#14
「ごめん、騒いじゃって」
匡子と副住職、そして初老の僧侶が嵐のごとくやって来て去っていった後、畳の上に小物が散らかった部屋を背景に八重樫に謝られ、美月は首を振った。八重樫が謝罪することではなかったし、むしろ故意ではないにしろ内輪の話しを一通り聞き届けてしまったことを、逆に謝りたいくらいだった。坊坂と藤沢もそれぞれの身振りで、美月と同じ感想を示した。
「メシ、遅れるな」三人を見やり、少しの沈黙の後、八重樫はつぶやいた。「先に、食べていてくれる?俺と母さんはさすがに副住職に出す前に食べる訳にはいかないもんで…」
「いやいやいや」
「待っている」
「何時間も掛からないだろう。法真殿だって食事は必要だろうし、長居するとは思わない」
間髪入れずに、美月、藤沢、坊坂が、それぞれ八重樫の提案を却下する。八重樫は苦笑した。
「じゃあ、残り、任せていい?」
美月に食事の支度を託すと、八重樫は部屋の片付けに取りかかった。手持ち無沙汰な藤沢と坊坂は、再び庫裡の隅の床に追いやられた。もっともすぐに本堂の方からざわめきがして、大僧正が辞去したことが知れた。音に気付いた坊坂に声を掛けられると、八重樫はすぐに部屋を片す手を止め、本堂に向かい匡子を連れてさっさと戻って来た。大僧正が帰った後、副住職が匡子を詰るだろうことは、全員が予測出来ていた。八重樫は副住職の膳を抱えると、折り返し本堂に向かった。
「お見苦しいところをお見せしました」
庫裡に残された匡子に深々と頭を下げられ、美月たちは再び先程と同じく身振りで遠慮した。八重樫が戻ってくると、いつ副住職がやってくるか分からない庫裡に、一人残して置くわけにはいかない匡子を交えて、美月たちが滞在中の部屋で夕食になった。会話は当たり障りの無いものに始終したが、空きっ腹にそそるバーベキューもどきに、一同不満はなかった。
夕食が終わりかけ、七輪の炭を処理しようとしていたころに、また来客があった。今度の客は正面ではなく、駐車場から裏の石段を上がって来たので、肉を焼く煙と匂いの只中に現れることになった。
「こんばんは。おいしそうねえ。木、持って来たんだけど」
真っ黒に日焼けし、背が低いが小太りの、初老の女性は、面識の無い十代の若者たちが肉を貪っているという状況でも全く臆することなく、姿を現すなり話しかけて来た。
「こんばんは。わざわざありがとうございます。明日で良かったんですよ」
既に食事を終えて、縁側で湯呑みを傾けていた匡子も、意に介すること無く朗らかに応じた。
その女性が、この付近一帯の地主で、冬の間の暖房に使う薪にするための間伐材を持って来てくれたのだとは、その後の八重樫の説明で分かった。ほとんど残っていなかった食材をすぐさま消費し切ると、八重樫、藤沢、坊坂は、下の駐車場に向かった。美月は匡子と一緒に、拭われたのごとき使用のされ方をしている皿と碗を集め、庫裡に運んだ。運び終え、美月が布巾で卓袱台を拭いていると、いかにも力仕事で一筋です、といった風情の中年男性を先頭に、高校生三人が、抱えて持てるほどの大きさに切り分けた間伐材を運んで来た。
「聞いたのよう。黒塗りの高級そうな車が、きらきらした袈裟をかけたお坊さんを乗せて、ここに入って行ったって」
明日やる予定の仕事が薪割りで、本来、間伐材は明日の午前中に運ばれてくる予定だった。急遽この時間になったのは、コンビニ店員から地主への情報提供があったためである。何があったのかと、明日を待ちきれずにやってきて、庫裡で匡子の正面に陣取ると、出されたお茶に手も着けず、身を乗り出し目を輝かせて問いを重ねる地主は、非常に幸せそうだった。間伐材以外に手土産で持って来てくれた、果実の入ったカップゼリーを抱えると、美月は早々に庫裡から抜け出して、寺の裏手に向かった。この地主がいる限りは、副住職も庫裡にはやって来ないだろうと勝手に確信していた。
