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手をとりあって

 もう今は、彼女はいない。なんて、そんな風に消えていったが、そんなことはなかった。ちゃっかりと後部座席に、少し照れくさそうに、でも笑みを崩さず彼女は座っていた。もう会えないようなそんな気がしていたのか、涙をこぼしていた俺が馬鹿みたいだった。

 もう、俺は彼女のことを怖いとは感じなかった。肩甲骨あたりまで伸びた黒髪を三つ編みにまとめ、泣きぼくろがある少し赤く染まった頬。少し垂れた目尻に小さな唇。歳は20代くらいだろうか、よく想像される幽霊のように白い着物ではなく白いシャツと青のプリーツスカートを履いていた。また、幽霊にしては珍しく、なのか、それとも一般的に知られている幽霊の認識が間違っているのか、足があり、花の飾りがあしらってあるサンダルを履いていた。

「すみません、私、どうもあなたに取り憑いちゃったみたいです。」

うわ、喋った。さっき、私は誰。なんて断片的に喋っていたからか、あまりしゃべらないような印象があったが、普通に喋った。

「それで、私は誰なんでしょう。気がついた時にはあなたの後ろをついて歩いていて、車に乗っていました。」

そんなことは知らない。俺が聞きたい。どうして俺についてきたのか、なぜこうして姿が見え、声が聞こえるのか。知りたいことは山ほどある。

「あの、やっぱり、気持ち悪いですよね。こうして幽霊に話しかけられるなんて。」

俺がずっと考え事をして黙っていたせいか、彼女は落ち込んだように頭を垂れた。

「いや、そういうことでは。考え事をしていまして。あなたが誰なのかは俺にはわからないです。」

誰もいない後部座席に話しかけているように見えているであろう須口は、最初怪訝な顔をしたが、すぐに状況を理解したらしく、黙っていた。

「何も思い出せないのですか。名前も。」

その言葉を聞いて須口は急に運転席の方へ歩きだした。カバンを取り出すと中からタブレットを取り出し操作し始める。

「なにも、自分が誰なのか、どうしてあそこにいたのか、わかりません。わかるのは、自分がもう生きていないということ。あなた達とは違うということ、そしてあなたに取り憑いてしまい、自分から離れることがどういうわけかできないということだけです。」

あまり聞きたい話しではなかった。自分からは離れられないと。俺はどうして良いのかわからなかった。

「国木田君。いいかね。」

スマートフォンをいじっていた須口が口を開いた。

「僕には彼女が見えないし声も聞こえないが、君の発する言葉を頼りに少し調べてみた。あの死人坂に幽霊が出るのか、という事だ。どうやら彼女は自分の記憶を失っているようだしね、何か手がかりにならないかと思ったのさ。」

俺の言葉だけでそこまで把握していたのか。さすがオカルトマニア、では片付けられない、鋭さがある。鈍感なのか鋭いのか、どっちなのだ。

「それで、何かわかったか。」

少し期待を込めていう。須口のことだ、きっと何かしらの糸口を掴んでいるだろう。

「いや、何もだ。あそこが心霊スポットと呼ばれるようになった所以は、男の、老人の幽霊が出るという噂がごくわずかにあるだけだ。それにあの近辺で何か記事になるような死亡事故や事件は起きていない。もし彼女があの近辺で死んだ人物であるなら、こういうのも変だが、何の変哲もない普通の死を迎えた、という可能性が高いだろう。病死か、老衰か。幽霊というのは必ずしも死んだ時の姿であるわけではないから、若い頃の姿で出てきているのかもしれない。あるいは、他の場所から来たのか。何れにせよ、今の段階では彼女に関する情報は、ゼロってわけだ。」

前言撤回。長ったらしく語った須口だったが、結局何もわかっていないということだった。

 俺は須口に、彼女が俺から離れられない、という事を伝えた。須口はしばらく考え込んでいたが、結局、それがどうしてなのか答えを出すことはできなかった。オカルトマニアといっても、所詮素人である。知識にも経験にも限度があるだろう、それはしょうがないことだ。

