20
30分ほど探し回ってやっとマリがみくを見つけ出したとき、みくは近くのスーパーの庇の下、雨宿りしながら一人でもそもそと大判焼きを食べていた。
その瞳にマリの姿が映った。
「あんた、人を心配させといて、こんな場所で何をしてるの?」
「……考え事です」魂の抜けた様な瞳がマリを見た。
「そんなびしょぬれで考え事もないでしょ」
「はい」
「傘持ってきたから持ちなさい」
「はい」
「……川村マリは世界で一番賢く美人なお姉ちゃんよね?」
みくは世界で一番愚かでダメな姉を見るような目でマリを見た。
マリはいたたまれなくなって目をそらした。
「ほら帰るわよ」
いたたまれない空気をごまかすように、マリは強引にみくの手を引いた。みくは特に抵抗もせず、はい、と呆けたように答えてから、引かれるままに歩き出した。
雨はまだ止んでいなかった。マリはなんとなく昔のことを思い出した。
小さいころ、マリはみくを連れていろいろな所に行った。と言っても、別にどこか遠くの町まで遊びに行ったとかそんなのじゃない。近くの公園、スーパーに神社、花火大会に夏祭り、歩いて行ける場所だけだった。
今から考えるととても信じられないかもしれないけれど、子供の時のみくはひどく臆病で人見知りする子供だった。マリの覚えている妹の姿は、常にマリの後ろにいて、人と関係性を築くのが苦手で、引きこもりがちな女の子だった。
だからそういうとき、マリはずっと妹の手を握って離さなかった。たとえどれほど近場でも、決して離そうとしなかった。なぜだろう。思い返せば、なぜあそこまで必死につかんでいたんだろう。マリにも不思議だった。
「昔もこういう風に歩きましたね」みくが口を開いた。
「ええ。わたしもちょうどそのこと思い出してた」
「姉さんは私の手をずっと握ってくれましたよね。嬉しかったです」
「どうして?」マリが顔に疑問符を浮かべる。
「この人は私のことを手放したりしないんだなって、思えたから」
「そんなの当たり前じゃない」マリは呆れた。
「それは何故ですか?」
「それは、そうね、たぶん姉妹だから」
「でも違ったんですよね」
「……」マリは言葉に詰まった。
「麻衣子にメールで聞いたんです」みくはマリの手を見つめながら言った。「私は一体誰の子供なのですかって」
「母さんはなんて?」
返事の代わりにみくはスマホをマリに見せた。返事は十分ほどで返ってきていた。
そこは次のように書いてあった。
『あなたは、私の友人が遺した子供である。その友人はあなたを産んだ直後に、病死した。親しかった私は、あなたを引き取り育てることにした、、、、それでも、あなたは私の娘であることに間違いはない』
「母さんにそんな親しい友達がいたなんて」
マリは首を横に振った。にわかには信じられなかった。
「それにあのひとって結婚してたの? 意外……」
「姉さんがいるんだから結婚しているのは普通じゃないですか」
「いやそうだけど、なんとなくわたしは私生児なんだろうなって思ってたから」
「姉さんは、適当過ぎます」
そうかしら、とマリは首を傾げた。
「まあ、あれよ。今まできちんと戸籍を調べようとしなかったわたしたちが悪いってことね」
マリはまとめるように言った。
「そうですね……もっと早く調べておけばよかったのかもしれません」
マリとみくは無言で数分歩き続けた。みくが黙り込んでしまったのでマリは口を開いた。
「で、なんで逃げたの?」
「逃げた?」
「さっき家から逃げ出したじゃない」
みくは少し考えて、ああ、と言った。
「たぶん、びっくりしたんだと思います。姉さんは私の姉さんです。今までずっとそうでしたし、これからもずっとそうだって思っていました。それが違うと言われて、なんだか足元が全部崩れてしまったような、そんな気がしたんです。それで姉さんの顔見たら、どうふるまえばいいのかわからなくなってしまって……ごめんなさい。意味が分かりませんね」
すみません、とみくは謝る。
「別に謝るようなことじゃないわよ……で、今はどうなの?」
「どう、と言いますと?」
みくは質問の意味が分からない、というようにマリを見た。マリは質問を繰り返した。
「わたしに向かってどうふるまえばいいのか、わからない?」
みくは少し黙り込んで考えた、それから口を開いた。
「わかりません」
マリはため息をついた。
「すみません」
「だから、謝ることじゃないんだって」
言いながらマリは考える。
今まで実の姉と思ってきた人物が実は全然そんなんじゃなかった、となれば誰だってショックを受けるだろう。だからみくの反応はとても自然なものだ。そのショックを和らげるために、自分に何ができるだろう。みくが逃げて反射的に追いかけちゃったけど、本当はそっとしてやるべきなんじゃないだろうか。
と、そこまで考えてマリは気が付いた。
確かにみくにとってその事実がショックだったのは分かる。
でもそれは自分にとっても同じじゃないだろうか。マリだって仲の良い妹が実は養子だったといきなり言われて、びっくりするのが当然なんじゃないだろうか。でもマリは、そのことを知っても特にショックを受けていない自分に気が付いた。
なんでなんだろう。
マリは自分に問いかける。
(ああ、なんだそうなんだ)
答えはとても簡単で、すぐに見つかるものだった。
マリは口を開いた。
「みくはどうしたいの?」
「どう……というと?」
