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実際に行動を起こす前に、整理しようと思う。
ユメが言うにはユメの父はN女に通う男性である。そしてN女は女子校なので、男性はほとんどいない。生徒にはいなくて、教師には小中高合わせて4人だけ男性教師がいる。念のために朝、職員室に行って職員名簿を見て確認してきたので間違いではない。
始業前の教室で、マリはその4人の名前をレポート用紙に書いていく。
一人目、英語教員、小田一成。主に中等部のライティングを担当しているためマリも面識がある。髪はオールバックにし、目付きが非常に悪いのでぱっと見インテリヤクザか、あるいは某北の将軍(父)のように見える。ついたあだ名は将軍。もちろん正面切っては呼ばないが生徒の間ではそう呼ばれている。授業は分かりやすく、教え方も丁寧なのでわりと評判は良い。年齢は四十くらいだろうか。
二人目、数学教員、喜多川譲二。定年間際のおじいちゃん教師で、幾何を教えている。若いころには熱血教師だったらしく、色々と伝説もあるのだけど、それは割愛。今となってはただの好々爺である。
この二人の授業はマリは取っているので知っている。
三人目、生物教員、瀬戸光三。去年の冬に急きょ入って来た新任教師で、まだ大学出たて。ぴちぴちの新人というわけである。若いし、顔も悪くはない、イケメンっていえるくらいには整っているので、学生の間では人気がある。潤いに飢えているのだ、お嬢様方も。年は大学出たばかりなら二十三だろうか。授業は主に高等部で生物を教えている。
マリは瀬戸の授業はとっていないが、委員会の活動で話したことがあるので知っていた。ちなみにマリは緑化委員というよくわからない委員になっていた。仕事は学校を緑化すること……委員長は校庭をジャングルに変えることこそ最終目標と信じて疑わない危険人物で、その委員会の顧問が瀬戸だったのだ。
この三人は直接会うことがあるので何とかなるだろう。最後の一人が問題だった。
最後の一人は初等部の古葉史郎という男だった。調べるとどうやら6年生のクラスの副担任をしているらしい。年とかもよくわからないが、名簿の経歴を見ると30代後半というところだろう。
顔も姿も知らなかった。
初等部と中等部高等部は校舎が離れているので、接点があまりないのだ。
初等部から通っているお嬢様なんかはまだしも、中等部から入ったマリは初等部なんて入ったことすらなかった。
同じことは用務員さんにも言える。中等部高等部の用務員さんはなんとなく知っているが、初等部の用務員さんなんて全然面識がない。
どうすればいいだろうか。
「何悩んでるの?」
唸っているマリの後ろから声が聞こえた。振り向くと白いニーハイを履いた足が真っ先に目に着いた。
「それ、なんのリスト?」
その女子は白いセーラー服を着て、赤いリボンを巻いていた。紺色のプリーツスカートからのびる足には白いニーハイ、髪は明るいブラウン。どっかでこんな恰好のマンガのキャラを見たことがある気がする。そして実際に彼女はそんな感じの人だった。つまり、マンガのキャラみたいな、浮世離れしたような――というか地に足がついていないような――そんな人。実際足元みたら二ミリくらい浮いてるんじゃないだろうかとマリは疑っている。
もっとも彼女が浮世離れしているのはある意味では当然だったりする。彼女の名前は小笠原貴子という。彼女の家、小笠原家はいわゆる名家というやつで、時代が違えば彼女はこの付近を治めたお殿様のお姫様だったはずの女子である。ちなみにもう少し言うと、このN女の創設者も彼女のご先祖様だし、今でもN女の理事長は代々彼女の家の女性が継いでいる。さらに言えばK大学の前身となった高校も、彼女のご先祖様の尽力で作られたようなものであり、いわばこの近辺の教育界の総本山みたいな家だった。
ただ本人はお姫様とか、教育者とかいう言葉からイメージされるものとはだいぶ方向性が違うが。
その貴子がマリの後ろからじっと机の上をのぞき込んでいる。
例の容疑者リストを数秒ほど見つめた貴子はほろりと涙を流した。
「ついにマリも男に興味を持つように……」
「違う」マリは反射的に否定した。否定して、よく考えたら否定しきれない部分もあるなと思って空しくなった。
「じゃあその手に持ってるのは何なの?」貴子が問う。
