憂鬱な始まり
春休みは平和だったと、新学期の朝に回顧する。
セーターを貰って、山を登って、それ以外の日はなんてことのない日常が続いて。まさに休み、という感じの良い過ごし方だった。
運動不足という課題も見つかったのだけど、正直なところ解決する気が起きない。
……運動する必要、ある? ゴロゴロしていてもなんの問題もないでしょ? 別に何も困ってないのだし。
なんて考えが真っ先に浮かぶくらい、全身が怠惰に浸っている。活力はいつの間に私の下を去ってしまったのだろうか。
麻依に言われればきっと戻ってくるのだろうけど、その麻依は別に気にしてなさそうだった。
というわけで、心の棚の上に新たな問題が一つ加えられる。見返すことは恐らくない。
どうでもいい過去の問題はさておいて、現在進行形でなおかつ火急の問題に思考を巡らせる。
麻依がぐずっているときは、一体どうすればいいのかしら。
「麻依、そろそろ準備しないと」
「行きたくない」
返事と同時に、麻依の頭が亀のように布団の中にしまわれていった。目から上だけを出して、私をじっと見ている。
愁いに満ちた目、の一歩手前。不満げな目線を向けて、私に行きたくなさを訴えかけている。
「どうして?」
「……クラス替えとか、人付き合いとか、嫌だなあって」
言いながら、麻依が布団の海にさらに沈下していく。もう髪の毛一本も見られない。
確かに、全部嫌な問題であることは間違いないと思う。私たちがどんなに努力しようと何も変えられないところなんかは特に。
けれど、クラス替えはそこまで嫌がらなくてもいいんじゃない? とも思う。
違うクラスになってしまったところで、私たちの実態は何も変わらない。
死んだ魚のような目で授業を受けて、少しの休み時間に麻依と話す。その流れは同じクラスだろうと違うクラスだろうと変わらないのだから。
こんなことを、麻依と話したはずなのだけど。
「クラス替えは別に気にしてないって言ってなかった?」
「そうなんだけど、そうなんだけどさ……」
布団の中から呻き声が聞こえてくる。心と思考の間でとてつもない葛藤が起こっているのがありありと想像できた。
麻依の気持ちはよく分かる。同じクラスになって近い席になりたいというのが人情だと思うし。
新学期前日になってクラス替えのことを考える。頭では大丈夫だと思っていても、考え込む内に不安感が蓄積されていって、今の状態に至った。
そんなところだろうと、麻依の性格から推測する。少なくとも九割は正解なはず。
「大丈夫。クラスが違っても休み時間になったらすぐに会いに行くから」
「わたしのいないところで他の人と話したりしない?」
「するわけないでしょ」
「そう、だよね」
麻依が布団から少しだけ浮上する。私の言葉を聞いて、少し気が晴れたのだろうか。
麻依の目が見えるだけで、私のほうも安心する。見えないというのは、思っている以上に恐ろしいのかもしれない。
……ちょっとだけ、クラス替えが怖くなった。
麻依は、どうなのだろう。案外クラスに馴染んでしまえそうな気がする。小さいし、可愛いし。誰かに話し掛けられて、そのままズルズルと……。
だめ、考えない!
