【神話生物】事件 中編 4
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは、過去の話。
「ひっひっひ、儂を目で追える幼子がいるとは驚いた……。嬉しいのぉ。嬉しいのお。これだから俗世は辞められん。--斬りたい獲物が多すぎる」
一瞬の出来事だった。
それは須藤与一がいつものように稽古をしていた時の事だった。
稽古中に幼馴染ちゃんと再び戦い、無事逃げまどい、涙をこぼしていた。
茂みの中で泣いているときに、激しい音が聞こえたのだ。
それが気になって顔を出して、音の鳴る方に走った。
走った先にいたのが。
ドスを持ったぬらりひょんと、銀子だった。
「っ!? 坊や、逃げーーーー」
「---渇ぁぁっっっ!!!!!!!」
一瞬の出来事だったのだ。
一瞬にしてずたずたに切り裂かれた銀子。
何が起こったのかまるで分っていない様子で唖然としている彼女だったが、須藤与一だけは、目で追ったのだ。
追えてしまったのだ。
「あぁ、ああ嬉しい。だがまずは狐追いじゃあ、狐狩りじゃあ」
後頭部が肥大化し、白いひげを生やした和装の老人。
ヤクザの元締めのような風格。それでいて、右手が血まみれ。
地面には、銀子の尾の毛が散らばっていた。
「ぼ、坊や……はやく、逃げて……あの、妖怪は……強くて……」
「っ、銀子さん……っ!」
血まみれで、この事態に対処するにはボロボロに成り果てた彼女を見て動揺する。
そして、幼馴染ちゃんの顔が過った。
ーー身近な幼馴染に勝てないのに、銀子がやられた妖怪に、勝てるはずがない。
齢7つにしては冷静な判断だったし、転生した頃の記憶が導いた結論ともいえる。
しかし、遅すぎた。
「では斬ろうか。----渇ぁぁっっっ!!!!!!!」
霧のように姿を消し、少年の懐に気付いたら入っていて居合切りの姿勢に入られる。
狐狩りをする、と言って騙し、少年を殺そうと真っ先に狙ったのだ。
だから、銀子も対応が遅れた。
「坊っ」
銀子がようやく気付いて振り返った。
そして。
ガキャンッッッ!!!!!!!!
少年の持っていた木刀は、ぬらりひょんのドスを弾いた。
刃ではなく、持ち手の部分を正確に弾いて。
「だぁ!?!?」
老人が動揺に吠える。
少年の体のスイッチが、入った。
「-----しゃぁっっ!!!!!!!」
蛇がうねるが如く弾いた衝撃を生かし、剣先がU字を描いてぬらりひょんの首に向かう。
「--じゃかぁあああしいぃッッッ!!!!!!!!」
再び霧のように姿を消して、一瞬で先ほどの元の位置に戻るぬらりひょん。
しかし、ぬらりひょんの首元に擦れたような赤い跡が残る。
当たった。当たったのだ。
「ぼ、坊や……?」
「はぁ、はぁ、はぁ、い、今のは……」
反射だ。
体が勝手に動いていたのだ。
何故、そんなことができたのかは分からない。
いや、体だけはわかっていた。
ーー凡百の剣士と一万打ち合うよりも、一人の天才から打ち合い、躱し、逃げ続けた経験が今の技を可能にしたと。
負け続けたコンプレックスで今まで見えなかった、フィジカルギフテッドの本領発揮だった。
「ぁ、ぁあ、ぁああいいぞ、いいぞ童ぇえええええええ!!! 儂に、この儂に触れた武士は何百年ぶりかぁああっ!!!! 渇ぁああああああああッッッ!!!!!!!!」
消えて、側面から、背面から、正面から、地面から、空中から、様々な斬撃が飛んでくる。
側面からの攻撃を弾く。
背面からの攻撃は、体捌きで躱す。
正面からは打ち合い、地面からの攻撃をステップで飛び逃げる。
空中からの攻撃は、むしろ地に伏せて木刀をみぞおちにねじ込んだ。
「ガッッッ!!?」
「----うわあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
木刀をみぞおちにねじ込んだ後引き抜き、ぬらりひょんが空中から自由落下したのを見計らい、猫のように、弾かれるように体を回した。
地面に付したまま回転し、その勢いを利用して、片手で縦にぬらりひょんを斬る。
ぬらりひょんの背骨に木刀が振れる。
ばきり、と何かが折れた音がした。
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああ!??!?!?」
