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#12

無言のまま、躊躇無く本堂から出て行く匡子の後ろ姿を、巌礎(ごんそ)宗総本山で大僧正を務める法真(ほうじん)は無表情で見据えていた。慌てて後を追った尊雀(そんじゃく)寺の副住職の後を、己の腹心の一人に更に追わせると、軽く息を()いて、匡子が運んで来た茶碗を取り上げた。

法真は副住職より少し年長の四十半ばの年齢で、この手の宗教指導者にしてはかなりの年少だった。その若さでこの地位に就いたのは、本人が優秀ということはもちろんだが、法真といわゆる長老にあたる、七十代、八十代の僧侶たちの間に人材が無いということが一番の理由だった。もっと正確に言えば法真の同年代でも法真以外に傑出した人材は無く、更に若い年代では、そもそもひとがいなかった。形骸化が進んでいるとはいえ、妻帯禁止、肉食禁止と戒律の厳しい巌礎宗は、徐々に指導者の成り手を失っていたのである。

「良い切り出し方ではなかったかと」

本堂に残ったもう一人の腹心が、控えめに、しかしはっきりと口にした。この僧侶を始め、誰もまさか匡子に問答無用で立ち去られるとは思っていなかったがために直接的で不躾な問い掛けになったわけで、今更である。法真は表情を崩さぬまま、短く返答した。

「遠回しに言ったところで同じことだ」

昨日の午後、唐突に闘病中の尊雀寺の住職が、翠康(すいかん)がその生を終えた山への入山許可を求めてきた。総本山の土地ではあるものの、特別な意味のある土地ではなく、管理もされておらず、誰かが黙って入っても気付かれないところである。そこにわざわざ許可を申請されて、不思議に思った事務方の話し広がって、法真は八重樫親子の動向を知った。衰退に向かっている宗派を再興させるために、法真が色々と施している工作のひとつが、今まで左道として距離を置いていた『除霊ビジネス』を行っている宗派との接近である。自然、その系統に知名度が高く、籠蔦(ろうちょう)事件で何人もの霊能力者を助けていることで人気も高い翠康の話しが持ち出されることになる。以前から、というより、八重樫親子が尊雀寺に身を寄せた直後から、あの子供が翠康の実子ではないかという噂はあり、実際のところ翠康の子であってもなくてもどちらでも良く、ただ表向き遺児として扱い、諸派への話しを通しやすくすることを計画していた。それが、いきなり寺を出ることになっていて、取るものも取り敢えず、慌てて出向いてきたのである。匡子が、翠康の子供と認めれば良し、違うというのなら条件を提示して話しを合わさせる、そう考えていたのだが、全てに於いて無視された。今、法真に必要なのは、匡子をどうやって説得するかであって、切り出し方の良し悪しを反省することではなかった。


茶を飲み干し、思案していた法真は、本堂に向かってくる足音に気付き、居住まいを正した。

「失礼致します」

一礼とともに匡子が本堂に入って来た。神妙な面持ちで後に続いた腹心の一人が、法真に目礼した。その更に後を、平身低頭で滑り込むように副住職が続いた。

「これを」

周囲の視線や表情など気にもせず、法真の向かいに腰を下ろした匡子は、手の平に乗るほどの紙片を畳に置いて、差し出した。腹心の一人が取り持って、法真に渡す。法真は手の中のそれを見やった。一度丸められたものを無理に伸ばしたようで皺と折り目がくっきりと付いているが、名刺であり、記されている名前や役職ははっきりと読めた。

「これは?」

半ば答えを確信していたが、法真は問い掛けた。匡子は真っ直ぐに法真を見据えた。

「郁美の父親です。役職は変わっていると思います。会社は、変わっていないと思いますが、分かりません」

法真は匡子を見据えた。匡子は視線を反らすこと無く、はっきりとした口調で続けた。

「先方には奥様と、別に子供がいます。迷惑は掛けたくないのですが、致し方ありません。わたしから接触するよりは、社会的に地位のある方々からお話しになった方が、早く済むでしょう。ご自由に確認下さい。郁美は翠康様の子ではありませんし、そう偽るつもりもございません」

断言され、法真は無表情を崩しはしなかったものの、良い気分ではなかった。隣の、先程匡子を追って行った腹心に目をやると、初老の僧侶は無言、神妙な表情で、首を振った。匡子を意に添わせるのは難しい、と示していた。

「了解しました。こちらで確認しましょう。今後、確認作業のために協力を求めるかもしれませんが」

匡子の言い分を確認する必要がある、と法真は判断した。外に向けて勝手に遺児だと発信して、八重樫親子が従わざるを得ないようにするという方策も頭をかすめたが、尊雀寺に生活を依存しているのであればとにかく、離れようとしている現況では効果が薄い。どころか、逆に法真の立場が危うくなる可能性もある。実際、『除霊ビジネス』業界最大手に所属する坊坂が庫裡で事情全てを聞き取っていたわけで、やらかしていたら間違いなく法真が追い詰められていた。法真は坊坂が庫裡にいたことなど知らなかったが、判断は賢明だった。

「無論のこと、ご協力致します」

匡子が応じると、法真は深くうなずいた。

「騒がせましたね」

色を失ったままの副住職に一声掛けると、お供を促し、大僧正は退散した。

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