1章1話 うわさ
ねえ、知ってる?
山にあるホテルの話。
その昔、そこには化け猫がいて迷いこんだ人間を化かしては食べようとしていたんだって。
そのホテルの名前はーー
「化け猫ホテル」
「そうそこ!あそこなんだか気味が悪いって噂よね」
(化け猫?)
主婦達の噂話を私、ナエは夕飯のお使いをしながら聞いていた。
「ハイカラだけど部屋で子供の足音が聞こえるらしいわよ」
「やだ怖いわ」
どうやら彼女達が話していたのは最近できた山に建つクラシックホテル猫柳の事だろうと考えた。
ホテル猫柳は西で旅館を持っている一族がボロ屋敷だったとこを買取り大改造してできた。
この間、父の知り合いが家を訪ねて来て泊まってきた話していた。
「花巻さんも今度奥様と行くといい」
「いえいえ私はどうもベッドより布団派でしてな」
なんて笑い合っていたのを覚えている。
主婦達の噂話は続く。
「でも大変ね、あそこのオーナーってまだ若い方よね」
「まだ独身なのよね?夫人になる方は大変よ」
(夫人ね)
私は夕飯の主菜に合う付け合わせを考えながら彼女達の話を盗み聞く。
(全く、どうして必ずしも皆が結婚しなきゃいけない前提なのかしら?)
この頃は2つ下の妹、鈴香でさえ結婚の噂に敏感だ。
アンタには縁遠い話だから一生関係ないわよねと家族の前で笑われながら話すのが妹なのだが。
(私はお嫁さんよりも職業夫人に憧れるけど)
もちろん、そんな事誰にも言わない。
お嫁さんだって素敵な事だし憧れない訳ではない。
(「こんな私」でも誰かを愛したり愛されたりするのかしら?)
私は人に見えないものが見えてしまう。
亡くなった母が見える人で政略結婚の際に私にも自然と見えるが、気づく前に母は他界。
すぐに父は鈴香の母と再婚したが家族に私は異常に見えたのか除け者にされ虐められている。
「さて、後は果物を買って帰らなきゃ」
確か鈴香は葡萄を食べたがっていた。
しかし八百屋では売り切れだったらしい。
「あら、私昨日葡萄がいいって言ったじゃない」
夕飯時、代わりに柿をだすが案の定鈴香は不機嫌だ。
「ごめんなさい。売り切れてしまっていたみたいで」
「全くアンタはグズね」
父も母も何も言わずに箸を進める。
しかし、鈴香はそうそう!と何か思い出したように話題を振る。
「ねえ母様、裁縫を教えてよ」
「どうしたの急に?」
「聞いたのよ。明日実業家の方が来るかもって噂を聞いたのよ」
「まあ、そうなの?」
つまり、鈴香の学校で実業家が花嫁探しをする為来るのだろう。
大正のこの時代、男性側から女学校に花嫁探しをわざわざしに来る事もある。
「教科書で難しいとこがあったから予習したいのよ」
なるほど、未来の旦那様に良いところを見せたいらしい。
「もっと前もって言いなさいよ」
「仕方ないじゃない。先生の噂は今日聞いたんだからから」
「分かったわ。少しだけよ」
母の言葉に安堵する鈴香が少しだけ羨ましく、私の胸は軋んだ。
次の日、母に呼び出されたかと思ったら用事を頼まれた。
鈴香が昨日の今日で針山を忘れたらしい。
「急いで届けなさい」
断る術もなく、鈴香の女学校に向かう。
ごく稀にこうやって忘れ物を届けた事はあるから道は分かる。
そうして入り口の職員に声を掛けようとするも他にも先客がいた。
そこにはスーツを着てステッキを持った紳士が職員と談笑していた。
(あれが鈴香が言っていた実業家の人?)
にしては歳が父と同じくらいと思ったが名家の結婚だからこういう事もあるのかしらと思うと紳士と目があった。
すると紳士は
「おや、お嬢さんお急ぎでしたら先に」
と自分も並んでいたのに私を職員に引き合わせようとするが
「しかし」と職員がいかにも使用人の私を睨む。
「気にしないで。私の用事は時間を取らせる事ですから」
と紳士は私に先を譲る。
職員は納得がいかないようだったが
「これを花巻鈴香にお渡し下さい」
と一言告げ、紳士に頭を下げてその場を去ろうとするとそこに「なーん♪」とまん丸の黒猫がどこから来たのか私の足元に甘えてきた。
「まあ、可愛い。猫ちゃんどこから来たの?」
私がしゃがむと紳士はギョッと驚いた顔をしてこちらを見た。
(?、何か私変だったかしら?)
「お嬢さん、ひょっとしてこの猫が見えますか?」
紳士に聞かれ驚く。
「え、あ、はい」
するとさらに紳士は関心したような顔になり私はさらに動揺する。
しかしどうだろう?猫のしっぽは少し透けてるように見える。
(え!もしかしてこの子はこの世のものじゃないの!?)
紳士に変な奴と思われたかも危惧した私は逃げようとするがそれは彼の言葉が足を止めさせた。
「なんと。あのお嬢さん、あなたのような方を私の主人は探しております。
ぜひ私の主人と結婚して頂きたい!」
ヒシッと片手を取られて驚く。
「結婚!?」
その場にいた職員すらもどういう事だと一大事となった。




