雨の日の過ごしかた その3
お、あったあった。
登り切ると、開けて平たくなった地面の上に紫陽花が見えた。青と紫の花が、登りきったことを歓迎しているみたいだ。
なんか色付いてるのは花びらじゃなくてガクだ、って話を聞いたこともあるけど、まあ花でいいでしょ。そこが気になるほど紫陽花愛好家じゃない。
紫陽花は、ポツポツと規則性なく、自由気ままな場所で根を張っている。
花畑みたいに整ってるのも好きだけど、わたしはこっちのほうが好みかな。自然って感じで人の手が入ってなさそうだし。本当のところは知らないんだけど。
……小綺麗な神社もあるし、気づいてないだけで誰かは来てるんだろうなあ。
二人だけの場所なんてものは今の時代だと夢物語にすぎなくて、大体のところには人が関わっている。
そんなことわかってる。わかった上で、論理的な思考をあえて信じないようにする。よくわかんない力で清められました、逆に呪いの力ですべてを跳ね除けてます、のほうが都合がいい。
……と思ったけど、霊的なものに混じられるのも嫌だなあ。どんな存在も邪魔といえば邪魔だもん。
都合の悪い世界の中で、どうにか心地よく過ごそうとして結季ちゃんとのたうちまわっている。
で、その結季ちゃんは……。
一言で表現しちゃえば、瀕死だった。息も絶え絶えになって、顔を上げる余裕すらなさそうだ。屈伸の足を伸ばした状態みたいな体勢で、ぐちょぐちょな地面を見つめている。
無理やり手でも引こうものなら、足を地面につけたまま、棒みたいに倒れ込むことだろう。
「結季ちゃん、咲いてるよ。紫陽花」
わたしの声が耳に入っているかも怪しい。なんて、多分大丈夫だと思うけど。そうじゃないとさすがに体力が不足しすぎていて心配になる。
「やばいわね、これ」
語彙力もなくなってるし。やばいのを自覚してくれただけいっか。
呼吸と一緒に上下する体に合わせて背中をさする。
「これでちゃんと降りれるの?」
「むり」
あまりにも早い回答だった。
「麻依は、一緒に、いてくれるわよね」
ここで一生を終える気なの、結季ちゃん。そりゃ置いてくわけないんだけどさあ。
こんな冗談が言えるなら大丈夫なんだと思う。最期までは待たないし待てないけど、体力が回復するまでなら待っている。あたりまえ。
疲れ切った結季ちゃんが濡れないように、傘を傾ける。
傘はわたし持ちだ。途中までは結季ちゃんだったけど、この様子だし。代わって正解だったなあ。結季ちゃんが傘を持っていたままだったら、二人揃ってずぶ濡れだっただろうし。
気分転換に紫陽花が見たかっただけであって、雨に打たれに来たわけじゃない。雨真っ盛りの時に山登りを提案しておいて、信憑性もなにもないか。
「……逆になんで麻依は平気なの」
「平気ってわけじゃないよ。体力落ちてるなあって感じはするし」
結季ちゃんほどじゃないにしろ、しんどいなあとは思ってる。普段から落ち着きがなくて動き回っているから無駄に体力がある、なんて言っても、さすがに限界はある。なんせ動く暇がないぐらいだらけきってたし。
「元々の体力の差じゃない?」
まあ結論としてはこうなんだろうなあって。わたしは人がいなければこういうところに来るけど、結季ちゃんはわたしが誘わなきゃ来ることないだろうし。
「……そうよね」
最後に一つ大きく息を吐いて、結季ちゃんが重たそうに上半身を持ち上げた。まだ呼吸が落ち着ききってはいないけど、紫陽花を見るぐらいなら大丈夫そう。
「ごめんなさい。もう大丈夫だから」
「よかった。これでちょっとは運動しようって気になった?」
「……ええ、まあ」
結季ちゃんはすっと目を逸らした。口の端に力がこもっていて、ああこれが苦虫を噛み潰したような表情ってやつなんだろうなあ。なんて。
「そんなことより紫陽花見ましょう?」
流れが雑だなあとは思いつつ、結季ちゃんに頷く。
もしその時が来たら、なんて、結季ちゃんに運動をさせる手段はもう何個か考えてあるし。まあ無駄になるとは思うんだけど。
梅雨だからずっと家にこもってたっていうのもあるし、梅雨が明けたら段々戻ってくるんじゃないかな。
結季ちゃんに傘を渡して、紫陽花を見て回る。
「ただの紫陽花だけどここに咲いてるとなんか特別感あるよね」
「入ろうと思わないと見られない山の中で、すぐそばに神社もあるものね」
神聖さを感じる、なんてところまではいかないけど、気分は高まる。結季ちゃんと来れてよかったなあ。なんて、いつもみたいに思う。
「麻依は何色が好き?」
結季ちゃんが紫陽花からわたしに視線を移す。
……あんまり考えたことなかったなあ。鉄板の会話だとは思うけど、いざとなると答えにくい。
別に見たところで何色でも『いいなあ』って思うだろうし。だって紫陽花は紫陽花じゃん?
