7
用事を済ませた吉田は密閉したシャーレを持って帰っていった。
「結果が分かったら連絡するよ。メールアドレスを教えてくれるかい? ……ありがとう。それじゃあユメ君のことは任せたよ」
夕食の後、マリは自分の部屋の押し入れからアルバムを取り出した。
目的の写真はすぐ見つかった。中学の制服であるブレザーを羽織ったマリとみくが並んで映っている。門の横には桜が咲き、N女学院中学校入学式の立て看板が門柱の前に立っていた。みくの中学の入学式の時に撮ったものだ。
それをユメに見せると、私が見たのはこれに間違いありません、とユメは保証した。
写真を確認してもユメはなかなか部屋を出ていこうとしなかった。
「……何かまだ用があるの?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
ユメは何か言いたそうだった。
「アルバム、見る?」
ユメが首を傾げる。
「アルバム、何なら一緒に見る? 大したものは写ってないけど」
ユメはかすかに逡巡する様子を見せ、それから「はい」と、はっきりと答えた。
「入っていいですか?」
扉の外から声が聞こえた。
「どうぞ」
扉が開いた。入ってきたのは予想通りみくだった。
シャワーから上がったばかりのみくは薄い紺色のキャミソールに身を包んでいた。
「あら、ユメもここにいたのですね」
マリの隣でアルバムを眺めるユメに気づいたみくが声を上げた。
「お邪魔しています」ユメが頭を下げる。なんだか他人行事だなとマリは思った。
「写真を確認していたのです? どうでしたか」みくが問う。
「合ってたって。そうなのよね?」マリがユメに確認する。
「はい」ユメはうなずいた。
「ということはN女にいるので間違いないってことですか……」みくがつぶやく。
「それで、どうしたの? なにか用事があったんじゃないの?」マリが聞くとみくは思い出したように「ドライヤー借りていいですか。なんだか調子が悪くって」と言ってバスタオルを巻きつけた自分の頭を指さした。
マリは自分のドライヤーをみくに渡した。受け取ったみくはその場で髪を乾かし始めた。
「みくは髪切らないの?」マリは思いついた疑問を口にした。
みくの髪は長い。腰ほどまである長い黒髪は妹のトレードマークのようになっている。マリも決して短いとは言えないが、妹のそれはやや過剰すぎるようにマリには思う。
「女の髪は武器ですよ?」
「振り回したり殴ったり?」
「そうそう、這いずっていって相手を縛り上げたりするんです」
「それは女というより妖怪よ……」
「そんな怪談もありましたね」
みくは髪を乾かしながら答えた。
「怪談と言えば、この子の話をどう考えてるんです?」みくはユメを指さしながら言った。
「私は怪談ではありません」アルバムから目を上げないままユメは言った。
「タイムトラベラーなんて現代の怪談みたいなものです。あるいは都市伝説でしょうか。姉さんはN女にこの子の父親がいると思います?」
マリは天井を見上げた。
白く塗られた天井が見えた。マリは慎重に言葉を選び答えた。
「何度も言ってるけど、わたしはこの子がタイムトラベラーとは思っていないわ。だから答えは同じよ。N女にはそんな人はいないわ」
「私の目の前で言いますか」ユメが顔を上げた。
「でも本当にそう思ってるんだもの」
「でもお母さんはまだそれを証明してはいない。違いますか」
マリは言葉に詰まった。
「私は信じています」ユメが淡々と告げる。「お母さんは父親を見つけてくれると」
「なんでよ?」マリが問う。
「それはお母さんが私のお母さんだからです」ユメは迷わず答えた。
マリは言葉を失った。マリにはユメがどうしてそんなにも無条件に自分を信じられるのかがわからなかった。マリにとってユメはほんの一日前に会ったばかりのちょっと生意気な女の子であり、それ以上の何物でもなかった。そしてそれはユメにとっても同じなはずなのに、それなのに彼女はマリを信じている。
もちろんマリにもわかっている。彼女はマリを自分の母親だと思っている。だから最終的にはマリは自分を助けてくれると思っている。そういうことなのだろう。
(けど、本当にそうなのかしら?)
