第7話 師弟契約
アイシャはひとしきり泣いた後、泣き疲れたのか緋倭斗の腕の中でそのまま眠ってしまった。泣きすぎて真っ赤に腫れた目元が痛々しい。我良久はアイシャが眠るまでずっと手を握っていたが、アイシャが眠ると大きく息を吐いてどかりとソファに腰掛けた。その横で、副ギルド長は怒りを必死に抑えようとするような表情で座っていた。我良久は疲れ切った声音でぽつりぽつりと語りだした。
「ラゴ・リベはな、獣人族の中でも特別なんだ。」
その声音には悲しみとやるせなさがにじみ出ていた。
「知っての通り、獣人族は獣のような身体的特徴を持つ。狼みたいなやつもいれば、猫みたいなやつも、果てはトカゲみたいなやつもいる。俺たちは強靭な肉体を持つ代わりに、魔法は一切使えない。おそらく魔力そのものを持っていないんだろうな。」
それは、みなが知る一般的な知識だった。
「だがな、それにあくまで基本的な話だ。その常識に唯一当てはまらないのがラゴ・リベだった。彼らだけは竜のような強靭な肉体と膨大な魔力を併せ持っていた。かの一族は強大で、獣人族の象徴であり誇りだった。昔は冒険者にもラゴ・リベ出身の者が多くいたらしい。」
それは、緋倭斗が初めて聞く内容だった。ならばなぜ、今ではほとんど聞くことがなくなったのか。それは簡単に想像がついた。
「だがそれゆえに、ラゴ・リベは多くの妬みや嫉み、羨望の的だった。知ってるだろ。昔は獣人族の奴隷制度があったこと。この国にも、今はなき西天人帝国にもあった。多くの貴族がラゴ・リベの奴隷を欲しがって、ラゴ・リベ狩りなんてのが流行った時期もあったらしい。東天人帝国が獣人族の奴隷制度撤廃に乗り出すまで、それはずっと続いてた。」
部屋の中はいつしか重苦しい沈黙に包まれていた。
「当然、ラゴ・リベの数は激減した。今じゃ表立って動いているのは東天人帝国の一部貴族だけだ。姿を隠して生活しているラゴ・リベもいるだろうが、いまだに奴隷なんてものがあったとはな。」
我良久がまた大きなため息を吐いた。
「だが、嬢ちゃんの場合はそれだけじゃないだろうな。」
それは緋倭斗も薄々感じていた。おそらく、アイシャの稀有な色合いにも問題があるのだろう。
「白は多くの国で信仰の対象だ。白に近い色合いを持って生まれただけで女神の愛し子なんて呼ばれる。未だに聖女は白に近い色合いの髪の女性から選ばれるくらいにな。しかも、嬢ちゃんは赤い目と黒い角を持ってる。それが意味することなんて誰が見ても明らかだ。」
赤と黒は逆に魔族の信仰の対象だと言われていた。つまり、赤と黒は逆に魔人の祝福を意味する。
「女神と魔人の両方から祝福されて生まれたラゴ・リベの子ども、ですか。」
副ギルド長のその言葉に、長い長い沈黙がその場に落ちた。
静寂を破ったのは我良久の声だった。
「問題は嬢ちゃんの引き取り先だな。正直、孤児院じゃ手に追いきれんだろう。となるとどこかの貴族の養子に出すかだが――」
そこまで聞いて、緋倭斗の口から勝手に言葉が転がり出た。
「俺が引き取る。もちろんアイシャが了承すればだが……」
勝手に出てきた言葉だったが、口に出してみると、案外良い案のように思えた。この国の貴族が、果たして獣人族の養子など大事に扱うだろうか。平等を謳う東天人帝国でさえ信用ならない。アイシャは東天人帝国の貴族に奴隷にされていたのだ。我良久は一瞬あっけにとられた顔をしたが、緋倭斗の決意した顔を見ると、短くふっと笑った。
「ああ、それがいいんじゃねぇか。」
***
目が覚めると、そこはまだ先ほどの部屋だった。どうやらあの後ソファで眠ってしまったらしい。部屋の中には誰もおらず、愛紗はソファに突っ伏して少し考えごとをすることにした。