悲鳴を上げる老人。
致命的なダメージを負ったような声だった。
老人が地に伏せもがいている。
「はぁ、はぁ、や、やった……」
須藤与一は手を挙げた。
「やった! おれ、俺勝った! 勝ったんだ! 銀子さん!」
「--坊や、後ろぉっ!!!!!」
「え?」
少年が振り返った途端、首が締まった。
首を、片手で握りつぶされるように掴まれ、持ち上がった。
「が、ぁ、ぁあ……っ!?」
「ぜぇ、ぜぇ、こ、このクソ野郎が……わ、儂の……核に、き、亀裂を……ちぃっ!」
「ぼ、坊やぁああ!」
ぬらりひょんが、須藤与一の体を銀子に見せつけるように突き出す。
「九尾の狐よ、このままでは童は死ぬぞ、ほら死ぬぞ、もう死ぬぞすぐ死ぬぞ! さぁどうする? できるか? 目の前の命を犠牲にしてでも、己の封印を解かずに生きていけるか? さぁ、九尾の狐、稀代の悪女よ!!! 封印を解け!!! 解かねばガキは殺すぞ!!! 儂をこれ以上怒らせるか? 殺すが先か否か!!!!」
「ぐ、ぐぁ、があぁあああっ、あぁ……ぁあっ!」
「坊や! 坊や! やめ、やめて、やめてぇ! やめてよぉ!!! その子は、その子は殺さないで! お願い! 私の、私のダメなところを、受け入れて肯定してくれた、ただ一人の、子どもを」
「解けぇええええええええええええ!!!!!! 解かねば殺すと儂は決めたぞぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「っ、ぁぁ、ぁあああああああああああああああああ」
九尾の狐の封印は、元を糾せば契約である。
ーーお願い。もう、私は私として生きたくない。
安倍晴明は、その願いを叶えた。
悪しき心を封じて、善き心のみで生きていける封印を施したのだ。
つまり。
「元の私に戻りたい」
そう考えて、受け入れることが安倍晴明との約束であり、たった今それが破られた今。
つま先から、指先から真っ黒に染まっていく感覚が、銀子にはあった。
戻る。
見るだけで、意識を向けるだけで、触れるだけで人間を殺す化け物に、戻る。
戻っていく。
戻ってしまう。
彼女の涙とともに、淫虐の二つ名が正しいものに変質していく。
「ぐ、は、はっは、がっはっは!! なんと想像以上の妖気! 太古の怪物、人類の罪の集合体! --さぁ甦れ九尾の狐。ともにこの世を乱すため……」
「っ、らぁっ!!!!!!」
「えっ」
握られた首を支点に、両足を振り子にして体を回し、少年は変則の飛びつき腕十字に移行。
一瞬で、老人の腕を逆方向に曲げた。
「ぐおっ!?」
驚きを一瞬に、首の方に片腕を回す。
締め技を警戒して残った腕を少年の手を防ぐために使おうと反射するも、須藤与一の狙いは別だった。
反対の手を、親指を立てて、老人の目を一直線になぞったのだ。
「がぁ!?」
反射的に両目を抑えようとしてしまう。
完全に意識が自分から離れたと判断し、即座に少年は。
ーー地面に転がったぬらりひょんのドスを、老人の心臓に向けて突き刺した。
「--くぁぁっあっはぁぁぁぁ………っ!?」
肺から空気が抜けるような音。
刃の感触は、肉がゼリーのように柔らかく、心臓がやたら硬い感触。でも、貫いた感覚がある。
「ぁぁぁ、ぁぁぁ、こ、こんな、子ども、に、ゆ、油断、ぁ、ぁあ、ち、ちがう、こ、これ、此れは儂の、全力じゃ、ゆだ、ち、ちくしょ、ぐぅぅうぁああああああああああああああ…………。……あ」
あっけなく、老人はゆっくりと倒れてぴくぴくと震えていた。
血の一滴も流れず、ただ動かなくなっていた。
「はぁ、はぁ。はぁ、っげほっげほっ……。……。ぎん、こさん……」
彼女は膝をついて泣いていた。
両の目を押さえて、瞼を閉じずに泣いていた。
「ぁ、ぁぁぁ、ぁぁぁ」
戻らなくてはいけない。
戻らなくてはあの子が死んでしまう。
坊やが死んでしまう。
嫌だ、戻りたくない。
あの子が、死んでしまう。
その前に殺さなくてはいけないのぉ。
違う違う違う、殺してはいけない。
助けなくてはいけない。
這いつくばって助けてくださいと懇願させてしまえ。
違う、違うのだ。
そうではないのだ。
所詮精通もしていない童なのだ。眼球を直接舐めて喜ぶように教育しても面白いなぁ!
