秘密の図書室
「珍しい文献や王家に由来する書物が納められた図書室がこの城にはあるんです。一般には出回らない本ばかりなので、部屋に入るにもちょっと隠し通路を通ったりしないといけなくて」
今、クリスと私はその隠された道を通っているらしい。
道順が複雑で迷子になると大変だから、とクリスが手を引いてくれているのが少しくすぐったい気持ちになる。腕にはスーがいる。
広い通路を逸れて、どこかの小部屋からいくつか扉をくぐり、タペストリーで覆われた壁の狭い階段を上っている。塔を上っているらしい。
等間隔に小窓があって、光が満ちている。
閉鎖された空間だが外の気配が感じられ圧迫感はない。
先程仲直りのキスでクリスの機嫌が直り、せっかくのお茶がぬるくなってしまったが二人で軽食を取った。
いやもう、これ食べないと図書室には連れて行かないと潤んだ目をされたら食べるしかなかった。
美味しいんだけれども。
確かに、スーがこんな状態になってからは食欲があまりなかった、と改めて気づかされた。
観察眼がすごいなクリス。主夫の鏡だ。
「ここは僕の祖父が作ったところなんです。ちょっと変わった人で、在位の間はここに祖母を監禁・・・違うな、愛の巣・・・にしていたそうです。たくさんの貴重な本を集めて祖母に贈ったのが始まりで祖父が亡くなってからは祖母も部屋を移ったんですが、本と部屋の管理は今も祖母がしているんです」
・・・何かおかしな単語があったよね?
「・・・本当に祖父は祖母を溺愛していて、退位したら祖母と二人のんびりと余生を送るつもりで(今僕たちが住んでいる)家を用意していたそうなんですが、のんびりする前に亡くなってしまって。祖母も祖父が亡くなって暫くはひどく落ち込んでいたんですが、何しろあの人はいくつになっても人たらしで周りにはいつも誰かいるんです。ええ、主に信奉者とか恋人とか友達とかね・・・」
祖父の苦労が偲ばれます、って良い感じにしめたけど完全に話を流してるよね?
「さっき祖母の部屋に人をやって図書室の鍵を借りられるか聞いてみたんですが、祖母がこちらに来ているということだったので。さあ着きました」
ちょっと待って。いきなり肉親(王族)にご挨拶とかハードル高いし私の心の準備とかどうするんだ。
「そんなの待ってたら逃げられそうだったので」
クリスの良い笑顔。
容赦なく扉をノックしている。
はい、どうぞ?と内側から透き通った女性の声があった。
外開きの扉を開けたのは赤銅色の髪の壮年の騎士。腰に剣を帯び騎士服が立派で、厳格な雰囲気とがっしりとした体格がいかにも騎士らしい。ちゃらいアインやバートとは全く正反対だ。
「クリストフ殿下がいらっしゃいました」
その低い堂々とした声も威厳がある。聞き惚れそうだ。
クリスが騎士と、挨拶や近況など貴族的な話をしているのを目の当たりにするとやはり王子様なんだなぁと強く実感する。少し寂しい気持ちと切なさが胸に迫る。
クリスが私を騎士に紹介してくれた。彼の感情は読めない。
「初めまして。エリスと申します。庶民の出なので礼儀作法は必要最小限となりますことご容赦下さい」
ぺこりと頭を下げると暫くの沈黙のあと、くくく・・と含み笑いが騎士から漏れた。
「そんなに警戒しなくてもよろしい。クリストフ殿下の連れられた客人だ。侍女たちにえらい人気があると聞いていて会うのを楽しみにしていた。私は騎士団のまとめ役でな。若い者の指導と大妃様の相談役として城にいることも多い。時間があれば訓練場で手合せしよう」
彼はフレッドと名乗った。見かけによらず優しい語り口だった。
クリスが、大妃というのは祖母のことです、と教えてくれた。
部屋に招かれ、ここでは靴を脱ぐよう指示される。柔らかい絨毯が惜しげもなく敷き詰められていた。
壁一面が作り付けの本棚になっていて隅に大きなクッションとひざ掛けが無造作にカウチかかり、華奢なテーブルにはバスケットが乗せられていた。
