俺の他に男などいらん
当然と言えば当然である。プリシラは貴族の令嬢だ。子爵家であるが、それなりに領地運営がうまくいっている上に、跡取りになる息子がいない。婿を取るというのが世間一般でも当り前の感覚だろう。
だが、俺はそんな現実を気が付かないふりをしてこの4年間過ごしてきた。幼さを残していたプリシラもここ1年でぐっと女らしくなってきた。
17歳らしい柔らかな曲線、みずみずしい肌、ぷるっとした唇。
俺は毎日のようにその頬にキスを贈り、時には悪戯をするように唇も舐める。いつもくすぐったそうに笑うが、拒絶を感じない。
早く俺を思い出してくれ。
そう祈りながら、真正な気持ちで朝キスで起こすのだが、彼女は思い出す素振りもない。彼女の反応に落ち込みながらも、それでも二人で過ごせる時間があるから楽しかった。だが、現実は俺に残酷だ。
プリシラは俺のお気に入りの籠に入れたまま、客人の前に連れてきた。いやな予感がする。
あたりを見回すように様子を伺えば、庭にセッティングされた席に一人の男がいた。茶色い髪の背の高い男だ。顔立ちは前世の俺には及ばないもののまあまあ見られる程度に整っており、きちんと鍛えていることが服の上からでもわかる。
俺は不安に思って籠の中からプリシラを見上げた。
『……』
見なければよかった。プリシラは頬を染めて嬉しそうに笑顔を彼に向けている。その笑顔がかつて俺を見つめていた時と同じに見えて、心がぐっと痛む。
「初めまして。レオ」
屈託なく笑う男は俺の顎をごつごつした指でくすぐった。その指の感触が気持ちが悪くて、ぞぞぞっと毛が逆立った。それにもかかわらず、さらに耳を触ってこようとするので、俺はその手を避け牙をむいた。
「ふしゃああああ」
屈辱的な扱いに威嚇して見せれば、プリシラが落ち着かせるように頭を撫でた。
「怖くないわよ? 彼はわたしの婚約者のロバートよ」
婚約者、だと???
愕然としてプリシラを見る。彼女は目を輝かせて恥ずかしそうに笑みを浮かべている。確かにプリシラは17歳。貴族令嬢なら嫁ぐのもちょうどいい年齢だ。この家に婿が必要なのも分かる。
だが婿なら俺がいるだろう!
猫だが、猫だが、俺にはかつて国を統治していたという実績がある。実績を取らずに姿を取るなんておかしい!
今夜にでも子爵と話をつけようじゃないか。人の良さそうでいて抜け目のないプリシラの父親を思い浮かべ、拳を握った。あのクソおやじ、嫌だと言ったら目にものを見せてやる。
固い決意をもってプリシラを見れば、二人は俺には関係なくイチャイチャしていた。二人並んで椅子に座り、寄り添っていた。
ロバートは何かを囁きプリシラを抱き寄せると、こめかみにキスをした。その仕草がとても見せつけるようで殺意が湧く。
「きっと母親代わりの君を取られて嫉妬しているんだよ」
「ずっと一緒にいるせいかしら?」
嫉妬していると言われて、かっとなった。俺は助走をつけずに籠の中からぴょんと跳ね上がる。両手から爪を出しロバートへ……!
転がったのは俺の方だった。なんだかよくわからないが、背中に強い一撃を受けたような衝撃があった。背骨が折れたのではないかと思えるほどの激痛が俺を襲う。
息を凝らし痛みに体を震わせて丸まるが、丸まったらさらに背中が痛い!
猫ってどうすれば痛みを逃せられるのだ!!