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
悪意が、全身を蝕んでいく。
今まで否定してきたものが、正しいことのように思えてしまう。
でも、そうだ、戻ることは正しいのだ。
ぬらりひょんと言ったか。あの男と共にあの童の両手足をちぎってハムにでもしてしまおう。きっと柔らかくて美味に違いないぞぉ?
やめてよぉ!!! やめてってばぁ!!! 違う、あの”ぬらりひょん”を倒すためにはこれが正しくて。
ーーあ、名前、何で憶えてるんだろう。よりにもよって、最初に、あの妖怪の名をーーーーー。
「--さ、-----んこさぁーーーーーー、銀子さぁああん!!!」
名前を呼ばれた。
誰に名前を呼ばれたんだろう。
名前が分からない。
一回しか名前を聞いていないから、憶えていない。
何年も前に、聞いたはずなのに。
ぼう、や。
そう、坊やだ。
あの子は、坊やだ。
ーーあ。
「-----------寄るなぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
ダメだ、見てはいけない。
私を見ないで。
殺してしまう。喜んで殺してしまう。愉しんで殺してしまう。
魂を汚して、体を穢して、弄んで飽きたら殺してしまう|。
視界に入ったらダメだ。声を聞かせてもダメだ。
意識してもダメだ。触れてもダメだ。嗅いでもダメだ。
ーーあ。ダメだ。もう、手遅れじゃないか。
守りたかったはずの坊やはもう、私が殺してしまうんだ。
「銀子さ、うわあああ!?!??!?」
須藤与一に、妖気が襲い掛かる。
それは、初めてエッチな本を読んでしまう小学生のような、思春期のような、あるいは叩きつけられた下卑た感覚だった。
その妖気に触れたものは、みな九尾の狐に支配されてしまう。
ーーしかし、例外がそこにあった。
「-----ぐぅうううううっ!!!!!!!!!!」
気合だけで、彼は一歩進んだ。
「ち、ちくしょう、なんで俺は……。一体何が……」
その妖気は絶え間なく襲い掛かっている。
言わば嵐の中の強風。
肌をヒリつかせるような熱気に晒され、周囲の動植物ですら狂い始めた。
妖気の強大さは、ようやく陰陽庁に警報が鳴らされたレベルだ。
ーーそれではすべてが手遅れだ。間に合わなくなる。
瞬時に判断した幼子は、須藤与一はまた一歩進んだ。
「---銀子さぁああああああん!!!」
涙を流した獣が、ようやくこちらを向いた。
魔眼である。
「----ぐぁっ!?」
その目を見た瞬間に今までの人生の走馬灯が流れる。
あの目にもう一度自身を映したいと思うほどに恋い焦がれていく。
だが、それでも彼は一歩進んだ。
目がチカチカするほどの衝撃と錯覚。
それでも、それでも彼は一歩進んだ。
あと、20歩。
「『--どうして』」
彼女の声が聴こえた。
呪言である。
「-------ぐぁあああああっ!!!!!!!!」
鼓膜から脳が震える。
全身を支配するような甘美な言葉と感情。
肉体の細胞一つが雪のようにどさっと解け堕ちるような感覚。
膝から崩れ、今すぐにでも彼女の影に接吻したいと思わせる支配力。
ーーそれでも、少年は止まらない。
「ぐ、ぁ、ぁぁっ!!!」
鼻血が出る。
人間の限界を超えた、力みが原因だった。
そう、今でさえ既に限界だ。
腕を動かすのでさえ必死だし、足を前に進めるのも億劫だ。
でも。
それでも。
泣いている彼女を、見過ごせなかった。
「ぎ、んごぉ、ざぁ、んっ……」
「『っ、近寄るな童ぇっ!!!! 坊や!!!! 喰われて死にたいか!!!! いいからもう逃げて!!!! 何故倒れぬ!!!! なぜ屈さぬ!!!! お願いだからぁ……殺させないでよぉ!!!!』」
「うる、さぃ……ッ!!!!!!!」
「『!?』」
バチッ、と、神経が焼き切れる音が聞こえた。
残り15歩。