二人の間に流れる沈黙に割り込んだのはみくだった。
「……お二人の不毛なお話は終わりですか? それじゃあもっと建設的な話をしましょう。姉さんがタイムトラベラーだと信じないなら、N女にそんな人物がいないことを証明すればいいのです。ユメが正しいなら見つかる。それだけの話じゃないですか」
「それはまあ、そうね」マリは渋々うなずいた。
「で、どう思います? N女に男、いると思います?」みくは愉快そうに尋ねた。マリは少し考えて答えた。
「……さっきは驚いて考えがそこまで至らなかったけど、別にN女に全く男性がいないわけじゃないわ。たとえば男性教師は何人かいるでしょう?」
「あ、確かにそうですね」
マリはユメの言っていたことを思い出す。ユメの母は両親が『二人ともここに通っていた』と言ったらしい。でもN女に通っているのは生徒だけではない。教師などのスタッフも通っているのだ。そしてもちろんその中には、男性教師もいる。
「お嬢様学校だからかはわからないですけど、あんまり数はいませんが」
「たぶん3人くらいはいたと思う。ほかにも、用務員とか事務員とか含めればもう少しいるんじゃない?」マリは思い出しながら答える。
「事務室で男性は見たことはありませんけど、用務員は確か男性だったと思います……」
「じゃあそれ。……それぐらいかな」
「来客とか、配達の人とかはどうでしょう?」みくが思い付きを口にする。
「それは男もいるだろうけど、でもみくはそういう人も『N女に通っていた』と言うの?」
通うというのは定期的に来ている、というニュアンスがある。マリならば少なくとも一回来ただけの来客を『通っている』とは表現しない。少し考えて、みくも首を横に振った。
「ということは怪しいのはそれくらいですね……姉さんはその中で一番誰が怪しいと思いますか?」
「怪しいって言われてもね」マリはN女の男性教師の顔を思い浮かべた。どれもむさいおっさんである。「というかどうすれば怪しいかどうかなんてわかるのよ? 未来のことなんてわかるはずないわ」
「そうですね……やっぱり未来の姉さんのステディなんですから、そういうので決めたらいいんじゃないですか?」
「ステディって……」マリは妹の言葉のセンスに苦笑した。
「つまりぶっちゃけ、姉さんは誰が好きですか?」
「好きって、相手はおっさんよ?」
「あるいはセックスしてもいいかなーくらいには思う人はいないのですか?」
「いるわけないじゃない」
「姉さん」
「にゃによ」マリは舌をかんだ。
「顔赤いです」
みくは振りかぶったマリの拳を上体の動きだけで華麗にかわし、反撃にドライヤーの出力を最大にした。熱風をまともに顔に受けたマリは思わずせき込んだ。
「やっぱりいるのですね……」
「いないわよ! いるわけないでしょ!」
「じゃあなんで顔を赤らめたのですか」みくがジト目でマリを見る。
「あんたがいきなり、熱風を浴びせたからよ!」
「本当ですか?」みくは疑り深い目でマリを見た。
「ああ、もう! あんたがいきなりセッく……とか言うからでしょう!?」
「え、何ですか、姉さんのドライヤーがうるさくて聞こえないです。石窟ですか? 姉さんは石窟なんてするんですか?」
「ドライヤーの出力落とせばいいじゃない!」
マリはみくの手からドライヤーを奪い取った。もうみくの髪は乾いていた。
「昨日はBLとか気にしなかったくせに……」みくが呆れる。
「自分にかかわることは違うのよ……」マリが弱弱しく言った。
「でも、実際ユメの言葉が正しいならそれが一番あり得る可能性です」
「それくらいわかってるわよ」マリはベッドに突っ伏した。
マリは今まで男子と付き合ったことはなかった。だから、というわけではないが恋愛に対してそれなりの夢を抱いていた。すごくかっこいいというわけではないかもしれないが、それなりにかっこよく素敵で優しい恋人がいつかそのうちできるのだと、根拠もなく信じていた。
それなのに。
マリは知っているN女の男性教師を脳裏に描く。
その人物は高等部で英語のライティングを教えている教師で、生徒たちから将軍と呼ばれていた。某北の将軍様(父)に見た目が似ていたためだった。
ありえない……現実のあまりのひどさにマリは涙した。
「でも仮に、仮の話よ? 絶対ないと思うけど、もしもその中に犯人がいたとしてね」
「犯人、ですか?」みくが首を傾げる。
「犯人よ。そいつは犯してはならない一線を越えてしまった、ロリコンという名の犯罪者よ」
みくはマリの剣幕に押されて黙った。
「その犯人をどうやって見つければいいのかしら」
「どうやって?」みくは首を傾げる。
「だってわたしたちがしなくちゃいけないのは、怪しい奴がこの子の父親かどうかを調べるってことでしょ? でも父親かどうかなんてどうすればわかるのよ」
「そうですね……やっぱり、DNA鑑定が一番確実だと思います」
「DNA鑑定には生きた細胞が必要だわ」
「細胞くださいって頼めばいいんじゃないでしょうか?」
マリはいきなり細胞くださいって頼んでくる女子生徒を想像した。
それは女子と言うよりも妖怪じみていた。
みくは渋い顔をして言った。
「私、その人と肉親だと思われたくないです。実行するときは覆面か何かで顔を隠してやってくださいね?」
「ますますやばい絵面になってるじゃない! そんな方法はなしよ! なし!」
「それがだめなら……闇討ちとかどうでしょう?」
「一応聞くけどそれはどんな方法?」
「暗闇に乗じて不意を打ち、体から細胞片を奪うのです」
