 それだけでは足りず、オェングスを通じて最高神ダグザに新たな平原や川まで造らせた。


 そして、エーディーンを二番目の妻として迎えた日から、寵愛する彼女だけが妻であるかのように振る舞うようになり、片目を潰した私を、懲罰と称して宮殿の地下の冷たく暗い牢に閉じ込めた。


 魔術を学ぶために人の国へ出かけることも許されず、私は日に日に鬱屈していった。

 そんな時、エーディーンが牢に来て言った。


「魔術なんてものを極めて無駄に時間を消費して老いるより、ここでゆっくりしていればいいのじゃない?

片目を差し出してミデールの赦しを乞えば、少しは待遇が良くなるかもしれないわ」


 その言葉に頭の奥が熱くなり、苛立ちと憤怒に眩暈がした。

 どうして彼女は自分の価値観しか認めようとしないのか?

 私には、彼女が私の全てを否定しているように思えた。

 魔術というものを侮るにもほどがある。

 私が人生をかけてきたものを思い知らせてやりたい……。そう思って、杖を彼女の肩に当てて念じた。


 エーディーンは私が思い描いた通り、水滴になった。


 これで少しは分かっただろうか。

 私が費やした歳月が、決して無意味ではなかったことを。

 魔術が偉大だということを……。

 水滴にとって、老いや若さがどんな意味があるだろう?


 しかし、水滴になった彼女の気持ちは分からない。

 言葉も行動も制限されているから。

 そこで、再び杖を水滴に向けた。

 すると水滴は次に、紫に光る蝶になった。


「どう……? これが私が積み重ねてきた力よ」


 そう言って口端を上げて微笑む私に、恐れをなしたように、蝶は震え……逃げるように飛んでいく。


「待って……」

 蝶を人間の姿に戻そうと思うのに、遠くにいては魔術が効かない。


 牢の鍵はエーディーンが開けている。私はひらひらと飛んでいく蝶を追いかけて走り出した。


「エーディーンに——何をした……?」

 背後に感じた殺気と怒りの籠る低い声に振り返ると、そこにはミデールがいて、血走った目で私を睨みつけていた。


「違うの……私はただ魔術の力を示したかっただけで、すぐに人間に戻そうと思って——」


「エーディーンを戻せ! もしも戻らなかったら——お前を絶対に赦さないぞ!」


 その憎悪の籠った怨嗟の声に、私の喉は干上がった。


「お前を殺したら、エーディーンが元の姿に戻れないかもしれないから——生かしておいてはやる。

しかし彼女を両の目で探すため、片目をもらうぞ」


 夫は無情に言い切ると、私の顔から目を奪い取った。

 ——痛い……。

 ——強烈な痛みに、顔面だけでなく全身の神経に痺れるほどの衝撃が走った。

 老いても変わらず美しいと言われていた私の瞳。

 それを、恋人を探すために使うと奪われた。

 端正な夫の——その顔には、長年連れ添った妻への情は一片も見られなかった。

 彼の非情さに打ちのめされる。

 だが、激痛に悲鳴を上げ、転げ回る私を冷たく見下ろした夫は、こともなげにその瞳を自分の顔面に埋め込んだ。

 そして、視界を確かめ調整するために瞬きを繰り返した。


 痛みに薄れそうになる意識の中、私は必死に杖を握りしめ、呪文を唱えた。

「痛みよ、去れ——」


 痛みはなんとか抑え込めたものの、荒げた息を吐きながら痺れる瞼を手で覆う。

 薄い皮膚を指でなぞると、眼窩の代わりに空洞を感じた。悲しみに胸が抉られるようだ。


 しかし、私を見下ろした夫は、憐憫の情も持ち合わせないようで、さらに追い打ちをかけるような言葉を吐いた。


「お前のような悪妻は、私の支配下である地下の世界——一筋の光も届かない闇の世界に閉じ込めて、死よりも悍ましい地獄を味わえばいい」


 私をこうも無下に、無価値なものとして扱う夫の惨さに胸が痛んだ。

 氷のように冷たいもので心が覆われていく。

 

 彼が奪った私の瞳は、この先どれほどの年月を経ても、悲しみを忘れることはないだろう——。


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