第四六話 婚礼の日
そして十三月。
今日はフィロメナとディートリヒとの婚礼の日だ。
参列者が起立する中、新郎ディートリヒが祭壇前へ進み出た。純白の婚礼衣装に精緻な刺繍の帯を掛け、緊張した面持ちで花嫁を待つ。
扉が開いた。
花嫁のフィロメナは静々と祭壇前へと進み出ると、そっと新郎の横に並んだ。花嫁を包むベールには細かな刺繍糸が織り込まれ、動くたびにかすかな光を返す。裾には小さな真珠があしらわれ、揺れる度に淡い光を放っている。
ベール越しの表情はぼんやりと霞み、どこか神秘的に見えた。
ディートリヒはごくりと喉を鳴らした。見惚れるなどという生易しいものではなく、言葉を失った。
神官が咳払いをしなければ、きっといつまでも、飽きずにフィロメナを見つめていたことと思う。
「では、婚礼の儀の開始を宣言する」
神官の声は静寂を割り、神殿内に朗々と響いた。
「今日この佳き日に、天空神の御前にて、ディートリヒ・クルト、及びフィロメナ・マルリスの二人は、互いの運命を結ばんとす。ここに両家の承認を示せ」
ギュンターが進み出、宣言する。
「ゼーベルクの名のもとにギュンター・バルドが承認を」
パルツィファルが進み出、宣言する。
「ブルーメンフェルトの名のもとに、パルツィファル・ヴェンツェルが承認を」
その声は少し震えていた。
神官が頷き、祭壇に載せられた誓約書に手を触れた。
「天の祝福と地の慈恵とを受け、汝らの歩みが共にあらんことを。――では、ここに署名を」
羽ペンの先を漆黒のインクに浸し、さらさらと躊躇いなく、ディートリヒは自身の名を誓約書に書き入れた。フィロメナもそれに続く。少しだけ手が震えたが、ひとつの染みもなく書き上げて。フィロメナは小さく安堵の溜め息を漏らした。
神官は頷き、誓約書に印を刻んだ。
貴族の婚姻の誓約書は、王家の書記官が厳重に保管する。
神官は書記官へと誓約書を託した。書記官は恭しく受け取り、下がる。
「誓約の言葉をここに」
ディートリヒが恭しくフィロメナの手を取った。
フィロメナとディートリヒは互いに見つめ合い、頷き合い、誓いの言葉を口にする。
「ファタリアに紡がれし糸を、リーベリアの愛のもとに、アイドマリアの御前にて結ばん」
「偽りなく、違えず、喜びにも悲しみにも背かず、トーデリウスの門へ至るまで、この契りを守ることを、今ここに誓わん」
「――では、指輪の交換を」
白金の指輪は飾り気は少ないが、優美な曲線が洗練されていて美しい。アイドマリアの神紋が刻まれた指輪は、お互いの左手薬指にぴったりと収まった。
「誓いの接吻を」
ディートリヒがそっと、フィロメナのベールに触れた。顔を覆うベールを慎重に退けて、フィロメナの頬に触れた。
ディートリヒの眸が蕩ける。青い海は神々の祝福に煌めいていた。
(なんて綺麗なのかしら……)
うっとりと見つめると、ディートリヒは微笑み、瞼を閉じた。ゆっくりと距離が近付いて、吐息が触れた。フィロメナも睫毛を伏せる。
唇が優しく重なり、溶け合い、離れる。
初めての接吻は誓約の証。
神官は頷いた。
「運命神ファタリアの紡ぎし糸、その結び目を、汝ら自らの意志で守らん。――おめでとう。ここに婚姻は成りました」
拍手と歓声とが二人を包む。
祝福の鐘は天まで届かんばかりに、高く高く鳴り響く。
十三月は特別な月。
天空神と大地母神が再会する、四年に一度の常ならぬ月。常に天と地とを支える二柱が、この月の間だけ手を取り合う。
その子らの多くの神々が二柱の交わりを祝福する。すべての神々が寿ぐ祝祭の月だ。
パルツィファルとルードヴィヒがぐしゃぐしゃに泣きながら手を叩いている。ギーゼラが手巾を差し出して、アルマが鼻紙を差し出した。
ギュンターは満足そうに頷き、バルトロメは満面の笑みで手を叩いている。ハインリヒは相変わらず冷静な表情のまま眼鏡の傾きを直した。
アーデルハイドが、ヴィンフリートが手を叩いて二人を祝福する。
フィロメナとディートリヒは手を取り合い進み出て、参列者の間を歩いて行く。
神殿の扉を出ると、冬薔薇の花弁が振り撒かれた。白、淡紅に真紅、鮮やかな黄。そしてささやかに降り落ちる粉雪。
真白な婚礼衣装に触れ、煌めいて溶ける様は光り輝くようだった。その美しさに、あちこちから感嘆の溜め息がこぼれ落ちた。
フィロメナは微笑むと、花束を高く放り投げた。
花束は綺麗な弧を描いて、飛ぶ。
誰も彼もが歓声を上げる。
乙女たちは皆、我も我もと空へ手を伸ばす。
そして、花束はひとりの乙女の手の中に収まった。
澄み切った鐘の音が響く。天から降り注ぐ雪と、撒かれた花弁とがひらひらと舞う。
雲の切れ間から光が差し込む様は、幻想的で心に響く光景だった。
神々の祝福する十三月の今日、この日。
二人は永遠に結ばれた。
金糸銀糸の飾り布がはためく。
煌めきは差し込んだ陽光に照らされて、すべてが輝いて、眩くて、涙が出そうだ。
「ディートリヒ様」
「何ですか、フィロメナ嬢――いや……フィロメナ」
言い直したディートリヒに、フィロメナは花が綻ぶように笑った。
「これから、どうぞよろしくお願いいたします。旦那様」
ディートリヒは蕩けるような笑みを返した。
「はい。――末永く。……私の、奥方」
これにて第一部終了です。宜しければまた第二部でお会いいたしましょう。