「これは、まあN女の男性スタッフのリストだけど」
「それを眺めて悩ましげなため息をつく。もうこれは確定じゃない? マリについに春が来たって」
「だから違うってば……大体仮に男に興味を持つようになったとしても、男性スタッフ全員の名前を見て、悩むなんて意味わからないじゃない」
「男なら誰でもよかった。むしゃむしゃしてやった」
「最低のビッチね……」
「で、結局何なの?」
「わからない?」
マリが逆に質問を返すと、貴子はうんうんと悩み始めた。
まあわからないだろうな、と思いながらマリはそれを眺めていた。
いきなり教師の名前を並べて唸っているクラスメイトがいたらマリだっておかしいと思う。恋に落ちた、と思うかどうかはまあ別だが、じゃあほかに何か理由が思いつくかと言うと、困る。もっともそのおかしいこと以上におかしな事情があるのが今のマリの痛いところだ。
数分ほど悩んで、貴子は口を開いた。
「……実は、この教師の中に父親がいるとか?」
マリは思い切りせき込んだ。
「な、なんの話よ!!!???? タイムマシンとかそんなファンシーな話ならわたしと関係ないわよ!??」
「タイムマシン?」貴子は不思議そうに首を傾げた。どうやらそういう話ではないようだ。
「……それじゃあどういう意味で父親なんて話が出てきたの?」
「ほら、マリって自分の父親知らないでしょ? 彼氏じゃないなら近しい男性って言ったら父親かなって」
「ああ、なるほどね」マリは胸をなでおろした。マリが自分の父親と会ったことがないことは貴子も知っている。だからそのことと関連付けたらしい。要するに単なる当てずっぽうである。
「そうじゃないわ。ただ、ちょっと調べものしてるのよ……そういえば貴子は初等部からN女よね?」
マリの問いに貴子はうなずいた。
「それじゃあこの古葉っていう教師のことわかる?」
「古葉史郎? うん、知ってる」
「どんな人?」マリは身を乗り出した。
「どうって、普通の先生だよ。体育の先生で、若くて、割と人気だったと思うけど、それはN女では仕方ない側面もあるよね。何と言っても若い男の先生はレアキャラだし」
「レアキャラって、カードゲームじゃないんだから」
「ウルトラレアくらいには、レアかな」
「基準がよくわからない……」
「あ、でもなんか部活の顧問をやってたよ。レアキャラなのに顧問……ふふう」
「今の駄洒落自分で笑っちゃうほど面白い……?」マリには理解できなかった。
「それで、その古葉さんがどうかしたの?」貴子は話を元に戻した。
「その人、どこ行ったら会えるとかわかる?」マリが聞く。
「さあ……5万円くらいガチャを引けば出るんじゃない?」
「どこのぼったくりケータイゲームよ。そのネタはもういいから教えて」
「そうだなあ、初等部行けばたぶん会えるんじゃないかな? なに、会いたいの?」
貴子の問いにマリは詰まった。
別に会いたいわけではない。というかできれば会いたくない。別にマリはその人物が未来の自分の恋人だなんて話を、素直に信じているわけではない。けれど、なんとなく嫌だった。
ただ、まったく縁遠い人物では困るというのも事実だ。マリは言葉を選んだ。
「会いたいわけじゃないわ。なんというか言いにくいんだけど、相手には気づかれずに、けどそこそこ近くから見てみたいの」
「やっぱり男に興味が……」貴子のジト目がマリを見つめる。
「だから違うんだってば」
「一応言っておくけど、先生はやめといたほうがいいと思うよ? いろいろ後が面倒だし」
その意見にはマリも同意見だったが、残念なことに今のマリには拒否権がないのだ。
「とにかく、この人を見る方法が必要なの。理由は言えないけど。何か知らない?」
「見る方法かあ、そういえばなんか聞いたことがあるような……その人なんかたまにこっちの校舎に来るとか来ないとか……」
「それ本当? 具体的にはいつよ?」
「うーん、こう、喉のとこまで出かかってるんだけど、思い出せない」
「そんな咳じゃないんだからさっさと思い出しなさいよ」
貴子はうんうんと唸って考え込んで、それからふと何かを思いついたようにマリを見た。
「ねえマリン、それはすぐにできないととても困る?」
「困るって答えるとどうなるの?」
「別に、なんにも起こらない。ただすぐにその教師がここに来るだけ」
マリは少しだけ悩んでから答えた。
「いや、別にそれほど困るわけじゃないわ」
