第9話 春 ー在りし日にー
「起きてください、師匠。起きてくださいってば。」
やわらかな春の日差しの差し込む部屋に少女の声が響いていた。応援するかのように窓枠で雀がちゅんちゅんと泣いている。声をかけられた青年はベッドで寝息を立てていた。
「今日は一緒に買い物に行ってくれるって言ったじゃないですか。」
少女がゆさゆさと肩をゆすると、青年は腕を眉間にあててかすかに目を開いた。かと思うと、ゴロリと寝返りを打ってまた寝息を立て始める。
「もう~~~。もうすぐ昼になるんですよ。いい加減起きてください。」
少女が勢いよく布団をはぎ取ると、ようやく青年はゆっくりと体を起こした。眠そうに目を擦りながらふわぁっと呑気にあくびをしている。そのまま寝起きでぼさぼさの頭をガシガシと掻くと、「もう朝か」などとのたまった。
「《《もう昼ですよ》》。早く起きてきてくださいね。これから買い物に行くんですから。」
少女は怒りを込めて勢いよく布団を投げつけると、大きな足音を鳴らしながら階下に降りて行った。
愛紗が弟子になってから、早くも2年が経とうとしていた。あの後、知ったことなのだが、どうやら師匠は非常に高名な冒険者だったらしい。
当時無名のDランク冒険者であったにも関わらず、先の魔族との戦で序列6位の魔族を倒し、史上最速、最年少でAランクにまで上り詰めた時の人。それほどのすごさを持ちながらも、傲ることなく日々鍛錬を積み重ね、強さを増している。さらには自慢することも他者を見下すこともなく、誰にでも分け隔てなく真摯に接する謙虚な様は、まさに冒険者の鑑だともっぱらの噂だった。
(師匠は外面はいいからなぁ。)
別に内面が悪いというわけではない。ただ、プライベートではとにかくだらしがない人だった。脱いだ服はそこらへんに散らかすし、すぐにベッドでごろごろしたがる。洗濯物はぎりぎりまで放置するし、着替えもせず布団に入ろうとする。汚いから着替えてくださいと注意すれば、「じゃあソファでいい」と言ってそのままソファで寝落ちするのだ。そのくせ寝起きまで非常に悪い。寝つきが悪いようなところで寝るのだから、そりゃあ寝起きだって悪いだろう。師匠を見てきゃあきゃあと騒ぐ女子たちに見せてやりたいぐらいだった。
(いや、逆にお世話してあげたい、ギャップがたまらないとか言って騒ぐかなぁ。)
思わずため息が零れ落ちた。まぁ忙しい人なので仕方ないのかもしれないが。
師匠はときどき夜に任務に出かけていることがあった。心配させないようにと思ってなのか、人の寝静まった夜中にこっそりと足音を殺して出かけているようだったが、2年も一緒にいればさすがに気がつく。仕方がないと思うことにしてまたため息をついていると、1階にたどり着いていた。カウンターにいた恰幅の良い女将さんがこちらを見ると、カラカラと声を立てて笑い出した。
「愛紗ちゃん、今日も師匠のお世話かい?」
「そうなんですよ~。聞いてくださいぃ~~~。」
愛紗はおかみさんの正面まで駆け寄るとドカリとカウンター席に腰を下ろした。両手で頬杖をついて堰を切ったように話し始める。
「師匠ったらひどいんですよ。今日は私の杖を一緒に見に行ってくれる約束だったのに、全然起きてくれないんです。一人前になった記念だからって、一緒に見に行こうってずっと前からの約束で、すっごくすっっごく楽しみにしてたのに!」
不貞腐れたようにぶすっと頬を膨らませる。おかみさんがいつも愛想よく聞いてくれるものだから、つい師匠の愚痴を言ってしまう。
「そもそも今日になったのだって、流れに流れた結果なんですよ。ほんとは1カ月前ぐらいに会に行く約束だったのに、師匠が都合が悪くなったからってドタキャンしたから――」
どれだけ話しても腹の虫がおさまりそうにない。延々と愚痴を言っていると、ようやく師匠が階段を下りてきた。本人は何食わぬ顔をして、寝起き感を感じさせないキリッとした佇まいをしている。「外面お化け」とぼそりと呟くと、隣でおかみさんがカウンターに片手をついてお腹を抱えて笑い出した。師匠は何もありませんでしたよとでもいうようにけろっとした顔で隣のカウンター席に腰かけると、呑気に昼食を頼み始めた。
思わず横目で睨みつけると、さわやかスマイルで返された。愛紗が師匠の笑みに弱いのをわかってやっているのだ。たちが悪い。今回こそはほだされまいとじっとにらみ続けていると、師匠の後ろ髪が少しだけはねているのに気がついた。
「師匠、後ろハネてますよ」
そう声をかけると、師匠はごそごそと髪の毛をさわって直ったか聞いてくる。違いますよ、もっと下、もうちょい上などと言っても全く目的の場所に届かない。しばらくしてもうまくいかないことに焦れたのか、「直して」と言ってこちらにすっと頭を差し出してきた。
「もお〜〜〜」
師匠の髪に触れながら、思わず抗議の声を上げた。信頼されていると思って少し喜んでしまう自分に腹が立つ。これは確信犯で困ったときの常套手段に違いない。きっと情報収集のときや色街でもこうやって老若男女問わずたぶらかしているのだ。この人はつくづく人たらしだと思う。師匠にとってはただの都合がいい弟子なだけだと自分に言い聞かせて、ゆっくりと呼吸を落ち着けた。
師匠が朝ご飯を食べ終わると、ようやく買い物に出かけた。やはりというべきか、外を歩くだけで視線を集める。羨望や憧憬のものもあれば、妬みや嫉み、あるいは隣の獣は誰だとでも言いたげな視線もあった。だが、師匠は欠片も気にしていないといった様子で堂々と歩いていた。時おりファンやお近づきになりたい女性陣から声をかけられることもあるが、師匠は用事があるからと言って素気なく断っている。