ヒィトに促されるまま、愛紗は出会ったときとまったく同じように名乗った。今の愛紗には角も尻尾も羽もあり、どこからどう見てもれっきとした竜人族だった。意外だったのは、竜人族を知っている人がいたことだった。いくら竜人族がかつて強大だったと言っても、もう数百年も前の話だった。今では獣人族の中でさえ知る人は少なく、まさかこんな辺境の地に知っている人がいるとは思っていなかった。動揺して言うつもりのなかった弱音まで言ってしまった。
これからどうするか、愛紗は考えていなかった。故郷が恋しくて、行先もわからずたださまよい歩いていたが、帰ったところでどうするというのだろうか。あの地にはもう家族も友人もいない。親戚はいるかもしれないが、愛紗には会った記憶はなく、探すつてもない。もういっそ、別の国で生きていくのも良いかもしれない。そんなことを考えていると、ゆっくりと扉が開く音がした。
慌てて愛紗がソファに座ったのと、ヒィトが部屋に入ってきたのは同時だった。ヒィトは愛紗が起きていることに気が付くと、嬉しそうに破顔した。
(お日様みたい――)
不思議なほど安心する笑みだった。
部屋を出ながら、 まずはこの国での身分証を作らないかと言われた。なくても生きていくことはできるが、あると何かと便利らしい。この国では移民も受け入れており作ること自体はさほど難しくないと言われれば、断る理由はなかった。
階下に降りると、ゆったりとした衣服をまとった女性が我良久と話していた。その人はどうやらお役所の人らしく、身分証の作成のためにわざわざ来てくれたらしい。
『あなたの名前と生年月日、種族をこの紙に書いてくれるかしら?』
共通語で話しかけられ、愛紗は少し驚いた。どうやら話はすでに通っているようだった。つたない字で「愛紗」と書くと、その女の人は「あらまぁ、賢い子ね」といったようなことを言いながら頭をなでてくれた。
書類の作成にはそのほかにもいくつかの審査が行われると説明された。どうやら魔族が紛れ込んだり身分の詐称を防ぐためのものらしい。まさか魔術具を使った審査があるのかと愛紗は不安になった。生体情報の取得かはたまた写真撮影でもされるのだろうか。緊張でしきりに手をもぞもぞと動かしていると、不意に女の人が失礼しますねと言いながら愛紗の体を検分し始めた。
「角は、あら、右側だけやけに小さいけど両方あるわね。尻尾もオーケー、羽もよし。鱗は、特になさそうだけどまあ大丈夫でしょう。瞳は赤、髪は白、というよりはうーん白銀ぐらいかしら?武器、魔法具、その他不審物の所持なしっと。」
女の人はぶつぶつと独り言を呟きながら手元の用紙に何かを書き込んでいた。こそばゆい感覚に必死に笑いをこらえていると、しばらくしてようやく解放された。何だったのかと思って首をかしげていると、女の人がニコニコしながら言った。
「審査はこれで終了よ。特に身分の詐称はしていなさそうだし、不審物の持ち込みも見られないからあとは魔力検査だけしてもらえるかしら?」
よくわからないが、どうやら今のが審査だったらしい。愛紗はついあっけにとられた顔をしてしまった。
魔力検査では、よく見覚えのある、手のひらサイズの魔晶石の水晶玉が持ってこられた。女の人にこの玉に手をかざすようにと指示される。それ以外の指示がなかったが、この水晶玉の使い方ぐらい誰でも知っているから説明は不要だということだろうか。
指示がないことに訝しく思いつつも、愛紗はいつも通り魔力の循環量と放出量を抑えた。属性の指示もなかったが、とりあえずは無属性で良いのだろうか。そう思って水晶玉に手をかざすと、玉は澄んだ白色に淡く光った。なかなかの出来じゃなかろうか。少し得意気になって周りを見渡すと、なぜかみんな苦笑いをしていた。その反応に不安になって
『私ダメでしたか?』
と聞くと、女の人は慌ててにこやかな笑みを浮かべた。
『気にしなくて大丈夫よ。獣人族ですもの。それに魔力はごくまれに成長とともに変わることもあるわ。』