「これからどうなりたいのかって聞いているの」マリが問う。
みくはたっぷり悩んでから、小さな声で言った。
「変わりたくないです」
「うん」
「私は今までと変わらず、いつも通りに姉さんと過ごしたいです」
「うん」
「私は姉さんの妹じゃないのかもしれないですけど、姉さんと一緒にいたいです。だめでしょうか?」
「そんなわけないじゃない」マリは、心底呆れたように答えた。「だってわたしたちは家族でしょ? 一緒にいるのなんて当たり前じゃない」
答えは簡単だった。
だってみくは妹だ。それは彼女の母親が誰であれ関係ない。妹と一緒にいた10年以上の年月を、ただそれだけでなくすことなんて絶対にできない。みくは間違いなくマリの妹だった。だから、その妹が悲しそうにしてたら、姉である自分が心配するのはとても当たり前のことだった。
「だから、一緒にいたいなら一緒にいればいいのよ。だいたいまだあんたもわたしも中学生じゃない。それなのに別々に暮らすなんてありえないわ」
「でも、私は姉さんの妹じゃなかったんですよ?」
「妹でしょ? 義理のだけど」
「確かにぎりぎり妹かもしれないですけど……」
「一体何が不満なのよ」
「……私が考えすぎなんでしょうか?」
「そうよ。それにね」とマリは言った。
「わたしにとってはあんたが誰の子供だろうと、あんたはわたしの妹よ。だいたい10年間姉妹として育ったのに、それくらいで変わるはずないじゃない。あんたってたまにすごく馬鹿になるわね」
マリは続けた。
「変わりたくないなら変わらないでいいの。一緒にいたいなら一緒にいればいいの。わかった?」
みくはふっと肩の力を抜いた。
「なんだか、悩んでた自分が馬鹿みたいです」
みくの顔は何かを吹っ切ったように晴れ晴れとしていて、マリはそのことに安堵した。マリがみくの手を取ると、みくは逆に手を握り返した。
「勘違いしないでください。別に姉さんの言葉に納得したわけじゃないですから。大体姉さんは自分が私生児かどうかすら気にしない、超絶鈍感人間ですから、私みたいな繊細な人間とはきっと感覚が全然違います。だから、姉さんにはきっと私の気持ちなんて全然わかっていない、と思います」
けど、とみくは続けた。
「けど、姉さんが私のことが大好きなのは分かりました」
「……なんでそうなるのよ」
「じゃあ嫌いなんですか?」みくは目を丸くしてマリを見る。
「ええ好きよ、何か文句ある!?」
「いいえ、全然」みくは満面の笑みを浮かべて答えた。「私も姉さんのこと好きです」
ああ、そう、とマリは投げやりに返した。
「だから、姉さんが義姉だったと知って、ちょっとドキドキしてます」
「いや待て」
「姉さんといろんなことがしたいです。を裸に剥いて首輪をつけて深夜の公園を散歩とか」
マリはドン引きだった。
「……靴下は履いても、いいですよ?」
「なんでそれで激論の末、不倶戴天の政敵と妥協した政治家みたいな顔してんのよ! 変態性はむしろ上がったわよ!?」
「処女は面倒ですね……」
「お前も処女でしょ!」
そういえばそうでした、とみくは言った。そういわなくてもそうだろうと、マリはがっくりと肩を落とした。
「わたしの周りの連中はなんでこんな冗談ばっかりなのよ」
「それはたぶん姉さんがツッコミキャラだからです」
人をキャラとかいうな! と言いかけて、マリはぐっとこらえた。ここでツッコんだら自分が安易なツッコミキャラだと宣言するようなものである。マリはどんなボケが来てもツッコむまいと心に誓う。みくが口を開いた。
「でも、なんで姉さんは私の出生に疑いを持ったのですか? だって疑わないとわざわざ遺伝子鑑定なんてしないですよね?」
「話戻しすぎでしょ!?」
みくは優しい目でマリを見た。
「ち、違うのよ。ただボケが来ると思ってたから、思ってたよりまじめな話で対応しきれなかったとか、そんなんじゃないのよ」
「わかっています。姉さんのツッコミ能力はもっとありますものね。ちょっと今日は調子が悪いのですよね?」
「いや自分のツッコミキャラとしての能力を実際より低く見積もられて不満に思っているわけじゃないわ! そうじゃなくて、ええと」
マリがしどろもどろに言葉を探す。言えば言うほど深みにはまっていくようだった。みくは海よりも深い慈愛に満ちたまなざしでマリを見ていた。マリは屈辱にこぶしを握りしめた。
みくはマリの屈辱を満足するまでからってから再度疑問を口にした。
「それで実際なんでなんですか?」
「明日、話すわよ」マリはさんざんいじめられて疲れた声で答えた。
「明日?」
「ええ、ユメも、あの人もいる場所で明日」
「もしかしてユメの父親が誰かわかったのですか?」
マリはうなずいた。
「ええ、そんな姉さんが私より早く!?」
「ええ、たぶんね。聞きたい?」
「いいえ、結構です。私も一日考えてみます。姉さんに先を越されっぱなしというのは悔しいですし」
二人が家に戻ると、ユメが玄関で「おかえりなさい」と迎えてくれた。迎えに来てくれる人がいる家というのも悪くないとマリが思っていると、「迎えてくれる人がいる家というのも悪くないですね」とみくは微笑んだ。
マリはユメに向かって「明日、あなたの親に会わせてあげる」と言った。ユメはマリを見て「はい」と答えた。
その晩のうちに、マリはユメの親に電話をした。
明日、うちに来てくれないかと頼むと、その人物は快く受け入れてくれた。




