第20話 戦闘狂の女騎士と、下半身への意識と、守るための戦い方と
兵舎の隅で単調な鞘鳴りが響き続けている。
アッシュは昨日までの怠惰な姿が嘘のように、ただひたすらに抜刀と納刀を繰り返していた。その顔に浮かぶのは苦痛と、そしてそれ以上に己の未熟さと向き合う剣士の苦悩だった。
リアムは腕を組んでその様子を壁際から黙って見つめている。
フィンは相変わらず部屋の隅で小さくなっているが、その視線は時折アッシュの剣筋へと向けられていた。
そして戦闘狂の女騎士クロエ・バーンズは、そんな退屈な空気にもう我慢の限界といった様子だった。
「……おい、教官殿」
彼女は壁に突き立てていた短剣を引き抜くと、俺に向かってゆっくりと歩み寄ってきた。その瞳は飢えた獣のように爛々と輝いている。
「あいつの退屈な修行はもう見飽きた。次はあたしの番だろ?」
「……ほう?」
「あたしに必要なのはあんな地味な反復練習じゃねえ。血湧き肉躍る本物の戦いだ。あんた、あたしと殺り合う度胸はあんのか?」
彼女の唇が獰猛な笑みに歪む。その身体からはピリピリとした闘気が放たれていた。
面白い。
俺は彼女の挑戦を真正面から受け止める。
「いいだろう。貴様の相手をしてやる。だがただ戦うだけでは貴様の欠点は矯正されん」
「ああん? あたしに欠点なんざねえよ」
「ある。それも致命的な欠陥がな」
俺は訓練用の木剣を一本手に取ると、クロエに向かって言い放った。
「今から俺と模擬戦を行ってもらう。ルールは一つ。俺は貴様の腰から上には一切攻撃しない。そして貴様は俺に一撃でも当てれば勝ちだ」
「……はっ。舐められたもんだな」
クロエは俺の言葉に怒るどころか、心の底から楽しそうに笑った。
「腰から上には攻撃しねえだと? いいぜ、面白い。あんたのその余裕綽々の顔を恐怖に歪ませてやるよ」
◇ ◇ ◇
俺とクロエは兵舎の中央で対峙していた。
アッシュはいつの間にか鞘鳴りを止め、リアムと共に固唾を飲んで俺たちの戦いを見守っている。
「いくぜ、教官殿」
クロエは合図も待たずに突進してきた。
その動きはアッシュのような洗練されたものではない。だが獣のような鋭さと、全てを破壊し尽くさんとする純粋な暴力性に満ちていた。
二本の短剣が変幻自在の軌道で俺の顔面と心臓を狙ってくる。
だが俺の眼にはその攻撃の全てがあまりにも単純に見えていた。
(こいつは報告書通りの典型的なバーサーカータイプか。ゲームなら攻撃力は高いが防御力が極端に低い。そしてこういうキャラクターの攻撃モーションは常に大振りで、上半身への攻撃に偏るように設定されているものだ。下段への攻撃、つまり足払いなどに対する防御意識がシステム的に欠落しているはずだ)
俺は彼女の上半身への猛攻を最小限の動きでいなす。
そして彼女が次の攻撃に移るほんの一瞬の隙。
俺は手に持った木剣で、彼女の踏み込んできた足元を軽く払った。
「……え?」
クロエが間の抜けた声を上げる。
次の瞬間、彼女の身体はバランスを崩し、派手な音を立てて床に転がった。
「……いってぇ。てめぇ今……」
彼女が起き上がろうとする、その隙を俺は見逃さない。
再び木剣で彼女の軸足を払う。
クロエは受け身も取れずに再び床に叩きつけられた。
「な……」
「どうした。立て」
俺は冷たく言い放つ。
クロエは屈辱に顔を歪ませながら、獣のように四つん這いになって飛びかかってきた。
だが結果は同じだった。
俺は彼女の上半身への攻撃を全て捌ききり、がら空きになった足元を的確に、そして執拗に払い続ける。
何度転がされても彼女は上半身への攻撃に固執する。まるで自分の腰から下が存在しないかのように、その意識は常に前方の俺の顔と胸にしか向いていない。
十数回、彼女を床に転がしたところで、俺は初めて口を開いた。
「……なぜ足元への攻撃を警戒しない」
「……うるせえ」
クロエは息も絶え絶えに俺を睨みつける。
「なぜ敵から目を離し、自分の足元など見なければならない。敵は常に目の前にいるんだろうが」
「……そうか」
俺は彼女の過去を思い出していた。
団長の報告書に小さく書き添えられていた一文。
『元傭兵団所属。ゴブリンの奇襲により部隊は壊滅。唯一の生き残り』
(ゴブリンの奇襲……。奴らの常套手段は地下からの、あるいは背後からの足元を狙った奇襲攻撃だ。こいつは、そのせいで仲間を失った。そしてそのトラウマが彼女の視界を目の前の敵だけに縛り付けているのだろうか)
俺は木剣を捨てた。
そして彼女に告げる。
「クロエ・バーンズ。貴様の戦場は地面から一メートル上しかないのか」
「……てめぇに何がわかる」
「わかるさ。貴様はただ壊すために戦っている。守るということを忘れているからだ」
俺は部屋の隅で震えているフィンを指差した。
「貴様の次の課題だ。フィン・スチュワート。この臆病者を俺から守れ」
「はぁ? なんであたしがこんなナメクジみたいな奴を……」
「できないか? やはり貴様にできるのは、ただ目の前の敵を壊すことだけか」
俺の挑発にクロエの眉がぴくりと動いた。
彼女は忌々しげにフィンを一瞥し、そして覚悟を決めたように立ち上がった。
「……いいぜ、やってやるよ。ただし手加減はしねえからな教官殿」
彼女の瞳に初めて、ただの闘争心とは違う複雑な光が宿ったのを俺は見逃さなかった。
戦闘狂の女騎士が本当の意味で「騎士」になるための最初の試練が今、始まろうとしていた。