「そっか、それじゃあもう少し悩んで思いだしてみるよ」
始業の鐘が鳴った。結局、貴子はその時間までに教師のことを思い出せなかった
思い出したら真っ先に伝えるから、と貴子は謝った。
「とりあえず手近な場所から狙うべきではないでしょうか?」
昼休み、マリはみくと待ち合わせた。学食で昼食を食べながら男性教師を狙う方法について相談するためだった。
「手近というと、やっぱり授業を取ってる連中からってこと?」
「ええ」みくはうなずいた。「初等部に侵入はできなくもないかもしれませんが、リスクがあります。はた目から見ればモデルガンを持ち込んでいるようなものですし、問い詰められれば言い訳は難しいです。だからそっちは追々考えるとして、ひとまずは手近な中高の教師と用務員を狙いませんか?」
マリもその案には賛成だった。けれどまだ問題はあった。
「でも意外とそれも難しいのよね」
「なにがですか?」みくが首を傾げた。
マリはその日の午前中、例の親子判定機を持って、教師連中の動きを追ってみた。当たり前かもしれないが、教師が一人きりになる状況というのは意外なほど少なかった。授業中はもちろん生徒の前に立っているし、休憩時間も教室移動や次の授業のための作業を職員室していたりだった。もちろん職員室には複数の教師がいるのが当たり前だし、完全に一人きりになるということはほとんどなかった。放課後や、授業がない時間ならまた少し違うかもしれないが、放課後は居残りしたくはないし、授業中動き回っていたら怪しまれるのはマリの方である。ターゲットが複数いる以上、あまり目立った行動をして早々に怪しまれるのは避けたかった。
そのことをマリが説明すると、「言われてみればそうですね」とみくはうなずいた。
「それに相手が一人ぼっちだったらすべて解決ってわけじゃないわ。本物の銃と違ってこれは当てても相手には何も起こらないもの」
「本物なら一人だけのところを狙えば相手を殺して目撃者も消せますけど、私たちの方法ではそうはいきませんからね。つまりこういうことですか。男性教師が一人きりになって、しかも死角が多い、そんな場所を襲撃場所として選ばなければならないと」
「ええ、でもそんな場所そうそうないわよね……」マリは黙り込んだ。
「姉さん」しばらくしてみくが声を上げた。「私は一つそういう場所を思いついたのですけど」
「え、どこ?」マリが驚く。
「でもその前に一ついいですか?」
「なに?」マリが問う。
「言う代わりに、狙撃は姉さんに任せていいですか?」
「もともとわたしがやるつもりだったし、別にそれは構わないわ。焦らさないで早く言いなさいよ」
「それじゃあ教えましょう。その素敵無敵な襲撃地点は――」みくは思う存分ためを作ってその場所の名を口にした。「男子トイレです」
「え?」マリは思わず聞き返す。
「男性用の、トイレです」
みくは同じ言葉を繰り返した。その表情はいたって真顔で、彼女が本気らしいことがマリにはわかった。
マリは、早くも安請負したことを後悔し始めていた。
N女は女子校だが、もちろん男子トイレもある。といっても男性と女性の割合で考えたら一対百くらい開きがあるので、女子トイレほど至る場所にあるわけではない。マリたちの教室がある本校舎では三か所ほど。その中でも職員室に近いのは職員室前の踊り場の影に設置されたものだった。職員用のお手洗いということだろう。
普通の生徒はそんな場所に用は無い。
男子トイレの中ならば、滅多に人は来ない。
そして来るのは男だけである。
確かに理想的な襲撃地点、と言えるかもしれない。
「さあ早く姉さん!」
「わかってるから急かさないでよ」
食事を終えた二人はおっとり刀で職員室前に来ていた。
職員室前の廊下は人通りもまばらで、トイレは階段の影になっているので職員室からも見えない。とはいえ男子トイレの前で立ちすくむマリと背中を押すみくという姿は、どう考えても挙動不審な不審者である。
「姉さん、早くしないと人が来てしまうかもしれませんよ!」
「だからわかってるってば!」
ただわかっていても一歩を踏み出す勇気が出ないときもあるのだとマリは言いたかった。でもそんなこと言っても後ろの妹は聞いてはくれないことはマリにもわかった。悪いのは内容も聞かずに請け負ったマリ自身である。
そう悪いのはマリ自身なんだから、でもなあ。
「姉さん、人が来ます!」
ええい、ままよ!