目から出血が始まった。
血の涙と、口からも血がダラダラと流れ始める。
舌を噛んだのだ。
正気を保つために。
相対する銀子も、口から血を流していた。いや、語弊がある。
正気を保つために、腕を深く噛み千切らんとして、口の中からじゃばじゃばと血が流れていたのだ。
それは、最悪手であったのに。
「-----~~~~~~~~~ッッッ!?!?!?!??」
少年の鼻に、彼女の血の匂いが混ざった空気が入る。
肉体が悲鳴を上げた。
【屈しろ】【屈してしまえ】と脳がスパークしていく。
【此の屈強な兵士のように】【此の偉大な大王のように】
【此の醜い豚を演じる貴族のように】【此の威張り散らした民衆を束ねる平民のように】
【此の着飾ることしか能がない聖女のように】【此の蝶よ花よと箱に閉じ込めて肥やした生娘のように】
【此のひもじくもやせ細り怠惰な奴隷のように】【此の生きるだけで無様とされた罪びとのように】
【屈しろ】【屈してしまえ】
声が聴こえる。
脳がその指令に答えようとする。
ーーそこで少年は、ふと思いついた。
そうだ。脳みその言うことなんか聞くから前に進めないんだ。
思い切り、彼は、
自分の顔面を殴って、また一歩進んだ。
「--あぁ、さいしょからこうすればよかったんだ」
一歩進んだ。もう一回思いっきり自分の顔面を殴った。
鼻がつぶれた。
「よけいなことを、かんがえるから」
耳に掌底を思い切り当てる。
鼓膜が弾け飛んだ。
「まえに、すすめないんだ」
一歩進んで、こめかみを殴った。
ズレて、目の上が切れてしまって、片目が開かなくなった。
「『え、え?』
「ーーぎん、こ、さん……」
思いっきり太ももを叩いて、馬に鞭をやるように、前に進んだ。
思いっきり腕を殴って、正気を何度も取り戻した。
あと7歩まで進んで、目の前の誰かが、泣き叫んでいるような気がした。
「『何をしている!? なんで、もうやめて! 私にそこまでする価値があったとでも!?ただ慰めていただけの間柄であろうに!そんなことしなくていい!もう私の事はいいから!よ、寄るな人間!私は偉大なる、九尾の狐であるぞ……っ!!理性を保ったまま、私に近づく人間なぞ……!! これ以上やめてよぉ!!!あ、あぁあ、ぁあああああああ』
目の前が霞んで、声もよく聞こえなくて、ボーっとしてしまって、よくわからない。
あぁよくわからないことは良いことだ。
だってそのおかげで、一歩前に進めるんだから。
あと、6歩。
九尾の狐が、陰陽術を展開する。
「『何をするつもりだ人間!!寄るな、嫌、寄らないで!怖い、怖い!人間なんか嫌い!怖い!!いつもそうだ、いつも人間は私の事を好き勝手しようとする!嫌だ、もう私は人間なんか怖くない!支配できるんだ!自由に殺せるんだ!!もう誰も私を恐れない!!私を道具みたいに使わない!!力が、力があるんだ!そうだ、だから、でも、あぁああああああ来るなぁああああああああああああああああああああ!!!!!人間風情がああああああああ!!!!!!!!』」
木、火、水、土、金、五行の陰陽術がフル回転する。
それは宝石のような輝きを持って、ガトリング砲のような射出で須藤与一に向かって飛んでいく。
術式が発射される寸前、突き出した右手を抑えるように、左手が射出方向を突き飛ばして変えた。
しかし遅かった。
土の術式の一部が、彼の腕の肉を削いで、火が彼の髪を焦がし、木は彼の鎖骨を粉砕した。
「--ぁぁ、つ、ごうが、いいや。これで……もう、いっぽ……」
残り、5歩。