 彼女はというと、須口の声も聞こえるらしい、須口の報告を聞いて、少しがっかりとしたような表情を見せている。これから先、どうすれば良いのか全くわからなかった。

「とりあえず、仮にでも名前をつけたらどうだ。彼女が良しとするのであれば、だけどね。」

なるほど、ずっと彼女と呼び続けるのも悪いだろう。何か名前をつけるのはいいアイデアかもしれない。彼女も少し表情に明るさを取り戻し、頷いている。

 しかし、どんな名前をつければいいのか。言葉も日本語だし見た目からしても日本人であるから、和名がいいだろう。

「そうだな、浄華院蓮玉清大姉じょうかいんれんぎょくせいたいしなんてどうだろうか。」

須口の発言で一瞬の沈黙が生まれる。

「読みにくい、というか戒名じゃないか、それ。そんなの駄目に決まっているだろう。」

浄華院蓮玉清大姉さんなんて呼びにくいし、戒名をつけるのは流石にひどいと思う。

「場を和ませようとおもった僕なりの冗談だったのだがね。」

そんなことを言う須口であった。

 なかなか名前は思いつかない。二人で頭を捻ったが、これという名前は出てこなかった。

「あの、もし。」

考え込んでいる俺達に彼女が話しかけてきた。

「そんなに悩まないでください。気軽につけてくださって構いませんよ。私にとって、あなた達が私を怖がらず、むしろこうやって私のために真剣に考えてくださってるだけでも、私は幸せです。本来なら、怖がられ、逃げ出すとか、するのでしょうけど、それをあなた達はしなかった。私はとても恵まれています。だから、私の名前なんて、適当につけてもらっても良いんですよ。」

その言葉に、閃いた。彼女が今発した言葉こそが、今、俺の頭の中で彼女の名前になったのだ。

「君の名は、めぐみだ。慈でどうだろうか、慈愛の慈と書いて慈だ。」

その名は気に入ってもらえたのだろうか、彼女はニッコリと微笑んでくれた。

「いいんじゃないか、国木田君。慈という字は慈しむという意味だ。慈しむというのは深い愛情を注ぐ事。君がもっと彼女に対して深い愛情を注げば、彼女の事が何かわかるかもしれないね。」

深い愛情。もっと彼女と、いや、慈さんと真剣に向き合い、対話をし、何かを感じあえば、わかることがあるかもしれない。確かにそうだと思う。

「それじゃ、あなたの名前は、慈さんです。これからは、あなたを慈さんと呼ばせてもらいます。」

俺はそう、伝えた。俺の目の前に座る、名前をもらったその女性は、俺の目にはとても嬉しそうに見えた。それが、俺も嬉しかった。

「さん、なんていりません。もっとフランクでいいんですよ、私は先程も言ったように、とても幸運な幽霊です。私のほうが、あなた達を敬わなくてはいけないくらい。」

クスクスと笑いながらそんなことを言っている。俺たちを敬う、そんなことはしなくていい。それなら、俺と君は対等でいたい。お互いに気を使いすぎず話せたら良い。それだけでいいのだ。

 その事を伝え、俺は手を差し出した。何故だろう、自然と手が前に出たのだ。慈はそれに対し、手を伸ばしてくる。まさか幽霊に触れられるはずはないと、そう思ったが、彼女の手は俺の手の所で触れ合うように自然とピタリと止まり、しっかりと俺の手を握りしめた。

 なんだろう、実際に皮膚に手の感覚があるわけではないのに、俺の手は、慈の手に支えられ固定され、そして、うっすらと温かいような感触が伝わってくる。その感触はとても心地がよく、俺も彼女の手をしっかりと握り返した。握り返せばそこに、慈の手があり、まるで本当に生きている人の手を握った時のように、俺の指は慈の手の形に合わせてピタリとおさまった。ああ、この人は、ここに本当に存在しているのだと、俺はその時はっきりと理解した。


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