二ヶ月後のリリー
「きゃっ。」
「どうしたの、リリー?」
クルム公爵邸自慢の庭園で悲鳴を上げたリリーに後方の花を眺めていたアナベル夫人は声をかけた。恐縮するリリーは悲鳴の理由から目を離さずに、返事をする。
「カエルが飛び跳ねて驚いただけです。お騒がせして申し訳ありません。」
「リリー様、カエルはとってもお利口なんですよ。飛び跳ねるのだって理由があるのです。カエルさん、こちらにお逃げなさい。」
楽しげにカエルに話しかけたミレーヌは大きな葉っぱを千切って手に乗せ、カエルに飛び移るように促した。ミレーヌの言葉に誘われるように葉っぱに乗ったカエルはそのままミレーヌによってリリーから離れた場所へと連れて行かれた。
「貴族令嬢がカエルを見て悲鳴を上げるのは普通のことですよ。ミレーヌはゴードンに遊んでもらっていたから芋虫も平気なの。私は悲鳴をあげてくれる仲間が出来て嬉しいわ。」
心底嬉しそうなアナベル夫人の様子にリリーは軽く頷き、ポプリにするための花選びを再開した。
二ヶ月の間にリリーは前公爵夫妻と使用人のみならず、屋敷に出入りする慈善家たちにもすっかりと馴染んだ。初秋から初冬に服装もよそ行きのドレスから、動きやすいワンピースにカーディガンを着ることも多くなった。
ミレーヌがひたすらリリーの良いところをアピールし、リリーが謙遜し巻き込まれる形で行動を示す。その様子には嘘はなく、周りの者に好印象を与えた。またアナベル夫人の慈善事業にも積極的に取り組み、中でもエルバ伯爵領産の茶葉を混ぜて作る紅茶クッキーは教会で配られ平民にも人気の品となっている。
「問題は公爵ただ一人ですね。」
昼間はチャリティーで売るポプリ作りを手伝い、夕食を終えてからの部屋でまったりと過ごす時間。くつろぎの時間に爆弾を投下したのは二週間前にクルム公爵に連れられてリリーの元に現れた侍女アンだった。
リリーの兄に根性を認められたアンは伯爵家からの強い推薦で公爵邸に送り込まれ、再びリリーの傍にいる。真っ黒な眼鏡をかけてふらつきながら馬車から降りてきた時は何事かと思ったが、「サングラスか!!」と前公爵が喜んで迎え入れてくれたことで努力を認められたらしい。サングラスは公爵の素顔対策だと言っていたが、リリーがクルム領に来てから一度も眼鏡を外した姿を見たことがないと伝えるとエプロンのポケットに入れられ今のところ出番はない。
「まぁ会う時間が少ないですからね。」
リリーをフォローするようにマーシャがハーブティーを渡してくれるが、全く慰めにはなっていない。
マーシャは公爵に命じられてリリー専属となった。もう一人の若い侍女は結婚前に行儀見習いとして勤めている商家の娘で前公爵夫妻が歳の近さから話し相手にと寄越してくれたが、リリーが婚約者に逃げられたことを知っているにも関わらず中々に夢見がちで場違いな発言が続いたので遠慮させていただいた。どうやら年上の女性にはウケが良いようで、今はアナベル夫人の元で働いている。結果として当初の予定通りリリーには二人の侍女がつくことになり、帳尻が合った。マーシャとアンの二人は母娘くらいに年が離れているが、相性は良いらしくリリーも居心地が良い。しっかりとしたドレスと化粧が必要な際にはアリソンが応援に来てくれる予定だが、今のところ出番はない。
公爵との距離がなかなか縮まらないのは王都と領地の距離が離れているから、だけではない。
娘のミレーヌが心配なのか、クルム公爵は毎週土曜日の朝には領地を訪れ、月曜の早朝に王都へと戻っていく。そのうち二回に一回は弟のゴードンも共に滞在するが、ゴードンとの方がリリーは打ち解けていると思う。ミレーヌが間に入ってくれるおかげで会話は弾み、ミレーヌの非礼を詫びるゴードンとそれに関係なくミレーヌの可愛さを語るリリーの姿は使用人の中で見慣れた光景となった。そこに時折公爵も加わるが、ミレーヌやゴードン相手には饒舌な公爵はリリーには口ごもることが多い。社交の場以外では人見知りの口下手らしい公爵はまだリリーに心を開いてはいないのだ。
そしてミレーヌが気を利かせて二人きりにしてくれるのだが、すぐに席を離れる用事が出来てしまう。