「『寄るな、寄るなよぉ……、いつもそうだ……お父様はあの帝に殺されて、お母様はそいつに私を売って……っ、宮中ではみんなに弄ばれて、外のやつらは、ひっ、ひや……そうだ、そうだ、みんな、みんな私が悪いって言って、違うもん、違う、私は悪くない、悪くなかったのに、そう、そうだ。だから蘇ったんだ私は、人間は、人間というだけで悪いやつなんだ、みんな、みんながわたしのこといじめてくるの! みんなわたしのこときらいなんだ! わたしわるくないもん! そうだよ! あいつらがさきに、さきにやったからやりかえしただけだもん! わたしがやりかえさなかったら、みんなわらってくるんだもん! だれもたすけてくれなかった! じゃあわたしがやるしかなかったの!!! お、お前も、お前もそうだ、きっとそうだ、だってそうだ!!! 人間のくせに、人間の癖に私に逆らいおって!! 私の事を、なんだと思ってる!! 千年狐狸精たる私を、九尾の狐を!!!!!』」
無理やり右手が再び彼に照準を向ける。
須藤与一は、一言だけ呟いた。
「--九尾の狐は、知らない。でも、銀子さんなら、知ってる」
その言葉に、陰陽術が止まって。
意識を半分飛ばした少年は、彼女の眼を見ながら、答えた。
「俺、よくわかんない。でも、銀子さんが今大変なのは、なんとなぁく分かる……。俺ね、いつも訓練でさ。……っ、泣いちゃうんだよぉ……。だってさぁ……幼馴染ちゃんがさぁ……っ、強くて……、俺ぇ……才能なくてぇ……っ……だけどさぁっ!!!!」
「『!?』」
「そんな俺をさぁ……ずっと、声、掛けてくれたじゃんかぁ……っ、俺さぁ……ひっく、ほんと、つらかったんだけどさぁ……ぐす……それうれしくてさぁ……。だから……俺もさぁ……がんばってさぁ……銀子さん助けるからぁ……っ。じ、実は今めっちゃ痛くてさぁ……ほんとうはぁ……もう、たちたくないんだけどさぁ……でも、こうしないと、銀子さんのとこに、行けないからぁ……っ」
残り、4歩。
「ぐす、だって、俺もがんばって、ひっく、あのへんなおじさん、たおしたんだよ!! なのに、倒したのにさぁ!! これで銀子さんが苦しそうなの、嫌なんだよぉ!!! なんでそんなことになっちゃってるんだよぉ!!! っ、ぶああかぁああ!!! ばかああ!! 」
「『!? ……ぬ、ぬらりひょんが……」』
そこでようやく、彼女はぬらりひょんが倒れていることを認識した。
残り、3歩。
そして。
須藤与一はそこで足を止めた。
「……ひっく、……ぐす……っ。あ、あれ……? ぐすん、ずずっ、……なんで?」
頑張らないと動かない腕を必死に持ち上げ、鼻水をぬぐい、ポカンとした顔で、彼は彼女を見た。
「……名前、憶えられるようになったの?」
「『……ぁ』」
「……っ、よかった、ねぇ……よかったねぇ、ぎん、こ、さ」
ふらっと、彼は膝を着いた。
「『坊やッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』」
残り3歩、彼女が地面を蹴った。
頭が地面につく前に、狐が地を這うように駆けて、彼を抱きかかえた。
「『坊や……』」
「……ぅ、ぁ……」
「『坊や!』」
「……ぁ、の、ね……あの、ね……」
「『喋るでない! 今治療を……』」
「おれね、須藤与一って、言うんだよ、なまえ、須藤与一、須藤与一なんだぁ……へへ……」
「『ぉぉ、ぉおお……、あぁ。あぁ……、よい、ち……すどう、よいち…………、良い名だ、良い名だねぇ、須藤、与一』」
はらはらと涙をこぼして、彼女は、初めて……。
人間に救われた。
悪しき心は、既に銀子の体を蝕んでいる。
しかし。
ーー悪しき心が、須藤与一という人間を認めた。
須藤与一という人間が自己犠牲もいとわず、自らの意思で、屈さず、打算なく自らのために動いてくれた。
それだけで、彼女は良かったのだ。
本当に、それだけで良かったのだ。
初めて彼女は、真心で人間を抱きしめたのであった。
ーー須藤与一、七歳。
前人未踏の、ぬらりひょん及び九尾の狐 討伐完了。
その後の話は、須藤与一だけが知らないのであった。
気付いたら彼女は正式に須藤家の使用人になっていたのだから。
ーーーー未だに少年は、老人をぬらりひょんと認識していない。