寺の裏手、物置なのか納屋なのか分からない小屋の横に、トタン板とブルーシートで覆われた、駐輪場のような設備があった。自転車も置いてあったのだが、本来の用途は薪置き場で、そこで薪割りのレッスンが開始されていた。講師は無論、件の中年男性である。鉈が振り下ろされると、美月の太腿ほどある間伐材が、良い音を立てて両断される。美月が、移動させられた自転車の荷台に座って眺めていると、藤沢が見よう見まねで挑戦して、見事、刃から背面に至るまで、薪割り台に食い込ませた。
「にいちゃん、力が入り過ぎだ」
中年男性はにかっと笑って、手ほどきをし始めた。割となんでも器用にこなす坊坂は、二三度、おかしな方向に割ったが、その後は上手い具合に割るようになり、少し時間が掛かったものの、力加減を覚えた藤沢が量産体勢に入ったところで、何故か薪割り大会になった。五分でどれだけちゃんとした薪が作れるかを競うということで、美月が時間計測係に任命された。坊坂のスマートフォンでストップウォッチを起動させ、中年男性の合図で競争が始まり、五分経たないうちに坊坂が脱落した。小学生の頃からやっている八重樫と、とにかく腕力では抜きん出ている藤沢に、手も足も出なかったのだ。諦めてしゃがみ込むと、気持ちの良い調子で、次々と地面に溜まって行く薪を眺めることに徹していた。
結局、均等な大きさに割れているのは八重樫、量では藤沢、と判断され両者引き分けに終わった。にまにま笑っていると八重樫と、まんざらでもない様子の藤沢に並んで、坊坂はとてつもなく悔しそうだった。講習を終えた中年男性は、地主のいる庫裡へ向かって行き、薪置き場には高校生四人が残された。美月がカップゼリーを差し出すと、三人がそれぞれ好みの味を選んだ。八重樫と坊坂が一つしか無いメロンを取り合った。
「坊坂、負けたじゃん」
八重樫にそう言われると、坊坂は更に悔しそうな表情をしながら、メロンを譲った。
「地主さん、いいひとだね」
マスカットを選んだ美月は、果実の味を存分に生かした高級ゼリーに舌鼓を打った。
「いいひとだよ。なんだかね、ご近所さんは、みんな、いいひとなんだよねえ」
八重樫は美月の独り言めいた感想にうなずくと、次点で桜桃を選んだ坊坂に向かって、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「坊坂も、俺が翠康のガキじゃないかって思っていただろ」
ちょうど桜桃の実を口に入れたところだった坊坂は、果実を飲み込みそうになったのか、飲み込みかけていたところで失敗したのか、目を白黒させた。
「…実は、そう。言い訳をするつもりはないけど、学院の大半の連中はそう思っている、と思う」
ややあって、己を取り戻した坊坂は言った。八重樫はからからと笑った。
「知ってる。端から見たらそう見えるよな。てか、じいちゃんの子供なら良かったんだけどね。そうすれば、藤沢並とまではいかなくても、もう少しガタイも良かっただろうに」
八重樫は本気で残念そうだった。例に出された藤沢は無言で白桃を頬張っている。
「おばさん、随分強く否定したけど、何か理由があるの?」
美月は疑問に思っていたことを口に出した。他所の家庭の事情に余り踏み込むのはどうかとは思っているが、八重樫の方からわざわざ話題にしてくれたのは、何でも訊いてくれという意思表示だと判断した。
「ああ、あれね。母さんは心配性過ぎるんだよ。じいちゃんが宗派を破門されたときのことを、ものすっごく気にしていてさ」
「…あれは、本当に悪かったと思っている」
「坊坂に言われも困るなあ」