「フレッド、私もお話にまぜて?」
声は上から降ってきた。見上げると螺旋階段が上まで続いている。
カウチの後ろに階段があり騎士が登っていった。
少しして騎士が腕に大切そうに女性を抱きかかえて下りてきた。
「お見苦しくてごめんなさいね、少し足を悪くしているの」
女神かと思った。
金色に波打つ髪と美貌、優しい表情。絵本の中や神殿から抜け出してきたと言っても信じてしまいそうになる。深い青色のドレスには白や紫、水色のレースが濃淡を描きながらあしらわれ、ベージュに光る細いリボンが胸元を彩って、さらに見る者を引き付ける。
先日のお茶会で貴族令嬢たちのドレスをたくさん見てきたが、この方のドレスは別格だ。それともこの方が着るから特別に見えるのだろうか。
「おばあ様、ごきげんよう」
エリスが感嘆のため息をついている間にクリスが進み出て、手を取って甲に口づけた。
「おばあ様ですって?私、あなたと血の繋がりはなくってよ。やりなおし」
つん、と顎を逸らした姿も美しく見惚れてしまう。現に騎士も見惚れて腕に抱いたままだ。これがクリスの祖母?母親だと言われても信じられる若さだよ。
「・・・失礼しました。ごきげんよう、エリザベス様」
今度はにっこりと満面の笑顔で大妃様はクリスを抱擁した。
「そちらのお嬢さんを紹介して?」
クリスが私の手を取り、出会った経緯ごと紹介してくれた。
にこにこと麗しい笑顔の大妃様からそれで、と言葉が発せられた。
「どちらのエリスさん?」
頭に疑問符が並ぶ私と違い、クリスは非難を込めた鋭い声でおばあ様!と言った。
「あらあら、これぐらいかわせるようにならなければクリストフの妃になんてなれないでしょう?」
あっけにとられたのはエリスだけだった。
クリスが猛抗議している。
曰く、まだそこまで進んでいないからそっとしておいてほしい。自分は彼女の妨げにならないように傍にいるだけでいいから、貴族とは関わらせるつもりもないしこれからゆっくりと攻略・・・って裏事情を暴露している。
騎士・フレッドがそっと大妃様をカウチに降ろし、ひざ掛けをかけエリスの方へやってきた。
さりげなく大妃様とクリスを背にしているのは思いやりですか。
「あ~、それがスタードラゴンだな?」
王族の内輪の話は聞かなくてよろしい、と声にならないオーラが出ています。
なるほど。大妃様の相談役というのは空気を読むことも必要なんですね。
「はい。魔道具に吸い込まれかけた後から、こんな風になってしまって・・・」
「ふむ。私もドラゴンは何度か見たことはあるが、こんなに近くで見たのは初めてだ。綺麗な鱗をしているのだな」
それから、騎士・フレッドはドラゴンの記述のある本を数冊示しクリスたちの話し合いが終わるまで読んでいろ、とクッションを持ってきてくれた。
そして自分はドラゴンを触っていいかと尋ねたので、構わないと答えた。
後ろの王族の方は気にしない方向ですね、わかります。
「魔道具に端を欲したのなら、その魔道具が鍵なのではないか?」
「私もそう思います。その魔道具をもった魔女を追いかけている者がまだ戻らなくて・・・」
エリスがそう言うと、今度は『魔道具大全』という本を持ってきてくれた。
ここには何でもありそうだ。
「ここにある本をすべて知っているのですか?」
「そうだな、ほぼ知っているだろうな。私はこれらをアレックス王から調達するよう命じられたうちの一人だからな」
その後、黙々と本を読み漁りメモにとっていく。
西日が射して塔のこの部屋はかなり明るい。ぎっしりと詰まった本と隔絶された部屋の中は静かで居心地が良い。エリスは町の貸し本屋しか知らなかったが、この図書室は大いに気に入った。
いい気分で次々ページをめくり、読み込んでいく。騎士・フレッドもそっと手伝ってくれた。