頬を軽く叩いて、思考を強制的に再起動させる。
こういうのは考えたらドツボに嵌まってしまうものだから。実際麻依が先に嵌まっているし、私も経験済みだし、気をつけないと。
「結季ちゃん?」
「なんでもないわ」
私まで不安になってしまったら、新学期早々欠席になってしまう。そして次の日に不安が持ち越されてまた欠席。
なんてことになったら全部終わり。破滅に繋がるドミノ倒しと言って差し支えないかもしれない。
それで、人付き合いの問題は……大丈夫。
どんな手を使ってでも、私が麻依を守るから。
「人付き合いの問題も、私が絶対に何とかするから」
「ほんとう?」
「麻依のためならなんでもする」
その言葉を待ってました、と言わんばかりに麻依は明るく笑って。
「わかった。じゃあ、行く」
だけど、起き上がってはこない。その代わりに、右腕をちょろっと布団の外に出している。
なにこれ。ちょっと分からない。
引っ張って起こして欲しいっていうのはなんとなくわかるのだけど、それに何か意味があるのだろうか。
甘えたいだけ? 引っ張られることでやる気が出る? それとも、無理矢理起こされたら動くけれど、自分で起き上がるほどは前向きになってないとか。
若干困惑はするけれど、引っ張る側としては悪くない。意味はさておき、私が麻依に求められていることには変わりないわけだし。
「引っ張ればいいの?」
大きく頷かれたから、麻依の思う通りに引っ張り出す。麻依はズルズルとシーツの上を滑って、ベッドの端へ。丁度のタイミングで足を出して、そのまま綺麗に立ち上がった。
「おはよ、結季ちゃん」
「おはよう。麻依」
そして、新学期の朝が始まる。
まさか、こんなに早く棚に上げた問題を下ろすことになるとは思わなかった。
まさか朝から全力疾走する羽目になるなんて……。
校門を抜けたところで「セーフ!」と麻依が大きく声を上げる。
麻依は朝のはなんだったのかと思う程に元気そう。息も少し荒いぐらいで済んでいた。
対する私は絶え絶えで、疲れたを通り越して、もはや肺が痛い。苦しい。
「はぁ……ええ」
麻依はペースを抑えてくれていたとはいえ、マフラーを巻いての実質二人三脚状態はかなり厳しかった。
私が転けたら麻依はどうするつもりだったのだろう。転けなかったから良かったけれど。
「結季ちゃん大丈夫?」
「……ええ、もう平気」
嘘。まだ休んでいたい。
けれど、麻依にあまり弱いところを見せたくなくて足を動かす。
向かう先の生徒玄関には遅い時間にも関わらず小さな人だかりができていた。新クラスの表があそこに張ってあるのだろう。
キャハハと騒がしい声に、麻依があからさまに嫌な顔をした。私の足に乳酸とは違う重りが加わる。
関わり合いになりたくないから、なるべく気配を消して、静かに張り紙に近づく。二人で同じマフラーを着けておいて、気配を消すも何もないのかもしれないけれど。
実際気付かれたらしく、集団は気まずそうにそそくさと校内に入っていった。ありがたく張り紙の周りを二人で占領させてもらう。
「じゃあ、名前探そっか」
「ええ」
言ってから二呼吸ぐらい間を開けて麻依が指でクラス表をなぞり始めた。
独特の緊張感が私たちの間に反響している。
ぎこちなく、麻依の指が進んで、止まる。
「あった、わたしの名前」
まずは第一関門クリア。
麻依の名字は白鳥のサ行で、私の名字は八幡でヤ行。
麻依の名前より先に私の名前が出てきていたら、その時点で別々のクラスなことが確定していた。
麻依の指より先に、私の目が進んでいく。
堀口に、前田、室谷……そして八幡。
「……あった。私の名前も」
私の呟きを聞いた麻依が、指を素早く動かす。
「……ほんとだ」
私の名前と麻依の名前を往復して、同じ紙面上にあることを何度も確認して。
「やった、わたしたちおんなじクラスだよ!」
麻依の声が弾けた。
クラスが違ってもいいなんて、ただの強がりだったのかもしれない。
そう思うぐらいに今の私はホッとしていて、なによりも。
「うれしい」
麻依も緊張の糸が解けたみたいで「よかったー……」と間延びした声をこぼしながら、私にふわっと抱き付いてきた。
それを遮るようにチャイムが鳴って、そんな暇がないことを私たちに思い出させる。
「あっ、そういえば遅刻寸前なんだった!」
顔を見合わせて、頷き合って、校内に急いで入る。同じ列の下駄箱で上履きに履き替えて、同じ教室に走って向かう。
クラスは同じで、残る不安はあと一つ。
新しいクラスでの人付き合いだけだった。
他に書きたいものができたのでこれ以降は不定期更新になります。本当に申し訳ありません。
(一週間か二週間に一回程度になると思います)