マリは半ばやけくそぎみに一歩を踏み出した。
うう、さよならきれいなわたし。よごれちまつた悲しみにこんにちは。
「それじゃあ私は外でフォローしますから」
みくはそれだけ言っていなくなった。フォローって何をするつもりなんだろうか。マリは突っ込みたかったが、今はぐっと我慢した。マリはあたりを見回した。
男子トイレの中は狭かった。個室が二つに、立ったままする奴が三つ。洗面台には蛇口が二つ、職員くらいしか使うことがないからだろう、意外ときれいだった。
マリは個室の一つに入って機会を待つことにした。
そして、その機会はあっけないほど簡単に訪れた。
トイレに潜んで十分ほど、ポケットのスマホが震えた。みくからメッセージが届いていた。『先生が来ます』メッセージにはそれだけ書かれていた。マリは緊張に身を固くした。
まもなく誰かがトイレに入ってきた。入ってきた人物はちょうどマリが潜んだ個室の前で止まった。金具を外すもの寂しい音がトイレに響く。なんという僥倖だろう。マリは神様に愛されているのかもしれないと思った。トイレの神様とか。
愛されるならもう少しまともな神様に愛されたかった……
マリは念のために掃除用具入れから持ち込んでおいた青いポリバケツの上にゆっくりと立った。手を伸ばせば何とかスマホのレンズを個室の敷居の上に出せそうだ。もっと背が高かったらこんなサスケまがいのことをしなくていいのに。こういうのは上背があるみくにやって欲しい。マリは心の中で悪態をついた。
マリの努力のかいあって、液晶に男の薄くなってきたのを無理やりオールバックに決めた頭頂部が映る。この特徴的な頭は小田一成だ。男はぼんやりと用をたしており、マリに気付く様子はない。
マリは男が振り向かないように祈りながら、銃を持ち出した。銃口はぎりぎり敷居の外に出すことが出来た。とそこでマリは自分の失敗に気が付いた。これでは狙いを定めることが出来ない。
マリはまぐれ当たりを期待して、一発だけ撃った。
ランプは、点灯しなかった。
どうやら外れたらしい。
これでは何発撃っても無駄だろう。マリはいったんあきらめて、下に降りた。
幸いなことに男は後ろの出来事に気がついていないようだった。
その直後にベルトのバックルか何かの金具が鳴る音がして、男はその場を離れた。どうやら終わったらしい。間一髪だった。マリは安どに胸をなでおろした。
「ん?」
男は何かに気がついたのか、声を上げた。マリは息をひそめてじっと待つ。男が動く音が聞こえる。心臓が高鳴る。
「気のせいか」
呟いて男が出ていった。
マリは教師が扉を出ていったのを音で確認し、懐に銃を忍ばせて、そうっと個室から忍び出た。小田はこちらに背を向けて歩いていた。きっとそのまま職員室に向かうのだろう。昼休憩の廊下には人の姿は見えない。動きが止まれば撃てると思った。
「小田先生!」横から声を掛けられて男の足が止まる。
「うん?」
男は声のした方に目をやった。
「川村、妹の方か。どうかしたのか?」
声をかけたのはみくだった。
「いえ、昨日の授業で質問があって」
「昨日は関係代名詞だったな。どうしたんだ。お前が僕に質問に来るなんて珍しいな」
「いえ、その、なんというか、独立分詞構文との違いとかよく分からなくて……」
みくが一瞬マリを見る。それで十分だった。マリは慎重に狙いをつけて、撃った。
二発目は、男の首筋に吸い込まれるように当たった。
「うん?」
男は何かが違和感を覚えたように、首筋に手をやる。
「あら、どうかしましたか?」みくがすかさず声をかける。
「いや、大したことじゃないが」
「それで、結局違いはあるんですか?」
「ああ、そうだったな。結論から言うと――」
マリは拳銃をしまい、みくに感謝の言葉を胸の中で言いながらその場を後にした。
幸いなことに、小田がマリを見咎めることはなかった。
マリは近くのお手洗いに入り、ランプの色を確かめた。
一瞬ランプは光っていないかと思った。けれどよく見るとぼんやりと暗い紫色に光っていた。マリはそれを写真に撮りお手洗いを後にした。




