一人の夜 その2
麻依がいない私の部屋は、無意味にだだっ広いだけの空間と言えた。
麻依がいないだけで妙に広さを感じる。どこに手を伸ばしても欲しい物には触れられず、ただ宙を掻くだけ。匂いも音も雰囲気も、私一人しか感じられない。
何か他のものに対する取っ掛かりを見つけられるわけでもなく、延々と鮮明な思考だけがぐるぐると回っていた。
闇に包まれたような、孤独な場所。
宇宙に一人投げ出された時の感覚と少し似ているかもしれない。ふわふわと、どこかに足を着けるでも無く、孤独の中でさまよい続けている。出口は見つけられない。
私にとって麻依はすべてで、世界そのもので、生きる意味で。そして今、その麻依はいない。だったらこの空間は一体何の意味を持っているのだろうか。
……って考えてみたり。なんというか、よくわからない哲学をしているみたいだった。
だけど、他に考えるようなこともなくて考え続けている。
あまりにもわたしの中の麻依の存在が大きすぎて、他のものの存在が不確かになっていた。
考える対象にすらならないほどに。
……それで、どうしたものだろう。
深夜なのだから、さっさと眠ったほうが良いのはわかっているけれど。
敷き布団の上に居ることは居る。とはいえ部屋の明かりは煌々と灯っていて、消すつもりもなかった。
正直に言って、一人で寝たくない。
万が一眠れたところで悪夢でも見そうだし。
悪夢をみるぐらいなら、徹夜して眠気と格闘した方がマシだった。
それに多分だけれど、麻依も寝てないでしょうし。眠れない、というよりは起きていることを選択しているような気がする。
変なアグレッシブさで私のことを求めてくれる麻依のことだから、きっと今もおかしな形で私を感じているに違いない。そんな確信があった。
お互いに起きているのなら、通話を再開してもいいのだけど。
そう思って、スマートフォンの電源を入れる。
若干の期待があったものの、特に連絡とかは来ていなくて、少し残念に思いながら再び画面の光を消す。
麻依が我慢しているのなら、私も我慢しておかないと。それに、ほとんど有り得ないとは思うけれど、麻依が本当に眠っていたら申し訳ないし。
自分の中で折り合いを付けて、スマートフォンを布団の端に投げ出すように置いた。
乱暴になってしまったのは、麻依が居ないことに対するストレスなのかもしれない。
やれることもないし、孤独さについて考えていても意味は無いし、しょうがないからイマジナリー麻依でも召喚しようかしら。
麻依が補習を受けていたときのあの地獄みたいな時間で没入する感覚はわかっているし。
第一、一人で朝までの長時間耐えられる気もしなかった。通話終えてからの三十分弱で既に若干限界が見えてきている。
やっぱり、社会のレールから外れる選択をしたのは正解だったと思う。半日も離れられないって手遅れだもの。
寂しいと死ぬウサギもあまりの耐性の低さに驚いているしれない。誰とでもいいウサギと違って、私は麻依一筋であることも付け加えておく。
イマジナリーな麻依を動かすために、目を閉じて、麻依のことだけを考える。
麻依はいつも私の横にいてくれる。
いつも、私の、隣に……。
そう思い込んで、頭の中で麻依を形作る。
想像上の麻依が、独りでに喋り出した。
『結季ちゃん? どうしたの?』
返事をしようとして、けれどできずに固まる。
……麻依は麻依なのだけれど、存在が薄っぺらいというかなんというか。再現できているのは声と見掛けだけで、大事な雰囲気はどこにも感じられない。まるで、上辺だけ再現した蠟人形のような。
動きを込みで想像できているだけ高クオリティではあると思うのだけど、これだと没入には至らない。
麻依が補習を受けていたときは学校というストレスフルな環境だったから、本物そっくりの麻依が出てきたのはそれに対する無意識の防衛手段でもあったのかも。
じゃあ、どうしよう。
イマジナリーで再現できないとしたら、他に打つ手が思いつかなかった。
ペアリングを見たり、お揃いのものを手元に持ってきたりするけれど、麻依そのものを感じられるわけじゃない。
麻依が、麻依との繋がりが感じられなくて落ち着かない。心細くて、落ち着かなくて。さっきまでの落ち着きが、露を払ったみたいに心の側面を流れ落ちていく。
麻依を感じられるものを求めて、部屋の中を歩き回る。できることなら、今すぐにでも麻依の家に走って行きたい。
「……別にいいじゃない。毎日お互いの家で泊まり合っても。将来のパートナーなんだから。夫婦が毎日同じ家の下で眠るのと何が違うの?」
自然とこぼれた恨み言が、凪のように静かな部屋の中に波を立てる。
家主に対抗出来る権利は持ってないから、直接は言えないのだけど。
「早く二人暮らしできたらいいのに」
そうすれば余計な柵は無くなって、麻依を思う存分感じられるのに。
「麻依」
苛立ちが焦燥感と合わさって勢いを増していく。疑う余地無く麻依が切れた禁断症状。
麻依といたい。麻依が欲しい。麻依の雰囲気を感じたい。麻依といっしょに寝たい。麻依と一日中、余すところなく時間を使って、好きなことだけをして生きていたい。
堰を切って、欲望が溢れ出てくる。
頭の中が麻依一色に染まって(元からかもしれないけれど)半分おかしくなりながら部屋の中を歩き回って。
「あ」
と、目に止まったのはクローゼット。
ペアリングもお揃いのものも麻依を直接感じられるわけではなかったけれど、麻依の服なら、きっと麻依そのものを感じられる。
クローゼットを開けて、お揃いだらけの中身から、一回り小さい服だけを持ち出す。
不思議と背徳感は湧いてこなかった。感じる余裕も残っていないほどに頭が麻依だけだったのかもしれない。
麻依の服を布団に散らばらせて、倒れ込む勢いのまま顔をうずめる。
「あぁ……」
って声が出てしまうほどに、麻依だった。一緒にいるときに、いつも感じている匂い。使っている柔軟剤は同じなのに、何がどうして違うのだろう。
甘い匂いが染み渡って、傷を癒やすように私に落ち着きを与える。甘いとは言っても、フルーツのような香りというよりは砂糖菓子。清涼感や酸味は無くて、真っ直ぐ私が求める甘さだけを与えてくれる。
『結季ちゃん、わたしはここにいるよ?』
「……麻依」
今度現れた麻依は、本物とよく似ていた。あくまで似ている止まりで、本物の麻依ではないのだけれど。とはいえそれは、目をつむれるぐらいの小さな不満。
現実にある麻依の匂いが、不完全な想像の麻依の存在を支えて成り立たせている。
……こんなことをして、本物の麻依に怒られたりしないだろうか。
きっと、バレたら叱られてしまう。
麻依、やきもち妬きだから。空想の中の自分自身相手だったとしても容赦しないような、そんな気がした。
けれど、麻依なしで孤独に耐えられそうにもなくて。
「ねえ麻依、朝まで一緒にいてくれる?」
『言われなくても一緒にいるよ、結季ちゃん』
浮気とわかっていながら、目の前の甘い想像に体を沈める。