珍しく口を挟んだ坊坂に、八重樫は快活に笑った。意味が分からず疑問の視線を向ける美月と藤沢に、八重樫は軽い調子で続けた。
「籠蔦事件でね、じいちゃんは、たくさん霊能力者を助けたんだけど、助けられた方が所属する組織としては、さ、どちらかというと素人のじいちゃんに助けられたってこと、認めたくなかったわけ。で、じいちゃんの活躍は事実上握りつぶされた、というか逆にじいちゃんを糾弾するところもあった。当時は、ね。その後に、そのときに生き残った人たちがそれぞれの組織の中で権力を持つようになって、じいちゃんは名誉回復というか、再評価された。そのせいでなんだか伝説めいた人物になっちゃったけど」
八重樫は肩をすくめた。
「そのときの他派からの追求とか、内輪からの突き上げとか、酷かったし、再評価はあくまで他派での話。俺が翠康の子だと思われていると、何かあった時に、その時みたいな目に遭うんじゃないかって心配しているんだよ。心配することなんかないんだけどね。ここや、他派に関われなくなっても、俺は別に構わないというか、そうなったらそうなったで、普通に生きて行くだけなんだから」
八重樫はけろりとしていた。強がっている訳ではなく、実際八重樫ならそうするだろうと、美月たちは思った。
「法真殿は、あれか、『翠康の遺児』を使って、なんていうか、翠康に借りがある宗派とのつながりを持とうとしているわけだな」
坊坂の言葉に、八重樫はくすくす笑いながらうなずいた。
「坊坂が居てくれて良かったよ。大僧正様が事実に反して、俺を翠康の子供として利用しようとしたら否定してくれるよな」
坊坂ははっきりとうなずいた。
「ま、大僧正様には大僧正様の手腕で頑張ってもらいましょう」
八重樫が言ったそのとき、庫裡の勝手口から匡子が姿を見せた。
「郁美、電話。倉瀬くん。英忠くんの方」
八重樫が戻ってくるまでの間、どういうわけか美月が薪割りに挑むことになっていた。八重樫が置いて行った軍手を装着し、小振りの丸太に鉈を振り下ろすと、案外簡単に割れた。美月が簡単にこなしてしまったことで、何故か坊坂は顔をしかめた。
「あ、なに、下が欲しかった?」
美月が嫌みっぽく言うと坊坂は無言で視線を逸らした。図星だったらしい。美月はそれ以上薪割りに関わることは無く、薪割り大会の影響で、薪置き場に散った木の皮や木屑を拾い集めた。坊坂と藤沢も加わって、細かい破片を集めていると、八重樫が庫裡から戻って来た。
「英凌さん、とりあえず実家は出ることになったって」
一旦、辺境の、懇意にしている寺に身を寄せることになったらしい。そこの人手として匡子を雇うかどうか決めるため、一度会いたいとのことで来た電話だった。話しを聞く限りでは、英凌の件が無くても、立地の問題で常に人手不足のようなので、雇われることは難しくなさそうだった。
「で、明後日また、街の方まで出ることになった。最近出歩いてばっかだよ」
言うと、八重樫は藤沢の方を向き直った。
「藤沢は、ガラケーだっけ」
「いや」
否定すると作務衣のポケットに突っ込まれていたスマートフォンを取り出した。
「ああそうか。いや、ケータイの番号聞かれてさ。俺も母さんも持ってないから」
匡子が寺を出た場合に、連絡を取るのが大変になることに気付いたらしい。
「母さん、電話で話すくらいしかしないだろうし、まあメールも出来たら、俺も手紙じゃなくてメールで済むから楽だけど。それくらいの機能のやつってないかな」
「どこと契約するかによるな。どこかの電話会社ならそういうのも出していたはず」
「…まだ電話本体と回線の会社ってセットで契約しないといけないんだ」
同じく携帯電話を不所持の美月は、その辺りの事情に詳しくなかった。