(お誘いを断るぐらいなら朝から起きてくれればいいのに。)
そう言いかけて、愛紗は唐突に我に返った。そもそも自分がこんな良い暮らしをできているのは全て師匠のおかげだった。それだけで感謝すべきことだった。いつも師匠が対等に扱ってくれるものだから、つい自分の立場を忘れて強欲になってしまう。文句を言うなどお門違いだとそう思いなおして黙っていると、何を思ったのか師匠はポンポンと頭を叩いてきた。隣を見遣ると、少し申し訳なさそうに眉尻を下げている。
「悪かったって。今度からはちゃんと起きるからさ。」
その言葉に、愛紗は思わず口元が緩みそうになった。師匠はいつもはずぼらなのに、人の心の機微には異様なほどに敏感だった。心を読む能力でも持っているんじゃなかろうかと思う。今も落ち込んでいると気づいてくれたのだろう。緩む頬を必死に抑えて唇を尖らせると、愛紗は今の心境をそのまま吐露した。
「いいんですよ、無理しなくて。私はただの弟子ですから。」
そう言うと、師匠は少し驚いた顔をした後、冗談でも言われたときのようにクスクスと笑って言った。
「いいんだよ。愛紗は。俺のたった一人の愛弟子だろう。」
そう言った師匠の顔には、一片の曇りも見られなかった。心の底から思ったことを言ったときのように、晴れやかな顔をしている。
(やっぱり師匠は人たらしだ。)
こんな言葉を平気で言うのだ。愛紗は自分の気持ちを悟られまいとするように、すねたふりをして口を真一文字に引き結んだ。
目的地の武器屋に着いたのは、5分ほど歩いてからのことだった。今日の買い物の目的は武器屋で愛紗専用の魔法の杖を買う事だった。
一般的に、魔法をメインに使用する冒険者は自分専用の魔法の杖を持っている。冒険者になりたての場合は持っていないこともあるようだが、一流と呼ばれる冒険者であるほど良い杖を持っているそうだ。ある種のステータスでもあるのだとか。そうはいっても、冒険者用の杖は安くない。見習い冒険者の給料で買えるような代物ではなく、普通は一人前になってから買うものだ。ただでさえ日ごろからお世話になっているのだから杖まで買ってもらうわけにはいくまい。そう思って、最初はいらないと言ったのだが、
「俺の弟子が杖も持っていないなんて格好がつかないだろう。」
と嘘か本当か分からないことを言って、師匠は強引に買うと言った。
武器屋の中には大小様々、色とりどりの杖が並べられていた。蛇が巻き付いたような形をした木彫りの杖から、ルビー、サファイアなどの宝石が組み込まれた銀細工のきらびやかな杖まで。値段も物によってまちまちだった。
つい楽しくなってあちこち見て回っていると、その中でもひときわ輝く杖があった。その杖は、真っすぐな柄に蔓が絡みついたような文様が掘られており、持ち手の部分には大きなオパールがはめ込まれていた。そのオパールは乳白色の下地に澄んだ空色が浮かび上がったような輝きを放っている。何より杖全体がうっすらと紫色に光り輝いていた。
(魔術具だ――)
一見するとただの杖に見えなくもないが、明らかに魔力が込められていた。相当名の知れた匠が作った杖ではなかろうか。思わずその杖に魅入られていると、いつの間にか師匠が近くにやってきていた。
「これがいいのか。」
そう言って杖を持ち上げる。思わず愛紗はうろうろと目を泳がせてから、激しく首を横に振った。
「違うんです。ちょっと珍しい形だなと思って見てただけで……」
その杖の値札には、「霊木の杖」という名の下に、明らかに法外な値段が書かれていた。いくら師匠の稼ぎでも、3か月分ぐらいはしそうな値段だった。弟子にやるにはあまりにも高すぎる。
そう思っていると、師匠はいぶかしげに片眉を上げた。明らかに疑われていた。気まずくなって思わず目を伏せる。何と言われか不安になる。しばらく反応を待っていたのに何も返ってこないことを不思議に思い、ふと上を見上げると、いつの間にやら師匠はレジに直行していた。慌てて追いかけるも後の祭りで、さっさと会計を済ませている。
(ど、どうしよう。買ってもらっちゃった……)
杖を受け取ってついあたふたとしてしまう。自分の手の中に高級な杖が握られている。見かねたのか、師匠はゆっくりと肩に手を置くと、
「俺の目と同じ色の宝石なんだから大事に使えよ。」
と、かい交じりにそう言った。いたずらが成功した子供のような笑みを浮かべると、またさっさと歩きだす。
一瞬呆気にとられた後、愛紗は慌てて追いかけた。だんだん借りが大きくなっている。もらったものばかりが大きくて、返せるものは一つもなくて。もはやどうやって返せばいいのか分からないぐらいだった。気の利いた言葉なんて一つも出なくて、
「ありがとうございます。大事にします。」
そう絞り出すのがやっとだった。お金なんて気にしなくていいんだぞって師匠は言ってくれるけど、気にしないわけにはいかなかった。ただ拾ってしまっただけの赤の他人にこんなにも優しくしてくれるのだ。
「ぜったいぜーったい、何年かかってでもお返しをしますから。ちゃんと覚えててくださいね。」
決意を新たにそう言うと、師匠はひらりと右手を上げた。
「期待しないで待っとくよ。」
そう言った緋倭斗の口角が嬉し気に上がっていたことに、背中を追いかけていた愛紗は気がつかなかった。