色が変わってもポンポンみたいなまるっこい形は変わんない。綺麗だなあ、かわいいなあ、とは思えても、感受性が低いわたしには、全部同じぐらいに感じられちゃうんだろう。
みんな違ってみんないい、みたいな。わたしはその言葉信じてないけど。
「決まってないかな、どの色も綺麗だから」
我ながらつまんない答えだなあ。って言いながら思った。
興味があれば、こだわりも生まれてくる。結季ちゃんに送ったものとか、おそろいの物とか。それはいつも考えて選んでるし。
特に好きじゃないものについて決めるのは案外難しいものなのかもしれない。
「結季ちゃんは?」
聞いてくるってことはあるのかな。
「私は──」
結季ちゃんは紫陽花を横目で眺めて。
「青色」
「そうなんだ」
結季ちゃんにあんまり青のイメージないなあ。
なんてことを考えていたら簡単に見透かされた。
「意外だった?」
「うん。白かと思った」
セーターも白い毛糸で編んでくれたし、結季ちゃんが選ぶ物は白系が多いし。
「確かに好きな色だけど、麻依がいるから」
ん? って首をひねる。わたしの好きな色が白だと思われてる? 特別そういうのないんだけど。
……ないよね、結季ちゃんに限って。
わたし自身忘れてるようなことも結季ちゃんきっちり覚えてるし。映画とか見てて美味しそうってなんの気なく呟いた料理が、一ヶ月ぐらい後に食卓に置かれてたことを思い出した。
じゃあ、結季ちゃん青色が好きだったってこと?
そんなことないと思うんだけど。
「これからは紫陽花を見るたびに今日のことを思い出したりするのでしょうね」
「うあー……」
そういうことかー。って、すっと腑に落ちて、感傷的な感覚がする。その裏で、反省と後悔を足して二で割ったみたいな気持ちが生まれた。わたしもこうやって言えばよかったなあ。
「じゃあわたしも青色にする」
当然理由も一緒。気づいてなかっただけでわたしも青色が特別になっている。自分で思いつきたかった。
「梅雨の間にもう一回ぐらい見に来るのもいいかもしれないわね」
「そうしよっか」
結季ちゃんの運動不足も解消できるし一石二鳥ってやつだ。
「この時期にしか見れないのもったいないなあ」
大したことじゃない花が、ちょっと特別なものに変わっただけなのに、そんなことも思ってしまう。
紫陽花の都合は知らないけど、わたしたちの都合としては春も夏も咲いていてほしい。できれば冬の間にも。そしたらもっと見れるのに。
「ずっと咲いていればいいのに」
「散らないでほしいよね」
結季ちゃんに同調して、枯れ木みたいな姿になった季節外れの紫陽花を思い浮かべる。葉っぱの肉が寒さに削ぎ落とされて、骸骨みたいになった紫陽花。
梅雨が終わればこのきれいな紫陽花も終わっちゃうんだなあ。なんて。
紫陽花だけじゃない。当たり前だけど、ずっと綺麗に咲いている花なんてない。
季節ごと、数日だけ。年中咲く種類はあるけど、それはかわるがわる同じ種類の別の花が咲くだけだ。
きれいな花はいつか散る、って嫌な言葉だと思う。最初から諦めてないと出てこない言葉だから。
一輪ぐらい、散らない花があってもいいじゃん。
「わたしたちは、永遠だよね?」
「ええ。別れることなんてないわ」
少しだけ間を開けて、結季ちゃんがいつもみたいな澄まし顔で言った。
「約束だよ?」
儀式めいた雰囲気で、結季ちゃんと小指を絡めた。ずいぶんと子供っぽくて、なんの効力も持たないのはわかっている。
それでも、そんな儀式がいくつも重なれば。なんて。
本当にあるかもわからない永遠をお互いに担保しながら、いつか散ってしまうきれいな紫陽花を眺める。