それは使っていない小屋でボヤとか、猛犬が庭で暴れているとかミレーヌ様が怪我をしたとかどれも大袈裟にした話ばかりで緊急性は一つも無い。庭師が枯れ草を燃やしていたり、可愛い小犬が迷い込んだり、ミレーヌの怪我は指を紙で切ったというくらいに小さな話ばかりだ。どれもリリーが断った若い侍女が発信源のようだが、本人は誰から聞いたかを問われても小首を傾げるばかりで埒が明かない。温厚なアナベル夫人がイライラとし始め、彼女は来月には家に戻されることになった。
クルム公爵に対してリリーに不信感はない。
初めて会った時も馬車の中での会話のどちらも公爵は愛想が良かった。会話に詰まっても不自然さはなく、リリーとも話をしていた。それが今は周囲が焦れる程に会話が出来ない。自領の屋敷でリリー相手に口下手さが強調された公爵は間違いなく素なのだろう。本心を見せてくれずに仮面を被ったままの相手よりもずっと良い。もうちょっと近づきたいのが本音だが、まぁのんびりやろうとリリーは考えている。
公爵は毎週欠かさずリリーの家族からの手紙と共に王都からの土産を届けてくれる。ある月曜の朝に「馬車でお読みください。」とリリーが手紙を渡すと、公爵はハニカミながら受け取り、次週からは手紙の中に公爵からのそれも加えられている。
「手紙の交換って、意味違いますよね?会っているんだからお話しすれば良いでしょう?」
アンにツッコミを受けても、リリーは日曜の夜に嬉々として公爵宛に手紙を書いている。中身は他者からみれば対して面白くもないその週に起きたことや好きな物の話で、ゴードンから聞かされるであろうミレーヌの話は外している。公爵の意識的になのか、自分の幼少期の話や王都で起きた騒ぎなどについて書いてくれるため中々に楽しい。
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「では私はこれで失礼いたします。アンも早くお眠りなさいね。」
準備を終わらせたマーシャは退出し、部屋に残ったのはリリーとアンのみとなった。
「ここから内緒話タイムね。」
開始を告げるリリーの言葉にアンは両腕をぶんぶんと振り回した。
「さすがにマーシャさんがいると、話せないことですのでお話しさせていただきます。」
ソファーに座るリリーが隣の空いた座面を軽く叩いて促すと、アンは扉の施錠を確認してから浅く座りリリーと向かい合わせになった。
「ミシェル様のお話をしたがる人は見つかりませんね。」
アンの報告にリリーは首を傾げた。やはり、である。
ここ二ヶ月リリーが暮らしているこの地では、公爵の愛妻にして前妻のミシェル夫人の話題が誰の口からものぼらないのだ。暮らしていた屋敷が同じであれば、食べている料理や庭園の花だって同じものを見たはずなのに「ミシェルが好きだった」という残された家族が言うフレーズが聞こえてこない。最初は失った悲しみが大きすぎて言わないようにしているのかとか自分に気を使っているのではないかとリリーも考えたが、こちらが問わない限り自発的にミレーヌや使用人の口から発されることがない。
「本当は悪妻だったとか?嫌われ者で誰もが無意識に言いたくないんですよ。」
アンの推理にリリーは眉を顰める。確かに子を産むことを望めない病弱な体は公爵家にとっては不出来な嫁であったかもしれない。しかし一緒に暮らすアナベル夫人も前公爵も養子のミレーヌを孫として扱い、息子の実子でないことを気にする様子は無い。こちらからミシェル夫人を話題にすると、悼むでもなく好意を含んだ顔で応える。悪い人間であれば、もっと顔に出ることだろう。
ではミシェル夫人同様にクルム公爵と結婚をして、先に死んだとしたら彼らはリリーのことをあんな顔をして人から聞かれた時だけ思い出すのだろうか。
「そんな風には思えないわ。」
自分の死後を想像したリリーは首を横に振り、アンの手を握りしめた。
「大丈夫ですよ。私がお嬢様よりも長生きしたら、周りに思い出話をたくさんしてやります。」
リリーはやる気に満ち溢れた白髪混じりのアンが所構わず人を捕まえて自分の好物や失敗話をする様子を思い浮かべた。
「やっぱり心で思ってくれるだけでいいわ。」
あれ?じゃあミレーヌたちの対応は正しいの?とリリーは疑問に思いながら眠るために手を離した。
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