「みく、それはただの通り魔よ」
わざとらしいため息が横から聞こえ、二人はそちらに目を向けた。
「全く、お母さんたちは頼りないですね」
ユメだった。
「頼りないって……誰のためにわたしたちが考えてると思ってんのよ……」
「私のためです。だから私も口を出す権利があります」
「何かいい案があるんですか?」みくがユメに尋ねる。
うなずいたユメは「少し待っていてください」と言ってからマリの部屋を出て行った。
「一体何があるのでしょう?」みくがマリを見る。
マリにもわからなかった。
数分後、戻ってきたユメの手に握られていた銀色の塊を見てマリはあっけにとられた。
「ユメ、一応聞いておくけど、それは何?」マリが聞く。
「親子判定機~」
ユメはそれを右手に高々と掲げて言った。かろうじてドラえもんが秘密道具を出すときの真似をしているのが分かる、とても微妙な声だった。
でもそれ以上に微妙なものをユメが持っていたため、マリはあまり気にしなかった。
手のひらサイズの銀色のL字に穴が開いたそれは、どう見ても拳銃のようにしか見えなかった。
ユメの説明は簡単だった。
そのどう見ても拳銃にしか見えない代物は『親子判定機』というらしい。
親子判定機は直径1ミリにも満たない針状の物体を飛ばすための機械だった。なんだかSF的なガジェットだなと思ったが、タイムトラベラーの時点で十分SFだとマリは思い至り、いたたまれない気持ちになった。
針は当たると近くの細胞のDNA情報を読み取りあらかじめ設定されたDNAとどの程度一致するかを調べて、その情報を拳銃に送信する。そして当たった人物と設定されたDNAが一致していれば銃把の底のインジケータが白く、親子だと赤く光る。それ以外は両親に近ければ近いほど赤っぽく光るのだとユメは言った。
「赤っぽいってまたあいまいな……」マリがぼやく。
「実際に見るのが一番早いと思います。お母さん、協力してもらえますか?」
「別にいいけど、何するのよ」
「お母さんを撃ちます」ユメは淡々と言った。
「ダメです」声を上げたのはみくだった。
「なぜ?」ユメが不思議そうにみくを見た。
「姉さんが撃たれるのは嫌です」
「これは本物の拳銃ではありません。撃たれても痛くもかゆくもないはずです」
「それはそうかもしれないですけど、でも、なんか嫌です。実戦テストなら別に姉さんじゃなくてもいいじゃないですか。例えば、そうですね嫌ですけど私とか。私を撃ってください」
「ですが」ユメが口ごもる。
「さあ、早く!」みくが急かす。
ユメは黙って何か言いたげにマリを見た。それを見て、マリは助け舟を出すことにした。
「わたしは気にしてないんだからわたしを撃ちなさい。みくもわがまま言わない」
「でも姉さん!」
「おもちゃみたいなもんなんでしょ? そんなに気にすることじゃないわ」
「姉さんそこまで言うなら……わかりました」
みくはまだ何か言いたそうにしていたけれど、結局引き下がった。
ユメは人知れず安どのため息を漏らした。
ユメはマリに手のひらを出させて、慎重に狙いを定めそこに向かって引き金を引いた。音や光は特に出なかったし、痛みや衝撃も何もなかった。
「本当に発射されたの?」
マリが疑う。ユメは黙って親子判定機を見せた。確かにそれまでついていなかったランプが赤く光っていた。
「つまり今赤く光ってるのはわたしに当たったから?」
「そうです」
「うーん」一応、ユメの説明と矛盾はないらしい。
赤色のランプは10分ほどで消えた。それを確認してから、みくはユメに親子判定機を借り自分の手に撃った。撃った直後にランプは橙色に点灯した。
「橙色なのはなぜ?」マリが疑問を口にする。
「たぶんおばさんが血縁的にお母さんに近いから橙色なのだと思います」
マリと血縁が近いほど赤っぽい色が出る、というユメの説明をマリは思い出した。確かに橙色は赤色に近いと言えないこともない。
「どの程度近かったらどのくらい赤っぽく光るかとかわからないのですか?」
今度はみくが質問した。
「あまり詳しいことは分かりません。実は使うのは初めてで」
「ずいぶんとまあふわふわした話ね……」
「でもすごいじゃないですか。ものの数秒で人のDNAすべてを解析するシーケンサなんて今の人間の技術じゃ絶対できません!」
みくが興奮気味に言う。
「もうなんでもありね」
マリはげっそりと疲れたようにつぶやいた。
「これ弾はどれくらいあるの?」
「カートリッジを二つ分持たされました」
「一つで何発なの?」
「確か8発と言っていたと思います」
「じゃあ残りは14発ってわけね」それが多いのか少ないのか、マリにはわからなかった。
「これを使えば父を探せますね?」
マリは腕を組んで考えた。
確かにできるかもしれない。けれどどれくらいこの親子判定機を信じていいのだろうか。
「別に使ってみて損はないんじゃないですか」みくが続けた。「この手軽さは魅力的ですし、それに仮に間違っていても特に問題はないはずです。だってあたしたちはいつでも民間の業者を使えば親子判定くらいできますし」
「とりあえずこれで調べて赤く光る容疑者が見つかればそいつを徹底的に調べればいいっことね」
みくの言っていることは正しいように思われた。
翌日、マリはN女の中等部と高等部にいる男性教師について調べてみた。
調べた結果、N女には高等部に2人、中等部に1人、初等部に1人、合わせて4人の男性教師がいることが分かった。用務員はそれぞれ一人ずつ。つまり、合わせて6人の男性がN女には通っているとわかった。