とりあえず丸くなると痛いのでそっと刺激しないように体を伸ばした。それでもずきずきした痛みは取れない。
「アイリ! ダメじゃないか。レオと仲良くしてくれとお願いしただろう?」
「レオ、大丈夫?」
プリシラを見るように少しだけ顔を上げる。顔を上げるとプリシラよりも先に猫の足が目に入った。ふんわりとした輝くような茶金の毛を持つ上品な顔立ちをした猫だ。瞳は驚くほど大きく、くっきりとした緑色だ。
あまりにも美しくて瞬きするのも忘れて見入ってしまった。俺のボケっとした顔がその瞳に映っている。まじまじと見つめていると、茶金の猫の目が細くなった。
ばりっ。
爪を立てられ顔をひっかかれた。
「……!!!」
痛みに顔を押えれば、ふわりと抱き上げられた。プリシラを見上げ弱弱しく鳴いて見せた。
「なーう」
「怪我しちゃったわね」
「ごめんよ。アイリと仲良くできたらいいと思って連れてきたんだが。機嫌が悪いのかな?」
ロバートが申し訳なさそうにプリシラに謝った。ロバートの腕の中にはアイリと呼ばれた茶金の猫が収まっている。悪いことをしたと思っていないのか、フンとそっぽを向き、自分の手の毛繕いをしていた。
あまりの態度の悪さにムッとするが、背は痛いし、顔も痛いしプイっと顔を背けるだけにした。
決して怖いからではない。戦うことだけがすべてではない。男は戦略的撤退もできないと一人前ではないのだ。
ロバートはひたすら謝りながら、アイリを籠の中に入れた。プリシラにもう一度謝って、今度は置いてくるよと言って帰っていった。
おー。これはこれでいいような気がしてきた。アイリという茶金の猫に暴力を振るわれケガをすれば、奴は予定を変更して帰っていく。
プリシラは俺の最愛だ。ロバートなんかに渡してなるものか。
******
ロバートとの仲を裂こうと何かと邪魔をするが、そのたびにアイリの反撃にあう。最初は二人のいる場所での攻撃だったからロバートも連れて帰ってくれたのだが、ここしばらくそれがうまくいっていない。
アイリは見えないところで攻撃してくるのだ。
例えば、ロバートにいやらしいことをさせないためにプリシラの膝の上に座っていれば、ロバートとともにやってきたアイリが仲良くじゃれついてくるようにして体当たりしてくる。もちろん、そのまま椅子の上に転がればそれも微笑ましいだろう。
だがアイリは違う。
そのまま床の上に俺を押し倒すのだ。しかも逃げられないようにわざわざ自分も一緒に落ちてくる。当然俺は下敷きになる。
アイリは乱暴者だが、女の子だ。俺が避けることでアイリが怪我をするのは騎士として許せん。女性には優しくがモットーだ。その対象となる女性がいかに俺に悪意を持って接していようが関係ない。
ただ。ただ。プリシラの勘違いがとても胸に痛かった。
「まあ、アイリはレオが大好きなのね」
「これなら、一緒に暮らすのも心配いらないな」
そう、アイリと俺は仲の良い猫となっていた。
全然、仲良くなんかないぞ。今日だって床に叩きつけられたから、すごく背中が痛い。ずきずきする背中を労わるように伸びていると、ぺろりと舐める感触がした。
目をそっと開ければ、覗き込むようにしているアイリがいる。間近に見つめられて、俺はひゅっと息を飲んだ。
俺の心の中まで見えているのではないかというぐらい澄んだ瞳はとても美しい。美しい緑の瞳が何故かアイリーンと重なった。
ぺろりと頬を舐められて固まる。
「なーう」
「にゃーん」
アイリが心配そうに鳴いたので、とりあえず大丈夫だと言ってみた。体をこすりつけるようにされて顔に血が上った。
どどど、どうしたんだ。アイリがおかしい!
「お、アイリがデレた」
「何を言っているの。アイリは初めからレオに見てもらいたくて仕方がなかったじゃない」
プリシラの言葉に衝撃を受けた。
え、アイリは俺のことが好きなのか。
驚きとともに、今までの行動を振り返ると心当たりがないわけではない。ぼぼぼとさらに顔を赤らめるとアイリがちゅっと俺の唇にキスをした。固まったまま、アイリを見ればじっと見上げるようにして大きな目をこちらに向けている。
その視線に含まれる好意を無視できるわけがない。
俺は体を震わせた。
だが、俺は。
俺はアイリーンの生まれ変わりであるプリシラを愛している。たとえ種族が違っても、俺の愛は変わってはいけないのだ。反応を返すことができずに体をぶるりと震わせた。
「レオったら、意外と奥手なのね」
「そうだな。男なら押し倒すぐらいの勢いがあってもいいと思うが」
「何を言っているの! レオはがつがつしたところがないから素敵なのよ」
プリシラとロバートの会話を聞きながら、じっと見つめてくるアイリの視線を外すことができなかった。
おおう! もてる男は辛いな……。