そう言われたが愛紗には言葉の意味がよくわからなかった。やり直しを申し出るべきだろうかと悩んでいると、いつの間にか女の人は身支度と挨拶を終えて帰ってしまった。何か間違えたような気がしなくもないが、誰も何も言ってこず、言ってしまえばただの魔力検査でもあるので、まぁ少しぐらいおかしくても良いかと愛紗は一人結論付けた。
***
審査は滞りなく終了した。身分検査では問題なくラゴ・リベと判断され、違法な魔法具や薬物なども特に見つからなかった。魔力検査でも呪術師などの危ない魔力ではないと判断されたが、少し以外だったのは愛紗の魔力量と属性だった。ラゴ・リベの魔法は非常に強大だと聞いていたが、アイシャは普通の無属性で魔力量も平均以下だった。まぁそんなこともあるかとは思ったが、アイシャがキラキラと希望に満ちた瞳でこちらを見上げてきたときには、ただの無属性で魔力量も少ないとは言えなかった。
さて、今後の身の振り方の話をどう切り出そうかと考えていると、盛大に腹の虫が鳴る音がした。隣を見ると、アイシャは湯だったタコのように顔を真っ赤に染め上げてお腹をさすっていた。そういえば日が沈んでからかなりの時間が経っているが、街に入ってからというもの何も口にしていなかった。思わず失笑して晩ご飯にするかと言うと、アイシャは恥ずかしそうに俯き、こくこくと頷いた。
我良久には弟子の件に関しては緋倭斗から直接話をしてみると伝え、晩ご飯は2人でとることにした。帰り際、緋倭斗の言葉を聞いた副ギルド長が満面の笑みを浮かべていた。我良久にはこれから地獄の書類仕事が待っているのだろうことが想像でき、緋倭斗は心の中で念仏を唱えた。
アイシャにまたローブをかぶせ、晩ご飯を食べるために、緋倭斗が泊まっている宿の1階にある酒場に向かった。子どもを酒場に連れてきて良いものかとは思ったが、いかんせん時間が遅いため空いている店が少なかったのだ。酒場と言っても陽気なおかみさんが経営している明るい雰囲気の店なので大丈夫だろうと思うことにした。
店は冒険者や旅人といった風貌の男たちで賑わっていた。男たちの熱気にアイシャは初めは少し圧倒されていたが、その顔には怯えや恐怖の色は見られなかった。空いているカウンターに腰掛けると、おかみさんがにこやかな笑顔で近づいてきた。
「おやおや、緋倭斗。お連れさんがいるなんて珍しいこともあるもんだねぇ。」
出会った経緯を伝えると、おかみさんは我良久と同じような驚いた顔をして、破顔した。
「ははは、あんたまた拾い子かい。懲りないねぇ。この間は虎の子を拾ってきてなかったかい。」
紡ぎ出された言葉まで我良久と同じだった。緋倭斗のイメージがひどいのか、類は友を呼ぶとでも言うべきなのか。緋倭斗は少し苦々しい顔になったが、おかみさんは気にも留めずにケタケタと笑いながらメニュー表を持ってきた。
メニュー表にはわかりやすいようイラストともにメニュー名が記載されていたが、見慣れぬ物が多いのか、アイシャは首をかしげながら見ていた。それぞれのメニューとオススメを教えてやると、アイシャは今度は悩まし気な顔をしてしばらく悩んだ後、結局、店のオススメを注文することにしたようだった。
しばらくして運ばれてきたのは、パイ生地のような形の生地にたっぷりとチーズがのった大きなピザと、てらてらと光沢を放つグリルチキンが運ばれてきた。アイシャはピザから食べることにしたのか、さっそくピザサーバーで取り分けている。持ち上げられたピザ生地からはどろどろのチーズがとめどなくこぼれ落ち、皿の上にはチーズの水たまりが出来ていく。まん丸に見開かれた瞳は好奇心に輝いていた。
前々から思っていたが、アイシャはどうやら思っていることが全て顔に出るらしい。クスクスと笑いながら一口大に切られたグリルチキンを口に含むと、ガーリックの香ばしさと肉のうま味を凝縮したような肉汁が口いっぱいに広がった。次いで、鼻に抜けるさわやかなレモンと香辛料の香りがふわりと漂う。疲れた体の隅々まで活力がみなぎっていくのを感じた。
