第19話 怠惰な天才と、鞘鳴りの千回と、見抜かれた本質と
リアムとの決闘から一夜が明けた。
俺が第三特務分隊の兵舎に足を踏み入れると、昨日とは打って変わって部屋は最低限の片付けがなされ、四人の隊員が俺の到着を待っていた。
リアムはまだ悔しさが滲む顔で直立不動。
クロエは壁に寄りかかりながらも、その瞳には好奇の色が浮かんでいる。
フィンは相変わらず部屋の隅で小さくなっているが、昨日よりは少しだけ壁から離れているようだった。
そして天才剣士アッシュ・グレイリングは、やはり干し草の上で寝転がっていた。
だがその目は昨日とは違い、はっきりと開いて俺の姿を捉えていた。
「さて、貴様らの最初の指導を始める」
俺は部屋の中央に立つと、まずそのアッシュを指差した。
「アッシュ。貴様の今日の課題だ。その剣を抜け」
「……へいへい」
アッシュは億劫そうに身体を起こすと、腰に提げた長剣をゆっくりと抜いた。
その剣筋には確かに無駄がない。
平民出身でありながら騎士団でも五指に入ると言われるその才能は本物なのだろう。
だが俺は彼にこう命じた。
「よし、抜けたら納めろ」
「は?」
アッシュが間の抜けた声を上げる。
「聞こえなかったか? 鞘に納めろと言ったんだ」
「……意味がわかんねえな」
彼は不満を隠そうともせずに、しかし言われた通りに剣を鞘へと戻した。
「よろしい。ではもう一度抜け」
「……」
「抜けと言っている」
「……ちっ」
アッシュは舌打ちをしながら再び剣を抜く。
「納めろ」
「……」
「抜け」
「納めろ」
「抜け」
「……おい、あんた、一体何がしてえんだ」
十回ほど繰り返したところでついにアッシュが根を上げた。
俺はそんな彼に今日の本当の課題を告げた。
「日が暮れるまでそれを続けろ。目標は千回だ。ただし条件がある」
俺は人差し指を一本立てる。
「抜刀から納刀まで、その速さを千回全て、寸分違わぬものにしろ。速すぎても遅すぎてもならん。常に一定の速度を保て」
「……はぁ?」
アッシュだけでなくリアムやクロエも、怪訝な顔でこちらを見ている。
剣を振るうな。
ただ抜いて納めるだけ。
しかも同じ速さで。
そんなものが何の訓練になるというのか。
アッシュは完全に馬鹿にしたような顔で言った。
「教官殿。あんた俺を誰だと思ってやがる。俺は天才だぜ? 剣を抜いて納めるなんざ赤子の手をひねるようなもんだ。そんな退屈なこと、やってられるか」
「……そうか。ならば一度やってみせろ。十回でいい。十回、完璧に同じ速さで抜いて納めてみせろ。できたら今日の訓練は終わりにしてやる」
俺の言葉にアッシュは「はっ、安いもんだ」と鼻で笑った。
彼はすっと立ち上がると流れるような動作で剣を抜き、そして納めた。
シャキンと鞘鳴りが響く。見事な速さだ。
「どうだ、こんなもんだろ」
彼は得意げに俺を見る。
だが俺は首を横に振った。
「……遅いな」
「は?」
「一回目よりコンマ一秒、遅い」
「な……」
アッシュの顔から笑みが消えた。
「馬鹿なこと言うな。人間の眼でそんなもんがわかるわけ……」
「わかる」
俺はきっぱりと言い切った。
「俺の眼にはわかる。貴様の身体の僅かなブレがな」
俺の『ゲーマーの眼』は彼の動きを完璧に捉えていた。
ゲームで言えば彼の抜刀から納刀までの一連の動きは、一つの「スキルモーション」だ。そしてそのモーションにかかる時間は俺の脳内でフレーム単位で計測されている。
一回目の抜刀は30フレーム。二回目は32フレーム。
その程度の差異、俺の眼には誤差ですらない。
「才能に胡坐をかいているから気づかんのだ。貴様の剣は常にその日の気分や体調に左右される。それではいつか足元を掬われるぞ」
俺は続ける。
「この訓練の目的は貴様の身体に、常に一定のパフォーマンスを発揮するための『基準』を刻み込むことだ。貴様のその天賦の才を、まぐれ当たりではない本物の『技術』へと昇華させるための最初の工程だ」
「……」
アッシュは何も言えなかった。
彼は初めて自分の才能の根幹を、他人から完璧に見抜かれたのだ。
彼の顔から怠惰な表情が消え、剣士としての真剣な光が宿った。
「……わかったよ。やってやる。千回だろ? やってやらあ」
彼はそう言うと再び剣を構えた。
その日から第三特務分隊の兵舎には、一日中単調な鞘鳴りの音が響き続けることになった。
リアムとクロエはその異様な光景をただ黙って見つめていた。
彼らはまだ理解していなかった。
この退屈な反復作業がやがてこの怠惰な天才を、騎士団最強の剣士へと至らしめる地獄の第一歩であることを。
そして俺の指導が彼らの常識を、根底から覆し始めることになるということを。




