いつも通りのお弁当
「はい、あーん」
「あ、ありがと……」
比喩じゃなく、本当に気が遠くなるほど退屈な授業は終わって、昼休み。わたし達は雑音まみれの教室から抜け出して、誰も居ない空き教室で昼ご飯を食べていた。
この空き教室、普段は物置代わりに使われていて人の行き来が少ないから、薄暗くて、ほこりっぽい。床やカーテンに溜まったほこりで制服が白くなってしまうこともしばしばだ。
だけど、教室は邪魔者が多いし、学校で二人だけになれるのはここぐらいしかないということを考えると、そんな場所でもお釣りがたくさん貰えた。
そうして、二人だけになれたのは四時間ぶりだから、気持ちが弾む……うん。弾んでは、いるんだけど……。
と、そんな風に口ごもってしまうのは、今現在、口内で咀嚼中のハンバーグのせいだ。
ハンバーグはわたしの好きな食べ物で、結季ちゃんに作って貰ったことも合わさって普通なら大喜びしているはず。それなのに、どうして気分が沈みかけているのかというと。
このハンバーグ、結季ちゃんが作ってくれるお弁当に必ず入っているのである。そう、必ず。おいしい一口サイズのやつが四個ぐらい。
事の発端は、多分高校入学前の春休み。まだ見ぬ高校生活について二人で話し合っていた時だと思う。
その時のわたし達は、確か。
「そういえば高校って給食ないんだよね?」
「ええ、学食食べるか、持参するか、ね」
「それじゃあさ、作ってきたお弁当を交換するって言うのはどう?」
「それいいわね。その時は絶対にハンバーグを入れておくから」
なんてやり取りをした。
その時のわたしは冗談だと思っていたけど、これである。
いくら好きな食べ物で、食べるのが平日の昼だけだとしても。入学してから今までの大体八ヶ月間、ずっと食べ続けていると……ちょっとしんどい。
大大大好物とかまでいってるならまだしも、わたしにとってのハンバーグはただの好物レベルだからとっくに飽きが来ている。
お弁当なんて折角の機会なんだから、結季ちゃんにもっといろんな種類のものを作ってもらって、それを食べさせて欲しい。さっきみたいに……こう、直接口に。
まあ、そうやって要望を思い浮かべていても、結季ちゃんに伝わらなきゃ意味が無い。言ってしまえば済むだけの話なんだけど、それには大きな壁が一つありまして……。
「あのー……結季ちゃん?」
「なーに?」
この笑顔である。
ハンバーグが入ったお弁当箱からわたしの方へと向き直った結季ちゃんは笑顔だった。濁りのない、どこまでも透き通るような笑顔。
ハンバーグを食べてもらえてうれしいんだろうなあ、と物語るその表情に、今までのわたしは『お、おいしいよ』とお茶を濁すしかできなかった。
でも今回のわたしはひと味違う。結季ちゃんは落ち込むだろうけど、さすがにそろそろ別のものを食べたいのだ。
「そろそろハンバーグ以外も食べたいなあ……って」
よし、言えた!
結季ちゃんの反応は……。
「もしかして美味しくなかった……?」
さっきまでの笑顔は一瞬で消えて、俯いた顔には影が差している。結季ちゃんはすごく分かりやすく落ち込んでいた。
今日こうやって言うまでに、脳内で何回かシミュレーションをやったけど、そんなの意味が無かった。想像じゃない、現実の落ち込んだ結季ちゃんを見て、背中に嫌な汗がにじんでいくような感覚が生まれる。
うう……。結季ちゃんのこんな顔見たくなかったのに。やっぱり言わなきゃ良かったかも……。
「あのっ、違うの」
「……ごめんなさい」
そんな沈痛な様子の結季ちゃんに、わたしの胸がぎゅっと締め付けられる。早く誤解を解かなきゃ。
「いや美味しいよ? 美味しいんだけどね?」
「だけど?」
「さすがに食べ飽きまして……」
そう言うと結季ちゃんは唖然として。
「食べ、飽きた……?」
結季ちゃんはなんで豆鉄砲を食らった鳩みたいにびっくりしているんだろう。
「だって、八ヶ月だよ? さすがに食べ飽きちゃった」
「私、まだまだ未熟ね……」と、そこまで言うと結季ちゃんは再びの笑顔で。
「飽きが来ないくらい美味しくできるよう、精一杯練習するわ」
次の瞬間には「違う、そうじゃない」と、どこかで聴いたことがあるような言葉が自然と口から出てきていた。
結季ちゃんちょっと抜けてる所あるなあ、って思うことは何回かあったけど、まさかここまでとは。
結季ちゃんは、やると決めたら最後まで一生懸命に頑張り続けるけど、その分それ以外のことがあんまり見えてない、なんてことが多い。と、思う。
一昨日の──二人で盗聴してたときの朝だって、わたし以外誰も居ないってことに気付いてなかったみたいだし。
どんなことがあっても大丈夫なように、わたしがずっと結季ちゃんを見ていなきゃ。と、決意を新たにしたところで、本題に戻る。
「あーっと、ハンバーグだけじゃなくて、別のものも食べたいかな……なんて」
「そうなの? でも最初にハンバーグを食べたときに、麻依言ってたじゃない『おいしい! 毎日でも食べたい!』って」
いやまあ確かにそんなことも言った。言いましたけど。
「それは、言葉の綾といいますか、ものの例えといいますか。実際に毎日食べたい訳じゃなくて……。他にも結季ちゃんに色々なものを作って欲しいかなーって」
そう言うと、結季ちゃんは申し訳無さそうな顔をして。
「……なるほど。それじゃ私、かなり酷い勘違いを……」
「ごめんなさい」と、結季ちゃんは顔の前で手を合わせて、頭を軽く下げた。
こうして謝られるのはなんだか新鮮だ。結季ちゃんと二人で居て、こういう謝らなきゃいけない状況になることがあんまり無いからなあ。
だからといって増えて欲しいわけでも無いけども。
本当にひどい勘違いだったけど、何はともあれこれで一件落着。ハンバーグ地獄の魔の手からわたしの昼食は守られたのだった。
「全然大丈夫だよ。次からハンバーグ以外も作ってくれたら。……ハンバーグは週一回くらいで十分かな」
「ええ、分かったわ。ハンバーグの他に入れてほしいものある?」
「うーん、唐揚げとか?」
「じゃあ、これからは絶対に唐揚げを入れておくから」
「えっ」
「ふふっ、冗談よ」
「本当にやめてね……」