隣では、ようやくアイシャがピザにかぶりついていた。チーズのあまりのトロトロ具合に、加えたチーズの糸が途切れなくなったのか、今度は伸ばしては咥え伸ばしては咥えと、またチーズと格闘している。頬を膨らませて咀嚼する姿は、冬眠の準備をするために食べ物を蓄えるシマリスのようだった。
アイシャと一緒に夢中で料理を食べていると、いつの間にか皿の上の料理はきれいに無くなっていた。満腹になって満足し、飲み物でも飲んで少しくつろいだころ、緋倭斗はようやく本題を切り出した。
『アイシャの今後の身の振り方だけどな、今話してもいいか?』
その言葉に、アイシャはハッとした表情をして、背筋を伸ばした。決意を固めようとするようにゆっくりと頷きながら、か細い声ではいと返事をする。アイシャは目を合わせることなく、じっと机の木目を見つめていた。
『候補としては今のところ3つある。』
そう言うと、ゆっくりとアイシャは顔を上げてこちらを見た。先ほどまではあんなにも表情豊かだった顔には、今は何も映っていない。
『一つ目は、どこかの貴族の養子になること。普通は貴族の養子なんて簡単になれるものじゃないけど、アイシャがラゴ・リベなのと、俺や我良久の伝手でもしかしたら可能かもしれない。』
こちらを見つめる紅の双眸が、ほんの少しゆらりと揺れた。
『二つ目は、どこかの孤児院に入ること。似た境遇の子どもたちと一緒に暮らすことができるけど、正直俺はあまりお勧めしない。結局どこかに養子になるだろうから、どこの家に引き取られるかかなり博打要素が強い。それにアイシャの身の上だと、孤児院に迷惑がかかる可能性もある。』
アイシャはまた、うつむいてしまった。先ほどまで燦燦と輝いていた太陽は鳴りを潜め、今では冷たい北風が吹きつけていた。まわりは楽し気な熱気に包まれているのに、ここだけが澱んだ空気に包まれていた。
『三つ目は、どこかに弟子入りするなり、奉公に行くこと。この場合、良い人は紹介できるかもしれないけど、将来の選択肢がかなり限られてくる。』
我良久にはああ言ったが、緋倭斗はあえて選択肢を3つも用意した。どの選択肢が良いかなど当人にしかわからないのだ。アイシャには、道を強要されるのではなく、自分で納得できる道を選び取ってほしかった。
『三つ目の候補先としては、今のところ俺はどうかと思ってる。』
その途端、アイシャは弾かれたように顔を上げた。他の候補もあると言おうかと思っていたが、やめておくことにした。その顔からは、嬉しさと申し訳なさが容易に読み取れた。やっぱりこの子はわかりやすいなと、つい笑ってしまう。
『前言ったようにさ、ちょうど一人旅は寂しいなと思ってたところなんだ。あちこちから同行人を見つけろって催促もされてるしな。まあベテランの冒険者に比べたら人生経験は少ないけど、どうだろうか。』
『そんなことしたら、緋倭斗さんに迷惑がかかります。弟子なんてとったらすごくお金がかかります。それ以外にも、きっと色々迷惑をかけます。』
アイシャはじっとこちらを見つめていたが、だんだんとまた俯いてしまった。多言語を話せることといい、お金のことを心配するところといい、アイシャはかなりしっかりとした教育を受けてきたのだろうか。そんなこと気にしなくても良いのにと思って、緋倭斗はふっと短く笑った。席から立ち上がってアイシャのそばに屈みこむと、頭をポンポンッと軽くたたく。そばから見えた横顔は、今にも泣いてしまいそうに見えた。
『そんなこと気にしなくてもいいんだよ。こう見えても実はそれなりに稼いでるからな。それに冒険者の中でも結構強い方なんだ。俺としてもアイシャが弟子になってくれるとすごく助かるんだ。だからさ、どうだろうか。』
そう言うと、アイシャは少しだけまた逡巡した後、蚊の鳴くような小さな声で言った。
『よろしくお願いします。師匠――』
このたった一つの口約束が、世界の命運を大きく狂わせることになるとは、まだ誰も気が付いていなかった。




