意気揚々と語る君の隣で溜息をつく。
「き・・・め・・・」
何かが聞こえる。
「きみが・・おし・・・」
何かの唄のような、どこかで聞き覚えのある、いつ聞いたのかは覚えていない、でもどこか懐かしく、まだ若い頃に聞いたのだろうか、そんなようなもの。
「君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな・・・」
ああそうか。これは恋の唄だ。
目が覚めると、頭の中を唄がぐるぐると回っていた。自室のベッドの上で天井を見つめながら、夢にみた百人一首の唄を思い出す。なぜあの唄が出てきたのかはわからない。中学生の頃に百人一首は勉強したが、もうすっかり忘れていた。
時刻は夜闇が明け始め鳥のさえずりが聞こえる午前5時、などではなく日もすっかり登りきった午前8時であった。須口は朝に弱い。昨日寝たのも午前1時を過ぎていたことだし、この時間の起床はまあしょうがないであろう。
ベッドの脇の床で寝転げている須口を足で蹴飛ばし、起こす。何度か蹴っているうちに須口はようやくと言った具合で目を覚まし、椅子に座り起き抜けの煙草に火をつけた。俺も釣られて火をつけ、一服する。
結局のところ、須口がしゃんと目を覚まし準備を終え、家を出たのは午前9時を回ろうとしていた頃だった。
「それで、これからどこにいくんだい。」
ミッドナイトブルーに染まっているスポーツセダンに乗り込み、尋ねる。今日はいい天気だ。気温は低いが、そのぶん空が高く清々しい。寒くさえなければ歩いて何処かに散歩にでも行きたい気分にさせられる。
「ああ、うん。そうだな、まずはここから10分といったところか、そんなところにあるスポットに行ってみようと思う。」
そんなぼんやりとした返答をした須口は車を発進させた。ここから10分だと、近所じゃないか。そんなところに心霊スポットなんてあるものなのか。今までここで5年暮らしていたが全くもって知らなかった。
須口の情報収集能力に多少の凄さを感じつつ、助手席から外の景色を眺める。何も変わらない、いつも通りの近所の町並みだった。
後部座席に目をやると、昨日の夜までに詰め込んだ大量の荷物と、お互いのカバンと靴、そして奇妙なことに人の形をした紙が座席に貼り付けてあった。
「この紙は一体なんだい。」
しげしげと眺めつつ訪ねてみる。すると須口は急に元気になりぺらぺらと口上を言い始めた。
「ああ、それは人形と言ってな、文字通り人の形をしている。よく見てごらん、中心に赤黒く点がついているだろう。それは僕の血だ。変なものが車に乗り込んでこないよう、もう座席は人で埋まってますよっていう、いわばお守りのひとつと言ったところだな。」
なるほど、さすがにオカルトマニアといったところか、事前の準備は万端というわけだ。
「あとはほら、ダッシュボードを開けてみてくれ。それは紙に包んだ岩塩だ。まあ、葬式の終わりに清めの塩とかかけるだろう、それの類だ。君もひとつ持つといい。肌身離さずな。」
この紙のなかに塩が入っているのか。3つほど入っていた紙の封の一つを取り出し、胸ポケットにしまった。
そんなやり取りをしている間に車は第一のスポットへとたどり着いた。
「ここが目的地だ、まあ見ての通り何もないがね。一応昔は処刑場だったらしい。」
なんのことはない、ただの道である。自転車に乗った老人が脇を通り過ぎていった。
「しかし須口、君はこんなふうに今は何も無いようなところに来てたのしいのかい。」
窓の外には、アスファルトで舗装された細い道、その道路脇には畑。奥の方には軽トラが見える程度である。
「ああ楽しいよ。周りからは何の変哲もないただの道に見えるだろうがね、僕には違う。事実、昔ここに処刑場があった事は確かだし、それに思いを馳せるのは悪くない。」
そういうもんかな、と思いつつ幽霊のゆの字も見つからなかった最初のスポットは空振りに終わった。